ものぐさ日記
夜遅くまで眠れない上に朝の室内が寒いために寝坊しまくっています
旦那は始発で通勤するし息子は早寝早起きのペースで暮らしているのにダメダメママです
それでも生きていて時々は笑って息子と遊べるようになったと少しでも前向きに考えることにしています
| 12月29〜31日 春も夏も秋も冬もポンチョを着たい |
| 1日置きに「片づけと掃除を頑張る日」と「編み物を頑張る日」を繰り返すことにして、過ごした。但し、「片づけと掃除を頑張る日」だろうと、それに専念するのではなく、「本棚の埃を吹こう」と思い立って実行し、済ませたら、次にやることを編み物をしながら考えるという、断続的な頑張り。「編み物を頑張る日」も同じで、モチーフ繋ぎのポンチョと四角いポンチョの2つを交互に編みながら、思いついた時に少し掃除や片づけをしている。多分、正月三が日も同じペースで過ごすだろう。だって、片づけや掃除をすると、大切にしているものとの距離が縮まったり、息子が保育園時代に描いたものとか日記帳とかを発掘したりと、密かなワクワクがあるから。編み物も、「こんな気が遠くなるような作業ができるわけがない」と思っていたのに、指編みでなら毛糸2玉分を半日で、かぎ編みなら毛糸1玉分を1日で編み進み、予想よりも楽しく速く編めるようになったから。新年の挨拶に自分と旦那の実家を訪ねる予定があり、その時には指編みで作った帽子とマフラーを着ていくつもり。どちらも私は買わないピンク色。百均屋のアクリル毛糸を指を使ってこま編みだけで編んだ物で、完成したら息子か実母にプレゼントするつもりだったけれど、息子にピンクは可愛すぎるし、実母の好みはピンクよりも真紅だし、出来栄えを自分で気に入ってしまったから、めでたい新年にちなんだことにして着る。他の百均屋の毛糸の残りは、水色と紫色。水色のほうは、モチーフ繋ぎのポンチョの中央寄りに使い終わって、残り1.5玉。紫色のほうは、モチーフ繋ぎのポンチョの外寄りに使っていて、残りモチーフ20枚とフリンジを作るつもりだと、恐らく買い足さなくてはならないと思う。作り始めた頃は、「水色はともかく、紫色は好みじゃないんだけどなぁ」と、じつはあまり乗り気ではなかった。だからピンクも使ってみようかとか考えたし。ところが、3段目の紫色だけのモチーフを繋ぎ始めたら、桔梗の花にちなんだ色合わせと似た雰囲気だと気づき、一転して好きになってしまった。残り20枚もモチーフを作らなくてはならない過程を想像してみても、嫌気が差さない。それどころか、「1日1枚だけ編んだとしても、20日で終わるわけやんか」と、鬱症状が露見してから最も前向きな気持ちになる。子供の頃から「女らしいこと」が嫌いで絶対にやるまいと思っていたのに、この歳で手芸もどきや編み物に救われるとは、皮肉なことだけどとても嬉しい。これを機にモチーフ繋ぎに挑んでみたくなり、夏用のポンチョをレース糸で作ることもこっそり企んでいる。ところが、四角いポンチョをかぎ編みで作っているうちに、その作業が方眼編みの応用であることに気づいたので、襟元と裾にのみモチーフを使って、身ごろは方眼編みで作ってもいいかと思うようになった。そのための練習として、20番レース糸でポケットティッシュカバーを作り、実母の店の粗品にしてもらおうとかも考えている。こんなことを書いていると、みちよさんには特に「…別人じゃないよね…?」と思われそうだが、じつは旦那と実父母はとっくの昔に「何がどうなってこうなったんだ…?」と戸惑っていたらしい。ところが、「ミサンガは基本的に1種類の結び方を覚えれば作れた。ストラップも見た目よりは簡単な作りだし。ヘンプのアクセサリーに移行していろんな結び方を覚えたけど、基本的には平結びと巻き結びの2種類だから、やってみたら解りやすい。指編みとかぎ編みは、鎖編みとこま編みと長編みの3種類を覚えればほとんどの品を作れるようになるから、楽かなぁ。そう思うと、棒編みって難しいよねぇ」と言ったら、3人ともガックリしながら安心もしたらしい。そして、異口同音に「普通は、棒編みから入って、凝ったものを作りたくなったらかぎ編みやレース編みをやってみて、根気が続かなかったり本業が忙しくて途中でやめたりするものだ」と言っていた。どうやら、一般的な女の子とは真逆のルートで手芸もどきを続けているらしい、私は。で、旦那や実父母から見ると、一般的な女の子とは全く違う角度から楽しんでいるという点において、私らしいからまるっきり別人と化したわけではないと安堵するとも思われる。まぁ、反論できないね、確かにそうだから。蛇足だけど、「今、かぎ編みでポンチョを数着作ってるのが、楽しいかなぁ」と言ったら、実父に「普通は棒編でマフラーを作った後、セーターとか手袋とか帽子とかを作るもんだがなぁ」と言われた。だから、偶然見つけた長さ無制限で糸の引き攣れができにくそうな手織り機を見つけたのでそれで夏物のポンチョを織ってみたいと考え始めていることは、まだ誰にも言っていない。いきなり完成品を着て人前に出て驚かせるのもアリかなぁ(ニヤリ)。 |
| 12月26〜28日 やはり雨が降り始めた |
| 部屋の片づけが面白くなった。重い段ボール箱が大量に増えたけれど、それに比例して見える床の面積も増えた。綿ゴミの量に驚きもしたけれど、「少しずつだけど、休み時間を意識的に割いて編み物を楽しむことを優先すれば、私にも片づけができるんだなぁ」という実感に、もっともっと驚いた。漫画に続いてタロットも未開封のものを箱に詰め込み、縁側に積み上げたら、ちょっと怖くなった、床が抜けそうだ、と。それぐらい自分のことすらできない時間が長かった、ということにも。27日には注文した毛糸の出荷の連絡があったし、28日には届いた。思ったよりも丈夫そうで、色も可愛くもしっくりとした落ち着きもあって、特売品になっていてくれたことに、心から感謝した。販売サイトは、どうやら製糸会社の直営らしく、毛糸やレース糸だけでなく、手織り用の糸も種類や色が豊富にあるから、またお世話になるだろう。相当未来のことだと思うけど。そんなこんなで、割と平常心で過ごしているつもりなんだけど、やたら「けど」を使っちゃうとおり、不本意なこともある。その最たることは、息子の冬休み。ポケモンごっこをしたい息子と、編み物か片づけをしたい私と、かみ合う部分が少なすぎて、双方にストレスが生じている。結果、息子は「こっちがママで、こっちがぼくで、バトル〜!」と言いながら、自分の人形で私に見立てた人形を力一杯殴り倒すし、私はそれを見て自分の力不足を感じつつ、どうしたら拭えるのか分からずに息子にキツく当たってしまう。片づけや編み物に専念することで最悪の状況は回避しているはずだけど、自信は無い。ひたすら自分のペースを守ることだけ考えるしかない。とりあえずそれでいいと、医師からの助言もあったから。まぁ、これはこれでよしとしちゃうとして、ちょーっと気に障ったのは旦那の反応。部屋の様子の急速な変化よりも、百均屋で買った毛糸でサイズも適切な帽子をきちんと編めたことに、「おぉっ!」付きで驚いたんだよなぁ。そりゃぁね、シトラス風の彩りの帽子はサイズを間違えて、結局小物入れにしちゃってるよ。だからって、同じ太さの別の色の毛糸で何度も練習を繰り返してもマトモな帽子を編めるはずがないと言わんばかりに驚くのって、ど〜よ? 確かにそれぐらい不器用だけど、マグレの1つぐらい起きるだろうって思ってくれたっていいでしょーが。…って、あれ? もしかして、私、自分で自分のことを貶してる? …まぁ、いいや。自分の意志で大掃除っぽいことをやってたり、自分で工夫して指で編めるようになってきたりするのは、我ながら珍しい現象だと思うから。それに、好みの風合いの毛糸も届いて嬉しかったし、ね。明日からもきっと喜怒哀楽が入り交じった暮らしが続くんだろうなぁ、息子が冬休みで在宅である限り。そんなことをしみじみと考えていたら、(以下タイトル)。しょうがないなぁ、雨女だから。 |
| 12月23〜25日 ポンチョと帽子と片づけと挨拶と |
| 精神科で「鬱症状」と診断されたのが、確かもう4〜5年前だったはず。以来、いや、それ以前の旦那が私の借りた実家の2軒目の持ち家の離れに引っ越してきてからというもの、この時期に片づけや掃除をしなくなった。自分の病気のことを知ってからは、さらにできなくなっただけ。自分で自分のことをできないというのは、本当に辛い。できないことを嘆くより、できないことで家族や友人に負担をかけることが辛い。カッコつけで言うのではない。どっちも辛いし、自分でどうにもできないし、気持ちは焦るばかりで思考だけがぐるぐる巡って、「どうしよう、どうしよう」しか考えられなくなって、結局何もしていなくて、それを自覚してまた辛くなって…、の繰り返し。だから、今年、自発的に「せめて自分が寝起きしている部屋だけでも片づけて、できれば布団を干したり隅々まで掃除したいなぁ」と思って僅かなりとも日々続けているのは、私にとっては大きな回復的変化。多分、未熟なりに物作りができることを知って、それを自分以外の人にも認めてもらえることを知って、「ああ、私も人として生きていけるんだ…」と感じられる機会が増えたからだと思う。とりあえず、今は飾り紐と刺繍糸とレース糸よりも毛糸が、私の昏迷した気持ちに出口を作ってくれる。そうして、「えぇい、思いきって引っ越すつもりで箱詰めしてやらぁっ!」と開き直って、区別せずに本を片づける気力を見つけ直すことができる。それを承知してくれているから、旦那も息子も実父母も私を急かしたり諌めたりはしない。それをありがたいと思えるように、今年はなってきた。それに、私も変わった、と思う。枕元の本棚に漫画を詰めないと、決めた。学生時代から私を知っている人達なら、「どうしたのっ!? 何があったのっ!? 大丈夫っ!?」ぐらいは驚くと思う、まず間違いなく。で、代わりに日常的に使う実用書、主に辞書と楽譜と手芸の本を詰め込む予定。…。そう、まだ「予定」。シトラス風の帽子を編み終えた後、新しいポンチョの編み図の載った入門書を買って、そっちも作りたくなってモチーフつなぎのほうのペースが落ちたし、比例して片づけ意欲も少なくなったし、睡眠時間も減った。そこで、別の物も指編みで作ることにした。たんまり残っているピンクのアクリル毛糸で、こま編みのショートポンチョと揃いの帽子を作る。そう決めた日、隣県に種類も色もたくさん揃えている糸の専門店があることを思い出し、その直営販売サイトで好みの毛糸を何種類も発見してしまった。とりあえず2種類2色ずつに絞り込み、「この毛糸で四角いポンチョを作りたいなぁ、揃いの帽子も作りたいなぁ」と想像して、「楽しみな未来」を思い描くという対処法を楽しむようになった。結局、それら4種類の毛糸も買うことにしちゃって、懐が寒くなったけれど、後悔はしていない。それどころか、今年、やっと挨拶できた、精神科の主治医に「よいお歳をお迎えください」って。それがすっごく嬉しい。片づけとか掃除とかもできない・やらないよりできたりやれたりするほうが善いに決まっているけれど、それ以上に挨拶がちゃんとできることは大切だと思うから。「衣食住」も大切だけど、自力で何とかできるにこしたことはないけれど、「人付き合い」の可否で居心地の良さが左右されるのが、人間社会の特徴。生憎、我が家も実家も、ご近所との付き合いは年々悪化している。誰が原因かとかどうするべきかは、大した問題じゃない。そういう環境でも胸を張って暮らすことを頑張れるかが、大問題。先週だったか、精神科に通院歴のある男性が横恋慕した女性を散弾銃で射殺し、自らも同じ銃で自殺した事件があった。警察が推測される動機を発表するまでに数日かかっていたのだが、その数日間でマスコミは「精神科に通院している人に銃の所持を許可する警察のあり方に問題がある」という点にこだわり、犯人を快く思っていなかった近所の住民達のコメントを優先的に報道していた。それを見て、他の精神科に通院・入院中の人達がどう感じ、何を考えるかを、果たして考慮していたんだろうか。少なくとも、私は「やっぱり世間一般の概念としては、実父と同じく、『精神科に通院しているヤツは皆キチガイだ』っていうままなんだな」と思ったし、腹が立ったし、情けなくなったし、「二度とニュース番組なんぞ観るもんかっ!」と喚きたくなった。その激情を宥めてくれたのも、なんちゃって手芸と僅かな片づけの進展だった。人間の存在や気遣いじゃない。 |
| 12月22日 日没後は土砂降りでさぁ(沖田口調で) |
| 片づけを始めた。昨年までは、年賀状を優先して、片づけとは名ばかりの本の整頓をしただけだった。今年は、逆。しかも、気分転換の読書や編み物に没入しないよう、息子が半ベソになろうとShuffleで音楽を聴き続けながら。テンションは割と高めに保っているが、心の中はダークもダーク、「暗い」じゃなくて「昏迷(くら)い」が適切。昨年までは絶対に箱詰めにしたくなかったコミックスと漫画文庫を真っ先に箱詰めにしたぐらい、昏迷(こんめい)状態。おかげで、積読山がタロットと実用書と売却希望のコミックスに偏ってきた。未読のコミックスもあるけれど、来年は「漫画を読みたい時は1冊ずつ箱から出して読み、新刊を買ったら袋から出すより先に箱詰めに」をモットーにするつもりだから、思いきって纏めて箱入りにした。残る山岳地帯は、前述の実用書関係の本と、保存したい雑誌と、アニメのDVD(特に「BLEACH」)と、衣類と、息子が保育園や幼児園で作ってきた作品と、玩具や運送会社の箱かなぁ。先は長いなぁ。でも、少しずつでも何かやれば、その「何か」は一纏めになって、部屋の空間が広がることは確か。一日とか半日とかで全部やれないのは当たり前だから、1〜3時間を目処に片づけを繰り返して、その前後には編み物なりミサンガ作りなり執筆なりと、自分では生産的だと思っていることに没入して鬱々とした気分を僅かでも盛り上げることを忘れるまい。ああ、今日は消滅したいぐらい落胆して実家で泣きながら昼食を摂ったぐらい危ない状態だったけど、それでも少しは年末らしいことができたのは、多分、昨日下欄を書きながら自分の内側にいる「私」を具体的に書き出し、音楽のおかげで自殺願望を消滅願望(死ぬのではなく一定の範囲から離脱して消息を断ちたいという想念)に切り替えることができたからだと思う。モチーフつなぎのポンチョは、面倒なほうのデザインのモチーフを2〜3枚編んで繋いだ。シトラスカラーの帽子は、本体を編み上げた。どちらも取り組む前は、モチーフを繋ぐのは面倒臭そうに見えたし、帽子なんて見本のとおりにしか作れないと思い込んでいた。でも、モチーフ繋ぎが面白くなってきたし、帽子は自分のサイズに合わせたり、見本には無かった装飾編みを加えてみようかと考えるようになってきた。同じように、きっと片づけや掃除を私なりに楽しんだり要領良くやれるようになる日が来る、と信じてみたくなった。 |
| 12月21日 何事も急いてはことを仕損じる |
| 年末と語るに相応しい日付になったので、今日から物作りより片づけと掃除を優先するつもりだった、昨日までは。24日までの連休とその直後にやってくる息子の冬休み、そして年末年始の両家実家参りがあることを思い出した途端、気力がマイナスに…。「考えてもしょうがない」とか「なるようになる」とか「休日が無限に続くわけじゃない」とか、解ってはいる。自分で自分に言い聞かせることもできる。でも、理屈じゃないから、急転直下は。とにかく朝のうちに最悪の状態から浮上できただけマシ(「ヘタの横笛」参照)。布団を干したり、漫画を箱詰めにして縁側に積み上げたり、衣類を夏物と冬物にきちんと分けたり、掃除機で徹底的に埃を除くのは、図々しく言えば、正月三が日にだってできる。今やるべきことは、思考回路にいる「布団を干す私」や「掃除をする私」、「衣類を畳みながら分ける私」、「漫画を片づける私」、「レンジを磨く私」、「息子の作った品を大切に収納する私」などを、整理券を渡すとか談合させるとかして、1人に絞り込むこと。これができないから、いつも途中で幾つもの「私」が出てきて、収拾がつかなくなり、幼児園から戴いた連絡網などの重要書類を見失ったり間違えて捨てたりするハメに…。体験をやっと活かして、今日は「談合」してみた。結果、「キリがつかずに死にたくなるから、片づけや掃除は放棄して、見た目だけでも生産的な編み物をすることで気力を養おう」となった。が、「編み物部署」にも数人の「私」がいて、「モチーフつなぎのポンチョを作りたい私」と「シトラスっぽい帽子を指編みで作り直したい私」と「夏にも着れるレース編みのポンチョの草案を練りたい私」と「棒編で最も簡単なポンチョの作り方に挑みたい私」と「ミサンガを作りたい私」と「とにかく片っ端から手芸の本を買いまくりたい私」とが、我も我もと競って挙手する。こちらも「談合」した結果、すぐに取り掛かれる「シトラス風の指編み帽子」と「モチーフつなぎのポンチョ」に絞り込んだ。後は、ひたすら編んで過ごした。シトラス風の彩りを見て元気を貰い、モチーフを1枚仕上げるごとに自分を褒めたりして、夕方頃、ようやく浮上してきた。もしかしたら、本当に「もしかしたら」だけど、片づけや掃除の合間にちょっぴり物作りを挟んだら、今までより少しはペースや要領がマシになる…?(無理かな?) |
| 12月20日 恐らく「神のみぞ知る」ってヤツ |
| いよいよ「モチーフつなぎのポンチョ」制作開始。まずは、紫の地に水色の花びら(?)模様の部分から。これは入門書の見本では、全3段の2段目。1段目と3段目は水色(入門書では生成り)だけで作った同じ形のモチーフが並ぶ。3段で合計60枚が必要。で、今日は2段目の紫色(入門書ではモスグリーン)の模様になる部分を4枚編んだ。感想としては、1つのモチーフ(レース編みのドイリー含む)で色を変える練習にもなるし、1枚目よりも2枚目、3枚目とだんだん速く編めるようになってきたし、楽しい。やっぱり極太毛糸でザックザック編むのって、気持ち好い。繋ぎながら編んでるから、繋ぎ部分だけは緊張するけど。それに、作り直しが利かないのも、少しプレッシャー。色を組み合わせたモチーフを繋ぐにつれて、水色と紫色が仲良しすぎて、どうにも色の分かれ目がはっきりしない。多分、花びらみたいな模様になる部分を水色ではなくピンクにしたら、すっごく映えるんだろうなぁ。そんなことを思うけれど、4枚分の毛糸を破棄するのが惜しくて、作り直す気になれない。そこで、とりあえず2段目はこのまま進めて、1段目の水色だけで作るモチーフの段まで完成させたら、全体がどんな色調になるかおおよそ見えてくるだろうから、それから完成草案を決定しようと思う。3段なら60枚、4段なら96枚が必要ということを念頭に置いて、1段目と2段目の合計32枚を作り終えるまでのペースとその後のやる気の量によって、3段目を入門書に従って水色だけのモチーフを繋いで終了するか、3段目を紫色とピンクの組み合わせにしてそこで終了するか、3段目を紫色とピンクの組み合わせにした上で4段目に水色か紫色の単色モチーフを繋いで96枚の大型に仕上げるか、というのが主な選択肢。昨日2本どりで試し編みをした時、単色なら30分ぐらいで1枚編めたし、私の体格が入門書に載っている綺麗なお姉さんみたいにスマートじゃないことを考えると、見本どおりの3段だと大きいはずのポンチョが小さく見える可能性が高く、それを旦那や息子に嗤われるかもしれないと思うと、手間と完成品の重さを増やしてでも4段に挑みたくなるというのが本音。果たして、どんなポンチョになるのか、そして、いつ完成するのか、自分でもまったく判らない。 |
| 12月19日 無いなら作ろう、極太毛糸♪ |
| 結局、5mに達したドデカブランケットはピンク、水色、紫色の3個の大きな毛糸玉になった。どれもダイソーの色あわせシリーズなので、組み合わせても違和感が無いし、それぞれに細かい段染っぽい彩りがあるので、出来上がりだけでなく制作中も飽きなくて嬉しい。ただ、並太だから、大物をザックザックと編めない、単品のままでは。だからこそ、ドデカブランケットを解した。大物を作るのなら、2本どりに限るのだよ(ニヤリ)。いろいろ迷った挙げ句、今年は棒編に挑むのをやめた。道具とか入門書とか揃えた手前、恥ずかしいけれど、私という人間は一気に学習できる性分ではないから、かぎ編みまでに留めるほうが良さそうだから。指編みはかぎ編みの基本を道具を使わずにやるものなので、かぎ編みの記号なら詳しい解説を読まなくても解読できる。そこで、買い集めた本の中から、モチーフつなぎの四角いポンチョを選び、手持ちのアクリル毛糸でかぎ編みをして作ることにしたわけ。使う色は、ピンクの明るさが捨てがたくてかなり迷ったけれど、水色をベースにして紫色を装飾部分に使うことにした。但し、見た目次第で紫色とピンクの2本どりにするかもしれない。この決定を出す前に、試しに1本どりでモチーフを編んでみた。入門書では極太毛糸を使って11.5cm四方になっているけれど、並太で何度も編んだり解いたりしたアクリル毛糸では7cm四方になる。これを繋げて希望どおりのサイズにするには、100枚以上のモチーフを編む必要がある。しかも、編み物をしたことがある人ならすぐに納得してもらえるだろうが、糸が細くなればなるほど、同じモチーフを編むための時間が長くなる。編み目は小さいし、針を差し入れ損なうと糸を貫いてしまうこともあるし、力を入れすぎるとブチ切れちゃう。多分、編み目の大きさ以外は、私が不器用だからであって、フツーの人はやらない失敗だろうけど。そんなこんなで、8mmサイズのかぎ針を手に、ミカン色と若草色の毛糸で2本どりにして帽子の制作を始めた。ひたすらこま編みを繰り返すことで、かぎ針の太さと力加減に慣れるための練習。ちなみに、この2色もダイソーの色あわせシリーズで、凄く相性が良い組み合わせ。私の服に黄色はまず合わせ辛いけど、若草の黄緑を混ぜると派手さが抑えられて合わせやすくなるし、見た目も面白い極太毛糸になる。ピンクも紫と合わせると寒色の服に合うようになる。私が編み物を好きになれたのは、このシリーズの毛糸のおかげだと思う。夏にも売っててくれて、ありがとう。 |
| 12月18日 だから「常春で満開」と言われる |
| メルマガの記事を書くために、「ためいき」を読み返して驚いた。長い間「3年前の出来事」と思っていた入門書の衝動買いが、じつは「5年前の出来事」だったと判明したから。我ながら、「思い込みとか勘違いとかで済まないだろ、これはっ!?」と、恥ずかしくなった。同時に、まだレビューを書いていないタロットの山、段ボール箱3〜4つ分ぐらいが、同じ5年間で蓄積されたものということでもあるわけで、かーなーり衝撃的…。落ち着いて考えてみれば、昨年と一昨年は物語を綴ることが生活の中心だった。その間は、あんまりタロットを買っていない。雑誌の付録がほとんどだった。その前の年までは、海外のレビューサイトを徘徊し、そこで掲載されたばかりのデッキが半年から1年経つとAmazon.co.jpで購入できるようになると知るくらい、洋書のデッキを買っていた。そうなる前に入門書を衝動買いしていたのだから、今から数えて3年前であるはずがないのは明らかなのに…。なのに…。なのに…、…どーして気づかなかったんだよ、自分ンンンンッ!!!!! あんまりにも恥ずかしいから、旦那には話していない。独りで自分のボケ具合が単なる天然ではないのではなかろうかと少し思い悩んでいる。 |
| 12月14〜17日 アクリル毛糸ならたっぷりある |
| いきなりだが、ポンチョが好きだぁっ! 自分だけのポンチョが欲しいんやぁっ! ショールやケープも好きだけど、憧れの長いポンチョが欲しいんやぁっ! ということで、自分で作ることにした。指編みをしていた間に、丸首丸裾の白黒ポンチョを作った。それはそれで愛用している。お揃いの帽子も作ったから、はっきり言ってお気に入りとなり、家の中でもセットで身につけていたりする。編み物は、この段階で完結するはずだった。しか〜し! 「長いポンチョが憧れなのぉっ!」という願望が暴走している。具体的には、「母をたずねて三千里」のマルコが着ていたような、長くて大きめの模様がデザインされているもの。模様が気に入らないものなら、無地で長くて四角いもののほうが好い。具体的には、「我が名はウルフ」の主人公が着込んでたもの。ここで見逃してもらいたくないのは、防寒着として着用したいわけじゃないという点。あくまでも普段着にできるポンチョが好いの。そんなわけで、冬期だから毛糸のポンチョを欲しているだけで、春から秋にかけて着ることができるポンチョも欲しい。でも、体型が人並みじゃないし、売られているものは高価だし、タロットみたいにひょいと購入することができない。いや、タロットなら値段を確認せずにレジに持っていくバカだけどね、私は。そもそも、既製品や輸入品の中からサイズもデザインもこだわって選ぶことが面倒だし、どうせなら自分しか持っていないものにしたいという気持ちが指編みのポンチョで芽生えちゃったからねぇ。てなわけで、この数日間、ケープやショールの編み方の本を3〜4冊購入した。棒編みとかぎ編みの両方が掲載されているもので、形や模様が好みのものが掲載されているものを、やはり値段を確認しないでポンてな感じで。太字では書けないけど、手芸の本の買い過ぎで、今月はギリギリ黒字を保てるかどうかっていう状況になってたりする。バカだよね〜。ま、それはさておき。入門書も兼ねた本だから、極端に難しいデザインではないし、利用する毛糸も極太以上のぶっといものばかり。当然、長いポンチョほど大量の毛糸が必要なわけで、見本どおりの品を指定どおりの毛糸で編んだ場合、1着当たり7〜8千円かそれ以上のお金を費やすことになる。キッパリと言わせてもらう。安く仕上がらなくちゃ手作りの意味が無いのっ! そんなわけで、結局5メートル以上に伸びたドデカブランケットを解いて、使うことにした。毛糸の太さが違うから、見本どおりの作り方は無理。でも、指編みでポンチョを完成させることができた時に、寸法の計算をゲージや指示に頼らずに我流で調整しちゃえばいいんやと実感したので、あんまり落ち込んではいない。それどころか、毛糸のポンチョを何とか作れたら、夏にも着られる麻や綿糸のポンチョも作れるだろうと、企んでいたりする。まだガーター編みとかモチーフ編みすら始めていないのに。こういうところも、我ながらアホやなぁと思う。まぁ、アホだろうがバカだろうが、相応の根性だけは持ってるから、今回の本の大量購入を無駄にするつもりは無いし、何度コケても傍の毛埃なり教訓なりを引っ掴んでから起きるつもりだし、自分で「やれる」と信じて自分なりに頑張ればいいや。それにしても、また助けられた、地元の書店に。ネットで3千円以上で売買されている絶版書籍が、棚に並んでるんだもん、ごく普通に。定価の735円で買ったよ、当然。昔は名古屋に本社があるチェーン店だったけれど、本社が倒産した後、店長さんが個人経営として再出発させた書店なんだけど、少なくとも手芸関係の書籍は、15年ぐらい前までなら1〜2冊だけ置いてあるのを期待できるみたい。出版社に問い合わせても「絶版ですし再販する予定もありません」って返答された書籍が、まだ2種類ではあるけれど、フツーに置いてあったんだもん、嬉しい拍子抜けを体感させてもらった。この話をしたら、旦那が「その店、ブラックホールだな…」って言った。でも、田舎の書店には割と見かけられる現象らしい。旦那は旦那で、「ネットでも名古屋の大手書店でも絶版で在庫無しって言われた本が、(私が毎週通っている書店に)2種類もちょんと置いてあった」らしい。いやぁ、田舎暮らししてて良かった〜、ホントに♪ |
| 12月13日 昔の私もストレートな努力はしていなかったから偉そうに言えないか |
| 幼児園に通う息子がいて、隣家に保育園に通う姪っ子がいるから、毎朝実家の庭や車庫の周辺で実弟一家に会うのは至極当然。でも、「いいなぁ、お義姉さんは、可愛い帽子を編めて。Dくん(実弟の次男で現在2歳の第3子)のも作ってくれんかなぁ」と連日言われるのは、当然の出来事ではないと思う。しかも、直接嫁さんから言われるのではなく、実母や実弟を通して「そう言っとったよ」と聞かされる。「自分で直接言いに来いやぁっ!」とは思うけど、ウチは実家と賃貸契約で住んでいる店子であり、実弟一家は実家の跡継ぎだから、あんまりモメたくない。たとえ、嫁さんがひたすら私を嫌っていようが、それを些細な弾みで喚き散らしてバラしてくれようが、さらに自分でバラしたと思ってなくて作り笑いでリップサービスをしまくってくれようが、気に障った素振りを見せるのは面倒なことになるから嫌というのが私の本音。なので、実弟から「作ってやって」と言われた今朝、腹を括った。そして、頭のサイズと希望の色を一応聞いて、対象が乳幼児故に毛混の毛糸を買ってきて、希望の色ではないけど柔らかな感触のタッセル付の帽子を作ったさ、3時間ぐらいでっ。だってね、やっぱり嫌なのよ。しかも、自分用の帽子を編み始めてからは、続けて息子用のも作ったんだけど、どれもアフガン編みっていって、指先で糸を手繰り続けるのではなく、右手の指に毛糸を巻き続けて織るように糸を縦横に渡していく編み方をしていたの。おかげで、鑢のようにザラザラだった両手の人差指の皮膚が、やっと普通の状態に戻った。それに、アフガン編みで絞めすぎた右手の人差指の感覚を戻したくて、今日で指編みから遠のくつもりだったから、実弟の一言を聞いて反射的に「頭のサイズは?」って言っちゃったよ。え? 矛盾してるって? してないよ。自分の子供の頭のサイズを把握している父親がいるなら、私ゃ尊敬するねっ! 「頭のサイズは?」はルビで、本体の台詞は「てめぇら、作ってもらうつもりなら、相応の準備ってぇのを済ませてるんだろうなぁっ!?」だから。実弟どころか、嫁さんも正確なサイズを知らないし、調べようともしないし、毛糸の種類や色すらも考えてなくて、全部笑って誤魔化された感じだった。「それなら私だって、勝手に希望色とは別の色で作っちゃっても、編み目が不揃いだったりタッセルを別色にして可愛く仕上げるとかの工夫をまったくやらなくても、べ〜つにいいんじゃないの〜?」ってことになるわけよ。両手の人差指の肌荒れがあった時には、ミサンガを作れなかった、刺繍糸が分離したり絡まったりしてたから。でも、もう作れる。勿論、鬱血状態が続いて痺れを若干感じる右手の人差指の感覚が戻るまで、真っ直ぐに結んでいけないだろうけど、ね。毛糸はまだまだ山盛り残っているけれど、同じぐらいかそれ以上にレース糸も多数あるし、刺繍糸もたっぷりある。かぎ針もレース糸用が4本、ヘンプやリネン用が1本、並太以上の毛糸用が1本ある。棒針も4号4本と8号4本を買った。ヘアゴムにできそうな輪ゴムも多数キープしてるし、ストラップ用の飾り紐とビーズも充分ある。そして、何より、物語のネタが「なんちゃって手芸」グッズ以上に溜まってる。年末の大掃除や年賀状の準備をしたくないから、現実逃避の材料がどんどん出てくるんだよなぁ、この時期って。「死にたい」なんて思ってる余裕が無くなったぐらいだよ。だからこそ、「実弟宅前を通るたびに『いいなぁ』なんて言われたくねぇよっ!!」って思うわけ。蛇足だけど、実弟宅の姪っ子と甥っ子(長男)は嫁さんに似ていて、「いいなぁ、ほしいなぁ」と言えば何でも貰えると思って、最近は頻繁に実家でお強請りしているらしい。しかも、嫁さんもだけど、「いいなぁ」で世渡りするタイプって、自分で何とかしてみようって考えたり挑戦したりはしないんだね。 |
| 12月12日 蛙の子はオタマジャクシ→蛙 |
| 実母と二人で話をしていて、何かの弾みで「勝負運と学生時代の成績の関係」へと話題が移った。中学以来の知人・友人は知っていることだけれど、中学2年・3年の間の私は、病的に「勝ち運」を発揮していた。何度か実父と博打をして、戦利品を得たこともある。私の勝ち条件は、「実力試験(校外模擬試験含む)で5教科合計500点を取ること」のみ。初めての博打で学ランを買ってもらった。2回目は、タロットかコミックスの纏め買いだったような…。3回目は、高校の特別コース選抜試験で、ちょうど今頃の季節に行われていたので、「成績が良くてAランク奨学生扱い(入学金・授業料・寄付金など一切無料+奨学金5万円)が確定したら東京の大学を受験してもいいが、Bランク(入学金・授業料・寄付金など一切無料もしくは半額割引)以下なら地元か名古屋の大学しか入学してはいけない」というものだった。他にもこまごまとやっていたような気がするけれど、忘れた。覚えているのは、全勝したことぐらい。でも、大学入試で本命の大学から補欠合格を貰った段階で、全部の「勝ち運」、いや、「勝ち運を自分の意志で使える運」を使い果たした。その証拠に、高校卒業後の私は、自分が欲しいと思えば思うほどその対象を入手できない生活を続けている。まぁ、贅沢したり、努力しないで儲けたりという内容だから、叶わなくて当然だし、叶ったら多分困るだろう。と、ここまで話して思い出したのは、学ランを買って貰った時に実母から聞いたチョイ自慢だった。「お母さんはね、馬券を買うつもりが無い時に予想すると大穴も万馬券も当たるんやけど、当てようと思って馬券を買うと全部ハズレるんやわ」というもの。まさに親子揃って同じ勝負運! しかも、手先で何かを作るのは好きだけど、1つだけに絞れずにアレコレ手を出した挙げ句、結局は飽きちゃう性分もそっくり! さらに、掃除や洗濯は大雑把に済ませたいと思うのに、やたら細かいところを気にして自分でやっては後で嫌みを言う旦那と結婚しちゃったところまで、似すぎっ!! 「「道理で愚痴の内容が似るわけやわ…」」で、締め括り。蛇足だけれど、オタマジャクシは成長して蛙になったことで、病的な成績を取れない普通の蛙になれた。めでたし、めでたし。 |
| 12月8〜11日 2000年1月2日は初めて離婚を考えた日 |
| 週末は何とか息子の相手をする気力を保っていられたが、土曜の夜から体調と一緒に下降し、ダウン。日曜の昼頃から、旦那と息子に嗤われ続けて、夜にはキレた。嗤われたきっかけはつまらない冗談だし、冗談のネタとして私が仕込んだ玩具のせいでもあるし、嗤われるのが嫌ならとっととネタを片づければ良かっただけではある。でも、「腹が出すぎ〜!」だの「おデブだ〜!」だのと断続的に嗤われ続けたことで、ふと自分が太った理由を考えてしまった。太ったこと、腹筋が急激に弱くなったことなどは、出産後のダイエットに取り組まなかったから。今更になってダイエットを意識しても、他のお母さん達と比べれば、焼け石に水。せいぜいリバウンドしないペースで、極力内臓にこびりついた脂肪から減らすことから取り組まなくては。そうした意欲が保育園卒園前に出なかったのは、鬱症状と闘うだけで精一杯だったから。その鬱症状が露見したきっかけは、息子を殺したくなるほどの育児への不安や自信喪失が長引いたこと。感情がネガティブにのみ働いていた原因は、橋本病(甲状腺機能障害疾病の一種で、妊娠・出産後に一時的に患う女性は結構多い)の発症と無責任な担当医による不要な薬剤服用を続けたこと。甲状腺が一時的にでも壊れたのは、妊娠・出産を経て体内のホルモンバランスが崩れたから。「つまりは、私、結婚して、子供を産まなかったら、今も独りで気侭に離れを実父母に借りてキャリア重視の技術職でガンガン働いて、忙しさも手伝って、やつれはしても太らなかったかもしれないんだ…」と思い至ってしまった。途端、私を指差して爆笑している旦那と息子に、憎悪に近い怒りを抱いてしまった。そして、キレて、息子に「悪かったな、デブなママで! そんなに嗤われるためにあんたを産んだんやない! こんな嫌な思いをするなら、2001年1月3日に、見殺しにすれば良かったって思うわ!!」と怒鳴った。同時に、旦那はバカ嗤いをやめ、テレビに向かって寝転がって徹底無視の態勢に。息子も半ベソで「ごめんなさい」を連呼。それらを見て、悔しかった。今も、思い出すだけで、悔しい。結婚なんか、するんじゃなかった。子供なんか、流産しちゃえば良かった。そう思う自分が、凄く情けない。情けない思いをすることが、凄く悔しい。10日が診察日だったので、精神科医師にちゃんと話して、「そういう気持ちは、情けなくないです。誰だって考えうることを考えただけですし、それを聞いてご家族の対応も少しでも変わるんですから」と諭された。だからって、気持ちがすぐに浮上するわけでもないし、実際こうして思い出してまた悔し泣きしているわけだし、私にとって「幸せ」って何だろう?という思考が頭の中をぐるんぐるんと廻りだす。いろんな「嬉しい」や「楽しい」を思い出すと、その何割かに息子が喜んでいる顔が浮かんで、今度は「どうして流産すれば良かったなんて思うんだろう」と情けなくなる。そして、2001年1月3日の自分の判断の正しさと、「あの時に、きっと私は『母親』になったんだろうな」という認識を無理にでもして、せめて息子にはいつまでも泣いていることを悟られないよう、精一杯頑張っているつもり。息子にも、ちゃんと話した、2001年1月3日のことを。その日、妊娠初期だった私は、僅かだけど不正出血に気づいた。旦那は「安静にしていれば平気だろ?」と言いつつ、ファンヒーターの給油を代わってくれなかった。1時間経過しても出血は続き、部屋もなかなか暖まらず、「このままだと流産するかもしれない」という気持ちがよぎった。怖かった。何の縁だか因果だか知らないけれど、生まれるはずの子供がお腹の中で死ぬかもしれないことが、凄く怖かった。その怖さを分かち合わずに無視する旦那の言動も、物凄く怖かった。「私がちゃんとしなくちゃ!」と思い、休みの最中の病院に電話し、直後に駆け込んだ。1週間、入院。出血が始まる直前に開封したばかりの煙草19本を、退院して帰宅した直後に握り潰して、捨てた。切迫流産の原因になると知ったから。以来、ずっと禁煙している。これが私の、密かな支え。煙草を吸いたくなっても吸わないことで、自分がまだ母親でありたいと思っていることを、自覚する。誰にも認められなくても、これだけは譲れない。これがある間は、あの日に病院へ駆け込んだ自分を褒めたいという気持ちがある間は、自分を「母親」だと思いたい。それだけ。それだけ。 |
| 12月7日 春夏秋冬楽しむべし |
| 久し振りに実母の店にある粗品が里子に出た。具体的にどれが減ったのか聞いてないけれど、そろそろミサンガもストラップも補充時だろう。ついでにヘアゴムを1点作るか、未使用の刺繍糸が1束あるから。輪ゴムもたっぷりあるし。面白いことに、ヘアゴムって派手な色よりも淡い色のほうが早く里子に出る。お客さんの多くは妙齢の方なので、本人は髪を束ねることはしない。でも、娘さんとかお孫さんの女の子へのお土産にするのを、何人かは楽しみにしているとのこと。若い人達だし、田舎町だから、髪色は黒っぽい茶色(なので、明るい色のヘアゴムのほうが映えるらしい。ミサンガに使うとぼんやりした彩りになる刺繍糸も、ヘアゴムにしちゃえば人気の一品になるわけ。毛糸も同じで、単色の生地だと無難だけど面白くないのに、水色と紫色とピンク色の縞模様にするだけで、一瞥で充分存在感を感じる生地になったりする。これは、ミサンガと同じやね。 |
| 12月6日 完成、何となくパンダなポンチョ |
| 白いフリフリを伸ばすように黒色毛糸をひたすらこま編みして、襟も含めて合計4玉分の黒色ツイードを使いきった。私としては長いポンチョが希望だから全然寸足らずなんだけど、臍の少し上ぐらいまで伸びたので、一応「完成」ということにした。いつか百均屋に寄れて、同じ毛糸が棚にあったら買って、続きを編めるようにしてあるからまた伸ばせばいいよね、ということで。その際には、単に黒色ばかりで伸ばすのではなく、途中に白かグレーのツイードを挟んで縞模様にするのも悪くないな、と考えている。まぁ、今は具体的に想像せずに、別の物を作ったり書いたりするのを優先しようっと。まずは、自分のメルマガの記事だな。で、オフラインでは実母の店の粗品(ストラップ数個、ミサンガ数本、ヘアゴム2個の予定)と、リアル陽子姐さんからの依頼のリネンのブレスレット(を素材にして何かを作るとのことで、予定残数9本)を、少しずつ作っていくってところかなぁ。蛇足だけれど、私の部屋のカレンダーは、まだ11月。「そろそろ捲れよ」と旦那に言われたので、「まだ12月じゃないって思いたいからいいのっ」と答えたら、「そうやって部屋の片づけや掃除を忘れようとしてるだろう」と見事に図星を刺された。悔しいので、下旬になるまでカレンダーを捲らないでおく。当然、年賀状とかもその後。…って、ちょいと待て。これ、私自身の首も絞めることになるんじゃ…(言わずもがな)。 |
| 12月5日 同じ物は作れないんだもん |
| 昨日の続きの「なんちゃってポンチョ」制作に、つい熱中しすぎた。一区切りついた〜と思って時計を見ると、何時間も経過していてビックリした。一時期よりも物事に対する集中力が回復している証拠だ、と考えることにする。それを差っ引いても、今日は本当に驚いた。テキトーに作り始め、「下手クソな初心者が、棒もかぎ針も使わずに編むんだから、『な〜んとなくポンチョに見えるんじゃないの?』程度のケープに仕上がれば『御の字』だよな〜、はっはっは〜」てな気持ちで編んでいたのに、「失敗してもどーせ簡単に解けるんだし、こま編みでかがっちまえ♪」という勢いで身ごろの袷を編み繋いでみたら、あ〜ら不思議、ポンチョになっちゃったよ。段数は多分、25段程度。一応、1段ごとに袷を揃えて床に広げて、「よしよし、袷が揃う、揃う♪」と確かめ、ついでに巻き尺をぐる〜りと伸ばして「よしよし、裾も200cmは余裕で超えてる♪」と安心してはいたのだけれど。裾はフリル化してるから、手で編み目を手繰りながらきちんと計ったら、500cm弱になってた…。当たり前だけど、袷を編み繋いで頭から被ったら、ちゃんと肩から先も自由に動かせる、れっきとしたポンチョになって、ホント、驚いた。しかも、襟ぐりの目が適度な大きさに広がって、襟元が涼しいぐらいで、着脱が凄く楽。「うーん、首筋はなるべく寒くないほうがいいんだけどなぁ」と思い、タートルネックっぽい形にしようと決意。白色の毛糸は袷を処理した段階でポンポン1個分ぐらいしか残らなかったので、当初の予定では身ごろの縁取りにするつもりだった黒色ツイードを開封し、襟ぐりに結んだ。袷をこま編みでかがったせいで目が立体的になったため、自然と裏表が決定した。それを意識して、襟も同じ面で目が立ち上がるように気をつけながら、約12段こま編み。襟ぐりと反対側は白色の襟ぐりの目の数と同じ数の目を立て、真ん中は少し多めに目を減らした。結果、着脱の時に眼鏡を外さなくてはならないものの、ちゃんとタートルネックっぽく首を覆って立つ襟に。その部分で内側へ折り、残しておいた白色の襟ぐりのこま編みの鎖目を使って黒色の端っことかがった。結果、少数の段で20近く目を減らしたために乱れた編み目が目立たなくなったし、多少力を入れて襟を広げて被っても大丈夫だろうと思えるくらいに丈夫にできた。この段階で一度黒色の毛糸を切り、残った約半玉と未開封の3玉を使って、裾のフリルを広げることにした。もっとも、裾は既にフリフリな感じになっているので、目を増したり減らしたりせず、ぐるぐるとこま編みを続けて、裾を伸ばしていくだけ。1玉約780cmで、裾回りの長さは500cm弱だから、あまり段数は増えないだろう。でも、まぁ、もっと長くしたいなら、また1玉105円で黒色ツイードを買い足せばいいわけだし、気楽に編むことにする。ちなみに、本当にポンチョになってしまったので、品名は「たれぱんだポンチョ」に改名。但し、息子の前では言えない。言ったら、絶対に「ぼくのもつくれ!」とせがみながら泣くから。泣かれたって、設計図があるわけじゃないし、(ここでタイトルどんっ!)。 |
| 12月4日 答えは「現実逃避」 |
| 編み始めた「なんちゃってポンチョ」は、襟ぐり(円周約55cm)から始めて、現在22段(円周約200cm)まで完了。さすがに裾がフリルっぽくなってきたけれど、体に当てるとちょうど肩の縫い目ぐらいまでの幅になっていて、身ごろも前でちょうど合わせることができる状態を保っている。ここまでに費やした毛糸は、1玉40g(約780cm)の白色ツイード2玉半。残りの1玉半を使って更に目を増し、段数やフリルの感じを確かめて、思い描く願望図のとおりになりそうなら、黒色ツイード4玉を使って襟と裾と袷を整えたい。そこまでできたら、飾りも兼ねたボタンなり紐なりを袷につけて、完成ってね。出来栄えを見て実母が何も要求してこなかったら、とりあえず編み物に一区切りをつけて、このサイトのどこかに「なんちゃって手芸」で生まれた品の写真を格納したり、久しくチェックと更新をサボってるリンク関係のページを見直したいなぁ。…あ、でも、自分の部屋(現実のほう)の掃除もしなくちゃ。うーん、年末年始って、やっぱり好きじゃないなぁ。ああ、だからか、他のことをやりたくてウズウズしてるのは。と、言うことは、ずーっと「年末」が続いたら、書きかけの長編を全部仕上げて、手付かずのタロットを読破して感想や「13番地」を掲載しながら収納し、笛の練習の合間にミサンガやアクセサリーを作って、ブログも頻繁に更新できるかもしれないなぁ。…ちょっと待て…。…これって、既に、何かじつに私らしいことを始めてるんじゃないのかな…? |
| 12月2〜3日 やっぱりこっちがいい |
| 指編みに変更してケープを作ってみたのだが、図面を参考にしながら目の数を変えていたってぇのにサイズが合わない。旦那曰く、「自分の着てる服を考えれば、明らかに合わないだろうが」だそうで、私が作っている品は結果的に息子にちょうどいいサイズに仕上がった。ただ、裾にフリルを作るタイプだったので、カッコイイよりも可愛い感じになったからだろう、息子の喜び具合が今一つ…。息子よ、ママはちょっと悲しいよ…(涙目)。それにしても、フリルって可愛いだけじゃないね、ありゃあ。毛糸が足りなくて追加分を買ってきたけれど、約70メートルの毛糸1玉で編めるのは、フリル1.5段だけだったよ…(溜息)。まぁ、思いきり目数を増やし続けたのは私だから、自業自得なんだけど。その自業自得ついでに、自分のケープかポンチョを作ろうと、毛糸を買ってきた。白のツイード4玉と黒のツイード4玉。中途半端な数だけど、今、百均屋の毛糸のローテーションが速いんだよ、思いきり。でも、今回はそれが幸いして、数がある程度揃っている玉の種類が少なくて、更に毛混で彩りが好みの種類がいつもの半分以下だったおかげで、迷わずに済んだ。旦那に「やっぱりママたれか」って言われるのは確実だと思うけど、派手な色とか可愛い色とかを選んで後悔するより無難な選択だったかなぁ。それに、最後には息子用になっちゃったけど1着を2日で仕上げたことで少しだけ自信がついたし、目の増やし方のコツみたいなものがちょっとは理解できた気がする。図面に頼らず、自分の体に当ててみたりメジャーで測ったりしながら目を増やして、前身ごろになる部分を体の正面で真っ直ぐ合わせられるように工夫してみようと思う。途中で目の数が足らなくなったらそのままケープにして、何とか目の数で長さを整えて正面を合わせられるようなら端っこを縫い綴じるかボタンを使うかして「なんちゃってポンチョ」にしちゃえばいいや。こんなふうに適当な気持ちで編んではいるけれど、目はちゃんと指の太さで調節して大きさがほぼ均一になってるみたいだし、かぎ針よりも速く1段が仕上がるから毎段編んでは広げてサイズを確認したりできるし、やっぱり我流で道具を使わない作り方のほうが、性分に合ってるみたい。その証拠に、かぎ編みの時には数が多くて嫌やなぁって思ってたこま編みだけで作ってるもんなぁ。いいよ、指でやるこま編みって。並太の毛糸が極太ぐらいに化けて存在感が増して温かそうに見えるわりに、適度に透けてて見るからに軽そうだもん。それに、何より、少しぐらいの失敗なんか目立たないも〜ん。かぎ針でガチガチに作ってたら、1ヶ所間違えても目立つんだろうなぁ。いやぁ、指編みって好いよね〜♪ |
| 12月1日 …あかんっっっ! |
| かぎ針でケープを編み始め、編み地が綺麗に整っているのを見て「これなら既製品に間違われるかも(ニヤリ)」と思っていたけれど、進みが遅ーいっ! 編み目がさ、細かく統一されてるんだから当然なんだけど、指編みのペースを体感した後だから、数時間で5段だけっていうペースがめちゃくちゃ遅く感じられてしょうがない。指編みだと、目が粗くてところどころ不揃いでも、数分で5段のペースだし、不揃いの部分も次の段を編む時に軽く引っ張って誤魔化…いやいや、多少は直せるんだよね。そもそも編み物を始めたのは、「手に職をつけたい」気持ちからの延長だから、ちゃっちゃと作って達成感と満足感を味わいながら、息子なり自分なりが嬉しく感じることが必要なのよ。でないと、やってても落ち着かない(注:現在の私は文章作りか「なんちゃって手芸」をしていないと気もそぞろというか平常心を保つのが難しくなる)。いくら綺麗に仕上がるとしても、まだ1つの物に何日も費やすペースを、心身が受け入れられないわけ。同じ理由で、レース編みも大きなドイリーに挑んでも中断したまま放置同然になる。思い出したら続きを編むけれど、ミサンガやヘンプのアクセサリーほど仕上がりを均一にできないし、作業中も「大切にしてもらえますように」という気持ちを込めることが難しい。それでも文章以外の何も作れなかった時期と比べると、少しはマシな面が増えたとは思う。自分の心身の調子を整えるのはかぎ針で編み物をするより遅いペースでしかできないけれど、何ヶ月後かにはかぎ編みで立体的な物とか可愛いあみぐるみっぽい物とか段数の多いドイリーとかを作れるようになるかもしれない。だから、今は目の粗い指編みだろうが小さくて下手なレース編みだろうが構わないから、「物を作ることは楽しい」ことを体験しようと思う。蛇足だけど、息子もかぎ編みよりも指編みのペースのほうが面白いらしく、長〜いブランケット兼マフラーの長さを確認する時にテンションが急上昇する。それがまた面白くて、更に長くなるんだよなぁ(笑)。 |