ものぐさ日記
ベストなら2週間ぐらいで完成できると把握したので
現在は母の日に合わせて実母用のマーガレットの仕上げに取り組んでいます
編み図を読めるようになったら作れるものが増えたんです(嬉)
| 5月31日 どうせなら堂々と行けよ…(゜o゜) |
| 旦那の過労具合を案じつつ、じつは旦那がファンクラブに入っている難波氏のライブ日程と旦那の出張する日とが重なっていることを知ってもいた。その上で、「自宅でぐらいゴロつかせなくちゃ」とか「体調を崩さないといいけれど」とか心配していた。敢えて「じつはライブに出かけていた」を無視していたのだ。が、日曜の特撮番組の録画予約がされていないし、可愛がっている金魚の餌遣りを私に頼みもせずに出かけたので、「やっといて」メッセージが入っているかもしれないと思い、留守電を再生してみたら、すべての心配がガラガラと崩れ落ちた。「31日のライブは、メインの難波が網膜剥離の緊急手術を受けることになりましたので、中止になりました。延期する予定ではありますが、術後の仕事復帰には10日程度と医師から言われておりますので、それ以降となります。つきましては、○○さんのご都合もおありですから、ご予約されてご購入いただきましたチケットに関するご相談をいたしたく存じますので、必ずご連絡ください」という非常に丁寧なメッセージが、ファックス受信のノイズと混ざって聞き取りにくいけれど、30日午後7時過ぎに録音されているのを知ってしまった。目の前には、拙宅サイトのあるサーバの借り主サイト「Sense of Wonderland」の一角、難波氏のライブ日程と手術で31日は中止になったというインフォページを映すパソコンの画面。メッセージが前日に入っていた限り、旦那は聞いたはず。ファンサイトの運営者は旦那のライブ仲間であり、その人が既に中止という情報を更新して掲載しているぐらいだから、メールなり電話なりで話をしているはず。それでも早朝からいそいそと出かけていく姿を思い出すと、「出張のついでにライブに行くんだ、きっと」と自らに言い聞かせながら旦那に「あんまり無理せんでね」と心配して告げた自分が、哀れなほど滑稽に見えてきた。平日の「出張」も東京だと言っていたけれど、ライブ日程を見ると名古屋で、土産は1つも無かった。東京や京都、大阪、北陸など、遠めの時には律義に土産を買ってくるのに。それでも「出張」という旦那の言葉を疑うのは失礼だと思って過ごしてきた。今回も同じように「出張のついで」と信じることに決めていたのに、留守電のメッセージに「ご予約」とあるのを聞いたら、呆けるしかできなかった。タイトルは、「呆けて開いた口が塞がらねぇよ…」という顔文字のつもり、ヘタクソだけど。息子の希望で出かけたくて仕事の予定を尋ねると「印刷業の仕事は水物で、予定が立つのは1週間先までがせいぜいだって、おまえだって知ってるだろうが!」と怒るのに、ライブの日程と出張の予定が重なることを1ヶ月も先まで見通せるなんて奇妙な話だ。たとえ半月前ぐらいに仕事の予定が確定したか確定の見込み状態になったとしても、その頃には前売り券は「販売中」になっているから「予約」とはなるまい。そうなると、旦那は1ヶ月以上前から名古屋や東京へライブのために行くつもりがあった、となる。しかも、その予定が急遽変更されても出かけたし、「出張」と言い置いて行ったのだから、「本当に仕事で出張しなくてはいけない」か「ライブ仲間と約束した遊び予定もある」かだろう。前者だと信じたいけれど、ライブ日程と重なる仕事が1ヶ月間で2つもあるなんて、不自然すぎる。先方から依頼された時に旦那の都合に合わせて予定を立てたのだとしたら、平日の「出張」が不自然になる。朝から東京へ直行して仕事を済ませて名古屋へ戻って夕方からライブという日程をこなすのは困難だし、実際に上京したなら新幹線の中ででも土産物を買う人だから。別に「独りで遊びに行く」のを非難するつもりは毛頭無い。息抜きできるなら、「日頃の残業疲れを吹っ飛ばしに行ってきて」と言って送り出し、息子にもちゃんと説明して納得させる。それをいい加減理解しているはずなのに、「出張」という言葉をわざわざ使って出かけるなんて、後ろめたい何事かがあるみたいだ、という点でモヤモヤとかムカムカが発生しているだけ。私も実父母の旅行に便乗して旦那を置き去りにして出かけてきたし、本当に仕事の可能性も微少でも残っているのだから、とやかく言うつもりは無い。ここにこういう「本音」を書いても読まないとか、ライブに行くことを「出張」と主張する理由を述べないとかの、旦那の私と息子に対する対応の仕方が気に入らなくて、そういう性分の旦那に呆れたり幻滅したりを、私が勝手にしているだけ。本当に、「だけ」。今までは、この「だけ」を「私に対する旦那の気持ち」だと思っていたけれど、気づいてしまった、「旦那に対する私の期待の大きさ」だという現実に。だから、もう呆れるしかできない。でないと、また自己嫌悪や息子への八つ当たりが始まるから。とりあえず、ここでこれだけの文字量を使って自分の気持ちの整頓ができたことと、本音を書き出したことで「ファン仲間には結婚前から親しくしているっぽい女性もいること」を忘れたフリができたことだけ、マシかもね。 |
| 5月30日 いろんな意味でかなり心配してはいる |
| 今週、旦那は出張で外泊した。だから私の勘違いだと思っていたのだが、帰宅した直後に「明日から東京に出張だから」。驚いた。今月半ばに「俺の5月は土日返上(で仕事)」とは言っていたけれど、「今週は半ばで出張があったから、明日は休みやな。きっと私が勘違いしとったんやわ」と思っていた。が、勘違いではなかったわけで、振り返ってみれば、ゴールデンウィーク中はカレンダーどおりに休みだったものの、その後は休日出勤やら出張やら部下の結婚式やらで、土曜日に家にいなかった。出張の時なんて出先で泊まりだから、日曜日も家にいない始末。毎週末に外泊があったわけじゃないし、一度は部下の結婚式と2次会の幹事か何かだったから、まるっきり仕事ばかりというわけでもない。まぁ、日頃から残業続きだから監督署に通告すると一騒動になりかねないことも事実だけれど、ね。訊けば、「早起きしなくていい分だけ、(出張先で宿泊するのは)家にいるより楽かな」と言う。うーん、これはさすがにグサッときたなぁ。以前、義母、つまり姑に、「(私が何を作っても売るのではなく進呈していると知って)ほんなら、何もかもノリくん(旦那)におんぶに抱っこやない!」と会話の合間にチクッと言われたことがあって、その棘がまだ心に刺さったままだから。否定できないと反省しながら、改めて「私の仕事は金儲けじゃなくて、息子の監督と生活費の節約」と自分に言い聞かせてはいるから、引け目を感じたり傷ついたりしないよう、強くなろうと努力中、というのが現況。ストラップやミサンガ、編み物の材料費はバカにできないし、天然石も比較的高価なものを購入するし、今月は白リンゴも買ったから、傍目には「努力」なんかしてないように見えて当然ではある。但し、守銭奴みたいに金の話ばかりになるけれど、自動車税を納めたり3ヶ月に1回の婦人科通院での大量の薬代を支払ったり久し振りのゲーセンでの息子の遊興費を出したりしながらも、先月と同じ金額を「いざという時のための生活費貯金」に入れられるよう、遣り繰りできた。単純に、自分の口座に入れるヘソクリを諦めただけ、と言えなくもないけれど、ね。…と、それはどうでもいいや。問題は、旦那だ、旦那。連日残業して、その上、土曜日は全部、出張で日曜日も2回、家でゴロゴロせずに出歩いていて、体調を崩したらどうするつもりだろう? 私がパートに出るとしても、田舎町だから「精神科に定期的に通っています」って言うと採用率がガクンと落ちる。在宅の仕事なんて性に合わないというか、仕事と私生活の境界が無くなるタイプだから、また息子に嫌な思いをさせかねないし。となると、旦那に「残業だけでもやめろ」なんて言えないし、旦那は旦那で仕事を任せられる部下ができたのか残業時間が減ってはいるし、「(私が外で働くことに関しては)どっちでもいいというか、できるの〜? できるぐらいなら、家の掃除とかから頑張ってほしいんだけど」と言うのがオチだろうし。休日ぐらい放置してゴロつかせるしかできないとなると、こういう忙しさのフォローがしづらいなぁ。「元は俺の稼ぎだし」ってイヤミを言われるのを覚悟の上で、上質な天然石を仕入れてストレス軽減と心身の健康維持の御守りを作って、父の日に託つけてプレゼントして持たせるか。…ということにして、蛇足。普通の家庭というか、一般的な「奥さん」は、旦那がここまで休日にも出かけるようになったら、「浮気してるんじゃないかしら」って疑うんだろうなぁ、きっと。私の場合、それが先に出て来ないというか、浮気していようが相手の生活を崩壊させたり孕ませたりせずに旦那が健康でいるなら構わないというか、旦那の浮気に付き合う女がいるとは思えないというか、…もしかして、旦那のことを侮りすぎかなぁ…、って、心配のポイントがズレてるやん。 |
| 5月29日 なんでこの値段で売っとんねんっ!? |
| 我が家には、否、私の手元には、手芸関係の書籍と各種糸のストックが充実しすぎるほどある。特に、ミサンガのデザイン集はそこらの書店以上に揃っていると、自負している。何しろ、新刊は勿論、絶版も小さい書店で見つけて買ったから。編み物関係も、今年の春までにポンチョが掲載されている入門書は買い集めたし、ベストやボレロに挑戦し始めてからは春夏向きのミセス対象書籍も集めた。結果、「編みたい!」デザインは10着以上、その内の「着たい!!」デザインは7〜8着あり、それらを自分のサイズに調整して編めるだけの糸も用意してある。ほとんどが、青色、それもロイヤルブルー。好きなのさ、この色。それに、肌着やTシャツは白か黒かグレーしか買えないから、ベストにしろ袖の短いシャツにしろ、自分で編むなら好みの色が欲しいよ、やっぱり。ただ、困ったことに、ロイヤルブルーを集めすぎた。顔料としては扱いにくい色らしく、糸の種類ごとに色味は違うけれど、濃いめの青色で群青と呼ぶにはまだ濃さが足りないという点ではどれも同じ。しかも、単品のベストやセーター、もしくはアンサンブルを編むつもりだから、どの糸も3号かぎ針で編む太さ。編んだり完成品を着るのが、凄く楽しみ。楽しみなんだけど、「その上に更に羽織る物を作るなら、ロイヤルブルー以外のほうが映えるよなぁ」というわけで、「困っている」。体型が「まるねこ(SKジャパン社のオリジナルブランドで、ゲーセンの景品として出回ることが多いが、倶楽部サイトがあるほどファンが増加中)」そっくりだから、ショールとかボレロとかって絶対に似合わないだろうし、調整も難しくて諦めていた。ところが、今週買った編み図の本にめちゃくちゃ好みのボレロがあって、似合わないとか柄じゃないとか関係なく、「着たい!!」という気持ちが膨らむ一方になっちゃった。掲載されている作品は太めのレース糸を2号かぎ針で仕上げてあるくらい繊細な編み地で、後ろ身頃の大輪の花モチーフを演出している。私には可愛すぎる逸品だけど、いつか「似合うよ」と誰かに言われたくなるぐらい、気に入ってしまった。こうなったら編むしかないけれど、27日の分にあるように単純に糸を太くすればいいとは、言えなくなった。糸を太くすれば、確かに一回りぐらい大きくするのは簡単。でも、その分、編み地の繊細さを出せなくなる怖れがある。だから、レース糸に劣らない繊細さと艶のある糸を2本取りにして、かぎ針の号数を2段階以上太くすることを考え始めた。この方法だと、糸が細ければ細いほど丁寧に編まないと糸割れしちゃったように見える怖さもある反面、糸の持つ艶が太めの糸よりも増して見えるとか、別色の極細の艶糸も絡めて(「引き合わせる」と言うらしい)華やかさを演出できるといった、「一工夫」が可能となる。そこで、昨年の冬からお世話になっている糸屋さん(「ごしょう産業株式会社」直営の楽天サイトで、サイト名は「ごしょう」じゃないけど書きたくない)で商品カタログのページを丹念に見させてもらい、良質で安い糸を探してみた。正直なところ、手持ちの糸よりも安上がりなものなんか無いか、売り切れているだろうと半ば諦めていた。なのに…、なのに、なのにぃっ! 絹100%の糸が1m当たり100円未満なんて品があるっ!? それも、それが定価っ!? 毛100%の糸も同じぐらいの価格っ!? 縒りが甘いっ? それがどーしたってんだぁっ!! あのね、手芸にまったく興味の無い人にはピンと来ないだろうけれど、普通の手芸店で「毛100%」とか「絹100%」の編み糸や手織り糸を探すとね、「失敗するかもしれない物を編むのに、こんなに金をかけれるわけねぇだろうがぁっ!」って叫びたくなるぐらい、高いのよ、本当にっ。耐久性を高めるべく縒りの強い絹糸は、ネットの糸屋さんでも高くて3千円のものもある、確かに。そういう品より切れやすいとか太さが均一とは限らないとかのネックがあるとしても、絹は絹だから光沢も軽さも「本物」なのよ。毛100%も綿100%も同じで、「天然素材って凄いなぁ」って手に取るたびに実感するよ、マジで。何なら、近所の手芸屋さんとか百円均一の店で、綿100%のレース糸と1玉100〜200円ぐらいのアクリル100%の毛糸玉とを見比べてみて。品物が全然違っても、質の違いは明らかになるから。…(呼吸を整えて、と)。ともかく、その糸屋さんの企画で抽選されて、来月末日まで使える半額クーポンを戴いたし、超特価の絹糸も見つけたし、それに引き合わせると良さそうな極細の艶糸も見つけたし、気合いを入れて自分用のボレロを作ってみよっと。繊細さを醸し出しやすい淡い色を選べば、きっと他のロイヤルブルーの服の上から羽織っても、きっと映えるだろう。これでまた生きる楽しみが増えたなぁ(嬉々)。 |
| 5月28日 「挫折」は「中断」になる可能性を秘めている |
| 我が「なんちゃって手芸」の特徴は、「欲しいものを、欲しいと思った順に、無理して学ばず、無理して続けず、やりたいようにやってみる」というファジーさ加減。学ばないから上達は遅いし、難易度の高いものは作れない。その代わり、「どうしても欲しいんだぁっ!」という煩悩をエネルギー源にして自力で壁を乗り越える機会もあるし、「ダメだ、続けれん…」となっても捨てずに放り出したまま忘れておくだらしなさも黙認する。強引に進めて失敗したらすぐに再挑戦するのではなく、気が向く時までそのまま放置というのも、当然OK。但し、モットーが無いわけではない。「可能な限り安価で材料を揃えて、買った限りは必ず使う」のがポイント。簡単に言えば、「勿体無ぇことするんじゃねぇっ!」。ところが、放置中の品が多く、放置期間も長いので、旦那や実父などの「やるならさっさとやれ!」タイプの人間には、非常に嫌われている。まぁ、こっちも「急かしてばかりのヤツなんざぁ気に入らねぇや」と思っているから、お互い様。そんな冷戦もある我が家には、レース糸が1ダース以上(全部違う色)、8束105円の刺繍糸が1ダース以上(全部8束入り)、ストラップ用の飾り紐とビーズも延べ3カートン分(完成品換算)、麻紐は20m巻き6本と1000m巻きっぽいのが1本(その内の3本は使いかけ)、編み糸は新品8カートンと解いて使い回す予定のものが少なくとも4カートンが、家のあちこち、水まわり以外の部屋に点在している。全部使う、当然。どうしようもなくなった端きれみたいな残り糸も、手織りの練習に回せるから一纏めにしてある。だって、捨てたら何にもならないもん。失敗作だって、解くことができるなら「廃品」ではない。制作途中で挫折したからって、捨てたらただのゴミだけど、存在を思い出して現実逃避の道具にすれば、完成に少し近づくし、場合によっては挫折の原因となった問題を解消できるコツを見つけて再び楽しく制作できることだってある。今の世の中、デジタル化が進んで何でもかんでも速く処理されるし、失敗作や頓挫したもののデータは記憶媒体からすぐに消されちゃうらしいけど、それって勿体無くない? 失敗した原因とか、頓挫なり挫折なりの原因が解って、いつか解消できるかもしれないのに、「捨てちまえ!」ってやったら、それまでの時間も努力も消えちゃうんだよ? 消去したいと思った時には不要なものにしか見えなくても、いつか必要なものに見える時が来る、必ず。人間関係だって、同じようなもんでしょ。甲状腺を患ってからの実父のことは、私は基本的に大嫌い。憎んでもいる。でも、共用の風呂やトイレを掃除してくれることには、感謝している。息子の相手も喜んでしてくれるし。旦那に対しても、結婚して初めて見える欠点が気になってからは、基本的に好きじゃない。でも、料理は頑張ってくれるし、私が散らかしていることにも目を瞑ってくれるし、最近では息子とじゃれたりして、「ちょっと変わったみたいやなぁ」って思う時が増えた。学生時代には自殺念慮や自閉症状に陥ったこともあって、原因は同じクラスのバカな連中だったり四角四面に育ててくれた実父母だったりで、「家にも学校にもいたくない、とっとと死にたい」とばかり思ってた。でも、少し離れたところを見たら、心配してくれる友人達ができた。死にたくなるような環境すら捨てずに取っておいたら、本音を受け止めてくれる人達との関係を作れたし、バカな連中の内の数人が薬剤師だの教諭だのになっていることを知って、「いつか立場が逆転することだってあると、心しておけよ…!」と睨みを利かせる機会や関係の仕方を得た。もしも昔、バカな連中や実父母と教諭の実名を出して恨み言を書き残して自殺していたら、「今」がどうなっていたことやら。本当の「心を開く」がどんなことか知らないままだっただろうし、一時的に学校や家やバカ共とその家族に肩身の狭い思いをさせることできたとしても、数ヶ月で「目障りなブタが自分で自分を始末してくれて愉快だよなぁ」ってバカ共にバカにされるのが関の山だったはず。実父母は悲劇の主人公を演じ、教諭達はほとぼりが冷めるのを待つだけで何もせず、その他大勢は私のことを忘れて自分が楽しく過ごすことだけを考えたに違いない。14歳で自殺するつもりだった私は、今、39歳のオバハンになった。25年前の自分に感謝し、褒めてあげたい。「自分で自分をゴミにしないよう、よく頑張ったね」と。そして、今度は14歳の私の分も、「勿体無い、勿体無い」と言いながら、昔追い詰めてくれた連中全員を見張る役目を息子の世代のためにも果たしたいと考えている。だから、ついでみたいで失礼だけど、もしこれを読んでくれた「現在辛くて死にたい人達」にも、「自分で自分を捨てたらあかんよ」と伝えたい。辛い居場所から逃げ出すのと、自分で自分を捨てるのとは、全然違うよ。命も辛さも経験もプライドも、全部引っ括めて「自分」なんやから、勿体無いで捨てたらあかんよ、絶対に。 |
| 5月28日 「予定は未定」だけど「天の邪鬼」にならないようにする努力もしたつもりでも |
| カーディガンの身頃、肩をはぎ合わせて羽織ってみたら、ボレロ並に前身頃から開いてた…(滝のような涙)。…(立ち直る努力中)…。…はぁ、これ、旦那が見たら「ツンツルテン」って言うだろうなぁ。縁編みが少し長めのデザインだけど、それでも前立てみたいに使えないだろうしなぁ。あー、もう開き直って「長袖のボレロ」って主張しちまえっ! 何なら半袖や7分袖にだってできるじゃないか、自分っ! |
| 5月27日 「予定は未定」だけど「天の邪鬼」にならないようにする努力もしている |
| カーディガンの身頃、完成。次は、肩をはぎ合わせてから、袖の制作だな。長袖だから段数は多いけど、幅は身頃よりも遥かに少ないから、片方ずつ編んでも多分ザクザク進めるだろう。それをとじ合わせたら基本的な形ができるわけだし、縁編みは後に取っておこうっと。身頃のほうでヒィヒィ嘆くだろうけれど、袖口でスカーッと晴れることは、実母へのプレゼントにしたマーガレットで判明してるから、きっと大丈夫。そもそも、縁編みって仕上げだから、身頃の一番広い部分を編んでいる時よりも、「これができたら着れるのよ〜♪」ってな感じで頑張れるし、ね。ホント、自分、単純で好かったなぁ。で、まだまだ先の話、恐らく6月上旬開始の次の品は、カーディガンとプルオーバーの残りのテープヤーンで模様分けにも挑戦するという課題付の、横編みのプルオーバー。実母のマーガレットで変則的な編み方の編み図の見方を覚えたから、一度は諦めた「右肩から左裾へとネット編みを広げながら、袖ぐりや襟ぐりを開けたり、両脇を編み合わせながら進む」という、「仕上がるとシンプルに見えるのにじつは一工夫あるんやで〜♪」な夏向けの品に挑むつもり。これでテープヤーンもほぼ使いきれるはずだし、また1つは身につくものがあるんじゃないかなぁ。で、ここからは鬼に笑われそうなぐらい先の、見通しもほとんど立っていない予定だけど、デザイン集の編集さんがゲージを掲載しなかった変則的なデザインの半袖のプルオーバーに4号針で挑戦してから、更に糸を細くして袖無しタートルネックのセーターに3号針で取り組む予定。4号以下の細い糸だと、当然身頃に時間がかかる。それでいて、糸の細さを活かして一癖ある凝った編み方になるから、タートルネックのセーターは私にとって「天王山」。ここで挫けたら買い溜めた糸は全部組紐にするしかないけれど、これを完成させることができたら「20番レース糸まで細くしても完成させたるで〜♪」ぐらいの自信がつくかもしれない、と思っている。勿論、挫けたくない。だから、更に次の編みたい物の予定を立てて糸も買ってある。それも、大好きな色の、絹100%! 3号針ぐらいの細い糸で、1玉98円という奇蹟に等しい価格で買えたもの。これ、使う前には挫折できんでしょ、飽きっぽい性分の私だろうと。まぁ、「予定」とか「つもり」とかって言っても、天の邪鬼だからねぇ、すぐにでも変更が入るんだろうなぁ。事実、今日、「もう買わねぇぞ」と決めていたのに、春夏向けのかぎ針編みの本を買っちまって、「これ、編みてぇっ!」ってなったから。半袖のボレロで、編み図が変則的で幾つものパーツに分かれてるんだけど、全部後ろ身頃に編み足していくようになってる逸品。その後ろ身頃がすっごく綺麗で、中央に花のモチーフがあって、そこからパイナップル編みも使って背中いっぱいに広がる大輪に化けてる。当然、これが主役。裾、袖、前身頃は花弁を彩る模様を含んではいるものの、シンプルなネット編み。見るからに涼しそう。しかも、ボレロなのに前身頃が長くて、ボタンも紐も使わずに、ショールみたいに大きく結んで着るようになってて、「あれ? ショール? なのに、袖!?」って見る人を驚かせる粋なデザインなのさ。大輪の花で、しかも粋だし、編み図が楽しいとなったら、編まずにいられるかって、ね。編み図は標準的体型の女性向けになっているから、私に合うサイズに変更する工夫が必要だけど、こうまで魅了されているなら苦にもならない。編み図が複雑で目の増減で調整できないから、糸を太くする。糸が太いと針も太くしなくちゃいけないから、自然に編み目が大きくなって、編み地そのものも大きくできる。キッチリ計算できるやり方ではないけれど、やり甲斐は多いよ。多少失敗しても、誤魔化せるようになってきたから、尚更。で、かなり無理がある繋げ方だけど、糸を結んだり編んだりして布にすることは、息子との関わり方に似てると、最近思うようになった。乳幼児の間は凄く気遣いが必要だし、神経質になりすぎて鬱症状が露見したぐらい、何もかもが厭になってた。まるで、40番のレース糸をこんがらがらせて途方に暮れた時みたいに。でも、息子が日本語を理解できるようになり始めてからは、言葉で意志の疎通が可能になって、少し気楽になれた。ポンチョやシンプルなベストの編み図を読めるようになったみたいに、息子の気持ちを観察して癖とか性分を理解し始めたからだろうなぁ。幼児園に入る少し前ぐらいからは、二人で課題を決めて、善悪の分別を身につけようと頑張り始めたけれど、急ぎすぎて息子を混乱させたりもした。叱りすぎて息子の口から本音を聞けなくなったことに気づいたのは、数日前のこと。神経質になりすぎた自分を責めて、母親失格だと落胆した。こんなの、何回目か判らない。そのたびに息子のほうが気を遣ってくれて、「ママのこと、すきだよ」って言ってくれて、二人で泣いて…。ミサンガを作っている時、結ぶ順番を間違えることがしばしばある。その度に先の尖ったピンセットで慎重に解いて結び直す。編み物だって、幾つもポンチョを作ったけれど、残せるのは2着、外出時に着れるのは1着だけ。春夏物だって、まともに着れるのはまだ1着しか無い。失敗作は、捨てずに解き、別のデザインに編み直す。その順番を考えるだけでも楽しい。この楽しさは、「小学6年生になったら、息子は何を面白がるかなぁ」とか「社会人になったら、どんな仕事をするのかなぁ」などと息子の将来を想像する時の気持ちに似ていて、早く見届けたいと逸るから失敗に繋がったり、挫折気分に陥っちゃう。1目1目を丁寧に編まないとそこだけ編み地が「失敗してま〜す」って言ってるみたいになるように、息子にも一度に幾つも課題を押し付けると反対に赤ちゃん返りすることもある。私が自殺念慮に至る前に自力で対処できるようになったのは、ミサンガやストラップを実母の店のお客さんや友人達が喜んでくれるようになった時期と重なる。日記に愚痴ばかり書いたり、殺伐とした場面の続く物語を書いたりしなくなったのは、編み物を始めた頃から。前任の精神科医師が「自信を持つことも大切」としきりに言っていたのは、真実だったんだなぁと実感している。「失敗してもやり直せばいい」と思えるようになったきっかけが、我流の手芸みたいなことってわけだ。育児も育自もそれと同じにしたらいけないけれど、似ているところは確かにあって、一度の失敗が致命傷になるとは限らないから、やり直したり誤魔化したりしながら、次の「予定」や「つもり」を考えながら、自分に合った適量の仕事を、自分のペースで進めればいい。心の底から、そう思う。願わくば、この心境は「天の邪鬼」になりませんように(マジで合掌して祈念)。 |
| 5月26日 それだけ私は単純で短絡ってことやね |
| 現在、失敗作を解いたテープヤーンで春夏向けのカーディガンを制作中。直径4mmのかぎ針でザクザクとシンプルなパターンを編むため、身頃がだいぶできてきた。でも、油断大敵。まだ両袖が残っているし、袖を筒にしたり身頃の肩をはいだり袖を繋いだりした後で、身頃の襟から前立て、裾と長い、長い縁編みが待っている。勿論、袖口にも縁編みが要る。これらが私はかなり苦手。あまり編み図を見ないでザクザク編み、成果がハッキリ見えるのは好きだけど、「はぐ」とか「とじ」といった裏方的な部分の作業は見えないのに凄く大切で、手を抜くと台無しになってしまう。緊張して終わらせると形が出来上がるので試着もできるのに、更に縁編みが待っていて、これがまた長い、長い。前述のルートを一筆書きのように延々と辿りながらこま編みをして土台を作り、同じだけ時間を費やしながら模様編みを施していくのだから、ゴール間近ではあるけれど、身頃よりも成果が見えづらくて1周ごとに大きな溜息が出る。但し、私なりに工夫もしている。例えば、身頃を一続きにしていること。ほとんどの編み図は前後の身頃を別々に作り、脇をはぎ合わせる。身頃を別々に作るのも脇をはぐのも、直感的に「出来てきたぜぃ♪」と実感することはあ〜んまり無い。春までに完成させるつもりだったベストが未完成のまま待機中になったのは、このため。そこで、前後の身頃を故意に続けて編むようにした。前開きのカーディガンだと着た時に両脇がピシッとせずに筒のようになるし、ベストやセーターなら左右や裏表が判りにくくなるが、私の体型がどこから見ても丸いから筒になっても構わないし、ベストやセーターは左脇だけはぐようにすればかえって判りやすくなる感じがする。だから、まぁ、自分でやりがいを感じる方法を選べばいいだけのこと。たったこれっぽっちのことをわざわざ日記に書くことにも、一応理由らしきものがある。それは、綴っている私自身に「大丈夫、間違ってないよ、完成に近づいてるよ」と伝えるため。レース糸で編んでいる大判の三角ショールも40段を超えたし、本命のカーディガンもある程度形になってきた頃から感じているのが、「ここからは、どんなに時間を費やしても、ほとんど進んでいる気がしない…」というもの。パーツを分けて編んでいる時と同じく、「またこれを繰り返してるし、これからも繰り返すのか」と思ってしまうと、そこで放り出したくなり、好きで始めたことを放り出したくなる自分にガッカリしてしまう。そうなると、なんちゃって手芸だけでなく、日常生活すべてに関する自分の非力さや無能さばかりが思考に充満し、実父母や旦那、息子に対する見方までもが不健康な角度に偏ってしまうという、ネガティブな螺旋を描くことになる。心身ともに健全な人には理解できない心境だろうが、たった1つ、それも「どーでもいいじゃん」程度のことで躓いただけでも、ここまで落胆し、自分自身が厭になる人間もいるという事実もあるわけだ。でも、厄介なだけではなくて、少なくとも私は「豚も煽てりゃ木に登る」タイプなので、ミサンガ1本なり編み物1段なりの成果が見えるだけで、「私なりに工夫すればええやんか、悩まんと、次もやっちまえ〜♪」と調子に乗りやすい。乗りすぎて糸を買いすぎてもいけないのだが、当然、刺繍糸も手編み糸も、レース糸同様、山積みになっている。文字通り「山積み」。しかも、更に増殖する予定すらある。が、糸を山積みする分には大いに結構。「ああ、好きな色や質の糸が、まだこ〜んなにあるんなら死ねないよ〜♪」となるから。「旦那や息子にこうなってほしいのに…」という気持ちが山積みになるのを防ぐ、立派な防波堤という役目を果たすことすらある。しかも、コミックスと違って、かさばらないし、利用の仕方もいろいろあるし、それ次第では役に立つ物へと変貌するわけだから、山積みにしていても滅多に叱られない。叱られないなら、そりゃ山積みにして「わ〜い♪」と手放しで喜べるってものだし、喜んでいるうちに何か作れるだけで快方に向かう。つまりは、(ここでタイトルどんっ!)。 |
| 5月24〜25日 学生時代は「23歳までには」だった |
| 久し振りに、寝る直前に服用する安定剤を飲んでから寝てみた。結果、服用後8〜10時間過ぎるまでフラフラヨロヨロしっ放しで、動くどころか完全に意識まで覚醒していなくて、起きているのが辛かった。春になる前ぐらいから服用していなかったのだから、体が薬を飲まない状態に慣れてしまっているのだと思う。いや、正確には、本当は薬を飲んで充分に眠ったほうが心身の疲れが取れるということを忘れたフリをして、3〜5時間で起床してあれこれ行動しているほうが自分も周囲も騙せて都合が良いから、薬の効果で本能的に疲れを取りたがる自分を「ダメ人間」と自ら嫌悪している、と言うべきだ。言うまでも無いが、安定剤の効果は8時間も続かない。それなのに完全に眠気が取れないのは、それだけ休養が必要というサインだ。本来ならば、それに応じて横になっているべきだ。なのにそれをしないのは、睡眠時間が3時間程度だろうと、まったく疲れが取れずに息子に笑いかけることができなかろうと、明るくなる前から自分で起きだし、こうして日記を書いたり、息子の登校順美を整えたりするほうが、健康的な気がするから。少なくとも、「なかなか起きられずに親や息子に起こされてるんです」と誰かにヘコヘコしながら告白せずに済むし、周囲に押し付けている負担が少なくなるから「ちょっとは親としての自覚ができたみたいだな」と実父の機嫌を損ねる原因が減る。そして、そのほうが私自身が自覚するストレスが少なく感じられる。笑えなくても、猫漫画や子供向け番組を見るだけで訳もなく涙が出ても、通院の帰路の運転中に眠くなって車ごとふらついても、家族を騙せるほうが気楽。そう考えていること自体が不健康だと解っていても、敢えて無視。そもそも、30歳過ぎても生きているなんて思わなかったし、結婚や出産なんて人生プランにはまったく加えていなかったから、「母親としての生活」にストレスを感じて当然だ。せいぜい33歳ぐらいには親戚全員から縁を切られるか逆に私のほうから黙っていなくなり、どこぞで行き倒れて無縁仏になるつもりだった、25歳ぐらいの頃から。どこでどう間違えて今の生活に至ったのか、自分でも解らないのだから、毎日が感情すら制御できない場面との遭遇に思えても仕方がないと、半ば諦め始めている。まぁ、中学1年で自閉症同然の状態に陥り、教室のどこにぶら下がろうか考え続けて数ヶ月暮らしたぐらいだから、高校に入る前から「今の人生はオマケ」と周囲にも笑ってかなりバカなことを平気でやっていた人間だもんなぁ、今更「旦那と息子のために料理しなくちゃ」だの「家族のために何かしなくちゃ」って考える前に、「自分の面倒を自分で見られるようにならなくちゃ」だよなぁ、やっぱり。だからだろうなぁ、編み物をしていると落ち着くのは。現在の肥満体に合うサイズの服って探すのも面倒だから、自分で作ったほうがマシというか、好みのものを選べるもん。しかも、洋裁だとサイズが変わったら着れないけれど、編んだものなら使い回しが可能だし、指の皮まで一緒に縫い付ける心配も無いもんなぁ。「自分の衣類は自分で調達できる」っていうだけでも、何となく「自分で自分の面倒を見てます」って気がして、落ち着けるんだろうなぁ。我流だけど、考えようによっては時間も金銭も余分に必要だから意義が消えるけど、「××歳には死ぬからいいや」とか「そろそろ電車やトラックの前に飛び込んだりして」とか思わないでいられるから、まぁ、いっか。 |
| 5月23日 …いくら何でもバカすぎだろ… |
| LightWayファミリーを堂々と使えるようになったので、原稿用紙モードのカスタマイズを開始。ORGAI ver.1の頃からver.2までは縦書き20字×20行でないと落ち着いて書けなかったが、Create novelさんに投稿するようになってからは横書き35字×20行という変則的なマスのほうが楽になった。拙宅に格納されている私の作品の内、「TORAT」だけは縦書き20×20だが、他は全部横書き35×20を用いて、5〜6枚で1回分としている。それが読み手としての自分にとって、最も手軽に読み応えを感じられるから。故に、その理想的な状態を求めて作業を始め、A3用紙で24ポイントの文字を用いることで調整完了できた…と思ったのも束の間、用紙が大きすぎて、画面ギリギリまで書類窓を広げても横スクロールバーが消えてくれなくて、画面のスクロールを窓枠のつまみでやろうとすると右側に移したDockが先に反応することが判明した。「A3のままだと左右の白紙が多すぎるから、用紙サイズをカスタマイズしちまおう」ということで、用紙設定画面で「カスタマイズの管理」に入ったものの、今度は「数値すら入力でき〜ん!」。その窓の左隅中央付近にある小さな+ボタンを押せばいいことに気づくのに、1時間近くかかった。(ここでタイトルどんっ!)とガックリしたので、句読点のぶら下がり処理に関しては、また後日追究することに決めた…(疲)。 |
| 5月22日 「甘えさせる」と「甘やかす」は違う |
| 入学後、息子は「子供返り」した。話し込んでいる知り合い達を見つけると、わざわざ割り込みに行く。誰かに諭されている途中で、「でも」から始めて自分の思い通りにするための主張を繰り返す。他人が持っていて自分には無い物をわざわざ探してまでして「いいなぁ、欲しいなぁ」と羨む。などなど。保育園と幼児園で、「人の話は最後まで聞く」「言いたいことがある時は手を挙げて『どうぞ』と言われるまで待つ」「羨ましいのはお互い様だから我慢する」などを、ちゃんと学んで身につけたはずなのに、全部忘れたかのように振る舞う。こうなった原因の幾つかは、じつは既に知っている。1つは、「学校という新しい環境に移ったことによるストレス」で、頑張って小学生らしく振る舞おうと「背伸び」した分、家では「ちょっと疲れたから甘えさせて」という気持ちの表れだ。故に、「今日も迎えに来て」とか「ママと散歩に行きたい」などのリクエストには、少し無理をしてでも付き合うことを心がけている。が、息子は調子に乗りやすいので、自分の願望が1つ叶うと欲張ってどんどん我儘を言い出す。「○○ちゃんはもっとるけど、ぼくはもっとらんで、△△がほしいなぁ」などの、「無くても困らないし、今までまったく興味を示さなかった物事に関する、他人への羨み」。実父母は昨年度まで、こちらに関しても「ええよ、ええよ」と応えてホイホイ買い与えてきた。しかも、初春から姪っ子と甥っ子その1が実家に頻繁に出入りするようになってからは、3人揃って我儘を主張しまくり、実父母に買ってもらってはすぐに投げ出すという失礼なことを繰り返し、遂には悪癖として身につけてしまった。見かねて、「我儘ばかり言うな」とか「本当は興味が無いから何年も大切になんかしないのが分かってて買うな」と息子を叱ってきたのだが、「アヤちゃんたちはママにしかられんのにコータだけしからるなんて、ずるいなぁ、アヤちゃんたちはいいなぁ」が数回出た。そのたびに「歯ぁ食いしばれや」と前置きして平手打ちし、私が息子だけを叱る理由を聞かせたり、それ以前に話したことを思い出させたりしたのだが、まだ時々出てくる。教育書の著者や信奉者に言わせると、「叩いてから叱るからだ」と私自身が根源的な元凶とされる。ならば、実父母のように徹底的に「甘やかす」べきか? 「いいなぁ」や「でも」が幼児園に入ったばかりの姪っ子の口癖であることも、保育園・幼児園で学んだ事実も、纏めて無視して息子の認識どおりの環境を作ってやるべきか? …(ちょっとクールダウン中)…。私は、叱るたびに叩いてはいない。息子に「6歳児」以上の期待を押し付けたつもりも無い。今までできていたことができなくなっている現況を思い出させる時は、まず一呼吸置いてから視線を合わせて話し始めるようにしている。褒めるべき時には褒めているつもりもある。息子しか叱らないのは、姪っ子と甥っ子に叱ろうとしても逃げ去るからだ。逃げ去るようになる前には、「コータママがこわいことした〜!」と大泣きしながら自宅に帰って嫁さんにヒステリーを起こされた挙げ句、「私だって子供らの面倒を見ずに遊んどれるなら、お義姉さんみたいに精神科に通いたいわ!」と喚かれたことがあった。その時は私が居合わせてなくて、実家から母親を呼び寄せてまでして喚いた嫁さんに対する怒りでキレた実母が「だったら通院しなさい!」と言いきり、嫁さんの母親が慌てて「ほんなことしたらソッチのご両親の面汚しになるで我慢しやぁ」と宥めたと聞いた。私が直接耳にできたのはブチ切れて喚いた嫁さんの言葉だけだが、それで充分、日頃の嫁さんの堅い笑顔の裏側にあるものが分かったのは、言う必要があるだろうか。その嫁さんが「姪っ子と一緒に過ごした時間が最も長い大人」であること、息子が「いいなぁ」と「でも」を言い始めたのは姪っ子と遊ぶ時間が長くなった春休みからであること、姪っ子は息子を見かけるだけで反射的に「いいなぁ、コータくんは」と必ず言うことを関連づけて考えると、息子の「子供返り」の原因の1つの由来が見えてくる気がしてならない。まぁ、こんな話ばかりでイヤ〜な気分で終わるのは、自分にとってもダメージが大きいので、ちょっと不思議な話を1つ。息子は、褒められたり励まされたりすると「ド〜ンヨリ」からいきなり「ヒャッホ〜ィ!」に変わるほどの瞬間湯沸かし器的ハイテンション型人間。旦那と私は、非常に大好きな物事か余程衝撃的なことがない限り、「山も谷も迂回すれば道は平坦」的ローテンション型人間。ローテンションとローテンションから超ハイテンションが生まれるってことは、結婚とか出産とかって足算じゃなくて掛算なのかも。それにしても、息子と私の温度差は違いすぎるんだよなぁ…(首傾げ)。 |
| 5月21日 「知らぬが仏」のほうがいい? |
| 下欄のLightWayファミリーのユーザ登録、完了。メールで即座に対応してくださった山下氏に感謝! 自宅の白リンゴは勿論、実家の新型リンゴ機にもインストール&登録した。ハードの名義と利用者は実父だけど、管理担当は実質的には私なので引っ括めた(山下氏、ごめんなさい:平伏)。LightWayファミリー、本当っ!に助かる。私自身が執筆するのに快適だからということのみならず、老人会(それも複数)の役員を務める実父の「縦書きができて、会計報告書の表が簡単に作れて、中の文字が枠の真ん中に打てるのが普通の、できれば『ワアド』も読めるワープロがいい」という、順番に厄介な我儘になっていく条件を全部満たしているから。しかも、1回ユーザ登録したらアップグレードは無料だし、窓機版も使えるし、「今まで費やしてきたアプリ代は何だったんだろう」と思うぐらい、ありがた〜い逸品。ほとんど作表なんかしない私でも、数分で基本的な表を作って実父に説明できたぐらい、感覚的に書面を作成できる。機能的には、ORGAIにかなり近い。しかも、窓機でもOSがXPまでなら同様に使えるし、窓機屋の統合ソフトの文書を開き、直し、同じフォーマットで保存できるなんて、凄すぎ! 解説ページを初めて読んだ時、「また派手な冗談やなぁ」と失礼な嘆息を漏らした自分を、思い出すたびに「失礼すぎや!」とどついている。それはともかく、インストールと基本作業の説明後、実父がいつもの話をし始めた。どんな会であれ、実父より年上、つまり70代、80代のオッチャン達のほうが多く、しかも大抵は窓機でセットでついてくる窓機メーカーの統合ソフトを使って書類やハガキを作っている。60歳過ぎると頭が堅くなりすぎて新しい物事に対応して思考回路を変化させるのは非常に難しいのに、頑張って勉強してはるワケ。それでも「表を作れても文字が枠の真ん中に来ない」とボヤくそうで、実父が作った会計報告書を見る人全員が「どこをどう設定したら真ん中に入れれるんや」と詰め寄られるらしい。「ほやけど、ORGAIの表は最初から真ん中に入るようになっとるもんで、説明のしようがなくて困るんや」と、実父はウレシソーに言う。これが「いつもの話」。で、今日はこの後に続きがあった。「会計報告書を作るのに、1時間もかからん!? ほんに簡単なのがあるなら、俺らにも教えてくれ」と頼まれ、「マックの『オーガイ』っていうやつや」と答えたら、「マック!? ほんな高いもん買ったんか!? 俺らにゃ高すぎや。せいぜいそこらの電気屋にある安いウィンドウズやわ」と口を揃えられた、と。実父と私が、これまた口を揃えて「どっちが高ぁついてるんやか!」と言った理由は、多分リンゴ機愛用家にはお解りだと思う。リンゴ機は、最初は金がかかっても、壊れるまでに元が取れるから。出荷当時のままかメーカー指定のスペックのまま使っていれば、20年経っても動く。でも、窓機はそこまでもたない。ハードは元気でも、OSやアプリがバージョンアップするのに合わせてスペックを上げたり本体丸ごと交換しなくちゃ他人とのデータ互換が困難になる場合もある。ちなみに、私がネット用に使っている窓機のOSは2000だから、既にiTuneが一部の機能しか使えなくなった。パソコンカラオケも「XP以上にしか対応していません」のメッセージが出るだけで、使えない。無料ゲームだけはギリギリ誤魔化して遊べるものもあるけれど、旦那に「もうOSを入れ替えるべきかもね」と言われたぐらい、不便。そのアップグレードが有料なら、やりたくない。OS屋やアプリ制作屋にしたら、バージョンアップの料金は貴重な収入源だし、プログラム改善作業に対する正当な料金なのだろうが、「数年経ったらサポートをやめるし、今なら割安にするからさ、すぐにUPさせといたほうがいいよ〜」って方針は厭らしいと思うのは私だけ? そんなこんなで、10年とか使っていたら、結局新型リンゴを購入してアプリを一通り揃えたらそのまま使い続けるのと同じか、それ以上の費用が必要じゃん。だからリンゴを手放せないんだよね。蛇足だが、私の体験の中で最悪なトラブルは、「家電量販店によるRAM増設済み窓機の故障」。購入して半月ぐらいで起動しない状態が出始め、量販店の系列の修理部署に出したら、筐体も開かずHDDの交換が決定。実父が管理していたから黙っていたが、症状は完全にそんな程度のものではなかった。事実、修理から戻った数日後から、また同じ症状が始まり、見限られて1年以上放置。実父母がプロバイダごと変更する際に、「どうにかならんか?」と頼まれたので、今度はメーカーのサポートセンターに電話で相談してみた。当然、購入直後の修理に関しても説明した。メーカー側にしたら、「数週間で壊れるHDDを積むな!」と言われたも同然だから、「購入した量販店を通じて工場へ持ち込んでください」と言われた。そうして量販店の窓口に持ち込んでから修復された品が戻されるまでの間に、量販店の担当者vs私の喧嘩腰の遣り取りがあったが、思い出すとムカつくし、その日の「ものぐさ日記」で罵ったので割愛する。結果としては、HDDには故障などなく、量販店で増設したRAMがきちんと刺さっていなかっただけ。「安かろう、悪かろう」なんて言いたくないが、こういう落とし穴もあることは知っておいたほうが無難だろうと思い、書き留めておいた。ご注意あれ。 |
| 5月20日 蓋を開けば難易度は大して高くない |
| 先週、実母へのプレゼントの多方向編みのマーガレットと方眼編みの帽子(花っぽいコサージュ付)を編み終えたし、失敗した渦巻き模様のプルオーバーも解き終わったので、解いた糸でカーディガンを編み始めた。色違いの同じテープヤーンでプルオーバーを仕上げた経験があるおかげで、自分の手のゲージは把握しているし、前後の身頃を繋いで編んだほうが厭きる前に次の段階に移れると判明したので、前開きのカーディガンの中で編み図が最もシンプルでサイズ調整も可能なデザインを選び、現在編んでいる真っ最中。1日にせいぜい2〜3時間しか使えないけれど、5段分ぐらいは進むので楽しい。同時に、レース糸で大判三角ストールも編んでいて、こちらは「やっつけ仕事」。買い溜めたレース糸を処分するのが目的だから。ところが、糸の太さが20番と40番の2種類ある。20番はレース糸の中では太めで、20gで70mぐらい。40番は、20番のほぼ半分の太さで、20gで130mぐらい。40番を2本取りで使うんだけど、40番も1玉ずつしか無いため、編む前に2つに巻き直す必要がある。「一度全部解いて、両端を揃えてから1玉に巻き直せばいいや〜♪」と気楽に考え、実行したが、甘かった…。「真っ直ぐな糸」なんて無い。どんな糸も細い繊維を捻じり合わせて紡いであるから、ピーッと引き出すだけで自然に捩れて絡まる。40番1玉弱(ちょっとは使ったの)を全部解けば、巻き直す前にでっかい糸ゴミが出来上がる。そんなわけで、先週末はピンクの細いレース糸を解きながらリンゴ機や窓機の起動待ちをしていた。少し使って100mぐらいになっているはずと分かっていても、捩れているだけで結び目は無いと分かっていても、さすがに手間取った。それでも折角気に入って買った糸だからと思うと諦められず、数日かけて何とか巻き直すことができた。鬱症状が最も激しかった頃なら、確実に捨てていたのに、だ。その糸も三角ショールに使い始めている。盆の窪に当たる1目に方眼編みを入れてから、6段ごとに方眼編みとネット編みを繰り返しながら大きくしていくデザインなので、糸の量に合わせてサイズを決められる反面、段が増えれば増えるほど1段分に使う糸の量が増える。4玉目の20番約100mは、5段分だった。今編んでいる6玉目の40番2本取りは、3段ぐらいだろう。「1色で最低でも1段は編む」を基本にしているので、もっと大きくなったらレース糸を買い足すことになる。それでも、楽しい。同じ糸でティッシュカバーを粗品として編みかけたこともあったけれど、続かなかった。なのに、自分で使う物というだけで、こうも楽しめるのかと自分でも驚いている。てな感じで随分アナログチックなこともしているが、一応サイト更新を再び中心にし直した物書きもこっそり再開しているつもり。白リンゴの環境がまだ整いきっていないため、内臓バッテリだかボードだかが怪しい黒リンゴに頑張ってもらいつつ、やはりバッテリメータがじわじわと下がるのを見てハラハラ。そろそろ本格的に乗り換えをしなくちゃと、急いで白リンゴ界のワープロソフトやテキストエディタの事情を調べた結果、今まで使ってきたORGAIとYooEditとSimpleTextの組み合わせと互角にするには、白リンゴ付属のテキストエディタだけでなく、mi、LightWay Text、iText Express、iText Proの長所を使い分ける必要がありそうだと判明した。これだけ揃えると、窓機メーカのWord並の作業すらできるらしい。それでいて、LightWayファミリーのシェア2500円でユーザ登録を完了させれば、XPまでの窓機でも同レベルの作業が可能とか(未登録の試用状態でも全機能を使えるけれど、製作者に失礼すぎるぐらい完成度が高いよ、マジで)。私は窓機も使う必要があるからLightWay Textも使えるようにユーザ登録するが、リンゴ機専門ユーザで「20字×20行の原稿用紙モードと縦書き機能が欲しい」というだけなら、iText ExpressとiText Proのセットに絞り、プロキー取得兼ユーザ登録1500円で充分。少なくとも、バカ高い上にアップグレードのたびに追加料金の必要な統合ソフトを使うぐらいなら、安価で機能性も高くてアップグレードの無料というiTextシリーズをダウンロードしたほうがマシ。Expressで窓機メーカーのソフトで作った書類は開くし、Proを使えばほぼ互角の書類が作れる。慣れるまでの間はLightWay Textもダウンロードして試用状態で起動させ、解説書類を開けばいい。同じ人が機種やOSを超えて同じ作業ができるように作ったソフトなので、慣れるまでの簡易取説として使えるから。ちなみに、私はLightWay Textも含めて、2500円でのユーザ登録をするつもり。実父のツテで窓機の某Wというソフトで作ったデータのコンバート&加工を依頼される可能性が高いから。LightWayのほうなら窓機版もあるハイブリッドソフトだし、2500円でiText側も含めたすべてのソフトが使えるから。そして、miはYooEditの代わりとして、サイトのページを作ったり直したりする際に使う予定。無料だし、軽いし、タグに別色を使えて解りやすそうだから。これがケチでアナログ思考でワガママなオバハンが選んだ「乗り換え方」。iText Proで物語を綴って、miでメルマガ原稿やサイト原稿を執筆し、実父に窓機の書類をコンバートしてくれと頼まれたらiText Expressで開いてiText Proでリンゴ機用に変換するか、窓機版のLightWay Textで拡張子を変更しないまま対応するつもり。オールインワン思考の旦那にはバカにされそうだけど、安くて軽くて簡単なんだもん、もう市販の統合ソフトは使えないよ〜だ(ガキっぽく)。 |
| 5月19日 母親っつーより父親だな、こりゃ。 |
| バッテリの怪しい黒リンゴでCDをかけていたら、偶然実父がやって来て、「何や、動いとるやないか!」。言葉の裏には、針千本…じゃなくて、「壊れとらんのに新しいパソコンを買ったんか!」という非難があるワケ。当然、即座に「完全に壊れてから買っとったら乗り換えも何もできんやん!」と言ったさ。同時に、実父は一度もパソコンが壊れて二進も三進も行かなくなる状況に巻き込まれたことが無いのだと、改めて理解した。DTPオペレータ時代に自分のだけでなく同僚のパソコンも含めて4〜6回、ハードディスクがブッ飛んだり、マザーボードがイカレたりして、深夜まで残業したっけ。出産を機に現役を退いてからは、旦那から譲って貰った窓機2、3台、リンゴ機3台を再起不能にして、「サイトの更新ができん…」「もういい加減に中の掃除ぐらいしてくれ…」と涙し合ったっけ。まぁ、正確には、旦那には叱られてシュンとしたし、勤務先によって上司というか社長直々に「すまんなぁ、遅くまで頑張ってもらっちまって」と励まされたり「どうしてパソコンが壊れるんや、原因をはっきりさせてくれんと困る」と仕事中に背後で喚かれて「今はそんなことより仕事に専念させてくださいっ!!」とキレたりした、って語るべきだけど、ね。実父は最後に書いた「ウザい社長」タイプだって、明確になった。「自分のパソコンが壊れたことがないから、パソコンを壊すヤツは余程無茶なことをし続けている上に、そういう自分の悪を棚上げして新型に乗り換えたがる」と、自覚していなくても意識のどこかで思い込んでいて、「壊れるほど使い倒していない自分」を見たがらず、そこを指摘されると一瞬で逆ギレする。新聞配達屋2〜3軒、写植屋2軒、デザイン会社1社、印刷屋1軒を13年ぐらいの間に渡り歩き、いろんな社長や上司を見てきた。実父や旦那は「どこも長続きしないなんて、おまえに落ち度がありすぎるんやないのか?」って言うけど、専門学校や修業先を数軒巡った経験のある実母だけは「ほぉやて、先生や修業先の先輩とかなんてこっちは選べんから、いろんな人がおるなぁって思いながら相手に合わせて立ち回るしか、あらへんよねぇ。あんたもええ社会勉強してきたんやねぇ」と言ってくれた。「ええ社会勉強」は、必ずしも「頂点に立つための修業」ではなくて、きっと「自分らしくあり続けられる人間関係の築き方の模索」が最初にある。善悪の分別は当たり前として、素直に正直な気持ちを出しながら、相手の素直で正直な気持ちを受け入れることができるのが、理想の環境の1つ。少なくとも、私はそれを作るにはどうしたら良いかを考えながら、学校なり会社なりを渡ってきた。2〜3年でそこを飛び出した理由はいろいろあるけれど、言い訳にしかならないからただ「疲れたから」とだけ信頼できる上司以外には告げている。そうして過ごしてきた時期を振り返ると、「私って、いつでもどこでも、自分の面倒だけ見ていられるポジションが性に合ってたなぁ。自分が楽できるように、同僚の得手不得手も探って、互いに楽できる話を持ちかけて仕事を手伝ったり交換したりもしたけれど、基本的には自力で何とかしてたっけ。そういう環境で、自力で作ったものの出来栄えを見るのが、一番楽しかったなぁ」と、遠い目になる。まだ、「遠い目」。でも、部屋のあちこちやパソコンの中身を見れば、編んでいる物、結んでいる物、綴り続けたデータの数々が転がっていて、「今の私の居場所はここだ」と思えるようになってきた。まだ実家のほうが居心地が良いと息子は態度で示すけど、私が何度も怒ったり泣いたりしたから、宿題だけは我が家の自分の机でやるようにしてくれている。そうして過ごすうちに、息子は息子なりの居場所を見つけるだろう。それがどこになるか分からなくて不安でも、私は見た目どおりにドッシリと私の居場所に座って何かを作っていれば、きっとそれだけで良いと信じたい。私は私であり、息子は我が子だけどいつまでもガキでも部下でもないのだから。少なくとも、身勝手な勘違いを正当な正義と思い込む実父のようになりたくないし、息子にもなってほしくない。まずはそこだけ意識して、何かを作っている姿を息子に見せ続けていければ、激しく落胆することが減るんじゃないか、とちょっぴり思う。 |
| 5月17〜18日 報道番組は相変わらず好きじゃない |
| 好きじゃないというか、「いい加減にしてくれ」と言いたくなるというか、とにかく観たくない。1つの出来事についての報道は、1回観れば充分。「9.11」の時、テレビで何度もビルの崩壊の映像を流したせいで、何度もテロが繰り返されたと刷り込まれた子供が少なくなかったと聞いた。今、息子が似た状態にある。平日のニュースとこの土日の報道番組で、ミャンマーのサイクロン被災光景と四川省の震災後の光景を何度も観た影響で、また「お墓」と「死ぬ」話をしたがるようになった。玩具で遊んでいても、大好きなたれぱんだやポケモンの家や学校をブロックで作り、マスコットを詰め込んでから、「戦車が爆弾を撃ったぞ、ドーン!」「大地震だぁっ!」「嵐が来たぁっ!」などと叫びながらブロックを自分で崩し、「あ〜あ、みーんな死んじゃった♪」と微笑しながら言うし、それを大人に「みてて」と頼み、「おもしろかったやらぁ?」とまで言うこともある。それが面白くないことを諭すために、何回か「それで? 救助隊は行かないの?」とか「ママやパパがそこにいたらどう思う?」とか「他の子が同じことを言ったら面白い?」などの質問をしてきたが、今回は「地震やサイクロンの後の景色をテレビで観て、怖くなったの?」とも尋ねてみた。そうしたら、何秒か黙っていた後で、小さく「うん」とだけ答えた。私が言わせてしまったのかもしれないし、「死」や「戦争」、「災害」を具体的に理解し、それに伴う感情を整頓している真っ最中の言動に過ぎないのかもしれない。だとしたら、私の都合で「やるな」と諭すのはマイナス影響になる可能性がある。カウンセラーのお姉さんが私にしてくれたように、黙って見守ったり聞き入ったりするべきかもしれない。でも、私はカウンセリングの仕方を勉強していないし、自分の感情すらコントロールしきれない未熟な人間だ。息子はさらに未熟なわけだから、こんな理由は出すべきではないのだろう。その場その場で最善と思う言動を選び、後でフォローするしかない。私も似たような「道」を辿ったから。私の場合は、「残虐性」だったけれど。小学3年か4年まで、初夏から初秋までの季節になると毛虫を踏み殺せるのが嬉しくて、楽しみだった。わざわざ垣根を漁ってまでして毛虫を地面に這わせて、踏み殺し続けた。靴底にこびりつく緑色が綺麗に見えた。それをやめて毛虫が大嫌いになったのは、「この緑色は、毛虫の内臓や体液だよな。だったら、もし人間が巨人に踏み潰されたら、巨人の靴底には肉色の内臓がこびりつくのか」と、自分が踏み潰される想像をしたからだ。その時になって初めて、自分が靴を履いていない時には毛虫を踏んだことがないと省み、「私って卑怯やな…」と自らの残虐性を漠然とながら認めた。自分以外の生き物の死を重く感じたのは、その後からだったと思う。道具を使って他人を襲うことを卑劣とし、反対に自分はあからさまに凶器と思われない物を使って身を守る方法を考えるようになっていった。そうして現在の在り様がこうなわけで、自分と周囲の環境とで作ってきたことは否めない。だから、息子に対しても、私は私からみた実父母と同程度の影響を及ぼせるだけの環境の一部でしかなく、目を吊り上げたり口を酸っぱくさせたりしても、最後には息子を信じるしかないわけだ。思考がここで落ち着いたのなら、17日の夕方の出来事は嬉しい兆し。実父が用事で目の前の公園に出かけた直後、姪っ子と甥っ子その1と息子が見送ったのだが、「あたしらだけでいって、じいちゃんをおどろかせちゃお」と姪っ子が言い出した。甥っ子その1は一緒に歩き始めたようだったが、息子は黙って立ち止まり、首か手を振って「行かない」と意思表示をしたらしい。「もう! なんで!? ほんなんやでコータはバカなんやわ!」と、姪っ子が声を荒げ、甥っ子その1に「つまらんで、コータとはもうあそばんどこ!」と言いながら自宅に戻ったようだった。この一連の出来事を、私は自宅の中から全部聴いていた。3人は私が壁1枚挟んだところにいるとは知らず、姪っ子に「ウチの息子を呼び捨てにするな!」と怒鳴りつけようと私がドアを開けたら、取り残された息子が驚いていた。結局、姪っ子に怒鳴ることはできなかったが、代わりに、息子に「ちゃんとママとの約束を思い出して、自分は行かないって態度で示したんやね、偉いぞ」と褒めることができた。それだけで息子は大喜びしていたので話さなかったが、たったこれだけのことで息子に救われた人間が何人もいた。それは、約束を破らずに済んだ息子自身と姪っ子と甥っ子その1、忙しく出かけていった実父と、不機嫌になっただろう実父の相手をせずに済んだ同じ用事で出かけた人達、子供3人から目を離したと詰られずに済んだ私と実母と実弟夫婦。「同じ年頃の時に毛虫を踏み殺すのを楽しんでいた私とは、やっぱり別人だけあって、やることが違うなぁ」と、当然のことにだけど、嬉しい感動を覚えた。本当に細やかなことだけど、凄く嬉しかったから旦那に話したら、「ふーん」と非常にクールで不機嫌そうな一言しか聞けず、18日の朝にはガックリしたので、今後はこうした感動を旦那と分かち合う回数を減らすことになりそうだ。ホント、残念。 |
| 5月16日 やったところで誰かに褒められるようなことではない |
| レース糸を纏めて使いきろう(白と黒除く)企画の大判ショールも、14玉中4玉が終わった。現在、太さが半分のピンク色に突入…したのだが、1本を2本取りで編めるように巻き直す際に、大胆に失敗した。7号針で編み直すテープヤーンと同じ要領で繰り返し巻き直していたら、途中でこんがらがって解けなくなってしまった。まるで息子を説教している時の自分の思考回路のようで、解こうと頑張っている途中で厭になってきた。それでも捨てるのは勿体無いし、どうせ細いから結び目が目立たないだろうと判断し、解せた分だけ巻き取って切り、編むのを再開、途中で糸が途切れたらまた端っこから解して、解れた分だけ繋いで続きを編むことにした。白リンゴの環境整備も途中で放置状態になっていて、「シェアウェアやフリーウェアの説明を読むのも書類の保存形態のチェックも面倒やなぁ」と、非常に私らしい理由で半端な状態のまま。他にもいろいろ途中のままの物事がありすぎて、列挙するだけで気力が尽きそう。なので、敢えて原稿のこととか数えたり思い出したりするのは、やめる。代わりに、朝目が覚めた段階で気になっている物事を幾つか書き出し、メモ用紙に書き留め、その中で楽に済ませられそうなものから取りかかることにした。現実には、「楽に済ませられる」よりも「楽に再開できる」が優先されているため、やっぱり中途半端なままだけど。それでも何もしないよりはマシ。やらなかった物事は、もっと楽に再開できる方法を考えることができたりするし。 |
| 5月15日 とりあえず他人に迷惑をかけないように |
| 部屋の片づけをしなくては、と思うだけで何もできない気力状態が続いている。まぁ、できないというより、やりたくないのほうが正確なんだけど。で、このサイトも別サーバのブログも放置同然になっていてそろそろ情報が古くなりすぎてるし、一度に全部は無理だけど少しずつなら何とか修正していけるかもって気がしてきたので、地味な更新というか修正やら改訂やらをし始めてみたのだが、ここに書いたから例によってまたストップするかも。あー、ホント、この天の邪鬼気質って面倒臭いなぁ。天の邪鬼と言えば、昔通っていた高校の近くの田んぼが区画整理によって潰され、ショッピングエリアに変貌、今日から「せ〜の!」で開業された。食品販売はスーパー、通っていた書店が引っ越して本とCDとDVDを販売、近隣都市に本社のあるドラッグストアと衣類・寝具販売チェーン店とホームセンタータイプの店舗と、日常生活の大半で困らないエリアになった。ちなみに、家電・パソコン関係は少し離れた所に全国規模のチェーン店が既に開業しているので、ホントーに便利になった。敢えて困るとしたら、病気になった時ぐらいかも。まぁ、市内で一番大きな総合病院から遠くないけど。そんなわけで、当然今日から週末まで開店セールが始まったけれど、行く気は全然無い! トイレットペーパーが18ロールで298円だのと大特売情報は耳にしていても、同じ物を狙って誰もが押し寄せる駐車場に車で出かけたくねーもん。近場の店に行ったら、対抗しているわけじゃなくてもいつもより安くアレコレ売っていたので、そっちで用は足りたし、さ。そのついでに、息子名義の預金と自分のヘソクリ預金それぞれ2ヶ月分と、自動車税の振り込みを済ませておいた。ヘソクリ預金は今月下旬にガクンとクレジット会社に持って行かれるけれど、息子名義の預金のほうは毎月1万円ずつと決めて「0を4つ取ったら息子の生誕後何ヶ月経ったか判るようにしよっと」という予定が崩れ、お年玉やら入学祝いやらでミリオン突破。日常生活で突然入り用になった時のためと光熱費や教育費の引き落とし用として設けた預金もあるけど、それすら追い越しちまった。息子の将来を考えると凄くありがたいことではあるから素直に喜ぶようにしてはいるし、日本で最も派手な結婚式をやりたがる文化圏に引っ掛かってるって知ってはいるけどね、だからって未就学児に1〜5万円もお年玉を出すとか入学祝いに5万円を包むのってどうよ!? 事あるごとに、それも受け取る側が遠慮できない場合に限って、諭吉っつぁんが何人も入ってる袋を渡されるのって、辛いよ? 「羨ましい!」って思った人、想像してみなよ、舅や姑だけでなく遠縁の人、それも結婚式で顔を合わせただけの人とか、旦那の実家の隣家ってだけの人から、「可愛く育ったらしいから」って諭吉っつぁんを1人とか3人とか包まれるんだよ、それも毎年の正月に。景気次第でクリスマスとか誕生日にもほぼ同額が届けられるし、その上に入学祝いで割り増しされたら、どんどんソッチへは出かけるのが心苦しくなるってもんでしょーが。そりゃキッチリ半額以上のお返しを強引に渡したくなるって、マジで。でもね、これでもまだ「半分」なんだよ、怖さは。一昨日、行きつけの書店が店舗引っ越しって分かってたから、会計の時に入り立ての店員さんなのについ「店舗拡大おめでとうございます」って言っちゃった。言いながら「あ、ご祝儀を用意し忘れた」とか考えちゃったよ、マジで。書店側としては「引っ越しても通いますから定期購読も継続でお願いします」だけで充分嬉しいはずだって分かっているから、ご祝儀なんか出したらかえって失礼なのに、ねぇ。だから思ったわけよ、「ああ、(やたら豪奢な縁者に)毒されてるよ、自分…」って。人間、己の分を弁えるのって、凄く大事だよなぁ。ただ、今日、銀行の駐車場で不慣れなところに車を入れちゃって、そこから出る時に頑丈なブロックで出来ている花壇の枠に後部バンパーを思い切り擦り付けちゃったんだけど、それで厄落としできた気がした。「やっぱり私は鈍感でぶっきらぼうで何をやってもどこか1つぐらいはミスをしちゃう未熟者だから、少しばかりヘソクリがあるからって自惚れたり偉ぶったりしちゃ、あかんよなぁ」って。そうでなくても調子に乗りやすい性分だもん、他人に迷惑をかけない生き方だけは忘れないようにしなくちゃ、だわ、ホント。 |
| 5月14日 そろそろ見極めにゃならんなぁ |
| 私の部屋にあるパソコンは、OSが2000のままで時々動画や音楽が見聞きできない状態になるデスクトップ型窓機と、モニタと電源コネクタが不調のノート型黒リンゴ、内蔵バッテリだか電源コネクタだかがもしかしたら静電気で壊れたかもしれないノート型黒リンゴ、先日届いたばかりの白リンゴの、合計4台。窓機もOSをそろそろ替えにゃならないけれど、そのためにまずデータの移行とネット環境を白リンゴで無事に再現できるようにしておきたいから、まだ取り掛かれない。不調の黒リンゴ2台には、未読メールマガジンが大量に残っていたり、書き上げた作品と書きかけの作品がORGAI書類のまま500〜600枚蓄積されていたりする。正直に言うと、コピーデータの引っ越しとか、ストックデータの引っ越しとか、納得と満足が得られるソフトの見極めとか、OSのバージョンアップの仕方の勉強とかが、面倒臭すぎ! やり始めちゃえば没入して息子の送迎も忘れて作業できるけれど、どれを優先すべきか考える時間が長くて、頭のほうが先に疲れちゃう。とりあえず、白リンゴにはまだApple社へのユーザー登録情報しか入っていないから、壊れた時のダメージが最も少ない状態と言えるというわけで、まずは文書作成ソフトの比較からと決めてみた。で、昨日の分にあるように、いろいろと試しているのだけれど、これがなかなか悩ましい。縦書きに対応しているソフトは数あれど、原稿用紙をカスタマイズすると文字が升目から飛び出したり、htmlデータとして書き換えられなかったり、仕入れた情報と異なる仕様になっていたりして、何を選んでどう使うかきちんと考えなくちゃならなくなった。しかも、黒リンゴ2台からデータを移すには、コンパクトフラッシュで1度窓機に移し、窓機からUSBメディアにコピーしなくてはならない。これがまた面倒臭い。でも、もうそろそろ「面倒だ、面倒だ」と言ってられる状況ではなくなってきたからなぁ、ホント、何とかしなくちゃ、だわ。 |
| 5月13日 白リンゴ、到着! |
| 実父宅の一体型デスクトップリンゴ機の起動が、めちゃくちゃ速い。「ケッ、誕生日を祝ったり新年の挨拶をしないリンゴなんざぁ、リンゴじゃねぇや」と内心で否定していたが、あまりにも早くて羨ましくなった。しかも、今使っているノート型黒リンゴの調子が微妙に悪化し続けているみたいなので、ノート型白リンゴの中で最もスペック的に低いものをリンゴ屋に直接注文し、今日、無事に届いた。凄いね、今のパソコンの外箱って。もっとゴツイのが来るかと思っていたけれど、手提げ用の取っ手までついていて、大きめのアタッシュケースみたい。そこから出てきた白リンゴ本体が、これまた薄いし軽いし、その上、白いし、つい「ホントにリンゴかぁ?」と独り言ちてしまった。いろんな工夫が施された結果、こうなったんだろうと解っていても、もっと薄っぺらなリンゴも販売されていると知っていても、黒リンゴ所有者としては騙されてるような気がするってワケ。それはさておき。今月の初めだったか、実父の新リンゴに無線LANを設置した。あまりにも簡単だったので、ユーザー登録とワープロソフトのダウンロードだけお世話になろうと思い、同じ回線を使わせてもらった。が、同じリンゴ機であることと、実家と我が家が極めて近いこととで、帰宅してもまだ繋がっている…。仕方がないので自宅の無線LANで繋ぎ直して使用回線を固定しようと決めたまでは良かったが、現在私が使っている窓機にくっついている無線LANはUSB接続ではなかった…。ガックリしたものの、全然ネットに繋がらないわけじゃないから、悩まなくていいかと開き直っている。そんなわけで、久し振りに書店でリンゴユーザー向けの雑誌を買った。データの引っ越しと、ネット上から最適な文書作成ソフトを探すために。ソフトの選択規準は、「縦書きが可能」で「表組が簡単」で「カスタマイズできる原稿用紙モードがある」の3つ。最初はiWorkで大丈夫だと思っていたけれど、縦書きができなくて断念。今のところ、旦那が使わなくなったEGWordを実父に譲っている。が、表組の調整がどうのと言われたし、できれば他のソフトで作ったデータとの互換性が欲しいという第4の希望まで出されたので、他人事ではないし、個人が作成しているオンラインソフトを参照してみることにした。目をつけているソフトもあるので、ちょっと頑張ってみるつもり。蛇足だが、スペック的に実父のリンゴより劣る分、我が白リンゴは起動がちょっぴり遅い。遅いと言っても、黒リンゴよりは速いので、既にデレデレ。自腹を切って購入して善かったぁ…(阿呆)。 |
| 5月11〜12日 悩むのは欲しいから |
| 精神状態が多少浮上したものの、まだ息子に笑いかけることはできないので、放牧中。おかげで、23日遅れでメルマガを発行できた。母の日だったので、実母から改めて「服、ありがとうね」と言われた。旦那からは、「母」として私がやっていることは少ないし、「お互い様」という意味だろう、ショートケーキを奢って貰って、息子も含めて3人で「美味(うま)、美味」。実母からの追加リクエストの帽子が、予定よりも大きめになりそうなので、ある程度編めたら被って貰って確認しながら次の段階へと進めている。「パーマかけた髪が潰れんほうがありがたぁで、これぐらいでちょうどええよ」とのこと。編み直しにならないのはありがたいが、同時に、今のペースだと残り糸がまた中途半端にできそうな予感。帽子のデザインがマーガレットと比べて単調すぎるので、初の立体モチーフに挑戦し、帽子に安全ピンでつけれるコサージュも編もうかと思案してもいる。ここに書いたから編まないか編めないかするかもしれないが。こうしたあれこれをしている間、じつは「仮面ライダー祭り」のテーマ曲のCDが欲しくて、初回限定版を5枚揃えるか否かを悩んでもいた。「白リンゴで10万円以上使うし、今月中に自動車税も納めにゃならんし、DVDも毎月の4番組分以外に『電王』の劇場版のファイナルカット版も届くし、ああああああああああ…(以下、言葉にならない)」てな具合。私の場合、「あああああああああああ」状態になったら、既に購入を7割方決心しているも同然。「あああああああああああああ」は、「あ〜あ、今月はヘソクリできないなぁ、数字が増えるのが楽しみだったのに〜(歯噛)」と、ほぼ同意だから。気づいたのは、最近、新しいノート型パソコンの購入を決意した頃だけど。解っているから、無論、注文した、5枚とも。ボーナストラックが異なるだけで他は全部同じという、avex社の下心見え見えの売り上げ伸ばしの策略に見事に釣られたわけだが、買えなくなってから後悔するより心にモヤモヤが残らないだろうから、考えないように努める。不幸中の幸いなことに、現在、編み物のシーズンでもなければミサンガがブームになってもいないし、国内外共にタロットの新製品の売り出し期間でもなく、買い揃えたいコミックスの発売月でもないので、オン・オフの書店に注ぎ込むお金が少ない。遣り繰り次第で「万が一用預金」だけでも毎月どおりの金額をキープできる可能性がある。ヘソクリ専用預金はガクンと減額するが、それは自業自得だし、来月からいかに増やすかと遣り繰り方法を思案する楽しみができると思えば、まぁ、「大打撃」とは感じないから、平気、平気。こんなことを書くと守銭奴のように思われるかもしれないが、半分当たりで半分外れ。預金残高を増やすのは趣味の1つだし、趣味は私にとって仕事よりも大切なだけ。それに、預金なんて預け先が倒れたら返してもらえないんだから、現在のご時世では博打感覚が否めないし、尚更酔狂な趣味ってワケ。更には、趣味でしかないから、今月のように「買うか諦めるか悩むなぁ」が多すぎても、最後にはスパッと「買っちまえ〜♪」となる。結婚した頃の旦那は眉根を寄せていたけれど、最近はこうした私の行動パターンと気性を理解したらしく、「放置すると悶えながらサイトを彷徨ってるし、『買っちゃった』の暴露の仕方がいろいろあるから面白いし、黙って観察してるだけ」だそうで、今回も、白リンゴの時もCDの時も、大爆笑された。「目が回るほど悩んだんだよっ」という言い訳をするためだけに、廊下でクルクルと独楽のように回って故意に目を回したことや、悩んでいる真っ最中に同じように物陰でクルクル回っていたのを目撃したのみならず、私が目撃されていたことに気づいていなかったのが愉快だったようだ。一般家庭なら喧嘩の原因になりかねない浪費話で爆笑を得られたものだから、現在、「次はどうやってウケを取ろうかなぁ」と悩み始めていたりする。こんなんだから、「根っからのお笑い芸人」と旦那に言われるわけだ。今、気づいた(遅すぎ)。 |
| 5月9〜10日 白リンゴだけが「希望」かも |
| 心のあり方は、もう書くことすら面倒なぐらい、上下に微動しながら、大局的には下降中。とりあえず、「何でもいいから安定剤の類いを重ね飲めば自殺と自傷は防げる」と判明したので、事あるごとに薬を服用している。服用間隔の最短記録は、15分。食後のトリプタノールを飲んだ後、アーテンを追加したけれど治まらないから、コンスタンを追加という具合。これでダメだったら更にトリプタノールを飲むかレンドルミンで無理やり寝入るしかない、と考えていた。幸い、コンスタンで落ち着いたので、7日以来畳んでいなかった洗濯物を畳んだり、本来ならもう取りかかっていたはずの失敗作のベストの解体をしながら、フルボリュームにしたShuffleでZANを独りで聴いていた。メルマガの発行を忘れていたわけではなく、書けない状態と自覚していたので、書かずにいる。食器を洗うことですら、「どうしてこんなに手間取るんだろう」と自己嫌悪の材料になりかねなくて、落ち着いたからと言ってすぐには取り掛かれない。こうした事柄を思い連ねてはストレッサーになると解っているから、ボリュームを最大まで上げるしかなかった。実父母や旦那に気持ちをぶちまけたりするべきかもしれないが、「健康な時にはできて当然な事柄ができなくなった自分を嫌悪したり憎悪したりする心境」を理解してもらうことなど、不可能だ。それはこれまでの6年間の通院生活で何度も期待して働きかけては裏切られた心境に陥っていたし、子供の頃に同じクラスにいた知的障害を持つ子の言動を理解したくないと思っていたという事実が私の中にあるから、キッチリ理解している。故に、1秒先の自分が自分を殺さないように、自分でどうにかするしかない。私なりに考えたというか、不幸中の幸いと言うべきか、今使っているリンゴ機の電源やバッテリの状態が怪しいし、実父がOS Xのリンゴ機を購入したばかりなので調整やらソフトの見繕いやらを頼まれているし、私も今度は旦那に頼らずに新しいリンゴ機を自分で購入してみた。ネットを使ってAppleストアに直接注文したのでまだ届いていないけれど、クロック周波数が2.1GHzの白いMacBook。受注連絡メールが届いたので、きちんと取引を終了させるまでは死ねない。品が届いたら届いたで、登録やセットアップなどが完了しないと気が済まないだろうし、今まで面倒だと思っていたそれらの作業がちゃんとできたら少しは自分自身を見直せるかもしれない。こういう下心がアリアリ。それにしても、私って、落ち込みかけたり完全に落ち込んだりすると、それに比例しただけの現金を使う習癖があるんだなぁ。おかげで、何故だか棒編の道具も揃っているし、ミシン糸24色だのレース糸10色以上だの綿や毛や絹の糸玉だのタロットだのパソコンだのと、溜まりまくっている。そりゃ旦那が呆れるわけだわ。まぁ、だからってやらないようになんか努力しないけれど。そんな努力をしたら、今度はどうやって闇から這い擦り上がるか、空想すらできないから。 |
| 5月8日 結局死ねなかったか |
| 引き続き、キレていた。さすがに午後、息子を迎えに行ってからは、自制が利かないことに気づき、頓服を服用せねばと考えた。が、既に遅かった。頓服として処方されている薬は、毎日朝食後と夕食後に服用している分に含まれているもの1種類と、それでも自傷や自殺の衝動に駆られる場合にと処方されているもの1種類と、睡眠不足を自覚した場合にと処方されている入眠剤1種類の、合計3種で延べ14錠。これらを除けて、服用し忘れるなどして溜まった100錠は下らない、もしかしたら300錠近いかもしれない、安定剤以外の薬剤も含む大きな袋の中からテキトーに選んだ5錠ぐらいを飲んだのだから。しかも、その1時間半後にも入眠前に服用する安定剤2種各1錠を3回分取り出して服用したため、夕方には躁状態を脱したが、酩酊して真っ直ぐ歩けなくなった。その状態で車を運転し、電気屋へノート型リンゴ機の下見に行ったのに、どうして対向車線に行かなかったかなぁ、自分? 酩酊状態のまま夕食を済ませ、次第に鬱状態へと陥るのを自覚しながら床に倒れて仮寝し、結局旦那が帰宅する前に寝入った挙げ句、25時頃に目が覚め、29時現在、こうして日記を書いている次第。「どうせなら全部服用すれば良かったのに」とか「車でどこぞのフェンスに突っ込めば良かった」とか、完全に自殺念慮に至っている。台所では、既に旦那が朝食を済ませた。自分でノート型リンゴ機を購入するかもしれないことと鉛筆を購入したことをほのめかしただけで、一昨日以来の出来事は話していない。仕事だけで疲れ切っているだろう旦那に心配をかけたくないというのは立前で、実際には話すのが面倒だとか話したくないとかの私のエゴ故。こんな私を見ているわけだから、息子がどんなに狡猾に育とうが、全責任は私にしか無い。こうまで意見がガラッと変わっている段階で、躁鬱状態がいかに危険か解るだろう。蛇足だが、躁状態の間はどこぞで自分の娘とその友達の少年を殺した母親の真理を理解できたし、鬱状態の現在はそんな自分を殺したくて仕方がない。結局どちらもできなかったことだけは自分で褒めてもいいかもしれないと考えてもがいているが、それを実父母の前で口に出すと「なにバカなこと言っとんの!」と怒鳴られる。その罵声が私の僅かに残る生きるための気力を踏み躙ることなど、実父母は爪の垢1粒ほども想像すらしない。肉親と言ったって、所詮そんなものなんだから、私も数年後には息子から今現在の私と同じ目で見られるのだろう。そうしたら、その時こそは自分を殺せる、きっと。私自身が手を下さなくても、2ヶ月前に「ママは死んだけど僕は我慢するで、天国で待っとってね」と言ったぐらいだから息子が殺してくれる。否、息子を悲劇のヒーローにしてやるためにも、私は自分で殺さねばならないか。ああ、でも、その前に実父母に殺される可能性も高いな。殺してくれる人間が身近にいるのがこんなにいるなんて幸せだと考えている心理状態を、果たして誰が受け止めてくれるやら。 |
| 5月6〜7日 守銭奴と予定外の注文は嫌い |
| 連休中に母の日のプレゼント用のマーガレット(ストールのアレンジ版)が仕上がったので渡したのだが、その際に「糸が余っとるなら夏用の帽子も編んでくれる?」と実母から予定外の注文が…。編むのは好きだけど、既に自分用の品を予定していたし、正直なところ赤色は好きではないので、「まだこの糸を編まなくちゃいけないわけ〜?」と落胆に近い心境になった。実母は一応「できたらでええから」とは言っているが、どうせ「まだ?」と数日置きに訊くに違いない。気分転換用の「レース糸全玉使い果たし大判の三角ショール」も、現在はピンク色3玉の真っ只中。奇跡的に1日1玉ペースでピンクを乗り越えたとしても、次は橙、その次はペールオレンジと、暖色系が続く。逃避するように執筆を始めると、リンゴ機の電源コネクタ部分は完全に接触しなくなったのか、充電している気配が無い。数回差し込み直せば、偶然に接触して数分間だけ充電するものの、内臓バッテリが衰えているためもあって、残量は増えない。電源コネクタの不調でノート型のリンゴ機を使用不能にしたことが、過去に2回ある。1回目は、本体側のコネクタがバキッと音を立てて折れてしまい、廃棄するしかなくなった。2回目は、今回と同じ接触不良だが、バッテリ残量がほぼ0になるまで使い倒してバックアップを取らなかったため、旦那に叱られながら何とか稼働してくれる1〜2分を繰り返し使って自作ファイルだけはリカバーした。ただ、未読メルマガが残っているので、本体ごと廃棄するのは避け、寝入るまでの間に読んだりしている。それだけなら30分以上稼働するのが、謎のまま。もっとも、夜通し電源が入っていることもあったので、最終的には液晶モニタが先に壊れ始めて、画面に細く何も映らないラインと真っ白に発行するだけのラインが数本ずつ入っている。この2台と比べると、今使っているリンゴ機はまだまだ使い倒せる余地がある。旦那曰く、「そんなわけあるかぁっ。今のうちにバックアップを取っとけっ」とのこと。過去2回の「何とかしてハードディスクの中身をコピーして♪」という私の注文が、いかに面倒臭かったかが推察される。そんなわけで、現在、次のノートパソコンを物色中。当然、予定外の買い物。ヘソクリを増やすのが趣味なので、「ちっ、予算外っつーか、今までコツコツ貯めた金額を削るのか」と舌打ちする程度では済まないぐらい、不愉快。それでも現在使用中のリンゴ機が再起不能に陥ったらどうしようもないし、旦那の隠しパソコンはもう1台も無いらしいから、自腹を切るしかない。「型落ちして叩き売りに出ている窓機を買って一太郎をブチ込むと安上がりだけど、エディタでも困らない程度にしか使わないソフトに2万円もかけたくねぇなぁ。でも、原稿用紙モードが無いと、日記と創作の気構えに分別がつかねぇしなぁ。それに、キーボードはやっぱりリンゴのほうがタッチが好いし。それに、新しいノート型は電源コネクタが壊れにくそうだし。でもワープロソフトが無いんだよなぁ」と、悶絶していた。まぁ、結局、偶然「たまづさ」と「Lightway(だったかな?)」なるOS Xに対応したシェアウェアの存在を知ったので、もうノート型窓機という選択肢は消えつつあるし、貯金を切り崩すだけの価値を新ノート型リンゴ機に感じてもいるけれど。それでもやっぱり「予定外」というのが面白くない。そんな折に、息子と書店に行ったら、これまた偶然に電車が印刷された鉛筆と出会ってしまい、「買わねぇぞ」と言ったものの諦めきれなかったらしく、実母と二人になった時に唐突に泣き始めて「えんぴつかってもらえんかったでさみしくなった〜!」とハッキリ喚きやがった。そして、私はキレた。「大切にしろよ」と言って買い与えた物の大半は、持ち帰った段階で放り出される。しかも、「ママがかってくれんで、じいちゃんにかってもらいたい〜!」らしい。その「じいちゃん」が旅行で不在だったため、「じいちゃんがかえってくるまでがまんするけど、やっぱりたるぅ〜!」と延々と泣きやがった。日頃あまり遊び相手になってやらないから淋しくなったのかと心配して駆け付けてギュッと抱っこして聞いた「淋しくなった理由」がコレでは、私でなくてもキレるのではないかと思う。実母は「ほんに怒鳴らんでもええやん」と息子を庇ったが、そうするから息子は調子に乗るし、売場で「ママがかってくれんのなら、じいちゃんにたのめばいいや。じいちゃんならナイショでかってくれるもんね〜だ」と無意識に算段することになるのだ。そんな息子の卑劣さ、狡猾さに対して、さらにそれを承知で甘やかしてばかりの実父母に対して、キレた。そんな私に対して実母が言った台詞が、「まぁやめたりゃあ、私らももう買ったらへんで」という、今まで私がキレるたびに聞いたものとまったく変化の無いものだったから、更に更にキレた。無論、「そう言ったのは何回目や! いつも裏切りやがって!」と怒鳴り返した。怒りのあまり、安定剤を服用することも忘れ、7500円かけて店頭にあったものよりも珍しい上に上等な電車鉛筆を注文してやった。これも「予定外の注文」であり、不愉快。不愉快だが、買うしかない。説教するたびに最後の勘弁に至る前に息子を私から引き離し、慰みに欲しがる物を躊躇も諭しも無く息子に買い与える役を、ジジババがやるのだから。息子の目にも、他人の目にも、私は怒鳴り散らすだけのキチガイでしかなく、優しさの欠片も無いネグレクト中の無責任な母親にしか映らない。言葉と動作で息子を安心させる役回りが来ないなら、ジジババに先んじて「買ってやった」という現実を作るしか「点数稼ぎ」の術が無いではないか。だからそうするだけなのに、「身銭を切るだけで親を気取れて安上がりやなぁ」と実父にイヤミを言われたことがある。そっくりそのまま熨斗もつけて返してやりたいと恨んで、何が悪い? このムカつきを忘れず、必ず思い出すためにも、私は貯金から7500円を費やして電車の柄の鉛筆を息子に買い与えると、キレて決めた。早ければ、今週中に届くだろう。「もういらない」と息子が言ったり、「怒鳴りつけとったくせに何で嫌みったらしく買ったんや!」と実父母が喚いたら、目の前で全部バキバキに折って投げつけてやると腹を決めてもいる。誰から見ても、私はキチガイとして映るだろう。だが、私自身は知っている。私はキチガイだからこうまでムキになるわけではない、と。「こちとら、そこらのチンピラ程度なら気迫負けしたことが無いだけの怒気は持っとるんや。だからこそ自宅と家族を守る役目を果たすと決めて結婚や出産を決めたんやし、ちゃんと果たすための努力をしとる。生活費の遣り繰りかて、他人に甘えとるだけに見えるとしても、相応の見返りを果たしながら務めとる。それを認めんって言うなら、キチガイ扱いして縁切りでも何でもやれってぇの。そんな度胸もあらへんのなら、他人のくせにウチの息子を甘やかすな! 親を見捨てて他人に甘えるな!」と言いたいだけなのだから。ちなみに、息子が強請ろうとした物は量産品のようだったが、私が注文したのは外箱ごとディスプレイに利用できる数量限定のシリーズ物で、1本100円以上で売られる計算になる鉛筆。それを両手と机の角か何かを使って圧し折る日が楽しみだ。ついでに蛇足だが、1万円札をビリビリに細かく破いて、実母の美容室の店内にバラ蒔くのは、もっともっと愉快だし、有意義な「札」の使い方だと私は常に楽しみにしている。 |
| 5月4〜5日 「石」繋がりでお出かけ |
| 連休中で最も恐いのは、子供達の遊び方。小学1年になったばかりの息子が最年長で、隣家には幼児園児になったばかりの姪っ子と保育園児になったばかりの甥っ子その1がいる。やっと靴を履いて駆け足ができるようになった甥っ子その2はともかく、この3人が厄介。単身では大人しくしていられるのに、2人、3人になると、大人の目を盗んで悪戯をし始める。どいつも第1と第2の違いはあれど反抗期真っ只中だから、「アタシのほうがスゴイことできるよ」だの「こんどはアッチでイタズラしてきてよ」だのと、姪っ子が言い始めると、「ぼくのほうがスゴイんだってば」だの「しかられるからイヤだけど、やらないとバカにするからやってやるよ」だのと意地の張り合いに突入し、大人が気づいた時には「庭を荒らした」とか「日照り続きの時のための貯め水を全部抜いたばかりか飲んだ可能性がある」とか「他所様の庭を掘った」とか「家主同士が不仲の家の畑を荒らした」とか「家主同士が露骨に喧嘩している家の敷地に入り込んで出入りできるサッシのガラスを叩き回った」とか、エスカレートする、する。ちなみに、これらは息子の卒園式から入学式までの2週間で、3人が実際に仕出かしたことばかり。おかげで、現在のゴールデンウィークは、「何としても悪戯を防ぐべし!」というのが大人達の課題。特に、実父母にとっては、とっても重要。平日でさえ甥っ子その2を預けられたり、帰宅した子供達が唐突に押し寄せて「ごはんをくわせろ〜!」と喚き散らすものだから、2日の夕方、実父が私に結構真剣な表情で、「連休中は、市の関係の施設とかでイベントをやるらしいで、それに(息子を)連れてったらどうや」と言ってきた。そんなわけで、4日は地元の化石公園に行き、大量の鯉幟と露店とサイエンスワールドの簡単な実験体験を楽しむべく出かけた。身近な道具で簡単なギミックを作ったり、化学物質の性質を利用してミニサイズのオブジェを作ったりと、旦那と息子が大喜び。私も以前から興味を持っているニュートリノに関するコーナーを見つけ、元素の陽子と電子よりも更に小さな粒子に関して理解が少し深まって、満足。売店で水晶のポイントを発見した息子は、初めて自分で選んだ天然石を買い、ホクホク。その勢いに乗って5日には少し遠出して、博石館へ。こちらは日本有数の御影石の産地にある石材店が運営している施設で、御影石以外の鉱物も展示・即売している。中でも人気なのが、宝石探し。大きな石の水槽を川や池に見立てて、水中の砂に紛れている天然石を30分間で拾い集めるという企画。冬以外は連日行われていて、連休などの人が多い日には数分置きに係員が比較的大きめのさざれ石や握り石を投げ込んでくれたりするので、まったく収穫が無いという人はいない。但し、入っている石のほとんどが、質的に残念な大粒か、研磨の下拵えの際に出る細かいさざれ石なので、良質で大粒の石だけを狙っている人はあまり満足していなさそうだった。それでも最低30種類は常備されているし、ダイヤモンド(キュービックジルコニア)も紛れているため、狙いたくなる気持ちは解る。解るだけに、私は比較的粒の大きな石は息子の皿に入れ、他の人達が拾わない小さなさざれ石を優先的に集めた。結果、息子の皿には「瑪瑙と水晶のハーフ」とか「ラピスラズリとソーダライトのハーフ」などがころころ、私の皿にはマラカイトやシトリン、カーネリアン、ハウライトなどなどカラフルな小粒がじゃらじゃら。旦那は別の場所で「適当に砂ごと攫った」結果、透明度の高い水晶各種がじゃらころ。他のゲームも楽しんだものの、私が「テンションを目茶苦茶上げたり目つきが変わるほど真剣になっている間は土砂降り」の雨が降っていたらしく、主に屋内の展示を見ながら売店へ。息子は白瑪瑙のピラミッドのオブジェ、私は浄化にも使えそうなクリアクリスタルの水晶のさざれ石約230gと握り石2種類、旦那は「最後の1袋だった」各種天然さざれ石が推定250〜300g詰まった「地球のかけら」という袋売りを、それぞれ購入。帰宅後、3人で「収穫」と「土産」の石を机に広げ、私が買い集めたアクセサリーやビーズをサンプルにしながら石の種類の推理を楽しんだ。ちなみに、「地球のかけら」にはルビーやガーネットなども入っていたし、宝石探しの収穫も含めると、「もしやトパーズ?」とか「小粒だけどエメラルド」とかがあって、驚きつつも喜ぶ、喜ぶ。でも、私が最も驚いたのは、昨夜から38度を超える熱があった息子が、「イジでもいく!」と言い張って37度台に体温を朝までに下げた上に、御守りにしているクリソコラの原石を撫でさせた頃から急速に平熱に戻り、帰宅後はすっかり元気になっていたこと。初めてさざれブレスを買った時にオマケで貰ったクリソコラのミニブレスを「息子が性質の悪い病気を拾いませんように」と念じ、息子の通園・通学鞄にこっそり入れていて、その途端、胃腸風邪で下痢や嘔吐を繰り返して入院、なぁんてことが無くなった。だから「熱が下がりますように」と言いながら息子の手を持ち、半ば無理やり撫でさせたのだが、念のために上着を1枚増やしたり車中では静かにさせたりした甲斐もあって、見事に半日で回復したから驚きだ。蛇足だが、息子が最も驚いたのは博石館の施設の1つのピラミッドが想像よりも大きかったことで、旦那が最も驚いたのは私が集めた天然石の種類と質量の多さだったとのこと。「道理で到着した途端に雨が降るわけだよね〜」と言われた理由は、ここで述べるほどのことではあるまい。 |
| 5月3日 「ゲツゲツカースイモクキンキン」ってな〜んだ? |
| 市役所の厚生関係の課から通達があった。「今年で40歳になり、壮年期に入るので、『節目検診』を受けるように」とのこと。「ソウネンキ」という言葉に、少し茫然とした。「中年と呼べるのは三十路まで」とは思っていたから、「三十路を卒業したら壮年期だわな」と理解はできても、感覚的にはショックだ。「実父母が『還暦おめでとう!』って言われた時の気持ちって、こんな感じに似てたのかなぁ」と、妙なところまで思念が広がった。若いつもりはない。でも、老け込んじゃいそうな現実を他者から知らされたくなかった。そんな気持ち。無意識に「私は壮年以上の連中より考え方だけは若いもん」という気持ちが根付いていたため、「次の誕生日から私も壮年の仲間入り」という現実に気づき、根っこがいきなり痩せ細ったわけだ。これに似た思いを、4月に旦那に味わわせたっけ。テープヤーンでプルオーバーを完成させた日の夜、「この出来なら一緒に歩いてくれる?」と尋ねた時に。それまで旦那は、私が激太りしてから並んで歩いたことがほとんど無いことに、気づいていなかったようだ。明らかにドキッとしたという表情をしていたから。それに、その後は私も一緒に出かけた際に、ある程度離れてしまうと立ち止まって待っていてくれるようになった。横に並んだり手を引いたりは無いけれど。もしダイエットに成功して妊娠前ぐらいスタスタと歩けるようになったら、横に並んで話しながら歩けるかもしれない。そんな薄い期待を抱いてはいるものの、言われなければ私と歩いていないことに気づかなかった旦那に対して白けた気持ちを抱いたのも事実。「だったら、人一倍運動したり食事制限したりして一気に痩せて、見返してやれば?」と、実母によく言われる。外出先で私の子供の頃を知っている人に出会った場合も、「よぉ肥えやぁたねぇ、少しは痩せたほうがええんやないの?」と必ず言われる。このような言葉を私に直接吐き出す人達は、激太りの怖さを知らない。現在の私の体重は某所に記載しているのでここでは触れないが、その数字とは別の、減らそうとして減るものではない数字もある。それが、体脂肪率。結婚当初、私の体脂肪率は25%前後だった。現在は、平均55%。つまり、2倍以上。それだけの脂肪がどこに溜まるかというと、内臓と全身の皮下。血液検査を受けると、必ず「脂肪肝」と診断され、血中中性脂肪率の上昇を防ぐ薬を処方される。数年前、脂肪肝と診断された時より更に年単位で前に、肝臓のエコー診断を受けた時、「肝臓の表面の5分の3から4分の3ぐらいが脂肪に包まれている」と医師に言われた。その頃の体脂肪率が35〜40%だったから、今同じ検査を受けたら、肝細胞は表面からは見えないかもしれない。それどころか、心臓や肺にも脂肪がついている可能性が高いと思う。当然、血管の内側にも脂肪やコレステロールの壁ができたから、血圧が高くなり、心拍数は1分間に80以上だ。少しの運動で息が上がり、脈拍が急上昇するから、体を動かすのが怖い。動かないから、筋肉が退化し、代わりに脂肪細胞が溜まる。20代に左手中指に嵌めていた指輪が、小指の途中までしか入らない。靴のサイズは23.5cmから24.5〜25.0cmになった。衣服のサイズが大きくなったのは誰にでも予想できるだろうが、選ぶ時に肩口、つまり袖の太さも考慮しなくてはならないなんて、思いもよらないだろう。それだけでなく、呂律が回らなくなると告白すると、大抵の人に驚かれる。頬の内側や舌にも脂肪が溜まるのだろう、早口で喋ろうとしたり、英語の発音を正確にしようとすると、歯で噛んでしまって口内炎ができやすくなるのだ。この状態でダイエットのために無理して体を動かすと、心臓にも良くないし、筋肉を作り直したり動かしたりする際のエネルギーとして脂肪が一時的に増加する。それぐらい怖いから、「動け」と言われると、「てめぇが激太りしてダイエットに成功してから言いやがれ!」と心の中で罵倒している。実母に対しては、直接怒鳴ったこともある。勿論、上記の説明を丁寧にした後で。そんなこんなで、私が選んだダイエットの仕方は、「春と夏に4〜5kg落として、秋と冬の間にそれが普通なのだと全身に納得させるべく増やさない」というもので、食事は多めでも間食は極力避けているし、音楽は必ずボーカル曲で鼻歌程度でも歌いながら聴くし、横にならずに座って執筆や編み物をすることで指先をとにかく使う、というもの。後は、とにかく薬剤治療と無呼吸症の軽減。時々はお菓子をたらふく食べてストレスを防ぐ代わりに一時的に体重を増やすけれど、リバウンドには至らない。でも、「なんちゃって手芸」を1日でも怠けると、「Climax Jump DEN-O form」のラップ部分で呂律が回らなくなったり、ソプラノオカリナの穴を指の中心で押さえられなくなったりする。キーボードを叩く時にも、DTPオペレータだった頃の感覚で指を動かすと違うキーを叩くなど、支障をきたす。嘘みたいだが、本当の話。だから、私は家事全般を怠けても、手先で何かを作ることだけは休みたくない。息子に厭な顔をされても、旦那が呆れても、使わないかもしれない物だろうと、とにかく結んだり編んだりしているし、独りの時間にはこうして長文を入力している。盆・暮れ・正月も、こうして過ごした。気分は、明治より以前の農民ってな感じ。晴れたら田畑で作物の世話をし、雨が降ったら家で縄を編んだり細工物をしたりという暮らしに似ている。気分が良ければ家事も少ししながら編み物と執筆、心に雨が降っているなら本や愚痴書きで回復するのを待つ、というところが。そんな自分の生活を省みたら、昭和初期に流行した歌の「♪月月火水木金金」を思い出した。やはり私は、旧世紀のニッポンジンだし、そうあることが嬉しい。素直にそう思う。 |
| 5月2日 また連休が厭になりそうだから |
| 最近、というか春になってからかなぁ、息子が背伸びして大人振ることが増えたおかげで、本当はダメだけど、帰宅後も子供だけで遊ばせている。昨日と今日は徒歩数分の川原へ行きたがって実父母に同行を強請っていたけれど、私には連絡と報告のみ。いずれ「おまえは親らしくないだろうが」と実父が目を吊り上げて喚く時が来るだろうが、今は無視。そうでもしないと、明日からの4連休が憂鬱で仕方がないから。長く通ってくださっている方はお気づきかもしれない、連休前に私が「地獄の…」とか「決死の…」などの暗〜くて厭〜な印象の言葉を綴らなくなったことに。病状が快方に向かっているからではない。その証拠に、服用している薬は減っていない。では何故かと言えば、旦那や息子、実父母が、連休中も私を「放置」してくれるから、だと自分では考えている。数年前の精神科初診の際、カウンセラーのお姉さんに「実のなっている木を描いてください」と言われ、幼稚園児並の絵を描いた。「早く描かなくちゃ、待たせちゃいけない」という気持ちと共に、「枝ってどう描くんだっけ? 根っこは? そうすると、地面もか」などと具体的なことを考えつつ、ありきたりな「根っこのある、幹もそこそこ太い、枝も太いのが数本ある、葉っぱの広がりは綿飴みたいに適当に丸っこいラインで描いた、リンゴに似た小さな実がたくさんついた、1本だけの木」を渡した。それで何が判るのか不思議だったけれど、ほんの数日前、知ってしまった。実母の店用に買っている女性週刊誌の記事に、まったく同じものがあり、見るべきポイントと判断のサンプルがあったから。それによると、「実のなっている木」は「自己肯定度」なるものの判断補助になるらしい。あくまでも「補助」であって「規準」ではないのが、重要なポイント。そして、私が描いた木の絵は、多くの人が描きやすいものだから「型破りなことはしたらいけない」という観念を持っている可能性を視野に入れねばならないタイプの1つだが、「自尊心を持っており、それを優先しようとする典型的なタイプ」だそうな。何がどう描いてあるからかに関しては、同じテーマで患者を理解する入り口を作る医師達のために、書かないでおく。それにしても、自尊心があって自分のことを優先するって、当たり前やん? …あ、「典型的なタイプ」なんだから、そうか。だから私が「鬱病」という言葉を使った時、カウンセラーのお姉さんは「私達医療関係者は『鬱病』とではなく、『鬱症状』と呼んでいます」って言ったのか。息子の保育園入園の際、医師も「こういう症状は他人に理解されにくかったり偏見の目で見られがちなので、『自律神経失調症』と書いておきますね」って言ったっけ。まぁ、症状は確かに「鬱」とか「躁鬱」だし、今でも俗に言う「トンネル」から抜け出た気はしないけど、本当は私が「大人になりきれず我儘を言い続けているだけのガキ」でしかないってことかもって気がしてきた。実際そうだろうと自分で思うけれど、あんまり考えないでおこう。だって、(以下タイトル)。 |
| 5月1日 継続は力なり |
| 久し振りに、マトモなことを考えた。かぎ針編みを始めて、自分で自分の好きな物を作る楽しみを思い出した。粗品にしているストラップやミサンガも、最初は「綺麗だなぁ、もっと作ってみたいなぁ」という気持ちの暴走で増殖した。それが他人に喜んでもらえると判ったら、別の物も作りたくなってレース糸を買い溜めた。ポケットティッシュカバーを編んだり、組紐にするつもりだった。でも、組紐はあまり人気が出なかったし、ティッシュカバーは挫折の連続になり、両方とも中止した。残った大量のレース糸は、いろんな色と太さのものが、20gぐらいずつあるだけで、小物以外の何にもならないと溜息が出た。しばらくして見方を変えて、一度諦めた大判の三角ショールを編もうと決め、グラデーションっぽくなるように配色を考え、中央から裾へと好きなだけ伸ばすことが可能なデザインを活かし、0号レース針でチマチマと編んでいる。但し、用いる時間は寝る直前と息子を迎えに行った時の待ち時間のみと決め、それ以外の時間は基本的に別のことに費やしている。それでも案外編めるもので、現在、3玉目。カラフルになりすぎるから人前では着れないと解っているのに、チマチマと厭きもせずに編んでいる。ティッシュカバーなら、とっくに1ダースぐらいできているに違いない。いや、大袈裟か? それでも、まぁ、編み続けているからこそ物の形ができていくのだし、それを嬉しく思うこともできるのであって、悪い結果にはなっていない。他の編み物も、単調すぎない模様ならば、2〜3週間でそれなりの形にできるようになってきた。どちらも、極めて不思議だ。細いレース糸が大きな布になったり、斑の糸が模様になったり。しかも、気持ちが迷った時に編んだ目は、後から見てもそうと判るほど形が崩れている。ただ1つ、コレだけは絶対に変わらないと言えるのは、達成感。どんな物であれ、完成した瞬間の充実した心持ちは、まさに天にも昇るって感じ。悲喜交々が編み込まれているから、尚更。こういう心の持ちようは、本当は、私はとっくに知っていた。短編小説や長編小説を仕上げた時の、あの気持ち。思い入れのあるキャラクター達が収まるべきところへ辿り着き、充足を語った瞬間の喜びと、読んでくださった方々からの恐れ多くもありがたい感想を戴いた時の慶び。執筆が途切れている作品ほど、今から続きを書いてもブランクが響いて見えるのは、間違いなく私自身が招いた報いだ。それでも、書きたいという気持ちが燻っている。あれこれ取り組む順番を考えていたが、そんなこと、考えるんじゃなかったと、少なからず後悔している。書きたくなったものから書きたいだけ書けばいい。私はプロじゃないから。常に最高の品質を求められているわけじゃないから。やっとそんな心持ちに辿り着けた…かもしれない。 |