ものぐさ日記

秋になってきた今になって
8月に体重が減らなかったことが悔やまれてなりません
8月には8月なりの大切なこととか努力があったのにワガママですね

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 9月27〜30日 沈黙の理由:Dead or Killed
 久し振りに毎日更新できていたのに再びパッタリと停止したのは、タイトルのとおりの理由による。死にたくないけれど、死ななくちゃいけない、自分で死なないのなら殺されるに違いないと、ひたすらめり込んでいた。29日は息子の通園している幼児園の運動会があり、午前中だけドーピングしてテンションを上げたし、28日の準備の手伝いの時も1時間ぐらいだったからドーピングと姉さん(昔から親しい先輩)の後をくっついて真似してこなせたけれど、それ以外の時間は完全に限界突破状態だった。死なないようにするために、部屋中に「やりたいこと」の道具を広げ、「読みたいもの」と「観たいもの」を布団の上にバラ蒔き、「聴きたいもの」をiPodにブチ込んで聴き続け、半ば自閉状態で過ごしているか、完全に眠っていた。但し、眠っていても気力が回復することも気持ちを切り替えることもできなくて、夜更けから未明まで泣きながらネットを放浪したり、ヘンプを結んでいた。運動会当日、数ヶ月ぶりにもう一人の姉さん(やはり昔馴染みの先輩)と話す機会があり、「自殺するか殺されるかっていう気分が続いてて…」とこぼしてしまったら、真剣な顔で「絶対に死んだらダメだよ、姉さん怒るからね」と何度も言われた。多分、それが嬉しかったんだと思う。30日の深夜、初めて旦那に「聞いてほしいことがあります」と切り出して、下旬に起きた出来事から現在の心境、これからどうしたらいいのか判らない心理状態を愚痴ることができた。黙って聞いていた旦那に意見を求めたら、「時代が違うんだから、母親が必ず家事をこなさないとダメってことはないし、実際ウチはそれでいいじゃん。敢えて言うなら、息子への説教が長すぎ。3分以内にしとけ」と言われた。至極、正論。旦那にしたら、「黄緑色の水に緑色の卵のそぼろが浮いている『初めてのほうれん草の卵とじ』」を食べさせられるぐらいなら、自分と息子の好きなものを自分で調理して食べたほうが、心身ともに健康でいられるに違いない、ということだと思う。蛇足だが、「電子レンジで思いきり手抜きしたから器に貼り付いて食べづらい『二回目以降のほうれん草の卵とじ』」は、私としては上出来だと思っていたのだけれど、3回目ぐらいで「手抜きをするなぁっ!」と言われた過去がある。息子の躾けに関しても、夫婦揃って「人として見苦しくない程度に育てればいいや」的方針でいるし、夫婦揃って「寝転がってパソコンや読書」だから姿勢云々に煩いわけでもない。旦那は離れに陣取り、私は借りてる母屋で転がっているから、傍目にも私の目にも「家庭内別居」に映っていたけれど、話を聞いてもらって意見を聞かせてもらった結果、「距離感があるほうが落ち着く夫婦関係」というのもアリだと実感した。この段階で、「死ななくちゃ」は消えた。「殺されるに違いない」は、これを書いている10月1日夜の段階で、まだ消え失せたわけではない。それどころか、じつは中学時代からずっと心の中にあって、表層意識に出てくるかこないかだけの違いしかなく、常に「いつか実父に殺される」という意識を持っている。この数日間で、改めてそれを自覚した。そして、その意識が表面化すると、今回のように日記すら書くことができなくなることにも、やっと気づいた。こんなんで、よくメルマガだけでも発行できたものだと、今になって驚いている。が、いおむ編集長へ次の原稿を送信できなかったことと、息子の予防接種の費用免除の申請を忘れていたことを思い出してしまい、少なからずガックリしている。まぁ、死ぬほどの落胆でもなければ、殺されるかもしれないとビクつく要素も無いし、自分に直接関係していること以外にも意識が向くようになった証拠だから、また平身低頭謝って投稿したり、有料で済ませるように遣り繰りすればいいやと、ちょっと開き直れるようになってきた。10月はもっと楽しい話題を毎日書けるように、家事を忘れて「やりたいこと」から手を付けていきたい…けどなぁ、最低限の家事はやらにゃならんよなぁ…(当然)。
 9月26日 宗教にハマったんじゃないよ
 昨年、「永久保怪異談」という漫画文庫を読み、そこに登場する「氣のプロ」の方のブログに数回お邪魔し、連載されている雑誌を読み始めた頃から、時々、「氣」を意識しながら暮らすようになった。息子を叱っている時、エスカレートして八つ当たり的に罵声を浴びせることがある。以前は後で「言い過ぎた」と自己嫌悪するだけだったけれど、「氣」を意識するようになってからは、声に乗って息子へと「怒り」の塊がぶつかっていく感じがするようになった。まぁ、ダメだと解っていても怒鳴り続けることのほうが多くて、自己嫌悪が具体的になっただけってこともあるけど。それと似た感覚で、実父の感情がどんなものか、察知しやすくなった。昨日の欄に書いてあるように、実父は声がデカいし、私はイヤホンで音楽を聴いている間以外は敷地内の人間の声が判別できる。これに「氣」を意識することを上乗せしたら、私以外の誰かのことを喚いている実父のほうから、私に向かって重苦しくてのし掛かってきて離れようとしない感じが、雪崩れるように押し寄せてくるようだった。実の親からこんなものを押し付けられて、よく生きてられるなぁというのが、私の感想。但し、本当にそういう「氣」の流れがあるとは、断言できない。私が作ってる流れかもしれないし、そもそもちゃんと感じ取っているとは限らないから。それなのにこんなことを書いているのは、「氣」の働きを認めてもいいかもしれないと思えることが、今日、あったから。まず、実母の美容室に客が次々に来たこと。昨夜、以前サイズを間違えて作ったミサンガを店から戻してもらったのだが、じつはそれ、後半は「私はこれで首を吊るんだ」と念じて泣きながら作っていたもの。仕上がった時、実際に首に巻き付け、視界が濁り始めるところまで自分で絞めた。そこまでやった品を、自殺を絶対にするもんかという気持ちを持つために実母に渡したのだが、店の粗品箱に入れた途端、客足が疎らになったし、来てくれた客の中でミサンガに興味を持った人がいても、結局何も選ばないで帰るばかりだった。それが、昨夜私が自殺したくなって返してもらったら、今日は朝からパーマや髪を染める客が絶え間なくやって来て、幾つかストラップやミサンガを持ち帰ってもらえたようだった。それと、夕食後。実父の不機嫌そうな面を見る気もせず、茶碗一杯分のご飯をかっ込んで自宅に戻ってから、辛さや苦しさを搾り出すイメージを保ったまま、泣き続けた。涙を拭いたハンカチは洗濯カゴに入れ、実父に対する恨みと殺意を込めて鼻をかんだティッシュは思いと一緒に捨てるイメージを浮かべながらゴミ箱へ。そうしたら、昨日よりも「死にたい」という気持ちがかなり減って、その分、何か「生きたい」という気持ちに繋がることをしたくなり、篠笛を吹いてみた。結果は「ヘタの横笛」にあるとおり。これらが錯覚だとしても、まさに「気のせい」というわけだし、少なくとも私なりに、「氣を練る」とまではいかなくても、嫌な「氣」だか感情だかを拭えた感じがする。こういう体験を繰り返して、自分の感情を意識的にコントロールできるようになれたら、嬉しいし、生きる楽しみが増えるんじゃないかなぁ。少なくとも、人の弱みにつけ込みたがる宗教にドップリ漬かるよりは、人として自然に生きていられると思う。そうして自分のことを赦したり好きになったりできたら、もっと笑える気がする。そこまで至らなくてもかまわないから、やはり永久保氏にお礼の手紙を書こう。いつまでとか考えず、自分が納得できる内容を綴れた時に。
 9月25日 「ありがとう」
 何日もかけて浮上した心は、容易に奈落に落ちてしまう。今日、墜落した。実弟宅の甥っ子(4歳)が夕方、独りで隣の町内会の区域まで歩いていったことが、きっかけ。実弟宅の電話番号を知らない近所の人が、夕食の終わりかけた実家に電話をくれて教えてくれた。その直前には、実弟の嫁さんが実母に「お風呂ヘルプコール」をしていたため、皆して「どうして出かけてるわけっ!?」と驚いた。ここまでは、まだ平気だった。問題は、この後。実父は驚くと、特に自分にもほんの微量でも負うべき責任があるトラブルに出くわすと、それを隠すべく自分以外の全員を罵倒する癖がある。本人は気づいていないようだが、40年弱の間、遠くからも近くでも見てきた私には、頻繁に見かける悪癖だ。今日も当然喚き散らし始め、いつもは絶対に入ろうとしない実弟宅の玄関にわざわざ入り、嫁さんを怒鳴りつけてから帰宅した。そうして、私が独りで自宅に戻ると、聞こえないと思ったのだろう、実母に対して「ウチの女共は子供を全然見とらんっ!」と切り出し、「嫁はそれでも3人も産みやがって!」とか「○○(私の名前呼び捨て)も俺に押し付けたまま平然としてやがるし、それが当然だと思ってけちゃがる!」とか「どいつもこいつも責任感が無いのか!」など、大声で喚き続けた。どんなにサッシを閉めていても、棟が違っていても、物心ついた頃から既に聞き耳を立てて家族の居場所を確認していた私には、障子1枚挟んだだけと同じ。全部、聞こえた。んでもって、泣いた。っていうか、まだ泣いてる。自分の育児を認めてもらえない稚拙なものだと再確認したことだけでなく、毎日「お願いします」と「ありがとう」を欠かさずにいたつもりだけれど、それが通じていなかったことが、哀しい。それ以上に、毎晩毎晩、肉親や他人の悪口を言いながら酒を呷る実父を見るのが、辛い。「幾つになっても親にとっては子供は子供のまま」と言った口で、「子供」の前で毎晩顔を歪ませて悪口雑言を吐くことを、実父自身はどう考えているんだろう? まるで死に物狂いで虚勢を張っているだけに見えることを、自覚していないんだろうなぁ。そういう男の遺伝子を持っていることと残してしまうことを考えるたび、私の中で「死にたい」と「殺したい」と「でもやりたくない」の喧嘩が続いていて、楽しみにしていた物事を忘れ、それでも実父に感謝の言葉を言える部分を探していることなんて、微塵も感じ取っていないんだろうなぁ。今日はみちよさんの誕生日で、メッセージメールを出したいけれど、こんな気分じゃ何もコメント書けないよ…。
 9月23〜24日 まさに「自業自得」
 ここ数日の私の悩みは、足の甲の腫れと腰痛。足は冷えピタで急速に回復したのに、無意識のうちに掻き毟って、また悪化させちまった。腰痛も、湿布を貼りっぱなしだと肌が負けてかぶれるので貼らずにいたら、つい息子の遊びに付き合って馬になったりした弾みで、痛む個所が広がった。ほんの少しの捻りとかでぶり返すので、身を屈めることができない。椅子に座ると多少は楽なので、ついトイレでうたた寝してしまう。そして、水を流す時に少し身を屈めるため、そのまましばらく動けなくなる。それなのに、息子に付き合っていたんだから、自業自得。この2日間、こんな調子で、今まで以上に何もできない状態が続いている…(当分治まらんだろうな)。
 9月22日 ダイエットと掃除
 20日頃からだと思うが、右足の甲に虫刺されみたいなものが直径3cm以上のしこりになって、多少熱を持ったまま痒くてたまらない。今朝までは普通の痒み止めを塗っていたけど効き目が無いので、以前、小さいムカデに刺された時に病院で貰った軟膏にかえてみた。すると、しばらくは痒みが弱まるので、昨夜眠りが浅かったことも手伝って、午後から寝入ってしまった。で、夕方に慌てて起きたら、息子が買い物に行けなかったことで恨みがましい顔になっていた。こちらは痛痒いのを我慢できずにバリバリ掻き毟って悪化させたことで、自己嫌悪に陥りかけていたので、一応謝ってからは「痒い」と「痛い」を繰り返しつつ何度も何度も軟膏を塗りたくった。その最中に、昨日から右手の人差指と中指の間と左足の薬指にも同じような腫れ物があったことに気づき、何故気づかなかったのかと、完全に自己嫌悪に陥った。それを旦那と実母に話したら、「いい加減に布団だけでも片づけられるようにしたらどう?」と異口同音の返答だった。なので、左足の薬指の腫れに気づかなかったのは太り過ぎで指も太ったし浮腫みやすくなったからだということは、言わずにおいた。ということで、今の私に課せられているのは、タイトルの二つというわけだ…(溜息)。
 9月21日 日本に生まれた幸運と不運
 遂に、織機を注文した。「デラックスあみりん」より僅かに小さなサイズの布を織れる、「絵織亜(エオリア)ポータブル」という品。メーカーはダルマ社で、既に製造を中止しているらしい「絵織亜」シリーズの織機の特長を残した、入門的な織機。他にも、もう少し大きな布を織れるものや、本格的な織機を小型化したものとかもあったけれど、価格と仕様と使い勝手を考慮した結果、最初に「あみりん」と比べた品に落ち着いた。でも、迷ったのは、決して時間の無駄ではなかった。織機の基本構造は世界共通のものだとか、本格的な織機でどれが一番扱いやすそうかとか、バンダイ社は「あみりん」以前にキャラクター物の織機を売っていたこととか、手芸店サイトの中には本格的だけど扱いやすい織機をオークションに出していることとか、いろいろ解ったから。ついでに手織りの入門書にはどんなものがあるか把握できたし、ストレス解消を兼ねて組み始めたヘンプのブレスレットを作る途中で玉結びを辛うじて結べたし、ミサンガ作りに使っている8色105円の刺繍糸の中でほとんど使わない色は小さい「あみりん」でヘアゴムにすればいいことを思い出したし。何より、こういうことを思案したりして暮らせる幸せに気づけたってことが、嬉しい。世界中を見渡せば、朝を迎えることすら命懸けの国もある。温暖化が進んだら住んでいる家が島ごと海に沈むと知っている人達もいる。生きるために働かなくてはならなくて、学校に通えない子供達もいる。国を纏め上げて守るべき人間が無知で我儘なせいで、生活が困窮している人達もいる。そうした国々や人々には、「それでも幸せだよ」と笑える強さがあることを、私は知っている。けれど、それでも比べてしまうのは、私がまだ人として未熟で弱いからだとも、自覚している。偶然見てしまった報道番組で、恐喝と虐めを受け続けていた学生の自殺や、我欲のために自分の子供を殺した母親の裁判などについて知るたびに、考えることは「日本に生まれた幸運」のこと。銃刀を所持していなくても道を歩ける幸せ、学校に行くのが当たり前の幸せ、近所へも車で行く贅沢、山にいても海の魚を刺し身で食べることができる贅沢、清潔な肌着を着れる幸せ、欲しいものをすぐに買える幸せ、好きな人の近くで暮らせる幸せ、などなど。これらはすべて、紙一重の危うさで、「日本に生まれた不運」にも変わる。働かなくてはならなくて学校に通えない子供達は、同級生からの恐喝や虐めに苦しむ学生のことを、どう思うのだろう? 我欲を理由に我が子を殺す母親がいることを、すぐに信じられるだろうか? 欲しいものが日常生活に関わるものではないのにポンと買う私を、どんな目で見るだろう? 今の私が考えるべきではないと知ってはいるけれど、息子と一緒にいる時間が長くなればなるほど、日本の将来とまではいかなくても、心配や不安がよぎる。旦那や実父母には「後付けの言い訳だろう」と言われるだろうけれど、私がミサンガやストラップを手作りしたり、今度は手織りも始めたりするのは、息子に私なりに働くことができるのだと見てほしいという気持ちが、僅かでもあるからだ。今週、息子は、私が糸を結んで過ごしているのは、実母の店のお客さんに「また来てね」という気持ちを伝えるためだと、初めて知った。そうしたら、「ママはあそんでるだけじゃなかったんだね」と言って、頭を撫でてくれた。これはきっと、「日本に生まれた幸運」の欠片だろう。同じものが息子の心にも落ちて、末長く大切な気持ちの棚に入っていてくれることを、心から願う。
 9月19〜20日 そんな先のことは判らないさ(ちょっとキザな口調で)
 私のやっている「なんちゃって手芸」は、多分、禅に似ている。ストラップこそ色の組み合わせにこだわって作っているが、ヘアゴムは輪ゴムと余った刺繍糸で作っているだけだし、ミサンガやアクセサリーは既製品に似せたりデザイン集に従って作るのみで、独創性に欠ける。それでも厭きずに次から次へと結んだり組んだりできるのは、作業している間は他のことを考えないで済むからだ。本当に意欲があるのなら、とっくに巻き結び以外の結び方を覚えただろうし、作ってみたいものをどんどん試作しているだろう。それをしないのは、病気の影響で昂揚感が無いことと、生来の「広く浅く適当に長く」という性分のためだと思う。但し、一度欲しいとかやりたいとか思い立った物事に対しては、途中でまったく取り組まない時間が生じたとしても、いつか必ずある程度モノになるまでやり続ける。昨年はそれが「物語を綴ること」と「なんちゃって手芸で実母の店のお客さんにサービスを」だったということだ。今年は、既に8ヶ月以上経過したが、「タロットの整理とレビューの執筆」と「針を使わないでいかに糸を使った物を作れるかの探求」といった趣らしい。春先と夏にタロットの新作が海外の出版社から売り出されたのだが、それらが私の好みのツボを刺激してくれたので、既に持っているデッキとダブらないようにチェックするのを兼ねて、レビューを書き進める気になった(注:海外のタロットは、稀に他国の別の出版社からセット売りを発売することもあるので、ちゃんと絵柄や名称を確認したほうがいい)。それとは別に、玩具の織機(ヘアゴムを作っている「あみりん」のデラックス版)が今月末に発売されると知った7月から、それを使って布を織るのを密かに楽しみにしていた。幅15〜18cm、長さ18〜26cm程度の小さな物しか織れないが、コースターには充分なサイズなので、お客さんの受けがイマイチの組紐ブレスレットに使うつもりだったレース糸を使って、ちょっとしたコースターや小物の下敷き布を作ろうと企んでいた。ところが、ちょっとネットで調べたら、その玩具よりも安価の卓上織機が幾つも存在していることを知り、ショックを受けた。しかも、「卓上織機」には「玩具」と「本格派」が存在し、昔話などに登場する大きな織機の単なる小型版ではなく、縦糸の処理が簡単にできるように工夫されていたり、「玩具」と言われていても「本格派」並の性能の織機もあったりと、調べれば調べるほど、ドキドキが増し続けている。勿論、「本格派」で「初心者にも簡単」だけど「プロ並の品も織れる」ものに、一番ときめいている。が、それらは諭吉っちゃんが2枚は飛んでいくし、元々の狙いは「デラックスあみりん」だったのだから、その定価よりも安くて同程度の性能の「初心者向けの小物用織機」に絞り込んだ。それを使って機織りに目覚めたら、「初心者にも簡単」な「本格派」に乗り換えるつもり。それにしても、いったい「なんちゃって手芸」でどこへ行こうと言うんだ、自分? ま、いいけどさ、子供の頃からやってみたいと思い続けてたことの一つだから。ま、自分の「明日」がどこへ向かっているのかなんて、(ここでタイトルどんっ!)。
 9月18日 普通は朝一番にやるものらしい
 久し振りにキリ番踏破の報告をいただいた。しかも、メールフォームを使っていただけた。けれど、気づいたのは、日付が今日に変わった直後だった。理由は簡単、私がメールチェックをするのが23時以降だから。旦那曰く、「メールは急用を伝えるのに便利なのに、どうしてこまめにチェックしないんだ!?」だそうで。叱られながら擽られたので言わなかったが、届いたメールの内、海外からのもので長い単語か$がついているものは即刻捨てるし、出会い系のも問答無用で捨てるし、反して時事ネタ以外のメルマガは保留して古いものから順に読むつもりで開かないし、メールの書き方が下手で遅いからメル友も少ないしで、私の生活におけるメールの重要度は少なすぎるのが現状。そんなわけで、せっかくご連絡いただいたのに、今日のうちに記念作品を献上できなくて、申し訳ないです、イシヅカさん。明日、手元にお茶をちゃんと用意して、クスッと笑っていただけるような作品を献上しますね。そういうネタが、結構溜まってるんだ、この数ヶ月で…(いろいろ仕出かしてるから)。
 9月17日 ぃやっほ〜いっ♪
 15日だったかなぁ、閉店間際の手芸店に駆け込んで、生成りと空色のヘンプを買ったのは。で、覚えたばかりの平結びの練習を兼ねて、以前から「好きだなぁ」と思っていたブレスレットを作ってみた。凄いね、麻って! 選ぶ時には「こんなに柔らかいものなの〜?」って思ったけど、いざ結び始めたらコシがあるし、刺繍糸なら簡単に目詰まりするところでも、しっかり隙間を保ってくれる。それでいて、出来上がるとくにゃりと柔らかいし、肌にチクチクすることもなくて、気持ちいい。生成りと空色っていうのが私の好みだから、なおさら完成した時にゃ嬉しいのなんの。実母に見せびらかしちゃったよ、つい。実母は真っ赤が好きだから、「この色でいいからお母さんにも作って」って言わないことを承知の上で。こういう時、自分で自分のことを嫌な奴だって思うよ、一応ね。それは置いといて。これを機に、他の結びも何となく解ってきたから、今までよりも凝ったミサンガを刺繍糸で作れそう。それがまた嬉しいんだよね〜♪ 思いきり派手な色使いとか、自分が使わないつもりなら、どんどん挑戦できるんだよね〜♪ …やっぱり、腹黒いかなぁ(苦笑)。
 9月16日 見栄っ張りな酔っ払いは鬱陶しい
 祖母(実母の母親)の米寿の誕生日ということで、お祝いの会食に参加。数年ぶりに母方の親戚と顔を合わせたが、従姉妹はそれぞれ旦那と娘を自慢したがったり、本当の幹事は自分達だと婉曲に触れ回ったりするし、従兄弟は顔も着るものもまるで別人のように見えるし、その嫁さん達は乳幼児の母親同士で盛り上がってばかりだし、実父母と叔母夫婦や叔父夫婦は酔いで誤魔化しているふりをしながら婉曲な嫌みと腹の探り合いばかりしていた。祖母はすっかり耳が遠くなったし、会食を開いてもらったり贈り物をもらったりしただけで嬉しそうだったから、まぁ、居心地が悪かったのは私と、長丁場の会食に厭きたお子様方5〜6人だけだったようだ。見栄っ張りな酔っ払いの中に、10歳年下の叔母(実母の妹)と結婚したロリコン親父がいた。祖母の喜寿の祝いの席で、従姉妹に「パパリン」と呼ばれて若いつもりになっていたジジイで、娘二人が成長するにつれて叔母に対して冷淡になっただけでなく、祖母の喜寿の祝いの席で離婚したばかりの娘に新しい男を連れて来させて堂々と紹介するという、一般常識の一部が欠落している男だ。ロリコン趣味は隠しているようだが、誰の目にも明らかで、叔母を放置するようになってからは、自分の娘二人にベタ甘になっただけでは飽き足らず、酔っ払うと席を立ち、私を含めた姪全員の胸を揉んで回るのを楽しみにしていた。それを誰かに諌められると、今度は露骨に卑猥な言葉を連ねて猥談に持ち込もうとする一面もある。但し、小学生以下と高校卒業後、特に結婚している女には興味が無いようだったので、今日は油断しすぎた。宴もたけなわになった途端、卑猥な単語を吐き始め、1歳3ヶ月の女の子から構いたがったり、姪である私と甥達の嫁さんに「次の子供はいつ産むんや」と尋ね回り、息子を含めた男児には見つけた粗につけ込んで虐待と受け取れるか否かのギリギリの酷いことをしつこく言い続けていた。特に、息子が厭きて無意識のうちに癖である指しゃぶりをしているのを見て、「俺がその指を噛み千切ってやるで出せ」と何度も何度も言い迫り、最後には泣かせやがった。私に対しても、「はよ次を産め」とほざきやがったので、「胎児に異常が生じるかもしれない薬を10種類ほど服用してるから無理」と言ってから、「本当は昼食後も薬を飲まないといけないけど、こんなに遅くなるなんて聞いてなかったから、ヤバい」と吐き捨ててやった。けれど、息子を怯えさせた段階で、泥が多少ついていた靴の裏で顔面を殴りつけてやれば良かった。帰宅してから頓服を含めた安定剤を急いで飲んだけど、悔しくて15分ぐらい泣いた。蛇足だが、そういう色ボケロリコンジジイを含めた酔っ払いが上座を占領し、ぎゃあぎゃあ騒いでいたが、どれも祖母の祝いとは関係の無い、むしろ祝いの席で話すべきじゃないだろうがとツッコミたくなるような、不動産やら年金やら貯金額やらの探り合いばかりだった。祖母の耳が遠くなった理由が、解った気がする。自分の娘や息子とその配偶者達が遺産やら保険金やら相続やらの話を目の前でし続けていたら、私だって「耳が遠くなったらいいのに」と絶対に思うもん。息子は宴会の途中でお祝いを言いに祖母の所へいったけれど、私は行かず終い。まぁ、そのうち祖母が実母の店に来るだろうから、その時に遅れたことを詫びつつ伝えればいいや。そのほうが、よっぽどマシだと思うし。ああ、本当に大嫌いだ、見栄っ張りな酔っ払いは。
 9月15日 ボーダーラインの下から上へ
 今月に入ってから、断続的に「いきなり泣きたくなる」状態に陥っている。そして、今日、遂に、泣いた。安定剤を余分に服用(の)むまで、涙がと摩羅無かった。だから、今日という一日は、とにかく「泣いた」に尽きる。日没後、反動でムカついてきたので、夕食後の安定剤を服用した後、閉店間際の手芸店に行き、初めてヘンプ(麻紐)を買った。というのも、ここ数日で「なんちゃって手芸」の幅が少し増したから。ディスクとプレートでレース糸を組むことで始まったブレスレット(ミサンガ)作りは、三つ編み(保育園であやとりの練習に使ってもらった毛糸のもの)→五つ編みの芯入りタイプ(「なんちゃってストラップ」として今も好評)→表巻き結び(刺繍糸製のミサンガとして好評)と移行してきたのが、今月に入って「平結び」を身につけたおかげで、ボリュームのあるミサンガを作れるようになったのだよ。裏巻き結びを会得していないくせに、ね(表巻き結びを裏返せばOKだから)。この「平結び」というのが、結構応用幅が広くて、3本以上(基本は4本)の紐を束ねるように結んでいける。模様を出す場合は、6本や8本に増やして、左右からミラーになるように紐の巡らし方を変える。さらに、交差させる紐をも平結びすると、とっても綺麗な模様ができる。コレを以前気に入ったんだけど、「平結びってよく分からないから作れないや…」と諦めた。でもっ。平結びの練習を刺繍糸でやって、大雑把にどんなものか把握できたのさっ。作るよ〜、一度諦めたミサンガを、自分用に♪ このドキドキで、涙の反動は巧く乗り越えることができた。それに、キリ番記念作品を書かなくなってから、執筆量が激減して月に1本ペースで進めている長編もだんだん拙くなってきてるけれど、テンションだけは高く保つように心がけてる。だから心身の調子が良い時を狙って書くようにしてる。代わりに、我が家の積読アルプスの最高峰となった未開封のタロットを広げて、レビューをちょっとずつ書きたいと考えてる。「タロット13番地」から更新を進めているのは、レビューを書いた順番に更新することで、きちんとデッキの仕分けをしているから。ようやく25デッキにケリがついた。今日は、26番目を更新する予定。広いネットのところどころで「不気味なカードばかり集めた悪趣味なレビュー」って噂されてるみたいだけど、「悪趣味上等っ!」って思ってる。世界は広くてさ、ウエイト版の「愚者」の画像を何百枚と並べてるレビューサイトもある。だったら、いろんなデッキの「13番(死・死神)」を集めたサイトがあっても好いと思うんだよね。「縁起でもねぇじゃねぇか!」って言う人もいるだろうけど、どんなタロットを買っても必ず入ってるカードなんだから、縁起の善悪もないでしょ。それどころか、パッケージやレビューサイトの綺麗なカードの絵を見て買ったのに、「13番」にショックを覚えて楽しみにしていた気持ちが萎えたら、寂しいと思うんだよなぁ。ZANのある曲で、「『絶対』なんてあり得ないけど、当てはまること」って言葉で「死」のことが歌われてる。タロットに限らず、誰もが生きている間に何度も考えなければならないことだから、私なりに真剣に考える場として、「タロット13番地」がある。マンダラ塗り絵とかミサンガ作りとかしていると、こうして文章を綴るよりも多くのことを考える。嬉しいことも、辛いことも、憎しみや哀しみも、区別無く。多分、私なりの「禅」なんだろうなぁ。彩りを考えること、結び目の形が整っているか否かを意識することは、婉曲に自分の気持ちと心の中を振り返ることに繋がってる。日記や小説はそれを拾い集めて言葉にするものであり、塗り絵やミサンガは仕上げて自ら満足したり誰かに貰ってもらうことで昇華するものじゃないかなぁ。楽しみながら自省できるのって、嬉しい。カウンセリングよりも少ない勇気でできるし、自分の嫌な面だけでなく好きになれそうな面を見つけるきっかけになるから。それだけでも、きっと私には適した「禅問答」なんだろうなぁ…(照れっ)。
 9月14日 目的は手紙を出すことではない…?
 昨日書き始めたファンレターの続きを書いてみた。没、決定。何、この長さはっ。便箋7枚使って、まだ書きたいことが4分の1残ってるなんて、ファンレターじゃなくて嫌がらせじゃんっ、てことで。結局のところ、書きたい気持ちが先走り、何を伝えたいのかが纏まっていないわけだ。4分の3も書き進めてようやく悟るなんざ、物書きの風上どころか箸にも棒にもかからねぇよ、まったく。しかも、用意してあるレターセットは、10代の女の子向けに作られているものというだけでなく、初夏から暑中の挨拶用のデザインで、既に季節感がまるで合っていないし。ちなみに、一番最初に没にした分の便箋は、青空をモチーフにしたデザインだったので、季節も差出人や相手の年齢・性別に関係なく使える無難なものだったが、封筒を3通残して便箋は全滅した。今回の没の便箋も、デザインは4つで、それぞれ便箋が8枚と封筒が4通ずつ入っている。電子メールが当たり前の今のご時世で、手書きの手紙を出す機会は滅多に無い。それでもレターセットを物色し、「可愛いなぁ」とか「綺麗だなぁ」とか思って買っているから、唐突にファンレターを書きたくなっても平気なわけだ。それに、余った封筒とシールは、来年の正月に、お年玉用のポチ袋として使うつもりだし。いいよ、レターセットの封筒って、ポチ袋の代わりに。大きいから、実父母に渡す分もパンパンにならないし、小さい子供達は中身よりも袋が大きいことを喜んでくれるし。けれど、問題は、没にした便箋。そのまま捨てるとゴミ袋が破れたりした時に誰かに見られたら恥ずかしいと思うし、破いたりクシャクシャにしたりするのは自分の思いを壊してるみたいで何か抵抗を感じるし。最終的には、文章のほうを内側にして纏めて折り畳み、セロハンテープで開かないようにしてから、同梱の厚紙で挟んでさらに折り畳み、あたかもティッシュの箱を丁寧に畳んだかのように思わせられると確信してから捨てることになると思う。と、自分で自分の「勿体ねぇことしたなぁ」という気持ちに言い訳したところで、三度目の正直を狙ってみよっかな〜♪ それと、書き損じ続けているファンレター以外にも、誰かに手紙を出したいなぁ。というか、レターセットを買いたいっていうのが本音かな。「Q-LiA(クーリア)」っていうメーカーの品が、デザインが豊富で、しかも可愛いものからユニークなものまで揃っているし、シールもついてて手紙好きの心をくすぐるのが巧いんだよねぇ。今使っているのは、商品番号10384の朝顔やサヤエンドウなどをモチーフにした、明るい彩りのセット。他に、1年以上前に買った商品番号10344の夜空と黒猫をモチーフにしたセットを持ってるけれど、こちらは非常に気に入っているので、まだ眺めて堪能している。いいよねぇ、レターセットって。出すあてが無くても、欲しくなったら買うに限る。眺めて楽しんでいるうちに、手紙を出したい相手のほうが思い浮かんでくるから。しかも、書いてるうちに、自分の気持ちが整頓されていって、今回みたいに何度も没にしたって、最後には本当に伝えたい事柄が見えてきて、書いてる自分が一番癒されていく気がする。電子メールだと、画面は素っ気無いし、あっと言う間に送信・着信できちゃうから、「覆水盆に返らず」を繰り返しやらかしちゃって自己嫌悪に陥りやすいし、そうと分かっているのに慌てて返事を書いてまた失敗を重ねちゃうし、苦手。現在も、本当はファンレターを書くより先に、リアル茗梨にレスしなくちゃいけないんだけど、こちらもやはり校正中。こういう自分の気性を省みると、毎回、ピントもタイミングもずれてるなぁと、自ら呆れてしまう。やれやれ…。
 9月13日 リベンジと躾けは余裕を持って気長に
 今日は、多少気持ちが軽いので、以前書き損じたファンレターを改めて書いてみた。前置きが長く、言い訳がましく、感謝や謝罪を述べつつ自己主張もしていて、書きかけの現在の段階で既に没にしたくなってきている。けれど、再び「書きたいなぁ…」という気持ちに陥ってしまうのも嫌なので、「恥も外聞もあるかぁっ!」と良心のほうを潰す気合いで書き上げることにした。しかし、この「開き直り」という種類の気合いには反動がつきもので、大抵は発送した後にやってくる。事前に分かっているので、対処策を講じてみた。それは、「なんちゃって手芸」のミサンガ作り。但し、今までのとは異なり、ヘンプ(麻の糸というか紐というか…)を材料としているデザインのものを、刺繍糸2本取りで作る。ヘンプよりも刺繍糸のほうが安いから。それに、仕上がりが柔らかいし、色も多くて派手で、客受けもいいから。こうして新たな挑戦をし、やり遂げたことを印象づけつつ本命のファンレターを書き進めると、反動が少なくて済む(既に実験済み)。但し、レターセットとミサンガデザイン集と刺繍糸の束とボールペンなどの文房具とハサミなどの手芸道具で、作業に使っている場所の周囲が散らかることと、それをなかなか片づけようとしないことと、そのせいで必要な物を見つけることができなくなるのが、ネック。こんな私を反面教師にして、息子は自分の好きな玩具と道具を自分で片づけないと納得しないように育ち始めている。私のぐ〜たらも無駄ではないと考えたいのだが、多分、誰からも冷淡なツッコミを入れられるだろう。一応、頑張って片づけにも気力を使えるようになりたいものだ…(遠い目:懲りていない)。
 9月12日 以前から兆候はあった
 今日は、先週帯状疱疹で入院した義母の退院の日。義父は出張、義妹夫婦も仕事と育児で忙しいとかで、退院の手伝いをする人がいないと、見舞いに行った時に聞いていた。その場で「じゃあ、私が車を出しますね」と言えば良かったのだろうが、「勝手が分からない家のことだし、いざとなったら義妹が時間を割くかも」と考え、言わなかった。そうしたら、旦那が「俺が車を出すから、会社は休むことにしたし」と言って、「だから手伝いもいらない」とも言って、すっかり私は「いざという時にも頼りにならない嫁」という状態に。いいけど、本当のことだし、そう思われていたほうが気楽だから。ただ、旦那に対して、心穏やかではないことが芽生えた。「9月最後の土曜日に、息子の幼児園の運動会があるから」と言ったら、旦那は「その日は通常営業日だから俺は観に行けないよ」と即答。旦那ぁっ! あんたにとっては「義母>仕事>息子」ってことなんだなぁっ!! てめぇの息子の成長よりも、仕事や母親のことのほうが優先するなんざぁ、とんだマザコン・キャリア野郎って証拠だぞっ!!! あ〜あ、そんな男と結婚したなんて、正直なところ、ガッカリだよ…。
 9月11日 それなりに取り乱しているんだなぁ
 今日は、あの歴史に残る事件があった日。息子が生まれて、あるタロットによるパーソナルカードが「悪魔」の子だと知って、「私はこの子を育てていくにつれ、人としていろんな試練を潜るってことだろうなぁ」と思っていたところで、あの事件の光景を報道番組で繰り返し見て、気持ちが暗く沈んだ記憶がある。ちなみに、あちこちで書いてるけれど、私のパーソナルカードは「13番」だから、とんでもない親子だと思う。ともかく、今朝のテレビでまたあの事件のことをキャスターが切り出した時、反射的に電源を切った。だから大丈夫だろうと思っていたけれど、現在(21時ちょいと前)、自分の心がまだ本調子ではないことを実感している。「タロット13番地」の原稿を1枚、仕上げたから。ストレスを減らすべくこっそり買った画像ソフトを、まだインストールしていないから、カードをスキャンできないっていうのに。あああ、やっぱり(ここでタイトルどんっ!)。
 9月6〜10日 遂にドクターストップが…
 サイトの更新をするたびに、「今日から毎日更新するぞ!」と意気込むのだが、どうやらまだそこまでの気力は蓄積されていないらしい。家が隣同士なんだから、実家や実弟宅で何かがあるたびに、騒ぎが聞こえる。なまじっか、中学生の頃から今と同じ広さの敷地と家屋に住んでいたから、どこにいても来客の申し訳なさそうな「ごめんください…」という声を聞き取れるようになっただけに、ある程度の話し声が今の部屋にいるだけで聞こえてしまう。実弟夫婦が喧嘩しても、実父が酒を飲んだ勢いで喚く他人への悪口も、実母とお客の噂話も、息子と姪っ子達が棒で何かを叩く音も、ほとんど全部。これらを「聞こえないふりをすることで、意識的に無視するように」と何度か医師と実母に言われてきたが、まだできないでいる。息子か他の誰かが泣いたり喚いたりしても、実父が手酌で酒を呷ってはグチグチギャーギャー吠えるのも、それらに対する諦めの愚痴を独りで繰り返す実母のネチネチした呟きも、聞こえるたびに私の頭の中で「私が何もしないでいるのが元凶なんだ」ということへと婉曲に繋がり、「ママがなにもしてくれんからや!」とか、「俺の血筋からキチガイが出たことで、俺の面に泥を塗られた」とか、「いい加減、もう完治してくれないと私がどんどん辛くなるのに」とか、最後に出てきそうで怖くなり、結果、死にたくなる。まぁ、こういう具体的なことは話さなかったけれど、そろそろ通院も5年になるから、担当医には顔色だけでバレてるだろう。「何が嫌だったのかは覚えてないけれど、どれだけ眠っても自己嫌悪感だけは残っていて、やらなくてはいけないこともやれていません」とだけ言ったが、「次の診察日まで、十二分に休むことを優先してください」と言われた。早い話が、「最もやらなきゃいけないこと」は「休むこと」であり、「家事」や「育児」ではないということ。ある程度休めば、「最低限のことはしなくちゃ」と思考が動き出すから、至極適切な指導だと解ってる。事実、6・7日は何とかメルマガの記事を書くことができたけれど、8日以降は食器を洗うことどころか胡座をかくことも嫌になって、かなり辛かった。息子と「トムとジェリー」のDVDを観ていても、笑えないし。楽しみにしていた本も、2ダースばかり積読山に加わっているし。自分でもヤバイと解るぐらい、不健康な状態が続いているわけだ。こういう心境の時に他人の心配をすると、想像が悪いほうへと進んでしまうのも、困る。それでも、ピロさんからの連絡やサイトへの訪問が途絶えているのが、かなり心配。相当にお忙しいようだったし、体調がすぐれないのかも…。ああ、いかん、いかん。噂をすれば云々とも言うし、そもそもネガティブな心配の仕方は失礼だ。担当医の指導に従って、もうしばらくぼへ〜…っと過ごしておこう、うん。
 9月2〜5日 まいっていること:その4
 まぁ、いろいろ考えさせられることとか割り切れないこととかあるけれど、何が一番まいったかって、そりゃあ、もう、画像処理ソフトを探して地殻変動を起こした自分の部屋で、リンゴ機から窓機へとデータを移すためのコンパクトフラッシュが、置いたはずのところから消えていて、それを探すためにまた地殻変動が起きて、自分でもどこに何があったか分からなくなったことだよなぁ。しかも、部屋から本が雪崩れて以来、部屋と居間の間の襖が閉められなくなっちゃったし、「なんちゃって手芸」の材料と道具も居間に置きっぱなしになって、そっちも地殻変動が続いてるし。あぁ、いや、自業自得だと解ってるけど、解ってても、スッキリ解決させるための気力が長続きしないっていうのが、これまたまいっちゃうことなんだよなぁ…(言い訳する気力を作業のほうに注げというツッコミが近いうちに旦那から入ると思う)。
 9月2〜5日 まいっていること:その3
 ここ1〜2週間、実弟宅が大変。5歳の姪っ子が反抗期で、大人の言うことをまったく聞かない。「ダメ」と言われたことを喜んでやり、叱られると「ばーか!」「でてけ!」「おまえなんかバチあたってしね!」などの暴言を吐き、最終的にはヒステリックに罵詈雑言を喚きながら、棒状の物を手にして殴りかかるらしい。「らしい」というのは、私だけそうされなくて、現場を見ることが無いから。喚いていることは聞こえてくるから、「拳骨で殴ればいいのに」と思う。幼児に対して振るうべきではないレベルだが、私なら確実にやる。自分の子供じゃないから無視なんて、できるはずがない。隣家に住んでいるし、息子の従姉妹だし、何よりも私の「イライラ神経」に障るから。実際、何年も前から、息子に対して「ここまで説明してもまた同じ嫌がらせをするんなら、平手打ちで済まさん、グーで顔面殴るから、覚悟決めて悪さするんやな」と、ビンタしながら怒ることが年に1度はあるし。おかげで、今でも息子は私の説教が始まると、懸命に「謝るべき自分の所業」を振り返り、「ごめんなさい、もうしません」を泣きながら言う。そういう光景を間近で見たり、嫁さんに「何されるか分からん怖い人だ」と言われ続けているのか、姪っ子は私が叱りに行くと、黙りこくって逃げ出す隙を必死に窺う。「ちゃんと説教できるし、ちょうどええやん」と実母が溜息まじりに言う。まぁ、そうなんだろうけれど、育児に躓くどころか、コケたままごろんごろんと転がり続けている身だけに、自分の息子以外の子供を叱っても善いのだろうかと、常に悩む。もっとも、嫁さんはもっと悩んでいるらしいが、干支が一回り違う世代の女の価値観は理解しづらいし、私が精神科に通院し始めた頃、「子供の面倒を見んで済むなら、私だってお義姉さんみたく精神科だろうが何だろうが、通いたいぐらいやわ! そうせえへんのは、お義父さんやお義母さんの面に泥を塗る真似をするなって実家の親に言われたからや!」と、実弟に喚いていたし、正直なところ、「ヘラヘラ笑ってる陰でさんざん罵倒してるアンタのために、どうして私が気遣いしてやらなあかんの? 相談する機会なんて、幾らでもあったやん。なのに、挨拶すらろくにせえへんかったのは、アンタのほうやん。相手が誰であれ、自分の手に負えんようになってから頼るんやったら、相応に自分の非を詫びてからにせぇや」と思ってる。私にも「お姉ちゃん」として育てられた過去があるから、弟二人にお母さんを盗られたっていう気分の姪っ子の反抗の仕方の裏に、寂しさとか甘えとかが隠れていることは想像できる。それに、同じようなことを息子もやっていた頃があったから、叱るだけじゃなくて甘えさせることも有効だとか、保育士さん達との連携を確認して対処すべきだとか、助言もちょっとはできる。でも、嫁さん自身が私の顔を見るのも嫌だと実弟や実母に泣き喚いたぐらいだし、アドバイスなんか言えるはずがない。それどころか、「ええねぇ、お義姉さんのトコは聞き分けが良くて、お手伝いとか挨拶とかちゃんとできて」と、稀に顔を合わせた際に溜息をつきながら言われたって、嬉しくなったり誇らしくなったりするわけがないってもんでしょ。「口ではそう言ってても、腹の中は真っ黒なんでしょ?」ってね、言わないけど。多分、結婚する前から、嫁さんには「跡継ぎの嫁になるし、さらに次の跡継ぎを産むんだから、お義父さんもお義母さんも私のことを優先して、嫁に出たお義姉さんよりもチヤホヤしてくれるに違いない」っていう気持ちがあったんだろうと思う。根拠は、隣家に日照を奪われるまで、「ウチのほうが跡継ぎなのに、お義姉さんのほうが南向きのいい家に住んでるなんて、変じゃないの!」と電話で実母に喚いていたこと。隣家なのに電話って、そっちのほうが変なのに。それに、実母も受話器をちゃんと耳に当ててるから聞こえないと思ってたみたいだけど、声がデカすぎて全部聞こえたってば。実家の2階にいながら別棟の店の気配を聞き取ってた聴力を、ナメてんじゃないですよってね。あーあ、悪口書いちゃったよ。しかも、サイトにUPするし。ま、いっか。中学からグレ始めて、天然パーマの髪を金色に脱色して高校を中退し、峠を走る車に乗ってる男達を追っかけ回してたキティラー上がりの嫁さんに対して、遠慮していた今までのほうが私らしくないぐらいだし。今のまま状況を変える努力を何もしないで時間を見送れば、姪っ子は小学校を卒業する前に教育委員会のブラックリストに名前が載り、中学・高校は地元以外でないと入学できないぐらい、友達にも庇ってくれる大人にも恵まれない、哀れな人生を送ることになるだろうな。嫁さんは嫁さんで、ようやく精神科に通うことを決めたのか、実母に「通院する」と言ったらしいけど、どこまで本気なんだか判らないな、前例が幾つもあるから。ま、せいぜい私から子供もろとも遠ざかっててくれればいいや。そのほうが、私が直接実弟に会える機会が増えるから。まだ実弟には話してない「嫁さん迷言集」が山積みだもんなぁ。
 9月2〜5日 まいっていること:その2
 実母の店(美容室)は、今、暇。7月下旬から8月上旬までは、帰省する息子夫婦を待つお客さん達が来るので、少し忙しいのだが、それを過ぎると一旦客足が途絶える。元来暇な店だけに、暇さ加減を喜んだりするから、いかに儲かっていないかが解るぐらいだ。これは、他人事ではない。平日にさんざん世話になっているからというだけでなく、店に置いてもらっている粗品(なんちゃって手芸品)の生産ペースを調整しなくてはならないから。息子の夏休みが始まると同時に忙しくなって、8月上旬まで、1日にストラップ5〜6本とミサンガ1〜2本のペースで生産していた。必要な材料を100円均一の店に買いに行った回数も、少なくない。ところが、8月下旬から暇な状態が続くから、今度は生産を中止せねばならない。粗品というのは、商品ではない。当たり前だが、商品は在庫を切らさないほうがいい。が、粗品は多すぎてはいけない。無料だから幾つも持ち帰るという人は、案外少なくて、たいていは1〜2点を選ばれる。選ぶ時、「どれも1点物で、同じように作れないらしいんやて」と実母が説明すると、「ほな、貴重やね」と良いながら、たいていのお客さんは心の中で「どれにしよう?」と迷われる。この「迷われる」のは善くない。好みの彩りが複数あるから迷うのであって、選ばなかった品が次に来店した時にあるとは限らないと少しでも思われると、「幾つも貰ってええ?」と尋ねてくださるならいいが、「たくさんあって目移りするで、また来た時に貰うわ」となる場合があるからだ。今までこっそり窺っていた限りでは、「ストラップ約10本、ミサンガ10〜15本」ぐらいだと、気楽に持ち帰ってもらえるようだ。持ち帰っていただかないと、私が作れば作るほど、粗品としての役目が果たせないかもしれない。故に、現在、「刺繍糸を1ダース以上使う、幅の広いミサンガ」を2〜3日かけて作ったり、マンダラ塗り絵を塗りまくっていたりする。気紛れに選んだ糸を束ねて結んだり、好きな色をガンガン使って文様を仕上げる作業は、結構癖になる。ところが、夢中になりすぎて、失敗した。ミサンガの巻く糸と芯にする糸を間違えたまま、3〜4段結んでしまった。現在、ピンセットで間違い始めまで解いている。糸を傷めないようにするのが、かなり難しい。まいった…。
 9月2〜5日 まいっていること:その1
 旦那のお古ではあるが、新しい窓機を貰い、画面表示の早さにスペックの高さを感じて、密かにほくほく。けれど、ソフトが足りない。ShockWaveとか、いろいろ。未だにサイトを巡って表示を確認したり、登録情報を入力し直したりが、続いている。中でも最もまいっているのが、画像処理ソフト。先月、「旦那のことだからコピーをくれたはず」と書いたが、思いきって尋ねてみたら、「いーや、商品の箱ごと渡した」と即答された。…前の窓機を貰ったのは、何年前だ…? その頃の地層は、今、どの辺にある? 自分の部屋を振り返り、ここ数年間で蓄積されたものをひっくり返す作業を想像し、それだけで疲れている始末。よって、まだ「タロット13番地」は更新できない。あああ、せっかく「専業主婦の秋休み」になったのにぃ…(自業自得)。
 9月1日 応募しそびれたのは「銀魂」
 昨夜、帰宅した旦那に「スキャナを使いたいから、グラフィックソフトちょーだい」と言ったら、「壊れたマシンをやった時に、CDごと渡しただろうが」と、冷たくバッサリ。記憶に無いから請求したわけだから、「どんなCDだったっけな〜?」と考えたところで、思い出せる可能性はサッパリ。自力で探すしかないなと思いつつ部屋を振り返ってみれば、本もCDもDVDも服も布団も笛も他の雑貨諸々も、自覚している状態以上にドッサリ。これらを片づけながら探すのかと想像するだけで、グッタリ。他にも旦那から貰ったCDやDVDもあり、それら全部がオリジナルからのコピーで、ラベルもケースもなくて、集めて順に中身を確認しなくてはならないことと、それをやった時のことを思い出して、既にウンザリ。その代わり、日頃は触らない山を漁るから、なくしたと思っていたDVDが見つかったりして、嬉しくビックリ。これで初回特典を集めて応募するDVDケースを貰えるとはしゃいでいるのも束の間、「応募締め切り2007年8月31日(消印有効)」の1行を見つけ、ガックリ…(そして涙)。

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