ものぐさ日記

私が「なんちゃって手芸」を頑張るのは現実逃避のためだということに
そろそろ実父母も気づいているらしく時折渋い顔をしています
息子も何となくしょげているのは判るんですけどどうにもこうにもならないわけで…

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 2月26〜29日 旦那は「天然」と呼んでいる
 もう1年ちょっと前からになるか、「心の健康」という言葉を知り、意識するようになったのは。きっかけは、オカルト系雑誌に連載されている漫画。内容は、基本的に実話だけであり、先達の知識と経験談が解りやすく描かれている。だから、「生まれ持った心の健康状態によって、漠然と恐れられていた心霊現象をも自力で解析・解決できる」という核心部分に納得できる。それ以上に、鬱症状との付き合い方のコツとして、重宝していたりする。例えば、唐突に泣きたくなる場合、どんな情報を得てそうなったのかを省みて、心当たりの物事が見つかったらそれから遠ざかり、「地球って、何があっても支えてくれてて、ありがたいなぁ」とか「太陽って、どんな天気の時にも昼間を明るくしてくれて、ありがたいなぁ」などの感謝の言葉を思い出すようにしている。ちなみに、私の場合は家族や親族に対して素直に感謝できないことと、感謝できない自分自身に対して怒りや恨みを感じるので、バカバカしいほどスケールの大きなものに感謝している。たったこれだけのことで、頓服の量も柱への頭突きも減った。まぁ、時々ガクンと落ち込んで、気持ちを切り替える余裕がなくなることもあるから、各科の医師の指示もちゃんと守っているけれど、ね。これらに加えて、ストラップやミサンガ、編み物の制作中には、糸の絡み方・結び方で印象が大きく変わるのがとても興味深くて、「哲学」している。パッと見ただけだと「こんなふうに順番に色が出るもんなのかぁ」ぐらいしか思わない結びや編みは、自分で作るとなると、どこで芯糸を換えるか、並び順を入れ替えるためにどの結びを使うか、理解しなくてはならない。やり始めると否が応でも理解できるし、納得すると今度は面白くなってくる。その結果、自分の手で相応に綺麗なものを完成させたという満足感もついてくるから、気分転換には本当にちょうどいい。さらにさらに、仕上がりを見ると、自分がいかに体を強張らせて生活しているかが判る。一度編んだものを解く時、モヘアが絡まった部分を無理やり引っ張って毛糸を引き千切る。ミサンガの本体が緩くカーブしてしまう。春夏ニット用にと買ったテープ状の糸を思いきり引っ張りながら編んで、太めのかぎ針を使っているのに編み目が半分サイズになってしまう。全部、肩に力が入りすぎている上に、右手と左手では引っ張り具合が違うために生じる失敗。日常でも、結構、失敗しているし。一番の失敗は、気持ちまで力みすぎて、アレもコレもとやりたいことを自分に言い聞かせ、全部同時にできなかったことを嘆くというパターン。「ああ、いかん、いかん、もっと力を抜かなくちゃ」と、テープ糸をジャンボかぎ針で緩〜く編んでいる。ちなみに、原稿も書いている。3回目の「纏めて没!」をやったけど。原稿に行き詰まったらモヘアのベストの続きを編み、モヘアが絡まって解けなくなるとテープ糸の春夏ニットを編み、力みすぎてテープ糸が縮み始めるとミサンガの続きを結び、結んでいて指が突き指っぽく痛み始めるとレース糸で小物を編む練習を始め、細い糸の操り方が下手だと改めてガックリしたらリネンのバッグの続きを編み始め、単調さで眠くなりかけると紅茶で思考の再起動をしてから原稿の続きを書く、というサイクルが私の生活の基本形。改めて書くと、バカ丸出しやなぁ…。
 2月20〜25日 旦那は印刷関係の仕事してるけどね
 みちよさんへの献上作品を執筆開始。ネタとしては長く保存していたものだけど、文章化すると読み手も私も誤解しやすくなるという理由で、書き始めるには相応の覚悟を要した。さらに、書き始めてからも、「こーでもないしぃ、あーでもないしぃ、そーというのも無茶だしぃ」と、自分の書いたものを一文ごとに読み返しては、解りづらさに悶絶し、「消しては書く」を数回ずつ繰り返している。一日に書き進んだ量の最低新記録も出た。それは、「マイナス10行(1行35文字計算)」。前日までは「これでOK」と思えた文章が、翌日には「ダメやんかぁ…」となり、遡ってみたら削除する文章が増えたというわけ。この時までは、まだマシだった。他のことを考えずに書いていられたから。何も書けなくなるきっかけは、いつでも身近にあるらしい。今回は、NHKの朝の生活密着型報道番組内の特集、「認知症患者の労働復帰の現実について」だった。司会の男女、認知症の治療と研究と生活復帰の現状に携わっている医師、労働復帰と認知症についてのフォーラム参加の双方に積極的に活動している男性患者と、その奥さんという面子で、取材VTRで実態を報じながらそれぞれの立場から意見を述べる形でコーナーが進んだ。私は、認知症を理解するきっかけになるかもしれないと思い、遅い朝食を摂りながら観ていた。結果、認知症を理解できなかった。理由として考えられるのは、「認知症について知識があることを前提に最初から最後まで話が展開されたため」もあるかもしれないが、「鬱になったら最後ですからね」という言葉が5人全員の口から最低1回は出たから、だと思う。「鬱になったら最後」という言葉は、前後のVTRや話も含めた上で、「認知症の治療途中で鬱症状にも陥ると、患者や周囲の人達の負担が大きくなりすぎるので、職場復帰はほぼ不可能になる」という意味だと、私は理解している。しかし、この意味の詳細な部分を誰も一度も言わず、ただ単純に「そうですね、鬱になったらダメですよね」を、男性患者とその奥さんに続いて、司会の男女も繰り返したことが、ショックだった。トドメに、医師までもが「認知症と鬱病はまったく異なる病気ですから、一般の方々にはまずそこから理解してもらって、認知症患者の雇用を検討してほしいです」と述べた。それって、「認知症患者はまだ働けるけど、鬱症状を治療中の人は働けない」ってことかよっ!?と、めちゃくちゃショックだった。前述の理解を思い返しては、「認知症に加えて鬱症状も発症したらっていう前提の言葉だったよ」と自分に言い聞かせても、「どこの企業や団体、個人に偏らない報道をするからって視聴料を要求する天下のNHK様も、所詮は世間に媚び諂うマスコミよね〜(軽蔑の眼差し)」と実感し直すだけ。ブログで衝動に任せた罵詈雑言を浴びせてやろうかとも企てたけれど、どうせ読むのは自分だけだし、内容によってはスペースを貸してくれているFC2から注意されるかもしれないと考えて、やめた。それでもどうしても誰かにこの思いを見つけてほしくて、ここに書き留めておく。「日本のマスコミって、鬱症状で辛くなっている人達のことを、最初っから人間扱いしてないよね! いつぞやのスポーツクラブでの銃乱射事件だって、死亡した被害者とのトラブルが報じられるまでは、『鬱病の人でも銃を買えるなんて、日本の法律は私達を守ってくれてないじゃない!』的な街頭インタビューを散々流しておきながら、事件の根本が『鬱症状治療経験者による銃の乱射』じゃないと判明しても『全国の鬱症状治療中の皆さん、誤解を招く報道をしてしまい、ごめんなさい』の一言も無かったじゃん! そんな程度の礼儀も弁えない人間が、闘病中の患者を無差別に苦しめる言動を堂々と示していることだって、キレやすい若者を急増させている原因の1つなんじゃないのっ!? 違うって言うなら、ここの掲示板なりメールフォームなりで、私に解りやすく言い訳してみせろってーのっ!!!」ってところか。ホント、つくづく思う、新聞配達業や印刷業界から引退してよかったなぁ、と。昨年届いたテレビ番組の取材申込にも無視を決め込んで、本当に本当に心からよかったなぁって思う。テレビやラジオでは、メールと同じで、誰もが気軽に本音を吐き出すが、そういう連中に限って「覆水盆に返らず」って言葉を知らない。VTRとか送受信データとかの形態で証拠が残ることすら忘れて、「そんな発言は身に覚えがない」としらばっくれることすら恥ずかしがっていないみたいだし。まぁ、マスコミに限らず、観て嗤う側にもそういう恥知らずは多いし、私の目の前にもいるから、今更「こいつもそうだよ!」と指摘するのも馬鹿馬鹿しいか。ああ、そんな連中のことを書くのに時間と労力と電脳空間を消費したのかと思うと、自らが情けなくなってくる。でも、多少はスッキリしたから、これなりによかったことにしよう。
 2月16〜19日 こういうのも一種の座禅だよね
 春夏ニットの本が揃い始めている。現在、3〜4冊。これでも絞り込んでいるほう。秋冬のショールやポンチョなどの本なんて、数年前の分から入手可能なものは全部買い揃えたし、2冊になってしまったものすらあるから。で、春夏ニットで「着たいなぁ」とか「編みたいなぁ」と思うデザインは、今のところ、12着。しばらく「でもサマーヤーンをそんなに買えないよなぁ」と溜息をつきながら、どれから諦めるか考えていた。この考え方が心の健康化の邪魔をしていたらしい。「全部編むつもりで、今持っている素材で何とかできるものから作ってみよう」と考え、秋までに作るつもりだったベストを諦め、代わりに巨大なドイリーみたいなベストを編み始めた。やはり、ドミノ編みで5cm四方ずつ進むより、中央から隙間だらけの模様編みのほうが気持ち良く進むし、必要な毛糸の量が少ない。しかも、サンプルの糸よりも太い毛糸を使っているので、編み図どおりに作るだけで私のサイズに仕上がりそうな気配。毎年5月上旬まで袢纏を着込んで歩く人間なので、春にモヘア糸のニットを着ていても露骨に笑われることは少なかろう。こんな開き直りも手伝って、思考パターンが結構ポジティブ寄りになってきた。「このデザインなら秋冬毛糸で作って真冬に着ても良さそうだ」とか、「あり余っているレース糸を3〜4本取りで編めるかもしれないから試してみよう」とか、「今年も百均屋にコットンヤーンが入るだろうからそれを使うか」てな具合に。こうなると欲が出過ぎるのが、私の悪い癖。あれもこれもと考える楽しさにかまけて、どれから実行するかを考えない。具体的な構想が無いのに糸を買いたくなって、貪るように買い漁った結果、中途半端に残してしまう。物書きのほうでも、同じ。書きたいキャラや物語は山積みで、あれもこれも書きたいと焦って、結局どれも中途半端な仕上がりにしてしまい、何度ガックリしてきたことか。斑模様の毛糸を編んでいくと全体がユニークな布になっていくのと同じく、物書きも書き始めて初めて解ることがある。日常生活なんて、まったくそのとおり。誰かのために何かをするのは立派なことだけど、自分のことをまず自分が大切にしようという気持ちが基盤にないと、何をしても自分自身を納得させられない。自己嫌悪はいつでもどこでもどんなふうにでもすぐできる。でも、自分の嫌なところを隠して生きていくことなんて不可能で、親しい友人達や旦那や息子にはバレまくり。だからこそ、ありのままの自分を自分で受け止め、認め、赦すというハードな修業をする意味と価値があるわけだ。もしかしたら初夏にも着るかもしれないモヘアのベストの模様編みをしながら、「とことん間が悪い」とか「何を決めるにしても衝動的すぎる」とかの自己嫌悪の元を省みて、「今度は絶対に編み上げるっ!」てな感じの気合いを入れ過ぎないように注意し、「まぁ、試し編みだし、模様が面白いから気楽にやりゃあええわ」てな感じでかぎ針を動かしている。来月からは身の回りに結構大きな変化が起きる。それに振り回されて自分に幻滅しないためにも、自力でできることを用意しておきたい、可能なら(ここら辺が弱気)。
 2月6〜15日 とりあえず今はまだ生きています
 これだけの長い間リンゴ機に触れなかったのは、575の購入以来、初めて。理由は、まぁ、いろいろ。本当に、いろいろ。少し浮上して、また落下して、また少し浮上して、またまた落下して、の繰り返しだったし。息子の小学校入学準備関係の用事と、それに伴う近所付き合いとか保護者同士の付き合いとかが急変し始めたし。精神科の担当医が4月から名古屋で開業するというめでたくも悩ましい話も聞いたし、それに伴って担当医と病院のどちらを選ぶか考えなくちゃならなくなったし。みちよさんに恩返ししたいのにできない自分に焦ったり、焦る自分に気づいて宥めたりもしているし。数年ぶりに猫と話ができたし、天然石との新たな出会いもあったし。本当に、悲喜交々、って感じの10日間。いや、まだ続くけど。とりあえず、そろそろ自分で嫌悪している自分の一部をちゃんと認めて、受け入れて、自分の長所に結びつける努力をし始めるべきかもしれないって、考える時間が増えた。オンラインではほとんど活動していなかったし、オフラインでもストラップを30本ぐらい仕上げただけで、まだまだ作業し続けなくちゃいけない物を幾つも編み始めながら、自分ではどんな自分になりたいのか考えたり、どういう自分を認められずにいるのか反省したり、学生時代にはどんな考え方をしていたか思い出してみたりと、かぎ針を動かすことが禅問答に近くなっている。ちなみに現在編んでいるのは、来秋から使えたら嬉しいモヘア段染のドミノ編みのベスト(自分用)と、息子に「ふつうのカッコイイがらのがいい」と言われてしまった亜麻の道具袋改めボーダー柄の手提げ袋(予定:自分用)の2つ。どっちもデザインを自分のサイズや残り糸に合わせて変更しちゃっているから、完成しても「いい出来じゃん」とは誰からも褒められない。それ以前に、褒められるために編んでないし。他にも、今度は春夏向けの編み物の本と絶版になりかけのミサンガとストラップのデザイン集を入手したので、「作りてぇっ!!」という品が2桁ぐらいに増えた。それに、前出の出会った天然石が丸石と磨き石(ルース:握り石ともいうらしい)だったので、そろそろさざれ石のビーズから丸ビーズに移行できるのかな、とも感じている。でも、同時に、サンダーエッグ(内側に水晶のクラスタを含んだ縞瑪瑙のルースを半分にしたもの)のキーホルダーに好かれてしまったので、焦らず自分の内側を見つめて、自分でありのままの自分を褒めることができるよう、気持ちの整頓と掃除を続けるべきということかもと、苦笑してもいる。まぁ、天の邪鬼な性分だし、頑固な完璧主義者らしいから、これからも何度も浮き沈みを繰り返したり、死にたいとか消えたいとかもほざくに違いない。多少はそんな自分との付き合い方のコツが見えてきたので、今回のようにプッツリと活動をやめて禅問答に没入することが増えるはず。それでもWeb拍手をくださった方々に恵まれた幸せを、なるべく早く思い出す努力をするつもり。中途半端な決意表明になっているのは、「頑張るぞ!」とか「絶対にやる!」とか書くと、十中八九、頑張れなくてやり遂げられないという、厄介な性分だから。だから、この程度で勘弁したってや、マジで(かなり切実)。
 2月1〜5日 自分の無力さを改めて実感中
 1月下旬からずっと、何も書けないでいる。書きたいネタはまだ山積み。伝えたい相手も少なくない。でも、何からどう話せばいいのか判らなくて、どうしたら解ってもらえるかと悩んだり、考えすぎて泣いてたり。気づくと、自分で切ったファンヒーターの前に座り込んだまま未明まで眠ってしまい、寒さと咳き込みで目が覚めたり。耳鼻科への定期通院もあったので、医師に「完全に風邪を拾ったね」とツッコミを入れられた。他にも、町内会とは一切関係を持っていないまま、息子が来春には小学校に入学するため、町内の子供会に入らねばならないことが心配で、他のお母さん達とちゃんと話ができるだろうかとか、自分の病気のせいで息子が余計な気苦労をするんじゃないだろうかとか、不安がどんどん膨張して突拍子もないことまで考えてしまい、くよくよ。でも、一番辛いのは、突然とんでもない状況に追い込まれた最も大切な親友に、何をどう話しかけたらいいのか解らないことと、それなのに考えがぐちゃぐちゃのまま書き連ねたメールを送ってしまったこと。「今のまま頑張れ」とか「見切りをつけちゃえ」とか言うのは簡単だけど、それが最善のはずがない。「今すぐそっちに行くから」なんて、嘘になる。「ピンチに駆けつけられなくてごめん」と即座に言葉にして伝えられる程度の関係ではありたくない。長らく会っていないから、ああしろこうしろと口出しできない。それでいて「最も大切な親友」とここに書く自分が、とても恥ずかしい。それを無理やり忘れたつもりで告げるとしたら、2つだけ。近日中に、何らかの形で伝えたい。…あ、何も書けないと思ってたけど、頑張れるかも…。

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