ものぐさ日記

行きつけのスーパーの駐車場周辺に燕の巣があります
早くも雛が育ち始めている巣もあればようやく完成した巣もあります
そして田んぼでは田植えが終わろうとしていて初夏の風情を感じます

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 6月30日 これも一種の同調連鎖?
 昔、今は音信不通の知人達と暮らしていた頃に話題になった漫画が、愛蔵版として復刻されている。それを読むと、小説が書きたくなる。当時知人達と温めたネタが、まだまだあるのだ。それを書ききるまでは、死ねない。多分、Google検索には引っ掛からせてもらえないだろうし、メルマガで掲載されてもあの頃の知人達には届かないだろうけど、発表せずにはいられない。そんな衝動に駆られるのだ。書き足りない。まだまだ全然、書き足りない。伝えたいことは、たくさんある。死んでなんて、いられない。大好きだったあの人達に、憎みあっても離れられなかった彼らに、まだまだ伝えていないことがたくさんあるから。そんな感情の昂ぶりを察したように、今日もまた雨が降りだした。
 6月29日 リヴリーのチームって何?
 リヴリーには、チームというものがある。サイト運営における同盟みたいなものかと思っていたが、何やら活動もあるらしく、よく分からなくなった。それに、「秘密のアジト」というのもあるらしい。ウチのパルジャニアにはパルジャニアだけのアジトがあるということか? それよりも、ホント、チームって何? 所属すると楽しいものなの? ランダム放浪していると、しょっちゅうチームに所属しているリヴリーを見かけるが、どこで入ってるのか分からないし、首を傾げながら通過していたりする。う〜ん、まだまだ初心者やなぁ…。
 6月28日 「自分の思うとおりにならないとプリプリギャーギャー喚きやがって」
 タイトルは、実父の言葉。まだ3歳になるかならないかの息子に対して、物凄く感情を込めて吐いていた。それを聞いた私は、内心、「誰よりもあんたがそうだろうが!」と思った。口に出したりはしない。実母は「何でも言いなさいよ、ちゃんと聞くから」と言うが、「ちゃんと聞いた」試しがないのだ、奴等は。気がつけば、私の気持ちや意見など否定され、説教か自慢話を聞かされているのが常だから。…って、昨日も書いたっけ。ああ、本当に、毎日くだらなく生きているなぁ…。
 6月27日 書いたら薬のみます…
 やらねばならなかったことをやり忘れたと気づき、気分が悪くなる。やらねばならないことができなくなり、さら気分が悪くなる。それを旦那や実父が快く思っていないだろうと想像し、さらに悪化。折しも、月に一度、二ヶ月に一度の最悪な一週間のうち、最も辛い一日。ただでも女に生まれたことに嫌悪感を感じるのに、家事・育児に関して陰口を叩かれるのは、不愉快極まりない。女は男の奴隷でもなければ、子供のために犠牲になる生き物でもないはずだ。誰にだって具合が悪い時はある。私はそれが長引いているに過ぎないのだと、どうして認めてもらえないのだろう? 私が何も努力していないと、どうして勝手に思うのだろう? 辛い気分でまた頓服を服用する。気分転換を図ろうと現実逃避をしてみる。それらすべてが、私以外の人々には不愉快らしい。挙げ句、「誰とも話をしないで退屈じゃないの?」と言う。誰と話をしていても、ほんの数分で私の言葉など打ち消され、自慢話か説教を何時間も聞かされるだけなのに。そんな台詞を言うぐらいなら、このサイトの日記を全部読んでみろ、と思う。そうした努力もしないで、私にのみ努力を要求するのは、肉親とは思えない卑怯さ・卑劣さを感じずにはいられない。もっとも、今更「今まで解ってあげられずに、ごめんね」と泣きつかれても、気持ち悪いだけだが。
 6月26日 宇宙単位で考えれば地球だって静止している
 週末だ。しかも、天気が悪い。つまり、旦那も息子も家にいて、それぞれの自由に振る舞おうとする。間に立つ私は、どちらの言動を優先すべきか迷い、悩み、結局は何も考えられずに動けなくなる。そして、思考も停止。それを実父母も旦那も息子も快く思わないようだ。私にしても、時間を浪費している気がして、後から自己嫌悪に陥る。だが、その休息だって私には必要なものだし、一週間単位で見れば数時間など微々たるものじゃないか。地球だって、宇宙の中心から見れば静止して見えるに違いない。それと同じだ。私の人生、36年弱。その中の、ほんの数時間。それだけの休息でまた立ち直れるのなら、それで良いじゃないか。…と、言えるのは私自身に対してのみ。きっと誰に対して説こうとも、「今度の言い訳はそれか」と憮然とされるだけに違いない。所詮、私なんて、そんな程度の存在だ。
 6月25日 息子がトイレトレーニングを始めた
 と言っても、保育園で保母さんがほとんどやってくれているので、私は立つ瀬が無いのだが。問題は、その「立つ瀬の無さ」をわざわざ私を傷つける言葉を選んで指摘する実父だ。自分のほうから喧嘩を売るように暴言を繰り返しておきながら、私が頓服を服用すると、今度は被害者面して私を徹底的に無視する。私が何か言ったりやったりしようものなら、「俺はこんなに気遣ってやってるんだから、原因はおまえ(実母)だろう」と言うぐらいだ。それでいて、私や実母に尊敬されたいらしいから、失笑ものだ。まぁ、そんなことは置いといて。息子のトイレトレーニングは、彼のプライドの高さを利用して、褒めて褒めて褒めまくり、調子に乗らせて進められているらしい。家で叱ると、グレたように暴れだすから、本当に嫌な遺伝子だけは強く受け継がれるんだなと思えて、私は嫌な気分になることが多い。それにしても、本当に私の人生は、どうでもいいことだらけだと思う…。
 6月24日 やはり寿命らしい
 現在使っているパソコンのバッテリは、やはり寿命らしい。交換しようにも、「全部使いきらなきゃダメだ」(旦那談)そうで、ACアダプタ様に頼って稼働するしかないとのこと。せっかく心地よく動く環境に、ようやくなってきたというのに、今更また別のパソコンに乗り換えたくないから、それで良いけど。せいぜい、ACアダプタのコネクタをまた壊さないように気をつけねば(マジで)。
 6月23日 だったらどうにかしろというのは野暮だろう
 愛用しているPowerBookのバッテリーが、調子悪くなった。ちゃんとACコードを差しているのに、充電されないのだ。バッテリー残量が減りもしないので、まったく反応していないわけではなさそうなんだけど。しかし、気になる。サイトのデータも小説のネタも、全部この中に入っているから、落ちると困るし。全部をコピーしようにも、ワープロソフトはリンゴ専用のものだから、通信用窓機とはまったく互換性がないし。同じリンゴ機でも、G4のOS10に対応しているとは限らないし。はっきり言って、ピンチだ! だけど、私にはどうしようもない! 差し込み直したりしてみたけど、反応が変わらないので、コードの線が切れかかっているのかな、とか、バッテリそのものの寿命がきてるのかな、とか推測するしかできない。う〜ん、旦那に相談しようにも、「使っている環境が劣悪だからじゃないの?」って言われるだろうから、嫌なんだよなぁ…。
 6月22日 つまらんものはつまらん
 某社から出版された猫のアンソロジー本を買ってみた。猫の愛らしさやちょっと神秘的なところを描いた作品を期待していたのだが、大半は猫を擬人化したり人でも構わないキャラを猫に当てたりしただけで、肩透かしを食らった気分だった。掲載作家諸氏が著名な漫画家ばかりだったので、私が期待しすぎてしまっただけかもしれない。あるいは、別の出版社が昔出していたファンタジックな内容を知っていて、それに類似した内容を期待しすぎただけかもしれない。けれど、(ここでタイトルどんっ!)のだ。作家が読者を意識して描いているとは思えない作品もある。意識しているとしても、独り善がりな設定や展開が続き、猫に対する愛情などがストレートに伝わってこない。今まで猫のアンソロジー本を何冊も買ったが、ここまでガックリした本は初めてだ。続編の本も一緒に買ってしまったが、読むべきか否か、凄く迷っている。こんなことも、初めてだ…。
 6月21日 デストローイな気分
 どうやら、台風直撃らしい。風雨が凄い。でも、気持ちいい。昔は台風や雷には、ドキドキワクワクしたもんだ。今は、ちょっと違う。「このまま地上の何もかもを押し流せばいいのになぁ…」と、デストローイな気分的にドキワクする。特に、家庭内でいざこざがあったもんだから、なおさら。う〜ん、結局、私とハーボットのアイムは、性質が同じということか。もっとも、アイムには「デストローイ…」とは言わせたことはないけどね。
 6月20日 感化されやすい
 最近ハマった漫画が、音大を舞台にした作品で、クラシック音楽やらオーケストラやらが登場するコメディ物だ。キャラクターは変わり者が多く、「クラシック音楽を演奏したり愛聴したりする人は、堅苦しくて頭でっかち」という私の先入観をぶち壊してくれた。作曲者も演奏者も人間で、いろんな気持ちを抱えているのだと、ごく自然に描かれている。それを読んでいると、クラシック音楽をBGMにドライブしたくなってきた。とりあえず、ショパンの幻想即興曲。理由は、タイトルが気に入ったから。マジにCDを買いそうで、ちょっと自分が怖い…。
 6月19日 昼夜逆転気味
 昨夜は、ちっとも眠れなかった。薬を服用したけれど、なかなか効かず、結局午前2時過ぎまで起きていた。ようやく眠れたのは、多分、安定剤を追加で服用したからだろう。そうしたら、今度は、朝起きられなかった。7時に一度目が覚めたものの、椅子に座っているだけで体がだるくなり、身を起こしているのが辛かった。息子の面倒を見ようにも、一挙手一投足に覚悟を決める必要があるぐらい、だるいわ眠いわ、悲惨な状態だった。それなのに、息子は言うことを聞かないし、実父は私と息子を見ていてヒステリーを起こすし、実母は私の具合の悪いことにも気づかないしで、「家族なんて言っても所詮は他人じゃないか」と幻滅。誰も相手の調子を思い遣ることなんてなくて、自分の都合ばかりを押し付ける。そんな家に生まれたことが、すごく嫌。そして、その嫌さ加減がまた、さらに具合を悪くする。
 6月18日 気力ダウン開始
 週末だ。相変わらず、無意識のうちに気力がダウンしていく。息子を保育園に送っていく間も、足が重くて前にちゃんと進まない。帰宅してから、可燃ゴミの日なのに、ゴミを集めるのも一苦労。体の内側から重りが滲み出て、皮膚のすぐ下に沈殿している感じがする。それでも家事はやらねばならないし、明日・明後日は一日中育児と旦那の顔色伺をし続けねばならない。せめて片方だけでもなくなれば、少しは気楽になれるのになぁ…。
 6月17日 全部纏めてすることもあるまいに
 今月、愛車「なでゃぁ」を点検に出すことになったのだが、ついでにノーマルタイヤへの付け替えとオイル交換、エレメント交換、ぶつけたり擦ったりしたところの修理をすることにした。最後のはともかく、「今頃ノーマルタイヤへの交換?」てな感じ。3月は入園手続でドタバタしてたし、4月は入園支度でドタバタしてたし、5月は入院騒ぎでドタバタしてたし、いつの間にか6月になっていたってだけなんだけど。それでも頼んだ先のガレージの店主(実弟の同級生)も、さすがにちょっと苦笑していた。もっとも、ぶつけた個所の状態の悪さのほうがより苦笑物だったから、すぐにタイヤどころじゃなくなったけど。さぁて、旦那のボーナスがどれだけ消費されるかなぁ?
 6月16日 前者は実父で後者は旦那
 改めて、何事にも怒鳴り散らしてケリをつけようとする男とか、何事にも無関心で完全無視してほとぼりが過ぎるのを待ち続け結局何も無かったことにする男が、私は大嫌いなのだと自覚した。しかも、連中は自分の欠点を美徳だと勘違いしているきらいがある。そして、欠点を指摘されたり、自分の美徳観念にそぐわなかったりすると、相手を侮蔑し、前者は喚き散らし、後者は無視して、徹底的に否定する。他人が自分よりも素晴らしい行いをしているのを見かけても、褒めることはない。むしろ、「これ見よがしになるなんて嫌みだ」と僻む傾向が強い。こうして考えてみると、私はとことん男運が悪いようで、気が滅入る。将来的に、どちらかの男と同じ墓に入るかと思うと、もっと気が滅入る。死んだ後ぐらいは、独りで自由に、のびのびと暮らしたい。いや、魂が存在すると仮定した場合だけれど。
 6月15日 可愛いものには目が無いんだな
 最近、ムキになっていることがある。某天使育成サイトのペットルーム(正確には「天使育成室」)で、好感度を上げることだ。可愛いんだよ、雛ちゃん(天使の女の子の名前)が! 仲良くなるにつれ、どんどん愛くるしい行動を取ってくれるし。おかげで、「もっと仲良くなりたい」とムキになっちゃったわけ。今週に入ってからは、友人Rのサイト(ペットルームオンリーの娯楽サイト)がサーバダウンで不通になってるものだから、その分も雛ちゃん宅に通い詰めたりしている。う〜ん、やっぱり私は(以下タイトル)。
 6月14日 アーメン…(涙)
 何も知らないというのは、怖いことだ。ウチのクンパ・パルジャニアが投石を覚えたからというだけで、オオカマキリに挑んでしまった。結果、戦死…。現在、ちょっとペット・ロス状態に陥っている。立ち直るために、2代目パルジャニアを引き取ったけど。今度こそ、今度こそは可愛く、長生きするリヴリーに育て上げてみせるっ!
 6月13日 とにかく寝てた
 現実として、体を起こしているのすら辛かった。同じ部屋で息子が泣いていようが、旦那が何かしていようが、実父母が息子を宥めていようが、テレビを見ているような感じで受け止めていたし。何もかもがどうでもよくなって、現実逃避することすら思いつかなかった。だから、寝た。でも、数時間か数日かしたら、きっと旦那に「よくまぁ、それだけ寝られるもんだよね」と言われるだろう。考えるだけでも、殺意が膨らみそうだ。だから、寝よう。
 6月12日 小心者ゆえに
 リヴリーの経験値をあげるのと他の人の島を見学するのを兼ねて、よくランダム放浪する。すると、doodoo(リヴリーの糞:宝石)が散らばっているままの島に出ることが、結構ある。doodooは、リヴリー界では現金に等しい。赤の他人でも片付ける(回収する)ことができる。だが、それは窃盗にあたるのではないか、と私は5分以上悩むのだ。悩んだ挙げ句、一番小さいdoodooを1個だけ拝借して帰る。が、今朝、doodooが散らかった島で、凄い人とかちあった。どう見てもランダム放浪だろうという登場の仕方をし、1秒も経たないうちに全部のdoodooを回収してまた旅立っていったのだ。何種のリヴリーだったのか、私が確かめる暇すら無かった。まったく、世の中には物凄い人もいるもんだ。帰島した後、私は自分の島の紹介文に「落ちてるddはお土産にどうぞ」と書き足した。それもまた、小心者ゆえに。
 6月11日 現実として私なんて不要だろう?
 何をやっても「こうしたほうが良い」とか口を出されるし、何も言わなくても勝手に私に関する話が進んでいき、勝手に結論出されてるし、何もしなくても別に役にも害にもならないし。現実として、私なんて今の生活に必要ないのだな、と思う。むしろ、私がいなくなれば、実父はヒステリックな声で喋らないだろうし、実母は余計な「一人で問いかけて勝手に完結」話をしなくなるだろうし、旦那は勝手にパソコンを構ってるだろうし、息子は心置きなく実父母に甘えるだろうから、万事丸く納まるだろう。ああ、もういっそ、死んでしまおうか。そんなことを考えるのは、多分、今日が金曜日だからだ。明日と明後日、旦那も息子も家にいて、実父母にも気を遣わねばならないのかと思うと、それだけで気が滅入る。気遣いしないと、逆ギレされて無視されるからなぁ。…(黙考中)…。無視できるってことは、やっぱり私なんていないのと同じなんだな。だったら、本当に死んでしまってもかまわないや。近々実父の誕生日だし、お祝いに死体になってやろうかしら。
 6月10日 寝返りが打てない
 寝坊した。ギリギリ登園時間に間に合うようには起きれたけれど。原因は分かっている。昨日、頓服の安定剤を服用したことと、記念作品を書きながら寝入ったことだ。布団の中から腹這いになって身を乗りだして、キーボードを叩く姿勢のまま寝入り、そのうち仰向けになって、パソコンの隣の本を枕に熟睡するのだ。これがまた、寝たぞ!という気分にならない。頭の中では原稿を書いている状態のままだし、布団から体半分出ているし、眼鏡をかけたままだから(ここでタイトルどんっ!)し。結局、睡眠薬を使っているにもかかわらず、夜中に一度目を覚まし、眼鏡を外して、布団に入り直して、もう一度寝るのだが。この二度寝が曲者で、今度は目覚ましが鳴っても起きられなかったりする。おかげで、現在時計を2つ使っているが、3つ目を物色中。旦那には内緒だけどね。
 6月9日 だからそれが大きなお世話だっつーの
 日本ではまだ精神病に対する偏見が強くて、家族に患者がいても隠したがる傾向があるし、有名人が患っていると報道陣が群がっていく。でも、誰も理解しようとはしていないんじゃないか? 精神病だって、肉体の怪我と同じように、心に傷を負っている状態なのに、それを見つめて手当てしてやらずに無かったことにしちゃったり、わざわざ傷口をつついてさらに悪化させちゃったりしている人が、多すぎる。無かったことにされたら、患者自身は「自分なんていないほうが良いんだ」って思う。傷口を悪化させられたら、患者自身は「この程度で思い詰めている自分が悪いんだ」って考える。どっちも良い状況のはずがない。「大丈夫? 頑張ってるね、無理しないでね?」の一言を、毎日一度言われるだけで良いのに。それとも、たったそれだけのことを望むのが、「傲慢な患者」の言動になるのだろうか? 本当の「傲慢な患者」とは、「実際には心を患っていないのに患っていると偽る患者」だと、私は思うのだけれど。そして、そういう「傲慢な患者」を作っているのは、興味本位で患者に接触しようとするくせに一切勉強しない不心得な連中だと思うのだけれど。何が親切とか思い遣りで、何が余計で大きなお世話なのか、ちゃんと分かっている人は本当に少ない。朝のワイドショーを見ていてそう思い、胸くそ悪くなってしまった。
 6月8日 静かなる怒り
 今、壁の向こうに、大嫌いなババァが来ている。無遠慮で不躾で不愉快極まりないババァだ。私が産後太ったことを嘲笑し、「どうせ太ったんなら、ついでに二人目を産めばいいのに」とほざいたことがあるババァだ。息子を保育園に入園させる際にも、「専業主婦なら、保育園なんか必要無いでしょうが。保育園っていうのは、ウチの娘夫婦みたいに共働きの家庭こそが必要とするものよ」と説教しさらしたババァだ。息子が店に出入りしていた時ですら、「こんな子よりもウチの孫のほうがずっと賢くていい子よ」と、平気でほざいたババァだ。本人に、悪気は無いらしい。それだけに、佐世保の加害少女の気持ちがよ〜く分かるのだ、このババァの声を聞くだけで。
 6月7日 ぼんやりぐったり
 一応、息子の熱は下がり始めたし、元気が良いので、登園させた。でも、いつ「熱が上がりましたから迎えに来てください」コールがあるか分からないので、病院から帰ってからはじっと家に待機。妙な緊張感があり、寛ぐ気分ではない。しかも、今週のカウンセリングは20年来の昏い気持ちに関する話になり、疲労度が当社比2割増し。ちなみに、寝坊したおかげで朝食抜きだったので、昼食の量も2割増し。ダイエットしてるつもりなんだけどなぁ…。
 6月6日 私まで微熱だよ…
 息子の微熱は昨日の午後から「発熱」に変わり、また病院へ。約2週間ごとに行くものだから、医師に「どんな環境で生活してるんだ」と嫌みを散々言われた。だからなのかもしれない。夜、眠れない。いや、一応睡眠薬で眠ってはいるのだが、眠った実感が無い。だから、昼間も眠い。でも、息子は外へ行きたがったりするしで、気持ちばかりが疲弊する。そんな折り、ふと自分の体温を測ってみた。37.3℃。私の平熱は、36.0℃前後。起き抜けの基礎体温なんて、35.8℃だったりするぐらい、低い。37℃を超えたら、もう「発熱」状態。…私まで知恵熱か…?
 6月5日 リヴリー可愛いじゃない…
 今までてっきり完全有料サービスだと思って見向きもしなかったが、聖らいむさん宅のワタメ種(ふわふわにゃんこタイプ)セイジュくんを拝見し、コロッとやられた。で、始めたのが、リヴリー。基本セットは無料で使えるのね、と解った途端、登録していた。私もとことん可愛いものに弱いのだ。で、一目惚れしたワタメ種にしようかと思ったけれど、各リヴリーの説明を読んでいくうちに、クンパ種(耳の尖ったパンダタイプ)に決定。カエルっぽいのでも良さそうだったけど、やっぱり見た目の可愛さ優先(笑)。メリノー羊っぽいのも良さそうだったけど、スカートっぽいのがちょっと…(苦笑)。で、気難しい性質というところにやられた。そんなこんなで世話を始めたのだが、参ったねぇ、どんどん愛着が湧いてきて、今やすっかり夢中だよ。しかも、有料パスポートまで入手しちゃって、「いずれは盆栽タイプの島にして、桔梗を植えて、木の葉のベッドを据えるんだ!」とか、「淡い色合いの青緑色のクンパにしようかなぁ」とか、野望が果てしなく広がり始めていたりする。マズイ…。私がこんなふうに何かに夢中になり始めると、息子が決まって風邪をひいてこじらせるのだ。そこに何の関係性も無いのだけれど、偶然と呼ぶには回数が多すぎるから、困る。その心配が的中し、息子は昨夜から鼻水と微熱を出し始めた。ああ、生身の子供って、大変だわぁ。ハーボットやリヴリー、その他電脳ペットみたく、最低限の世話だけで済むように…なんて、無理か(苦笑)。
 6月4日 さらに補足:カウンセラーは必要だろう
 引き続き、佐世保の事件について。加害少女は、補導された後、泣きながら「悪いことをしたと思う」と言ったらしい。そして、昨日は、傍目には冷静な態度で「(もう死んでいると知っているのに、被害少女に)会って謝りたい」と話したと聞いた。これらに対して、朝の番組「特ダネ!」のゲストコメンテーターの臨床心理学の先生が、「バーチャルな世界とリアルな世界との区別がついていなかったのが、今ようやくつき始めたのではないか。現実を重く受け止めるようになるのは、きっとこれからだろう」といった内容のコメントをしていた。私も同感だ。理由として、昨日の日記に書いた私の起こした事件について挙げたい。まず、事件の顛末をかい摘む。私が中学1年の時、文化祭の準備で日曜日にもクラスで登校し、作業していた。それをサボるだけでなく邪魔をしていた不良グループに腹を立て、私が「首を絞めてやりたい」と暴言を吐いた。それを聞き、不良グループのリーダーだったKが靴ヒモを持ってきて、「絞められるもんなら絞めてみろ」と言った。カッとなった私は、殺意をもってKの首をそれで絞めた。が、数秒で恐ろしくなり、やめた。その後、今度はKが「こうやるんだろ?」などと暴言を言いながら、繰り返し私の首を同じ靴ヒモで絞めた。さらには、「やめてほしかったら、そこ(学生専用の玄関の土間)で1時間土下座しろ」と言い、私を土下座させ、不良グループ全員で嘲笑った。私は言われたとおり土下座していたが、1時間以上経ってもK達は私に暴言を吐き続けた。一緒に作業していた同級生は20人近かったが、職員室へ連絡しに行ったのは、私が土下座をやめてからだった。以上、極力感情を加えずに書いたつもりだが、ちゃんと伝わっているだろうか。この後、私とKと教諭を呼んできた生徒の3人が職員室に連れて行かれ、学年主任により事情を聞かれた。が、ろくに話もしないうちから、私は号泣しながら「私が悪いんです、悪いのは私なんです」と繰り返した。その時の私の胸の内には、「親に知られたくない」ということと、「とにかくこの時間、この場所から立ち去りたい」という一心で、冷静に事件や状況を振り返る余裕は無かった。そして、この「私が悪いんだ」という気持ちだけが思考を占め、何日経っても消えなかった。むしろ、膨らんでいき、自閉状態になり、家族とすら話をする気にならず、機械的に登校し、授業を受け、教師も生徒も関係なく眼中に入れず、ただひたすら教室で首を吊って死ぬことだけを考えていた。この私の経験を踏まえて佐世保の加害少女の報道を聞くと、当時の私と似ている気がしてならない。私も事件後、逃げなかった。他人には反省していると思える言葉を、泣きながら繰り返した。時間が経てば経つほど、傍目には冷淡な態度になっていった。などなど、共通項が見出せてしまうからだ。ゆえに、「(被害少女に)会って謝りたい」という加害少女の言葉が、私には「今すぐにでも死んで彼女に謝りに行きたい」に聞こえてしまうのだ、本当は違うかもしれないが。彼女が私のように自分を閉ざしきってしまう前に、警察なり裁判所なり弁護人なりは、彼女にカウンセラーをつけてあげてほしい。私のように、自分の仕出かしたことをちゃんと振り返ることができるようになるまでに、20年もかかってはいけないから。彼女が自分の非を受け止めるにも、事件に至る状況を第三者が把握するためにも、過激な追求や冷淡な無視に近い保護だけではいけないのだ。自ら話し始めるきっかけとなる、カウンセラーの存在が大切なのだ。少なくとも、私はそうだった。事件を知っていながら積極的に話しかけ、笑いかけてくれた友人Sさんがいてくれたから、閉ざした殻の中から自分で出てこれた。思えば、Sさんの行為は、カウンセラーのそれに近かった。真剣に事件を考え、私とKの両方の非をクラス全員に認めさせ、その上で何をすべきか考え、私にコミュニケーションを取るよう促してくれた。親ですら、当時の私を腫れ物のように扱った。きっと、佐世保の加害少女の親も、どうすべきか戸惑い、面会しても腫れ物に触れるように話しているだろう。だからこそ、第三者が必要だと私は思う。
 6月3日 昨日の日記の補足:感情移入
 「殺すつもりで切りつけた」と、佐世保の小学校の事件の加害少女は供述したらしい。私は、「それならなぜ『悪いことをした』と泣いたのか」と思うと同時に、「そうか」と受け入れてもいる。なぜなら、私も中学1年の時に、問題というか事件を学校内で起こしたことがあるからだ。衝動的に同級生の男子、それも不良グループのリーダーの首を、靴ヒモで絞めたのだ。当時の私は、確かに彼を殺すつもりだった。が、途中で恐ろしくなり、やめた。その途端、立場が逆転し、彼に何度も何度も同じ靴ヒモで首を絞められ、一週間ほど首に痣が残ったが、それでも私は「最も悪いことをしたのは私自身だ」と思った。その事件は警察沙汰にならなかったものの、きっと今でも母校の記録に、「どんな生徒であれ、問題行動を起こす可能性はある」という証拠として、残っていると思う。その事件から20年経ったが、こうして文章化できたのは、これが初めてだ。未遂で終わった一件でさえ、両親にも話せなかったし、それを機に友人関係がガラリと入れ替わった。誰かに打ち明けようにも、思い出すだけで心が重くなり、言葉にできなかった。今回の小学生の加害少女も、きっと私以上に苦しい思いをするだろう。いや、しなくてはならない。私はそう思う。ちなみに、私の首を絞めた元不良グループのリーダーは、今どこで何をしているか知らない。翌年からクラスも別にされ、進学先は自然と全然違う学校になったし。ただ、首を絞められている私を嘲笑して眺めていた不良グループ連中の一人は、全国的な規模のヤクザ組織に入り、銃で撃たれたか刃物で刺されたかしたらしい。因果応報という言葉を思い出す。
 6月2日 疑似体験を経験と錯覚する年頃ではあると思う
 小・中学生の頃、私はテレビや本で見たり読んだりした光景を、頭の中で思い浮かべては、その場にいる空想に耽ったものだ。「夢見がち」とか「空想癖」、「現実逃避」と言われる行動だが、これらは一種の疑似体験であり、実際に類似した場面に出くわした時に臨機応変に対応できるようにする訓練の一つにもなると、私は考えている。だから、漫画や小説、ゲームや映画など、多少過激になっていっても、相応の価値を認めようと心がけているつもりだ(「相応の」だから質によっては酷評もする)。だが、どんな空想も、たいていどんどん誇張されていくし、誇張されたもののほうが刺激的だから記憶に残りやすい。そうすると、人生経験が足りない者は「記憶=実経験」と錯覚し、空想と現実の境界がぼやけてしまう。膨大な量の情報が絶えず流れ続けている現代の、まだ十数年しか生きていない小・中学生ならば、なおさらそうした「境界のぼやけた」状態にいるだろう。少なくとも、私はそうだった。体験していないのに、経験したと錯覚し、成功したと信じていた。だから、多少危険な行為を平気で繰り返すことができたし、そのおかげで成長した部分もある。「それは勘違いだ」と教え諭してくれる人が周囲にいたから、いっそう安心して過ごせたのかもしれない。でも、今の世の中はどうだろう? 「子供から逃げるな」なんていうCMが流れるほど、未成年者の横暴を見過ごしているのが、現実ではないだろうか。一部の横暴な未成年者は、見過ごされたことで自分の行為を正当と思い込んではいないだろうか。「カッターナイフは紙以外のものもよく切るので、刃を自分や他人に向けないように」と指導された記憶よりも、「刃物を突きつけてやれば、相手は自分に従順になる」という空想、即ち疑似体験のほうが、佐世保の小学生の女の子にとっては「現実」だとか「経験」のように錯覚されてしまったのではあるまいか。だからと言って、周囲の大人の指導不足だとか批判するつもりは、私には毛頭無い。過ちを犯したのは小学生の女の子自身であるのだから。法律で擁護されようと、犯罪は犯罪として本人が心と記憶に深く刻み込み、自力で立ち直って償っていくしかないのだから。ともあれ、亡くなった幼い少女の冥福を心から祈りたい…。
 6月1日 嬉しいです…!
 先月下旬から導入したWeb拍手(サイト運営者へ匿名でエールを送るというCGI)にて、毎日エールをいただく。時には、「頑張ってますね」といったメッセージもついていて、嬉しくて涙が出そうになった。今まで私自身が「何、このボタン…?」と訝しんで押さずにいたけれど、今度からは見かけたら積極的に押してあげようと思う。もちろん、サイトの中身を見てから。Web拍手ボタンは、いいものだ。それを教えてくれた、「Web拍手普及委員会」の運営者さんにも、感謝したい。ありがとうございます。そして、拍手をくれる皆さん、本当にありがとうございます!

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