ものぐさ日記

人間とは不思議な動物ですね
嬉しいことや楽しいことをたくさん伝えたい人もいれば
私のように辛いことや悲しいことに限って文章が長くなる者もいるのですから…

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 10月30〜31日 更新が停滞してごめんなさいです
 すみません、記念作品、書いてました。一人でいる時間、ずっと。30日は日曜日で、息子と遊んでいました。が、午前中、薬の副作用でどうしても起きていられなくなり、パソコンを自由に使って、アバレンジャーやマジレンジャーのサイトを見ていた息子に「(同じ部屋で)ちょっと眠らせてください」と言ったら、息子が「はい、どうぞ」。それを聞いた旦那が、「じゃあ、パパは自分の部屋に行きます」。息子は返事をしませんでした。私も、何かあればテレビを見ている旦那に任せられると思って横になりましたから、旦那の無責任さに腹が立ち、うつらうつらした状態よりも深く眠れず、かえって心が擦り切れた状態に陥りました。けれど、私にとっては「ムカつく野郎」でも、息子にとっては「大好きなパパ」であり、私が旦那と揉めるのを息子は「見たくない」と言います。私も見せたくありませんし、ありのままの旦那の姿や行動を息子に見せて、自分で判断するようにさせようと思いました。もう昼寝をしなくなったので、息子は夜まで遊びたがります。風邪気味ですが、外で遊ぶと言って、新しい駐車場をコンビカーで走り回りました。隣の家の子としばらく仲良く遊びましたが、コンビカーから突き落とされそうになりました。その時、私は金曜日から続いていた便秘が解消できそうだったので、居合わせた実母に見ていてもらって、トイレにいました。実母は「仲良く遊んでいたし、洗濯物を取り込みたかったから」その場を離れ、息子は結局、隣家のおっさんとおばはんの目の前で、1歳年下の「お隣のお友達」に突き飛ばされたわけです。私が慌てて駆けつけたら、実弟宅の玄関前に逃げ込んで怯えていて、私を見た途端、息子は号泣し始めました。反射的に隣家のおっさん共を見たら、口では「だから、あっちへ行ったらダメって言ってるだろ」と言いながら、顔はニヤニヤ笑っていました。その後、息子の気分転換に近所の広場に行き、笑顔が戻ったのを見計らって、広場の隣の駄菓子屋に寄って帰ることにしました。駄菓子屋でまた喧嘩が勃発し、今度は私も店の人も見ている前で、隣家の子のほうから息子に「くるな!」と言ったり子供用のカゴで叩いたりし始めました。息子もやり返しましたが、私の前です。「自分よりも小さい子と女の子には優しくするのが『好い男』だぞ」と聞かされているので、本気では手を出しません。悔し泣きをしながらお菓子を買って帰りました。その途中、隣家のおっさんが走って追いかけてきて、飴を二つ息子に無理やり握らせて、「これで勘弁してな」と言いました。私がそれを奪っておっさんに突っ返そうと「いりません!」と言っても、おっさんはまた息子に握らせ、逃げるように駄菓子屋に戻りました。飴は、実母に預けましたが、息子自ら私に押し付けると、汚い物に触った後のように、何度も手を服で拭っていましたので、多分、捨てられたでしょう。当サイトの常連様はご存知でしょうが、我が家はそのおっさんの家によって、日照権を奪われました。「勘弁してな」と言って、おっさんは菓子折りを一つ持ってきただけです。連日、私は早朝と日没直前のみ明るくなる家で、常に照明を使って生活しています。しかも、隣家のおっさんの「勘弁してな」の笑顔の裏には、「警察に通報しやがって、偉そうなこと言うな!」と罵声を夜中に浴びせに来る本音が潜んでいます(これも日記に記載済みのはず。ちなみに、警察にも『恫喝された』という理由で、関わり合いになったことを帳消しにしてくれというメールを送信済みです)。これらの間、旦那はずっと離れと台所とトイレを巡るだけで、私や息子と関わろうとしたのは買い物の時だけです。隣家にはいつ何を仕出かしてくるか分からない大人が三人おり、その大人共に怒鳴られながらも同じ色に染まり始めた子供がいます。今は実父母が助けてくれてはいますが、時々、実父は「おまえらの家の使い方は許せんから、いつか出て行ってもらう」と、実母も「この子はあんたの子であって私の子じゃないから、義務感で養っているだけで愛情は持っていないことだけ承知しておいて」と言います。旦那の実家では、義妹夫婦のほうが頻繁に通っているため、息子を手放しで可愛がってくれる気配は薄くなりましたし、ちっとも太らない旦那とひたすら太り続ける私とを見比べれば、「あの嫁はろくに働きもしないで、ウチの跡継ぎにばかり苦労させている」と思っていてもおかしくはありません。間に立ってくれるべき旦那は、前記の台詞を自分の両親に言われたら、きっと私に「事実だから仕方ないな。嫌みを言われたくなければ、働いて痩せれば?」程度の言葉しか言わないでしょう。家族計画は相談しない、結婚後の生活もひたすら自分のペースに徹し、将来のことなど一言も話そうとしない旦那に、私はずっと付き添わねばならないのかと思うと、死にたくなります。何故なら、「私と息子と旦那の明日の暮らし」が全く見えないし、隣家のおっさんなり居直り強盗なりに遭遇しても、恐らくは旦那が真っ先に逃げ出すでしょう。何しろ、当て逃げした後、公衆電話を使う私を「殺してやる」と書かれているような形相で睨み、電話ボックスの前に立っているような、小心者で卑怯で卑劣な気性の男ですから。精神科の医師によると、自我が育ちきった成人の気性は、一生、方向性が変わらないのだそうです。変化するとしたら、その気性の出方を強くするか弱くするか程度なので、私には巧く「やり過ごすコツ」と、「相手に合わせる時と合わせない時の判断力」を身につけるしか、無いみたいです。少なくとも、「いつ訪れるか分からない危険な人物や両親からの別離宣告などを気にかけないよう心がけ」、旦那に対しても「そういう遠くを見る能力が他人よりも劣っている可能性がある」から、私が「いずれイニシアチブを取るようになれると、今よりは多少マシな生活にできるかも」しれないとのことでした。分かってはいても、隣家の子は来年の春から同じ保育園に通う可能性が高いです。実父母も、右足首に障害を持つ内孫を気遣っていますから、「あとどれぐらいで治るかとか、医師は言わないのか?」と本音をこぼすようになりました。意識するなと言われても、意識せざるをえず、頼りになってほしい時には全く役立たずの旦那や、その両親と同じ墓に入らねばならないのかと思うと、見知らぬ土地で死にたいとすら考えてしまいます。それなのに、旦那は原稿を書いている途中の私の尻や胸をつついてニマニマ笑うのです。息子が号泣していても部屋から出て来ないくせに、「好きなところは全部」と言った口で私に対して「臭い」「デブ」「鼾や歯軋りがうるさすぎ」「人間の食い物を作れない」などなど、私が気にしていることをボロクソに嘲笑し、先週は座って息子と冗談を言って笑っていたら、頭を足で押されました。息子がすぐに真似をしに来て、私の肩を足で押してはニマニマ笑っていました。後日、またそれをやろうとしたので、「パパがそうやってママのことを足で押したの?」と尋ねたら、「うん。だからぼくもする」と答えました。その時、私はハッキリ息子に告げました。「ママはそういうことを平気でやるから、パパのことは大嫌いです。一緒にいたくありません。そういうパパの真似をするのなら、ママは君のことも大嫌いになり、パパと一緒に家から放り投げて捨てます。もしくは、ママが家から出て行って、二度と会わないようにします。それでも良いんですね?」と。息子は、泣きました。泣きましたが、抱っこもおんぶもせず、慰めもせず、さらに「どうして泣くんですか? 君は自分がやられたら嫌だと思うことを、ママにしましたよね? それはつまり、ママなんかいらないということでしょう? だからママも君のことを嫌いになってあげると言ったのです。それなのに、どうして喜ばないんですか? パパのように喜べば良いじゃないですか」と言いました。息子が何とか振り絞って言った言葉は、「ママがいないのはイヤ〜!」でした。「それなら、ママにちゃんと謝ってください。そうでないと、君は、ママからは見えない方向から足で頭を押さえた卑怯者のパパと同じ、ママの大嫌いな奴でしかありませんよ」と言って、ようやく「ごめんなさい」と言えました。この長ったらしい文章の出来事が、順番は違いますが、先週から今日にかけて、私が体験したことです。頓服を服用しなければならないと思う時もありましたが、安定剤を1錠余分に服用するだけで、私は眠くて仕方がなくなります。眠くなるのならまだマシですが、稀にまったく効果を感じない時もありました。前者の場合は、息子が「ママはすぐにねるからきらい!」と言い、後者の場合は、実母が「頓服を飲んで、ちょっと休んだら?」と言います(「もう飲んだ。でも効果が出ないのっ。悪かったね、こんな出来損ないに育って!」とさらに逆上する可能性も高いです)。とにかく、頓服を服用するだけをとっても、私には「息子に嫌われるか実父母に嫌な顔をされるかもしれない」という覚悟が必要なのです。だから、31日の診察まで、ずっと頓服を服用せずに暮らし、本当はこうして吐き出している事柄すべてを打ち明け、少しでも楽になりたくて仕方がありませんでした。けれど、医師にも言えませんでした。何故なら、話すためには相当な時間を要することは分かっていましたし、最近では「話したところで状況が好転するわけでもない」と考えるようになってしまったからです。私のこの慢性的なヘドロのようなものが詰っている心の中を綺麗にできるのも、息子の将来や自分の将来を考えることができるのも、私自身しかいないのだなと実感し、その途端、「自分が一番自分らしくできていて、直接感謝してもらえた新聞屋時代」のことを思い出し、それだけを支えにして過ごしてきましたし、当初書き始めた記念作品も、当時の私の体験談でした。けれど、それはどんなに文章を変えても、自画自賛でしかなく、読み手である皆さんに喜んでもらえる作品とは思えなくて、何度も書いては廃棄しました。そうして何とか思考の方向を変え、やっとの思いで書き上げた時には、31日の夜になっていました。これを書いている現在、多分、正直に吐露したからでしょう、少しは楽になれました。けれど、根本的に私の心が立ち直らない限り、また辛くなって、自慢話とか書いてしまうかもしれません。日記も、こんなふうにとんでもなく長くなり、読んでみたらくだらない愚痴だったりするでしょう。それでもかまわない、それでも読むとおっしゃっていただけると、私個人として、涙が出るほど嬉しいです。たった二年間で三度もヤクザとサシで問答し、舌先三寸で勝ち抜いた頃のように、私が自分の足で立ち、心に信念を宿して育児とサイト運営に打ち込めるようになるのを、どうか見守っていてください。ご指導やご鞭撻もいただけると、さらに嬉しいです。では、長々と失礼いたしました。
 10月29日 腹の次は尻と太股に決まってる
 午前中、頭痛がガンガン、眩暈がぐるんぐるんの状態が断続的に始まったので、自分の「限界」を感じた。が、他人にそんなことが解るはずもなく、息子は遊ぼうと突進してくるし、実母は買い物へ行こうと言うし(私も買う物があったからちょうど良かったけれど)、よくも車を出せたなぁと自分でも思った。スーパーの店内で、お菓子の棚に頭っから突っ込んで倒れるかと思ったし。で、幸か不幸か息子が実家で昼寝したので、私も一度自宅に戻り、洗い物を片づけ、今日の更新部分を書いて…る途中で眠ってしまい、息子が起きたと報せに来た実母の言葉で目が覚めた。投稿作品の草案があるから、それも書きたかったけれど、仮眠しても喉の違和感が治らないから風邪かもしれないし、息子を預けっぱなしにもできないし、create novelの編集長であるいおむさんには申し訳ないけれど、締切を破るつもりで、育児を選んだ。が、息子はすぐにうたた寝する私よりも、当然、実父母のほうが大好きで、自業自得なんだけど、ちょっと凹んだ。どうせ凹むなら、気持ちや意欲よりも、「腹にしてくれ」と選べればいいのになぁ…。
 10月28日 いつものことだけに恥ずかしい…
 時々、自分が生きていることに、疑問を抱く。まぁ、「週末病」に過ぎないのだが。自己嫌悪に押し潰されそうになるたび、妻としても嫁としても母としても自慢できることがない自分に気づき、嫌悪が憎悪に変わる瞬間に対して、吐き気を覚える。脚気だか通風だかと糖尿病は「贅沢病」だと誰かが言っていた。では、鬱は? 戦中・戦後の物語や記録写真を見るたびに、がむしゃらに生きてきた実父母の世代の強さを改めて思い知らされ、たった一人の息子の面倒もろくに見ることができない自分に、嫌気が差す。実父母に甘え、保育園に頼り、一人でいる時に一番幸せを感じるなんて、贅沢の極みだ。「精神異常者」と呼ばれても仕方がない、とすら思えてくる。それなのに、実父よりも私の隣を選び、しがみつくようにして寝入った息子の小さな手の温かさが嬉しくて、産んで良かった、死なせずに良かった、殺さずに良かった、自殺せずに良かったと、涙が出る。私には、言葉を綴る以外の特技が無い。「母親の味」など、教えてやれない。少しでも多くの物語を息子に読んでやり、いろんな書物を残し、私自身の言葉を残すことしかできない。死ぬことを考えながら生きてきたから、今更死にたくないと思うことも贅沢なのだろう。こうなったら、いっそ、世界中で一番甘ったれで贅沢な生き様を続け、周囲の人達に愚弄され、嘲笑され、突き放されて行き倒れるまで、徹底的に言葉を綴るのも悪くない。そんなことを考えていながら、いつか再び自分の人生の無意味さを嘆くのだろう。まるで、綱渡りかやじろべえのように。
 10月27日 日記のみの更新は久し振りだなぁ
 現在、毎週恒例の「週末病」状態。自分の存在価値に疑問を抱いたり、他人を避けてしまう勇気の無さに幻滅したりと、ひたすら自分の短所ばかりを意識している。まだ頓服を服用するには及ばないものの、訳もなく涙が出てくるので、どうにかしなくてはと思っている。そんな自分を、心のどこかで冷淡に観察している自分もいて、どうして私がピロさんの小説やキャラクター設定に魅了されるのか、少し解ってしまった。ピロさんにはごく自然で当たり前なのだろうが、基本的に前向きで、生きることに尽力する人物像で溢れているからだ。ピロさんのコメントに「散り際(死ぬ瞬間)にこだわった」とあっても、それは「散り際まで自分の人生を全うするからこそこだわることができる」ということであり、最期のシーンへ至るまでの間、誰一人として自分の生を投げ出さない。誰にとっても「当たり前すぎること」なのだろうが、私には不可能なことなのだ。どんなに長く描き続けても、必ず一人は「死を運命づけられていることを知っているキャラ」が登場する。そして、そのキャラの「死の場面」を印象づけることで、他のキャラの「生命」を保っていることが多い。だから、私のオリジナルのキャラは、常に肩越しに自分の背後を見つめていて、そこに死神の鎌が迫ってくるのを待ってさえいる雰囲気を漂わせる。物心ついた頃から、私は23歳で死ぬのだと意識していた。その歳になっても死ななかった自分を、当時から恥じる気持ちを腹の底に据えている。33歳を過ぎてもまだ死なないどころか、息子のために生きなくてはと考えるようになった自分を、幼い頃に創造して心の要に打ちつけた「死への憧憬」が「見苦しい」と言っている気がする時もある。そういう自分を、私は恥ずかしいとは思わないし、反面で生き長らえようともがく自分がいるのも知っていて、無様なしがみつき方につい嘲笑してしまうが、指先で摘んで捨てることができないでいる。それもまた、私のエゴなのだろう、きっと。
 10月26日 あ〜あ、長くなっちまったよ…(溜息)
 先生にさようならしてから園庭で遊んでいる時、息子が転んだ子を見つけて駆け寄り、頭を撫でながら砂のついた膝小僧を払ってあげながら、「だいじょーぶ?」と優しくしていた。一昨年までの息子と比べると、めちゃくちゃ成長したなぁと思うのだが、転んだ子のお母さんに「ありがとうね」と言われた途端、全力疾走して私の背後に回り、照れていた。毎日挨拶しているガソリンスタンドの店員さんに対しても、元気に「こんにちわ」と言えるのに、「おう! 元気だな!」と返されると私を壁代わりにして隠れ、照れまくる。「ま、挨拶できるようになっただけ、成長した、成長した」と思って私も会釈しているのだが。園庭で転んだ子は、ウサギのバッチをつけていた。体験入園中ということだ。どこの子だろうかと思っていたら、近所だった。今月から町内会に加わったお宅の子で、近所の様子を見がてら、保育園の雰囲気に慣らしに来ていたらしい。早速お母さん達の輪に入っていて、談笑しているのを見て、羨ましいと思ってしまった。それだけに、自宅まであと数十メートルというところで再会し、隣家のおばさんと娘と三人で話し始めたのを見て、「ああ、やっぱり知らないんだな」と思った。子供らは、ウチの息子も加わって駐車場で遊んでいた。が、私は自宅のガレージから子供らを見ていることに専念していたのだが、どうしても隣家のおばさん達が視界に入る。その手つきとか会釈とかで、奥さんがつい最近引っ越してきたばかりであることと、隣家のおばさんが「何でも訊いて。力になるから」みたいなことを話していることは、すぐに察しがついた。私は隣家から邪険にされているし、やることもあったので息子に「帰るよ〜」と声をかけたが、息子は「いやだぁっ!まだあそぶ!」と号泣。それも手伝って、新入りの奥さんに「あの家には関わらないほうがいいわよ、何かにつけて難癖をつけるから」とでもおばさんが囁くのが聞こえてきそうだった。それぐらい、お互いに顔を近づけていたし。あ〜あ、これでまた隣家に騙されて振り回される家が増えたのか、と思う。先日の祭りの時も、自分は何の役にもついていないのに、隣家のおじさんはいちいち「コースが違う」だの「何をやっとるんだ」だのと喚いていた。実父がいたら、「おまえは黙っとれ!」と怒鳴られていただろうほどに、役員諸氏に口出ししていた。ま、自分より年上の者がいなくなったから、隣家のおじさんも威張りたくて仕方がないってことだろう。けれど、当然ながら、無視されていた。町内の誰もが知っている。「あの家は関わったらいけない。何しろ、菓子折りだけで隣の家の日照権を奪い取った、強欲な家だから。それに、酒が入ると鬱陶しい家族ばかりが揃っている」と。だから、新入りのお宅にも誰も教えていない、「関わったらダメよ」とは。忠告するだけで、既に目の敵にされるらしい。っていうか、私もターゲットにされているみたいだし。蛇足だが、同じく隣家である実弟の娘、つまり姪っ子は、ウチの怪獣が通っている一番近い保育園ではなく、車で数分かかる少し離れた保育園を第一志望にしたらしい。こっちも、「ま、そうだろうな」だ。何しろ、未だに実家から戻ってこない嫁さんは、自宅に帰らない理由や実弟の実家に子供を預けない理由に、「お義姉さんがいるから、迷惑になるもん」と言うらしいし、最後には「精神科に通院してるからって、お義姉さんは楽をしすぎてる! 不公平だし、本家の嫁のはずの私のほうが大変な思いをしてるなんて、卑怯すぎる!」と喚くらしい。そこまで言われては、いくら私だって嫌悪感を感じる。それを知っているから、姪っ子を同じ保育園に通わせないのだろうとも思う。まったく、自分からは決してコミュニケーションを取ろうとしないくせに、私を異常者扱いする隣人の何て多いことか…(溜息)。実父母は「保育園に通うようになれば、自宅に戻るだろう」と信じて話しているが、私は山を越えたM町の嫁さんの実家から姪っ子を車で送迎するつもりでいると、予想している。一万円賭けても良い。あの嫁さんは、絶対に実弟の家には戻らない。私が死ぬか引っ越すかしない限り、絶対に!
 10月25日 午前中はひたすら寝てた
 息子を保育園へ送ってから、可燃ゴミを出して、パルジャニアと少し散歩をしてから、原稿を書き始めたものの、あまりに久し振りすぎて、過去の掲載原稿を読みながらイベントを選んだ。この段階で、催眠術にはまったらしく、正午まで熟睡。嘔吐しなかったし、薬の服用忘れも無かったし、午後からは少し焦りもしたけれど、一応落ち着いて執筆に戻れた。本屋にも行けたし。オカリナも少し吹けたし。息子とは、夜、ちょっと気持ちが合わなかったけれど、保育園では私なりに遊びに付き合えたし、少なくとも一人は同じ組の子のお母さんの顔と名前が一致していることに気づけて、安堵。ま、そんなもんでしょ。奥様方と話をしても、きっと話についていけないだろうから。化粧品メーカーも服や持ち物のブランドに無頓着だし、料理なんてしてないし。ちなみに、顔と名前を覚えたお母さんとは、息子同士がライバル心を持っていて、喧嘩しつつも常に同じことをしたがるため、初夏の頃からお互いに「ウチの坊主がいつもご迷惑をおかけしてすみません」と言い合っていたから、自然と覚えたんだよなぁ。他のお母さん達もだけど、先生の顔と名前も、記憶するのにすっごく時間がかかって、昨年のひよこ組の先生方5名の名前と顔の一致は、結局3名のみだったし。う〜ん、一度ちらっと見ただけでフルネームで子供の名前を言い当てる園長先生は、どういう記憶回路をしてるんだろう? 謎だ。
 10月24日 ご心配おかけしてますぅ…(平伏)
 昨日から今日にかけて、サプライズの連続。まず、私の発行しているメルマガ「気楽にタロット!」第51号の感想をいただいたこと。某有名女性占師に対する批判的な文章を書いたんだけど、それにうなづいてくれた人が二人も…! しかも、読者数も激減してない! んでもって、掲示板「つっこも〜かな」でみちよさんとピロさんに「休むように」と言われたこと。失敬ながら、「普通、逆な意見が多いんじゃないのかねぇ」と苦笑してしまった。でも、それ以上に、心配していただけるのが嬉しくて、これからどんなレスを書こうかと、現在考え中。さらに、これまた私がこっそり開いている「ZAN union」の掲示板に、avexのZAN担当スタッフのS氏から書き込みが! 硬直した、マジで。「いや、リンク申請したのは、私なんだし、当然S氏もご存知だろうけど、良いのか、非公式ファン同盟と認めて貰えたと思っちゃっても!?」と気が動転した状態で、レス書きしたよ…(冷汗)。もうこれ以上はサプライズはあるまいと思っていたら、実母のアッシー兼自分の買い物に午前中から出かけ、昼食を奢ってもらったのだが、入った店で店員さんに「こーちゃんのお母さん、ですよね?」と言われ、また硬直。息子と同じ教室で、同じ机を使っている隣の席の女の子のお母さんだった。けれど、どうも新聞の勧誘時にできたトラウマのためか、それとも鬱症状の一種なのか、他人の顔と名前を覚えられないでいる。それに、未だにお迎えの時によく見かけるお母さん同士の輪に入ることにも気が引けてるから、まさか声をかけられるとは思わなかったし、挨拶もろくにできずに失礼してしまった…。でも、考えてみれば、私は他のお母さん達を見分けることができなくても、他のお母さん達は私が何者か、一目で分かるよなぁ。だって、ぷっくぷくに太ったおばさんで、化粧もしないで、龍がついてるヤンチャそうな服ばかり着ていて、園児達に「怪獣?」と指差されたり、「バンバンバン!」と撃たれたり(勿論「あうっ!」と言ってやられるとも:笑)、それでいて少しでも話しかけられると耳まで赤くなるんだから…(恥)。でもなぁ、少なくとも同じ組のお母さん達とはちゃんと名前と顔を覚えて、まともに話せるようにならなくちゃなぁ…(多分無理:爆)。
 10月23日 ぐ〜たら…
 昨日よりもさらにマシ。何かにせっつかれている気分が無くなり、家事をすべて放棄して眠ったぐらいだから。それに対して旦那がむくれて「やっといたよ」と嫌みな言い方をしたが、「ホント、この人は私の病気に対して、微塵も理解しようとしてねぇんだな」と、思わずにはいられなかった。ま、顔には出さないけど。っつーか、顔に出せないんだよね。顔の筋肉を使うのも億劫なぐらい辛い、というのは、まぁ、誰も想像できないだろうけど、少しは勉強してほしいなぁと思う。炊事を全部任せているから、今更、理解してくれとか言えないけど。とりあえず、断続的であれ、日没までは頑張れたから、自分で良しとしよう。ああ、ぐうたらしてるなぁ。ぐうたらしすぎて、今日なんて、まだ9月だと思い込んでたもんなぁ。誰にも露骨に「9月だよね」とか言わずに済んだからいいけど、実父母とかにぽろっと話したりとかしてたら、きっと「救急車を呼ぶか?」とか言われてただろうなぁ。
 10月22日 多少はマシだけど
 昨日よりは、多少マシだが、睡眠薬の服用が遅かったため、9時まで眠っていて、実母に起こされた瞬間から「何て自分は母親失格なんだろう」と責め続け、いつもやっていることができなくなった。布団を畳む途中でパジャマを脱いだり、半裸になってから布団を畳んでいたことを思い出して、服を着ないまま布団を畳み、終わったと安心した途端、途中で自分が何をしかけていたのか分からなくなり、体が冷えてくしゃみしてようやく着替えの途中だと気づいた。その後も、食事が先か食器を洗うのが先かで悩んだり、トイレから出た直後にまたトイレに入ったりして、「あれ? 私、今、何してるんだろう?」の連続だった。服の選び方だって、寒波のせいで肌寒いのに、真夏と同じ服装で過ごした。昨年買った秋・冬物の服がまだ着れるはずだが、どこに仕舞ったか分からない。それ以前に、自分の靴下やタンクトップを新品だと思い込み、どうして穴が空いているのか、しばらくじっと見つめて考えていた。午後から1時間ぐらい眠ったはずだけれど、休めた気分はまったく無い。正直なところ、まだ自分で自分が怖い…。
 10月21日 予感はあった…
 実母と午前中に買い物に出かけた直後、来客があり、実父が何度も携帯に電話していたらしいが、店内放送がうるさくて聞こえず、ようやく気づいた時には怒っていたらしい。それを聞いた瞬間から、私は明らかに言動が不審になった。「もう買うものが無い」と言いながら、レジ待ちの間に牛乳を取りに行ったり、いつもならそれなりに袋にすんなり詰めることができのに何度も詰め直したり、毎日のように通っている道の信号が赤だと気づくのに遅れたり、何よりも少しの間も空けずに「急がなくちゃ、急がなくちゃ、急がなくちゃ」と言い続け、瞬きもほとんどしないでいた。「大丈夫?」と実母が言うまでもなく、自分でも大丈夫じゃないことは、明確に理解していた。だからこそ、なおさら動転し、正直なところ、どう運転して帰宅したか覚えていない。帰宅してからも、一箇所に落ち着いていられず、1時間の間に5〜6回もトイレに行ったり、行きつけのサイトを往復している途中で無意識のまま電源ボタンを押したり、好きな漫画や小説を開いてもその作品のどこに惹かれたか解らなくて枕元の壁になっている本の山を蹴り崩してやりたくなったり、とにかくオドオドしまくっていた。そんな状態で書く文章が、まともなはずがない。記念作品「でも霊感は無いよ、本当に。」を書き上げたのも、3〜4回、全部書き直した挙げ句、仕方なく妥協した感じで、情け無くて泣きたいのに、次の瞬間には何がどう情け無くて泣こうとしていたのか、忘れてしまっていた。頓服を服用しても、それは回避できず、うたた寝しては気づき、トイレに行き、原稿や日記を書こうとして再びうたた寝し、てなことを何度も繰り返し、ようやく開き直って更新を1日休むことにしたのは、午前3時だった。そうしてようやく睡眠薬と就寝前の安定剤をお茶でガブ飲みしたものの、睡眠がなぜ必要なのか考えたり、それでも医師の説明を思い出せないまま、顰めっ面で眠った。蛇足:22日に振り返りながら記した。
 10月20日 うおぉぉぉぉぉっ!
 タイトルは、現在のメール受信フォルダに入っているメールの半分がAmazon.co.jpからの受注通達書類(勿論、全部1500円以上)という現実と、リンゴ機(HD容量1GB)の中の未読メルマガがいつの間にか1000通を超え、10MB以上を占拠しているという現実を再確認した時の私の心の叫び。当たり前だが、未完の長編がゴロゴロしている現実のほうが重大なのに、気になるのは溜まっているメールの山だったりする。ふぅ、これも一種の現実逃避ってことかなぁ(って他人事じゃねぇだろ、自分!)。
 10月19日 おお、今日は飲み込まなかったか…
 昼間も照明をつけないと薄明るい(not 薄暗い)だけの部屋で、「寒い〜、寒い〜」と言いながら、ホットカーペット(電源OFF)の上に毛布を敷き、さらに毛布布団を被って、ブック型リンゴ機で「VS」の続きを執筆していたのだが、夏場でも末端冷え性の私の手が、急速に冷えていき、入力が思い通りに進まなくなった。なので、俯せのまま両手を布団の中に入れ、原稿用紙モードの画面を見つめながら「この次の台詞は、こうするか、それとも、ああするか」と考えているうちに、手足がぬくぬくしてきて、意識が遠のいた。いや、遠のいたと言っても、死ぬわけではなく、普通に寝入っただけなんだけど。1時間ほど経過して気づいたら、喉や口の中が妙な乾きかたをしているし、少し痛いし、口許が濡れてるし、「ああ、恥ずかしいなぁ、涎かよぉ…」と思いきや、枕に染みを作っていたのは、胃液だった。一度も噛まれていないご飯粒が一粒、乾きたいのに乾けないと訴えるように混ざっているのを見た時、思った言葉が今日のタイトル。何か、まいっちゃうなぁ。もう嘔吐が当たり前になってるんだから。
 10月18日 なんでこんな時間なんじゃぁっ!
 息子が19時に寝たから、余裕綽々で記念作品を読み返し、微妙な部分を直し、htmlデータに変換。後は「終末の…」を抜粋してhtmlにして、日記を書くだけ〜♪と余裕をかましていたら、何故か時間が24時を過ぎていた…(涙)。「なんでなの〜?」と言ったら、旦那が一言、「俺、22時半に帰宅したけど、おまえ、爆睡してたぞ」。あぁぁぁぁぁっ! 私のバカ! というわけで、今日も泣く泣く24時越えで更新…。レス、書けれたら書こう…(しょぼ〜ん)。
 10月17日 む〜っ…!(スネてる)
 今日は隣市の病院(精神科)が午前中、市内の病院(婦人科)が午後、ついでに実母を少し遠いスーパーへ送り、婦人科の診察が終了したら即迎えに行き、余裕があったのでチョコ風味のコーンフレークにかける牛乳を買った。それなのに…っ! 食べられちゃったよ、怪獣に…(涙)。帰宅するなり「ねぇ、ママ、お菓子あるぅ?」と尋ねたから、「コーンフレークならあるけど?」と息子に言ったら、半箱分のコーンフレーク、全部食べられたぁっ! ママのおやつだったんだぞぉっ! そのために時間を割いてまでして牛乳を買ってきたのにぃっ! しかも、最後の分の食べ方、何だよぉっ! 牛乳かけてふやけたフレーク嫌いなくせに、「全部食べるから」って言ったから、牛乳かけたのにぃっ! ふやけたフレーク全部残して、ストローでココア味になった牛乳だけ飲みやがってぇっ! 実母も実母だっ! 「自分の息子の食べ残しくらい、食べなさいよ。その上から牛乳かけたら、同じでしょ? 私だってあんたの息子の食べ残したご飯を、つい今しがた、食べてきたのよ?」って、ご飯とふやかしたフレークを同等に見て、嫌みを言うんじゃねぇっ! 「じゃあ、おまえがあのフレークに牛乳かけて食えよ!」って言ったら、「嫌よ」とかほざきやがってっ! 自分で嫌だと思うことを、他人にやらせるなぁっ! そうでなくても、息子の噛みまくってから茶碗に戻した飯をジャーに放り込み、時々私に食わせるくせにぃっ! ねちょ〜っ、ぐちょ〜、べちょ〜っとした、既に酸っぱくて中途半端に温まった飯を、おまえは何度も食ったのかっつーの! あぁっ!? 言ってみろ、こらぁっ! …っつーわけで、24時15分現在、未だに機嫌が直らず。
 10月16日 本日も旦那不在につき
 何やら小難しい名称の資格試験に出かけ、旦那不在。しかも、午前中は実母が叔母の見舞いに行き、不在。実父と息子と私とで留守番していたわけだが、昨日の「がんばらなくちゃ!」の影響で、今日は気力がほとんど底をついていて、自宅にいるとソワソワし、実家にいるとウトウトし、息子にスネられ、実父にムスッと沈黙され、自分の非力さが情けなくて、頓服を飲んだ。ほんの一瞬でも何かを後悔すると、次から次へと後悔やら不安やらが出てきて、さらにダメージ。私にとっては、きっかけになるのは互いに歩み寄ろうとしない旦那と実父。旦那は将来の展望とかについて全く話さない。実父は自分の持ち家を好き勝手に弄られ、いずれ息子の自我が独り立ちしたら旦那に「出ていけ」と宣告するつもりだと、実母から聞いた。実母にしても、「私がおらんようになったら、あんたが全部家事をやらなくちゃいけないんだから」と、私に言う。全部、私のストレッサー。家族設計の無い旦那、いつ怒鳴り込んでくるか分からない実父、常に自分の死後を押し付けてくる実母…。それらによってかき乱された精神状態になると、第二次世界大戦の終戦直前の「ヒロシマ」を描いた漫画を読んでしまう。勿論、精神的に良くない。理解しているのに、読む。「この人達の苦労と比べたら、私なんて」と考えたいのか、解らない。ただ、少なくとも、この木曽山地の裾野の下のほうである田舎町に生まれ育った実父と実母とで、山の向こうで赤く名古屋が焼夷弾で燃やされるのを見たことを話す時、実父はいかにも自分が焼いたかのように笑って話すのに対して、実母は顔をしかめて黙っていたり、珍しく話したと思ったらほんの一言、二言だけという違いがあって、ほっとする。「ヒロシマ」を読む時も、「シベリア抑留」や「アウシュビッツ」を調べる時も、私は怖い。いつ自分が虐げられる身になるかという恐怖と、いつ自分が虐げる身になるかという恐怖とで、どん底まで暗く滅入らずにはいられない…。
 10月15日 本日旦那不在につき:1
 今週の旦那は、土曜日(今日)は勤務、明日は何やらの試験で、両日不在。それを聞いたのは、昨夜午後11時過ぎ。実父も会長を押し付けられた老人会の用事で、夕方まで不在。実母は店を開けているし、実質、私と息子は二人きり。しかも、雨。まぁ、そのおかげで実母の客も混雑するほどは来ず、適度に息子を暴れさせ、適度に息子に間食させ、適度を遥かに超えてパソコンであちこちのサイトを見て回り、私にしてはよく頑張ったほうだと思う。が、問題は明日! 息子が今一番慕っている実母が、叔母(実母の妹の一人目)の見舞いに行くからだ。しかも、運転手は叔母(実母の妹の二人目)で、祖母も含めて三人で。病院は、実弟の勤務先(だったと思う)で、市内で最も標高の高いところにある病院(実弟をして「市内のアルプス」と呼ばしめるくらい天候すら違う)。祖母は喜寿が近いか過ぎたばかりかって歳なので、急な坂道はしんどいはずだ。それに、運転手の叔母もかなりルーズな性格で、「ウチの主人は仕事をすれば高収入なのに仕事が回って来ない」と言いつつ、いざ何かを頼むと三年ぐらい経たないと青写真すら作ろうとしない大工の奥さん(ちなみに待っている三年の間に他の大口の仕事をやり、当面の生活費に困らないと知るや、遊び呆ける家族で、大工をやっているその亭主というのが超ロリコン。子供の頃に私は胸を揉まれたこともあるし、自分の娘に「パパリン」と呼ばせて喜んでいる)。「一応、お昼までに帰ってくるつもりだけど」と言う実母の顔が引き攣っていた。私としては、息子のご機嫌と実父のご機嫌を伺いながら過ごすしかなく、話を聞いた今日の昼から、空腹感と満腹感がまったく無くなり、ひたすらコーンフレークを食べ続けている。何か食べ続けていないと、落ち着かないからだ。はっきり言って、ヤバイ。…と言っている矢先に、ここまで打ち込みながら、最後に飲んだお茶が食道を逆行してきた。道理で寝ている間に胃液が逆流するわけだ。胃の入り口のほうの弁が、ほとんど開きっぱなしの状態が当たり前になってしまい、標準的な食事量の時ですら完全に閉じていないのだろう。まぁ、ねぇ、実母が留守にするのは半日なんだし、一日中旦那の顔色を窺っているよりマシだよなぁ。あ〜あ、吐き気まで始まったよ、おいおい…。完全に過食症と化す前に、フジパンのシールが集まって良かったぁ。いやね、過食気味の理由の一つに、「息子がミッフィのふわふわブランケットを欲しがったから」というのもあったから。今日は、その満願成就の日で、もう明日からパンを余分に買わなくても良いのかと思うと、少しほっとした。これを機に、今度は食べなくても落ち着いて部屋にいられるようになれば、さらに良いんだけどなぁ…。
 10月14日 だから「怪獣」なんだってば!
 最近は詐欺の手口も複雑になってきていて、誘拐を装ったり、脅迫して金か他の家の個人情報を入手する手口が目立つらしい。隣市において、誘拐を装った電話があり、慌てて学校へ連絡したらまだ校内にいることが判明し、警察に届け出をして済んだという報告文が、保育園の掲示板にあった。市内でも不審者が目撃されていて、田舎町なのに物騒になってきた。息子は私の手を振り払って一人で走って行ったりすることが多いだけに、非常に怖い。目の前で連れ去られ、無言の帰宅なんていうことになったら、自分がどうなるか、想像することもできない。というか、やったらイカンな、また動けなくなるから。そんなわけで、息子に「家に帰るまで、一人でダッシュしてはいけません」と言い聞かせたが、「うん、わかった」の直後にダッシュ! 何が「わかった」だ、こら! 「こうさてんでとまれるも〜ん!」以前の問題だっつーの! ちゃんと人の話を聞けぇっ! そんなこんなで、帰宅途中の我ら親子は、花屋さんとガソリンスタンドの店員諸氏に、めちゃくちゃ強いインパクトを残しているらしい。今日は、スタンドの店長さんらしき人から挨拶されちゃったよ。「はい、挨拶しましょ」と言ったら、息子はがなり声で「こんにちは!」。はい、ここでタイトルどんっ!
 10月13日 燃え尽きたぁ…(ふしゅぅ)
 人前に出るのにかなり勇気を要する現況で、どうしてもやるべきことができてしまい、市の郵便局へ。息子の学資保険の振込完了通知が来ないので、確認に行った。幸い混んでなかったが、それでも局員の方と話しているうちに顔が赤くなっていくのが自分でも分かり、恥ずかしかった。で、通知はかなり以前から中止され、保険料の未払いが続く家に限り通達が行くと教えられ、安心。それでも顔が赤らんでいたと思う。その後、私の口座がある銀行へ行ってATMで預金し、近所の簡易郵便局で息子のための積み立て預金をし、隣市の安い服屋さんでタンクトップを購入してから、また市内に戻って行きつけのスーパーで牛乳を買うという、私にとってはハードなスケジュールを1時間20分ぐらいでこなした。その後、ほんの10分ぐらい休んでから、息子のお迎え。でもすぐには動けなくて、いつもよりも少し遅く行ったら、お迎えラッシュの時間帯になっていて、園庭には綺麗に着飾っているお母さん達がたくさんいて、仲良くなったお母さん同士で話し込んでいたり、入園前の小さな子が園児と一緒に遊んでいたりと、見事にワラワラしまくっていた。「しまったなぁ…」と思いながら、息子の教室へ。これがまた、一番奥だもんだから、他のスリムなお母さん達の間を縫うように歩き、教室へ。ルックスはどうにもならないから他のことで自信を持とうと開き直ることにしたものの、突然それを実行することはやはり無理で、「太っててすみません」と何度も心の中で呟きながら歩いて行った。今は息子も平気でいるけれど、小学生になったりしたら、きっと「お母さんは太ってて恥ずかしいから、お父さんが授業参観に来てよ」とか言い出すんだろうなぁ。そういうことを実母にほのめかしたら、「だったら痩せれば?」と言われた。実母でコレだから、旦那なんて「自業自得じゃん」とか、もっと冷酷な嫌みを言うだろう。まぁ、図星だからこそ、腹が立つんだけどさぁ…。そんな気持ちも手伝って、夕方、電池切れ。とりあえず、息子が食べそうな物を用意しておいて、それを喜んで食べてくれたから、ちょっと充電できたけど。とにかく、疲れた〜…。
 10月12日 この欄を読んでみる限り誤解されてもしゃーないってか(笑)
 サイトを開いたばかりの頃、「aim」や「アイム」、「あいむ」で検索をかけたら、もう出るわ、出るわ、あっちやこっちに「アイム」とか「あいむ」とか「Aim」とか、いる、いる。旦那に「aim同盟」を作ったら面白いかもとか言っちゃうぐらい、たくさんたくさん。で、どんな人が同じ発音の名前を使ってるのか、調べてみたら、マ行から始まる名字で「アイ」という呼び名の女の子とか、何を仕事にしているのかよく解らない男性とか、電話帳のなるべく始めのほうに名前を載せたい企業とかが多かった。けど、一番ショックだったのは、俗に言う「大人の玩具」の販売店名とか、卑猥なチャットをするためだけに使っている男性が多かったこと(気紛れに検索しては内容を見て回る私も変なヤツではあるけどね)。だからなのか、最近、やたら「逆援助交際しませんか」とか「あなたは○○さんに何百万で落札されました」とか「あの夜の私とのこと、忘れてないよね?」というタイプの、「撒き餌」メールが届く。あのなぁ…(溜息をついたら息を吸って溜めて〜)。(はい、吐き出す!)人妻に「人妻を自由に弄んでみませんか?」なんて送るな、ボケェッ! 「女の子を飼育してみませんか?」だと? ふざけんな! 人種も老若男女関係なく、「飼育」して良い人間がいるわけねぇだろうが、ドアホウッ! だいたい、勝手に登録しただの何だのと焦らせるような言葉を使って、返信待ちしてんじゃねぇっ! 「アイム」っていう名前を使ってるヤツが全員男で、淫らなことを言えば喜ぶとか思ってんのか、バカ野郎どもがぁっ! こちとら自分の内外のストレスと戦ってて疲れてんだよ! 息子という種類の怪獣をけしかけるぞ、ゴルァッ! …ふぅ、久し振りに本性剥き出しにして少しスッキリ〜♪ あ、蛇足だけれど、「aim同盟」は必ず企画途中で破綻する。何故なら、登録する人全員が「アイム」という発音の名前を使うから。チャットしてても「アイム」さんと「アイム」さんになったり、参加者リストを作ってもどの「アイム」さんがどんなサイトを作っていたか、分からなくなるし。こうして企画倒れした時、旦那に呆れた顔をされた。何しろ、思いついた時、フォトショップで同盟バナーをも作ったからねぇ。「…まぁ、面白いとは思うけど、お互い、どう呼び合ってどんな活動をするつもりなんだ?」とツッコミを入れられて、「チクショー! こんなもん、捨ててやるぅっ!」と作り立てのバナーを捨てたとも…(遠い目)。アレ以来、Yahoo!のID検索で何人いるか試す程度にしたんだよなぁ…(愚)。
 10月11日 …くたばってました…(土下座)
 これを書いているのは、正確には12日です。11日は、くたばってました。「あかん…、もうダメや…」という自覚があったため、胃液の逆流はありませんでしたが、とにかく動けず、へばってました。食器を洗い、息子の送迎をし、書店で買うべき本だけ買ったものの、読めず、遊べず、立っていられず、座っていても何かに凭れていたぐらい、くたばってました。そのため、風呂上がりの息子に起きろと言われても起きられず、寝かしつけるはずが自分が寝つき、気づいたら24時、27時、30時と、断続的に目が覚めるヤバい状態で朝を迎えました(注:鬱症状の一種で睡眠障害です。眠りが浅くて、寝つきも悪ければ寝た気分もせず、疲労感を持ち越すどころか、眠れなかった自分を責めて倍増させるという悪循環もあります)。目が覚めた時に、「サイト更新だけは…」と蠢いたようですが、ご覧のとおり、一日更新できませんでした(注:眠りが浅いので、正確には目覚めておらず、寝惚けた状態でしかなく、思考力とか判断力とかはドン底以下にレベルダウンします)。これからはこのような事態にならぬよう、健康管理に注意しますので、ひらにご容赦くださいませ。
 10月10日 旦那は思いきり笑い飛ばした
 3連休の最終日、前日の疲労も抜けきらず、実父母が市のイベントに出かけて留守という今日、思考回路が空白に。旦那が機嫌を悪くしたわけでもないし、息子もご機嫌だし、私も適当に居眠りしたものの、何とか普通っぽく過ごせた。が、「明日から旦那は会社、息子は保育園に行くの?」と、つい実母に尋ねかけてしまった。それに、今日のうたた寝の間、また胃液を吐いたらしい。床や枕は汚れていなかったけれど、口の中があの嫌な酸っぱい臭いで溢れていた。うがいをしても、お茶を飲んでも、食事をしても、喉や食道に痛みが少し。当たり前か。胃液は肉の蛋白質を分解する酵素が多い。胃袋自身も粘膜が無ければ自らが消化されてしまう(これが胃潰瘍やね)。そういう粘膜が無い食道や喉、口内がヒリヒリしないほうがおかしいわけだ。いつかまた胃カメラを飲むことになるかもしれないと考え、旦那に胃液を吐いては飲み、吐いては飲みをしばしば繰り返すと言ったら、「ぎゃははははは! 変なヤツ〜!」と大笑いされた。自分はストレスのせいで十二指腸潰瘍を患ったことがあるのに、どうして私の体の異常を笑い飛ばせるのかと思ったら、話をするのもバカバカしくなった。「胃液は蛋白質を分解するから、そのうち食道にでも穴が空くだろうなぁ。来年あたり、死ぬかもね〜」と言ったら、「仰向けに寝れば?」とようやく心配するポーズを取りやがったので、「あなたは、仰向けに寝たら食道だけでなく気管に入ることもあるということを、知らないのですか」と言い捨てといた。それに、連休明けの通園仕度を「やりたくない」というか、「つーえんって何?」とか思うあたり、精神的な方面でもキテるらしい。食後の薬を服用する時、「明日、通院するのに、どうしてこんなに残ってるの?」と、次の通院日が来週の月曜だということも忘れているし。あ、こういう日記を書いて、ようやく心身の疲労感が結びついたらしい。涙が出てきた。やっぱり、ギリギリまで我慢してたんだな、自分…。
 10月9日 祭りだった
 今日は町内の秋祭り。実家に住んでいるも同然だし、同級生や近所の人達もいるし、激太りしたのを笑われるかもと思って、気乗りしなかった。それでも行ったら、やっぱり他の奥様方はスラッとしていて、化粧もしてて、互いにきゃっきゃと話をして楽しそうだった。その中に同級生もいたけれど、話しかけることができなかった。旦那に「真ん丸」と言われる体型になったのは自業自得だし、今更引け目に思うのは身勝手だけどね…。何か、寂しかった。でも、悔しがるのはお門違いだとも、思った。今の時代、細くて綺麗な人が「美人」と言われていて、私も羨ましいと思ってはいるけど、だからって、私の真ん丸の体型が「悪い」わけじゃないよね。スリムな体型が「好まれやすい」っていうだけなんだから。いつか、この体型で得することがあるかもしれないし、役に立てることがあるかもしれない。昔から他人と同じなのが嫌だった。そういう自分を思い出し、ちょっと開き直った時、ここ数日、新聞屋をやっていた頃が懐かしかったのは、女らしさを捨てて全身全霊でお客様のために頑張れたことや、その頑張りをお客様には認めてもらえたことを振り返り、自分に対する劣等感を少なくするためだったのかなぁと思えた。また、少し、頑張れる、気がする。
 10月8日 3連休初日からダウン…
 「3連休って言っても、土曜日には旦那がいない可能性もあるし、日曜日には秋祭りがあるから気分転換になるし、大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら起床。旦那は会社が休みらしくて息子と遊んでいて、初っぱなから「ゲッ…」と思ったが、二人とも機嫌良くしているからいいか、と気を抜いたのがいけなかった。昼食後、ダウン。食べ終えて、食器を流しに運んだことまでは覚えているが、息子の食べ残しの皿をどうしようか考えている途中から記憶が無い。14時に起きて静けさに慌てたら、息子がちょうど昼寝に入ったばかりだった。テーブルには食べ残しの皿が残っていたので、台所に持っていったら、他の食器が片づけられていた。もしやと思いながら、旦那に「私って、ここを片づけたっけ?」と尋ねたら、「食った直後に寝入ったくせに、何言ってんだ!」と言われた。旦那にとってはキツめのツッコミだったかもしれないし、片づけた後に息子の相手をしたりして寝ている私がウザかったかもしれない。けれど、どうであれ、旦那は私の病気に関して、相変わらず理解してもいないし、そのつもりも無いんだなと感じて、気分は最低。「好きなところは、全部」、「苦楽を分かち合うことを誓います」、そんな台詞は、所詮、口先だけだったってことか。馬鹿正直に真に受けたり、「子供が産まれたら、少しはマシな関係になるかも」と勝手に期待した私がバカだっただけってことか。新聞屋時代、後輩(女)が仕事でミスをするたびに、私の靴にミミズを入れたり、雑巾の搾り水で淹れた茶を飲ませたり、生ゴミや残飯を使って作ったチャーハンやカレーを食べさせ、それを店長夫人と同郷の先輩(男)にコソコソ話して私を笑い物にして、ミスしたせいで怒鳴られないように媚びを売っていたことを思い出す。名古屋出身で結構気が合った配達仲間(男)が「もう奴の出す茶や料理を食べるな」って陰で忠告してくれたけど、「なるべく人のこと、疑いたくないから」って言ったら、溜息をつきながら「誰もがおまえみたいに馬鹿正直じゃないんだからな、逃げたくなったら、すぐに逃げろよ」と言ってくれた。今頃、彼はどこかで報道カメラマンとしてシャッターを切っているだろう。生活は不安定かもしれないけれど、きっと充実しているだろうなぁ。ちょっと懐かしくて、ちょっと寂しい。だって、いつも私が辛くなりそうな時に、小声で「気にするな。奴等の悪口は、所詮、客受けのいいおまえに対する僻みでしかないんだから」って言ってくれたりしてたから。本当に、懐かしい。また、会いたいけど、恥ずかしいなぁ…。
 10月7日 ぐはぁっ!
 息子が寝ぐざり、実母に呼び出される。行ってみたら、実父がブスッたれていた。実母も怒りモード。メルマガの原稿の打ち込みの途中で、息子に付き添い、「モリゾーとキッコロの休日」というサイトで遊んでから、実母と入浴させ、本人に納得させてから実家へ連行し、寝つくまで絵本を読んだ。午後8時頃に寝つき、ブスッたれている実父に挨拶だけして帰宅。それだけのことだったのに、精神的負荷、つまりストレスを結構受けたらしく、記念作品を書き終えた段階で滅…。先に布団を敷いておいたし、部屋着になっていたから、いつものように枕元のリンゴ機を稼働させたまま、突っ伏して寝ていただけなんだけど、気がつけば、午前0時半…。心の中で、思いきり叫んだよ…。クリック募金は1日分できなかったし、アイム(ハーボット)の機嫌もヤバイ。何より、更新が遅れたのが最悪だぁっ! レス書きもこの時間じゃできないっ(睡眠薬を服用する時間帯を過ぎるから)! あーもーっ、私のバカァッ! というわけで、この欄を埋めているのは、正確には7日25時。とりあえず、サイト更新とメルマガ発送予約だけしたら、薬、飲みます。掲示板のレス書き、遅くなりますが、勘弁してやってください(平伏)。
 10月6日 編集長、もう少し待っててください
 「VS」の続きを書き始めたのだが、途中でふと、指が止まった。「…嫌な女の性分って、どんなだ…?」という疑問のために。私は基本的に自分こそ「嫌な女」だと思っている。仄かで淡い片思いを育てていた頃、その相手から「え〜っ、俺、嫌だよ、冗談じゃねぇよ、こんなブスでデブで変態に好きだとか言われてもぉ」と、大掃除中の教室のど真ん中で言われた時から、自分は「デブ」で「ブス」で「変態」だと思い込んでいる。それ以来、恋愛感情はあまり芽生えなかった。だから、女友達よりも男友達のほうが増えた。そして、クラスメイトの女達からは白い目で見られていたし、同じクラスだったのに3年間口を利かなかった同級生(女)もいた。同性にそこまで嫌われる私は、徹底的に嫌な女なのだろうと思い込んだまま、上京した。新聞屋時代も、凄まじいほど「独身男性の生活」をしていて、同僚(男)に呆れられたほどだ。そうやって過去の記憶を探るうちに、「…じつは私のほうが嫌な女に虐められていたのか?」と思うに至った。「ま、いいや。済んだことだし、もう時効だし、思い浮かぶ限りの嫌な女達のことを文章化して、キャラクターの肉付けに流用しよう」と思い、比較的客観視できるよう、さり気なく庇ってくれていた兄ちゃんの視点から書き出し始めた。そうしたら、まぁ、出るわ、出るわ、続々と嫌がらせとか八つ当たりとか思い出しちゃって、怒りが爆発しそうになった。とことんムカついたから、店の名前を現実にあるまま書いている。多分こっそり掲載すると思う。とんでもなく長くなるけどね。それを書き上げた時、多分、私はいろんな女の嫌な一面にゲッソリするとは思うけど、泣き寝入りさせられたこともあったからな、公の場(ネット上)で掲げてやったほうが良かろうと思う。ま、時効だけどな、書かずにはおれんわぃ、腹が立ちすぎて。…と、こうやって「思い出し怒り」があるから、私は一番タチの悪い嫌な女なんだよなぁ。
 10月5日 冬、干したアクリルの毛布を取り込む時
 近所のスーパーへ買い物に行く。今日は雨だったから良かったけれど、晴天が何日も続いて空気が乾いているのが肌で判るぐらいになると、棚から商品を取る時、ちょっとだけ覚悟がいる。理由は、静電気。頻繁に「バチッ!」。車のドアノブに指をかけようとした瞬間、火花が見えたこともある。要するに、帯電体質ってこと。これは遺伝らしくて、実母も棚に手を伸ばすのを嫌う。数日前、「何度経験しても気持ち悪いから、あんた、これを取ってよ」と頼まれて仕方なく商品を取ると、「パチッ」と音がした。「そう言えば、あんたもだったわね」と言う実母に、「息子もそうらしいよ。手を繋いでる時に、反対の手でバチッとなったら、私の手を離して、それから数日間、手を繋いでくれなかったから」と返したら、「は〜、遺伝かねぇ」と溜息をつかれた。「私なんて、年中だよ。真夏だろうが何だろうが、天気が悪くないとパチパチしまくるんだから」と愚痴りながら瞬きをしたら、「痛っ!」。「どうかした?」と尋ねられたので、正直に「信じてもらえないだろうけどさ、今、瞬きしたら、上と下の瞼でパチッとした…」と答えた。実母は何も言わず、溜息をついた。同情して私に触ろうものなら、きっとバチッと来るからだ。スーパーのカートの人工樹脂やプラスチックの部分を持って回っている限り、何度でもバチッとなる。だから、これからの季節、非常に憂鬱になるらしい。私はもう開き直ったからマシだけど、実母は客商売をやっていることも手伝って、あまりバチバチッとできないからだ。そんな私達の一番嫌がる時は、タイトルのとおり。実家のベランダで「あんたが取り込んでよ」「やだ。あれはウチのじゃないもん」「そう言わずにさぁ」「やだったらやだ。アクリルは充電されるかってぐらいバチバチするんだもん」「お母さんだってそうなのよ」「分かってるなら、子供の安全を第一に考えてよ」「あんた、もう大人でしょうが」とくだらない言い合いをした後、毛布を部屋へ放り投げ、「もう大丈夫でしょ」と思ってサッシに触れながら中に入ろうとした途端、二人ともそれぞれ「バチィッ!」てなもので、切なくなる。雨の中、息子を迎えに行きながら、何かの弾みにそうした出来事を思い出し、ちょっとブルーになった。
 10月4日 「神が降りた」とも言うらしい
 書店に行く。物色する。否、「買う」と決めている作家の本をかき集める。抱えてレジへ。清算し、「さぁ、読むぞ!」という気合いが入…らない。帰宅しても、袋から出さない。それどころか、まだ読みかけの本が、既に部屋の一角に滞り、半ばゴミと同化している。でも、掃除する気にならない。そんなことするぐらいなら、書きたいんじゃぁっ! 今、頭の中で、ピロさんがくれた機械類の設定と、私が密かに、ピロさんにも打ち明けていないエンディングへの伏線とが、ガッチリ噛み合っている。だから、書きたい。ひたすら、書きたい。こうまで歯車が噛み合ったのは、久し振りだ。100Hitごとに何とか形にしようと悪戦苦闘しているが、それとて「ネタ」と「展開」と「エンディング」などの歯車が全部噛み合っているとは限らない。ショボい作品は、噛み合っていない作品の代表だ。それでも書かねば、いざという時に自分の文章にならない。その「いざ」がやって来た。気分の昂揚に任せず、かと言って冷静すぎないで、文章を綴っていく。この喜びは、口惜しいことに、誰にも伝えることができない。ただ雨雲を呼ぶだけだ。そう、私は雨女。それも、「気分が昂揚すると降る」タイプ。その証拠がかなりあるけど、ネタ用に保存しておく。
 10月3日 かれこれ3年と数ヶ月?
 最近、実家を離れ、東京で暮らしていた頃の出来事を、延々と思い出し続けている。記念作品にその当時のこととかが続いているのは、そのため。多分、新聞屋や写植屋として上司やお客様から「一人前」と認めてもらえた頃のことを思い出して、自信を少しでも取り戻そう、あの頃の捨て身と呼べるほど実直で、決して自分を偽らず、常に向上しようとしていたことを思い出そうと、本能的に記憶を手繰り寄せているのだと思う。新聞屋時代には、ヤクザとかチンピラと鉢合わせすることもあったし、空き巣常習犯に襲われかけた(襲われた、か?)こともあったし、ただ働きさせられた時期もあった。店長や他の店員達とは価値観が違い、勧誘の方針もまったく違っていたから、最初から最後まで「全然やる気の無いボンクラ」と店長夫婦に言われ続けた。写植屋に転向してからも、上司や指導担当者の悩みの種だったけれど、2年目には客のほうから「前回の担当者にやってほしい」と言われるようになり、根気よく見守ってくれていた部長(女性)に、「立派に写植屋として成長できたわね」と涙ぐまれた。当時の私はただただ夢中で、お客様に喜んでもらいたい一心だった。配達の心得も写植の心得も同じ、「自分の仕事でお客様を喜ばせてこそ、プロ」だと思う。それに比べて、現在の私は「母親のプロ」にもなれず、「執筆のプロ」も「和訳のプロ」も目指していない。けれど、「サイト更新のプロ」にはなりたい。たまに旅行で留守にしたりするけれど、可能な限り迅速な更新を続けていきたい。そうすることで収入があるわけじゃないから「プロ」という言葉は不適切かもしれないけれど、心意気だよ、心意気。さて、その心意気を忘れないうちに、ピロさんからいただいた資料を読み返して復習し、「VS」の続きを書こうかね(と言いつつまずはハボとリヴの世話をする:笑)。
 10月2日 涙はやはり嬉しい時に流したい
 create novelの編集長のいおむ氏からメールをいただく。嬉しいやら、安堵したやら。ご父君の喪に伏しておられることをメルマガで読んで知ってはいたものの、言葉を選べず、先月末の投稿の際に失礼を詫び、ご父君のご冥福を祈らせていただいた。それ以前から仕事も相当大変だということは知っていただけに、さぞお疲れだろうと思っていた。それだけに、心配も大きくて、何とメールに書けば良いか、本当にかなり迷っていた。が、いおむ氏の周囲にはちゃんと支えてくれる方がいて、四十九日が明けてから入籍されたことも書かれていて、心の底から安堵した。涙が出るかと思ったほど、嬉しくもあった。こうしてサイトを連日更新している身だが、夏の後半から精神的に疲労しやすく、やらねばならないことをやらずに、やらなくていいことをやって失敗し続けていた。そして、「閉じてる状態」になり、他の方々のサイトを巡ることができなくなった。今も、その傾向が強くて、ちょっと辛い。そんな時のメールだけに、無礼を許されたことや、いおむ氏を取り巻く「いい方向へ導く気配」が感じられたことが、とても嬉しくて、泣きそうになった。旦那が近くにいなかったら、本当に泣いていたかもしれないぐらいに。いおむ氏には、感謝しても感謝しきれない。本当にあがとうございます(平伏)。
 10月1日 息子の運動会で燃え尽きた…
 息子の保育園の運動会に行く。旦那は仕事、義父母は不幸があって、不参加。昨年は「どうして連絡してくれなかったんだ」と言われたので、今年は旦那に「連絡してよね」と言い置き、その旦那が昨夜連絡したから、私には落ち度は無い。たとえ「亡くなったのはご近所の方ですか?」などの質問を咄嗟にできなくても、最低限の義務は果たした。ということで、私と実父母(実母は営業日だったが午前中のみ臨時休業にして参加)、祖母が行ったので、息子大喜び。祖母は「どこにいるか分からなかった…」と言っていたが、それでも小さい子が頑張っているのを見て楽しかったとのこと。私が赤ん坊だった頃、「うるさい!」「邪魔!」「あっちへ行ってろ!」と、今の隣家のおばはんみたいに「子供は疎ましいから嫌いだ」と露骨に示していたのが、嘘のようだ。ま、80歳にもなれば、人間性が丸くなって当然なのかもしれないが。で、肝心の息子はと言うと、昨年のように心細くて泣くようなことはなく、最初から最後までニコニコで踊ったり走ったり私に振り回されたりしていた。そう、振り回したんだよ、私が。そういう踊りだったんだよ、マジで。オープニングセレモニーのダンスの後、息子の出番はひよこ組さん達と体操し、次はゴールで待っている親へのかけっこだった。私が正面に立ち、中腰で足を前後に曲げて構えたのを見た途端、「ねむねむさんに突進するとぽすけさん」状態になり、スタートの合図と同時に「どどどどどどどどどどどどど!」と自分で効果音を叫びながら突進してきた。あまりにも予想どおりだったので、笑うしかなかった。で、そのついでに親子でのダンスに移行し、「ア〜ァ、ウッ!で可愛くポーズを取ってください」と言われ、少し照れかけたが、ふと見れば、めちゃくちゃスマートな背高のお父さんがそのポーズを練習していて、「あ〜、なら、私がやってもOKだな」と開き直り、リズムを取ったり「ア〜ァ、ウッ!」を決めたり、ウルトラマンの歌に合わせて息子を「高い、高い」した。で、その後は祖父母のみで玉入れをしたのだが、さすが保育園の運動会だけに、「マイムマイム」を踊りながらカゴの周りを回り、ホイッスルで玉入れ開始だった。それを3回繰り返したのだが、実父は照れて撮影係に徹し、実母が参加、「マイムマイムなんて、振り付けもう忘れてるって!」と言いながら、大人げないほどムキになって玉を放り込んでいた。そして、最後には、園児をおいもに見立てて親が何とか引っこ抜くという踊りがあり、これで息子を振り回したのだ。両手を繋いでステップしたら、すぐにおんぶで数歩進み、即下ろしてくすぐり、子供がきゃっきゃと喜ぶや担いで走り回るというものだった。これを、5回! 最後には誰も曲を聞いてやしないし、全園児+親で走り回ったから砂埃が立ちまくるし、背負って下ろして擽って担いで走ってを繰り返していたら、私のほうが目が回り、ヘロヘロに…。運動不足だと言われるのが分かっているから、「目が回った」とは誰にも言わなかったけどね。その後、園庭の掃除をしてから、息子と帰宅。昨年、「二人以上で行かないと写真もろくに撮れない」ことは分かっていたが、三人で行っても何とか全部の種目の写真を数枚撮れただけだった。ちなみに、撮影係は実父母。カメラは実家のデジカメ。だから、旦那や義父母に写真を渡すことも無い。要求されても、きっと実父が「プリントアウト代は、1枚につき1万円だ」ぐらいのことを言うだろう。そして年末だか年始だかに、「相変わらず薄情だな」と義父母に嫌みを言われるだろう。あー、もー、薄情者でもお客様扱いでもいいよ、ホント。隠れマザコン(しかも自覚無し)の旦那が仕事を休まなかったことを、義母だけは絶対に批難しないだろうし、義父は義父で、旦那よりも可愛がっていた義妹とその子供に夢中だし、後ろ姿が小さく写った程度の物を持っていっても、「気を遣ってくれてありがとう」なんて決して言われないだろう。それどころか、「ノリ(旦那)が撮影したほうが、よっぽどマシやな」と言って、軽くテーブルに放り出されるのがオチだからな。参加すらしないで「〜だったら」話ばかりされて、喜ぶ嫁だと思われているんだろうなぁ、確実に。まったく、他人に肉親を批難される立場に立ったことが無いというだけの理由で、言われる側の気持ちを想像すらしない人達とは、やっぱり同じ墓に入りたくないなぁ…。蛇足だが、帰宅し、昼食をいただいた後、私は気力が尽きて、トイレに行ったついでにまた寝入ってしまい、息子に見限られた…(勘弁してくれや、マジで:涙)。

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