ものぐさ日記
小学校のイベントは毎月あるらしく直前まで忙しくなりそうです
自分の通院なども含めると特に前半は予定が定期的に入っていて不安です
それなのに旦那は平然とライブに行くんですよね…
| 7月30〜31日 安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」は名言中の名言 |
| 思えば、昨秋、「指編みでなら息子にマフラーを作ってあげられるかも」と考えついたところから、編み物生活が始まった。かれこれ9〜10ヶ月前のこと。結局、息子はマフラーを使ってはくれず、旦那には「いらない」と即答され、自分用の品をメインに編むようになり、現在に至っている。1年未満だというのに、糸へのこだわりが急激に膨らみ、現在手元にあるのは天然素材の糸がほとんど。デザイン集も、かぎ針編みを中心に、数年前の本をも探して買い集め、好みの服のページに坊主を挟みまくってある。来月下旬から出始めるポンチョ類や秋冬糸用のデザイン集をチェックしているのは、言うまでもない。その合間に、またミサンガも作っている。ストラップ同様、楽しみにしていてくださる常連客様がいるとのことで、以前ほどのペースではないものの、オリンピックに便乗しているのか新たに出版されたデザイン集も買い、可愛いものや綺麗なものを選んで、結んでいる。多分、私の枕元の本棚は、春夏用のかぎ針編みとミサンガのデザイン集だけならば、近所の書店よりも充実しているだろう。大人向けの塗り絵も、クーピーペンシルの長所と短所が少しだけ見えてきて、未熟ながら何とか、他人に見られても逃げ出したくなるほどには下手でなくなったと思う。サンプルのように、なんて考えるから上達しないらしい。生まれて初めて12色よりも多くの色を揃えたのだから、それらの発色を楽しんでいたら、何となくではあれ、「こんな感じかな?」と納得できるようになってきた。題材にもこだわらず、とりあえず年賀状を戴いたものの返事を出せなかった人と、暑中見舞いをくださった人へ、残暑見舞いを出せるよう、季節の花である朝顔のポストカードに挑戦中だったりする。メルマガや物語の執筆も、頭の中で内容を繰り返し吟味し、可能な限り読みやすく解りやすい文章を模索中。ペースが落ちた分、ネタは増えたが、語彙は狭まった。気のせいではないので、頑張らねばなるまい。無理と無茶はしないつもりだが。結局のところ、私は常に何かを創っているほうが落ち着く人間であり、予定や願望はどんどん膨らみ、実力の成長がその膨張に追いつかないだけのようだ。だから、他人の目には何もかもが中途半端で、すぐに放り出しているように映り、忘れた頃にまた取り組むから、現実逃避ばかりしていると思われがちなのだろう。思い立ったが吉日などとは言わないが、忘れた頃に閃きがあり、それを試したくて長く休んでいた物事に再挑戦するのは、確かに自覚している。この気紛れに他人を付き合わせてしまうと、迷惑がられるわけだ。なので、今後も好きなことを続けるにあたり、他人を巻き込まないよう努めることにした。まぁ、今までと同じ、ってことだけれど。 |
| 7月29日 何でも新鮮なうちが華 |
| クーピー付きの大人の塗り絵は、私にはまだ早すぎたらしい。結局、バラの花は重ね塗りのしすぎで色が載らなくなって、失敗。書店に行く日だったので、ついでに解りやすい手引書で、絵の小さなものが無いかきょろきょろ。で、発見したのが、「こころリラックス」シリーズのポストカード版。書いてあることはほとんど同じなんだけど、「1部分に重ねる色は3〜4色にしたほうがいい」とか、「最も明るい部分の色から塗り、影まで塗ったら輪郭を影の色で少しなぞると絵が締まる」とか、私にとっては感覚的に解りやすいことが書いてあった。帰宅後、同じシリーズの他の本はどんなものがあるのか調べたら、筆者が一人ではないことや、同じ人の解説でも多少説明が異なるものがあると判明、店頭で確認して購入できた本が解りやすいもので良かったと、しみじみ思った。別の棚には「eco織り」なるものの書籍が入っていて、それがどうやら最も簡素な手織りと確認、即購入。以前流行した「裂き織り」ではあるけれど、道具から身近な物を利用するという内容。編み糸が残っているし、とりあえず1枚でも塗り終えられたら嬉しい。モチーフが後ろ身頃の羽織も、袖に踏み込んだ。モチーフ部分以外は基本的にネット編みなので油断していたら、目の増減が加わっている影響で、なかなか進展せず。片袖の1/4しかできていない。まぁ、こちらはこちらでデザインは好みだから、何とかなるだろう。 |
| 7月28日 近所の店も険しい山も歩き出さねば行けやしない |
| 背中に大輪の花モチーフをあしらった羽織物の、主役のモチーフ部分を編み終えた。今度は、袖の後ろ半分。その次に、袖口から始めて、前身頃。最後に縁編み。言葉でなら簡単だけど、編むのは大変。まぁ、楽しいから平気だけど。衝動買いをした大人の塗り絵も、指導ページを見ながら1枚目のバラの花を塗り始めた。難しい。今までベタ塗りしかやったことが無いし、明るい部分から塗り始めるとか、その明るい部分のトーンとなる下塗りに重ねる色も明るい色や補色を塗るとか、美術センスがほぼ皆無の私には、めっちゃくちゃ難しい。練習のつもりでテキストとにらめっこして塗ったバラの花弁は、サンプルとはまるで違うものとなった。まだ葉や茎が残っているけれど、放り出したくなるぐらい。まぁ、絶対にサンプルどおりにならないとダメじゃないから、自分だけの花にしようと開き直ったけど。モチーフ繋ぎの六角形ポンチョ・ウール100%版は、早くも数日間で1〜2枚繋ぐだけというスローペースに。モチーフ繋ぎの台形のショールかポンチョにしたいほうも、ここ数日はノータッチ。まぁ、モチーフ繋ぎはひたすら根気よく続ける必要があるから、気力が足りないならやらないほうがマシって解っていて休んでいるけど。長編の物語の執筆も、これらと同じ。頭の中では概要が完成していて、結末まで決まっている。それを書き出すだけと言えば「だけ」なのだが、私の中では既に完結しているために、「またこれを省みるのか」と思ってしまい、踏み出せないまま時間だけが過ぎている。多分、という言い方は不適切だろうが、私は我侭で、まず自分が楽しくなくては何もしない。人として、楽しさを誰かと分かち合う明るい気持ちが何割か欠けていて、自分の価値観でのみ物事を理解する未完成状態の人間でしかない。そんな自分を罪悪の塊としか見ていないと、自分を殺したくなるし、どうして親しくしてもらえるのか解らなくなる。まぁ、何か編んだり結んだりしているうちに、多少は持ち直せるようになったから良いけど。あるオカルト雑誌に「人は誰もが何かを創るために生まれてくる」という言葉が載っていた。まったくその通りだとまでは言えないものの、なるほど確かにとは納得した。自分に可能な範囲がどんなに小さく狭くて窮屈だろうと、何かを創る時間は楽しく感じる。「嬉しい」「やったぁっ!」という気持ちがある時は、自分を殺したいと思わないし。学生時代並に遅筆になったけれど、山頂だけは見失わないようにしなくちゃ、だね。 |
| 7月27日 他人の前にまず自分を大切に |
| 息子にクーピー22色セットを発見された。が、「絶対に譲らんぞ」とピシャリ。中身を相当見たそうだったが、諦めてもらった。その頃、旦那は金魚の水槽の水を換えたり風呂の掃除と水張りをしたりしていたし、昼食の買い出しのついでに来月分の生活費を引き出したりと、妙に気遣いが目立った。不思議に思っていたら、午後になって「同僚の結婚式の二次会に行ってくる」と言い残して出かけて行った。やはり、というか、相変わらず、というか、まぁ、既に私も息子もガッカリとはしなくなった。ただ、「他人のためにならフットワークが軽いのに、私と息子に関する事柄には踏み込むことから珍しいなんて、変な人」とは思う。「義理を果たす」のと「相手を大切にする」のとは、行動的には似ていても、伴う心情は似てもいない。それに気づいているのかと、心配になる。もっとも、私も近年まで気づかずにいたクチだから、偉そうなことは言えない。「息子のためなら無理してでもどうにかする」と頑張りすぎては、息子の言動にいちいちイライラしていたし、死にたくなる時も多い。当然、息子は笑って私を見ないし、私も息子に笑って話しかけられない。「いくら息子が大切でも、今は無理! 笑えない! 寝るっ!!」と勝手に休んだほうが、息子も好きなことを勝手にやるし、起きてから数分間だけでもじゃれたりできる。「自分を愛せない人間は、他人を愛する術を知らない」とは、こういうことを言うのだろう。初めて英和辞典を作った人が、「love」という単語の意味として「大切に想ふ」と記したと聞いたことがある。大切に「する」のではなく、「想う」。自分のことを大切にしたいと思えない人間には、そりゃ己の子供に対して大切に思えるはずがない。生活や面子を守れば済むことではないし、だからこそ些細な動作で伝わってしまうのだと、私は感じている。躾とか教育とか以前に、命とか魂について、きちんと考えたり話し合ったりできることが、必要だ。その機会を保持するためにも、私は自分の健康を守らねばならないし、家庭環境や社会との繋がりも意識して暮らさねばとも思う。…と、こんなことを、金魚の食欲と水温を見比べながら、考えていた。 |
| 7月25〜26日 やっちまったら後悔しないで対処の仕方を考えろ |
| 暑くて溶けた思考で、クーピーペンシル22色つきの大人の塗り絵を買った。何色が入っているか確かめる前に、「じいちゃん宅でお絵描きする時に使え」と言って、息子にソフトケース入り12色セットを正式に譲った。で、その後、22色の中に青色、水色、黄緑色、紫色、黒色が含まれていないことに気づき、ガックリ。近似色があるし、重ね塗りで表現できると知ってはいるので、まぁ、諦めは早めについた。というか、12色セットに含まれる色なら文房具を扱う店で単品買いが可能だし。問題は、単品ではあまり売られていない、22色セット独自の色。特に、淡色は重ね塗りで作れないから、1本ずつ補充するしかなくなっても、クーピーペンシル30オンカラーなどの大人の塗り絵向きセット単位で入手するしかなさそうだ。…ま、いっか、何とかなるなら。それに、そこまで使い込めるかという疑問のほうが先に立つし。とりあえず、今は憧れの中間色を眺めてホクホク。で、通常の書店通いの日じゃないのに出かけたのは、クーピー欲しさだけ故ではない。ネット書店で完売になり、田舎の個人経営の書店でも完売し、書籍問屋に直接取り寄せ注文したかぎ針編みの本が書店に届いたから。編み物のデザイン集には、2種類ある。初心者向けのザクザク編める入門書と、製糸会社と提携して糸の個性を活かした凝ったデザインを集めた本。前者も一応糸屋さんとの提携版があるけれど、基本的に「早く編めて気軽に着られる流行にも乗っかった小物や羽織物」がメイン。糸屋さんと提携した書籍とは、編み地の凝り方がまるで違う。糸屋さんと提携しているデザイン集では、デザイナー諸氏の腕の見せ所と言っても過言ではないぐらい、個性的な仕上がり写真と挑発的な編み図が並ぶ。昨冬の私には身頃のサイズ変更なんて考えることもできなかったから、ベストやカーディガンに挑戦している現状が夢のよう。それに、体格が体格だから、「可愛い」とか「スタンダード」とか「華麗」なんて印象の服を着ても似合わないので、デザイナーが凝りに凝った、言い方は良くないが、奇抜な印象の服のほうが着やすい。何しろ、市販品には無いから。他人が着ていたり、店頭でマネキンが着ていたりすると、比べられて苦笑されるけれど、比較対象が無いデザインなら苦笑される前に「よぉ編めたねぇ」と言われる、必ず。それに、サイズ調整したり失敗しても、バレにくい。ごしょうさん(お世話になっている糸屋さん)の糸には、有名メーカーに劣らない挑戦的な糸もあるし、定番商品も割安だから、奇抜なデザインだろうが大人っぽいデザインだろうが、相性の良さそうな糸をすぐに入手できるし。ということで、昨年見たものの「個性的すぎて、好みだけど、私にはサイズ調整できないや…」と諦めたデザイン集を思い出し、注文したというワケ。「着てみたい、編んでみたい」と思うデザインに遭遇すると、色鉛筆やカラーサインペンのセットを見ている時みたいに、物凄くドキドキワクワクする。実母は「夢が増える」と言うが、私は「夢」とは思わない。善く言えば「生き甲斐」、善くない言い方なら「世間に叩き付ける挑戦状の執筆中」。「俺ぁ、こういうふうに生きてぇんだよ、文句があるかぁっ!」って感じ。学生時代から他人に気を許していそうでじつは斜に構えているというのがノーマル状態だし、頑固すぎて自分で納得するまで他人の言葉を信用しないから、いつも言動が奇抜だったらしいし、自分のミスは自力で何とかしなくちゃダメだと思い込んでいる人間だし。結婚して子供も生んだけれど、やっぱり根本的な性分は変わっていないみたい。だから「小学生の頃から変わらんねぇ」って言われるんだな、多分。今更気づいてどうするんだって、ねぇ。もう笑い飛ばすしかないや。 |
| 7月24日 何であれ買う前にいつどこでどう使うのか考えろ |
| クーピーペンシル60色セットが欲しい。色鉛筆。12色だけじゃないやつ。カラフルで、重ね塗りが楽しくて、ちょっとお洒落なグラデーションのアレ。24色でなら妥協してもいい。でも、30色なら通常版とオンカラー版の両方が欲しい。それだと色がダブるし高くつくから、60色のほうがいいけど。もっと妥協して、「大人の塗り絵」の第1弾の22色セットがくっついているアレでもいい。12色じゃないやつ。曼荼羅塗り絵も好きだけど、もうちょっと絵的なやつも塗りたい。「大人の塗り絵」ほどゲイジュツ的に塗れないけれど、アニメ風のデザインの塗り絵式タロットならやってみたいから。プリンタでコピーして、好きなカードを何度も塗ったりしたいから。あー、でも、22枚全部とかは塗り終える自信が無いなぁ。息子のほうが12色のクーピー、ガンガン使ってガシガシ削って、私が貸したセットをあっという間に短くしてくれちゃったんだよなぁ。そこまで私が使い込めるわけじゃないし、編み物とか執筆とかもやっているし、曼荼羅塗り絵も何日もかけてやっと1枚を塗り終えるのが現状だけど。でもなぁ、欲しいなぁ、カラフルなクーピーペンシル…。画面で見ると、綺麗なんだよなぁ。いいなぁ、60色セット…。そんなの、使いこなせるはずが無いけどさぁ…。欲しいなぁ…。…ああああああああああああ、暑くて思考が溶けてるなぁ…。 |
| 7月23日 何人たりとも他人の睡眠を妨害するのは許されない |
| 鬱症状の最良の薬は、休息。最も休める状態は、睡眠。俗に「安定剤」と呼ばれる薬剤を服用すると眠くなりやすいのは、そのため。まぁ、病んでいるいないに関わらず、睡眠というのは大切で、妨害されると誰だって怒るし、不足すると心身のコンディションが悪くなる。と、言うわけで、私はとにかく眠って気持ちを切り替える必要があるのに、妨害されて、ムカつき中。妨害したのは、隣家のオッサン。4〜5年前に私が警察に「小さい子がいて心配です」とメールしたことがあり、それを嫌がらせだと思い込んで、深夜、酒癖の悪さに任せて塀越しにギャアギャア喚いた、という因縁のあるオッサン。あの時は、本当に家の中まで怒鳴り込んで来るかと思って怖くなり、翌日に警察に電話して「無かったことにしてください。でないと、また深夜に喚き散らされたり、大家一家に怒られたりして、住んでいられなくなるんです」と、結果的にフォローになっていない訴えをしたっけ。その後も何度かヤバそうなことがあったが、大抵は我が家の軒下に近い柵の向こう、オッサン自身の自宅の裏の狭い所から怒鳴るというのがお決まりになり、内弁慶というか、小屋に繋がれている時しか吠えられない犬というか、オッサンの小心者レベルを見せつけられてきた。で、昨夜は、その極めつけというか、小心者にプラスして身勝手さを自ら暴露しまくっていた。どういう具合だったかと言うと、風呂だか夕飯の時だか知らないが、孫か息子に夫婦喧嘩を咎められ、「いっそ離婚すれば?」的なことを言われたらしい。奥さんと喧嘩するたびに「出てけ!」「死ね!」と怒鳴っているから、当然だ。が、昨夜はその咎めに対してオッサン以外の家族全員が賛同して、オッサンを詰ったようで、21時過ぎから23時過ぎまでずーっと、敷地の隅っこ、道路の傍らで、「子供に言われて離婚や、リコン!」とか「家におると嫁や子供に殺されるわ!」とか「こんなに助けてーって言ってもだーれも助けてくれん!」とかと、延々独りで喚く、喚く。オバハンが説得しようとすると、「助けてー!」だの「殺されるー!」だのと棒読み口調で騒ぐ、騒ぐ。あんまり長々と喚くから、一度は実父と揉めているのかと心配になり、外に出て様子を窺ったほど。結果、オッサンが独りで喚いているだけと判明し、今度は八つ当たりで我が家か実家に暴れ込むかもと心配になり、せっかく安定剤を服用したのに眠気が吹っ飛び、27時を過ぎても眠れなくなった。ホント、ムカつく。オッサンのほうは、結局、オバハンが警察に連絡し、路肩でうたた寝しているオッサンを起こしてもらい、警官と知って「殺されるもん、俺」と喚くのを説得してやめさせ、24時少し前に回収したそうな。その数分後にもう一度オッサンが外に出て「殺されるー!」と騒いだが、それは数分で終わったので、私だけが聞いたらしい。ホンットにムカつく。ウチの息子が生まれたばかりの頃、平然と敷地に砂利をズガガガガガと打ち込みやがったので無神経な連中だと知ってはいたし、喧嘩するたびに「出て行け!」「死ね!」「殺したる!」と罵声を浴びせ合う語彙の少なさに呆れてきたし、そんな環境で育つ姪っ子と同い年の子が心配で通報したらギャアギャア文句を喚き散らされて怖くなったりしてきたというのに、無視していれば今度は「助けてくれん!」と喚かれたり自分達で警察に頼ったりしやがって、身勝手にも程がある。否、こんな程度で私のムカつきが止まるはずが無い。むしろ、こっちが「てめぇら纏めてくたばりやがれ!」と怒鳴り込みたいぐらいだ。蛇足だが、結果的に近隣の家から無視されているそのオッサン宅にいる子は、前述のとおり姪っ子と同い年で、息子の1コ下。その子がまた、姪っ子並に悪戯の度が過ぎたり、「○○なんかもうしね!」などと平気で喚いたり、大人の目を盗んで黙々と嫌がらせや暴力紛いの虐めをできる性分に育ちつつある。それらを目の当たりにするたびに、私は息子に対する接し方や躾の仕方を振り返り、反省したり厳しくしたりする。無論、どれも私が独りで空回りしてしまい、結果的に息子を傷つけるだけ。ホント、しょーもない、アッチもコッチも。だから、眠らなくちゃいけないっていうのに、冒頭に戻って無限ループ。 |
| 7月22日 アナログ人間よ、胸を張れ。 |
| 毎年書くことの1つ、「我が家にはエアコンは無い」。専ら扇風機。しかも、窓を閉め切った状態で。窓を閉め切っている理由は、少し前に書いたとおり、両隣の園児共が迷惑行為を楽しみやがるし、その保護者共は謝罪もしなければ自分の子供や孫に躾をするつもりが一切無さそうだから。おかげで、私は製造から数十年経過しているはずの扇風機だけで夏を乗り越えるわけだ。まぁ、電力に頼っているからあまり威張れないが、それでもエアコンが無ければ一年中過ごすことができない連中よりは、地球に優しいかなと思っている。地球に優しいで思い出した。編み物、スローペースだけど、一応進んではいる。今使っている糸は、天然素材100%ばかり。はっきり言って、レーヨンやポリエステルが混入している糸より、軽い、柔らかい、気持ち良い、編みやすい。手織りに使える糸もあり、細くても丈夫で、太い毛糸並にガシガシ編んでも傷まない。素材が違うだけでこんなに感触が違うのかと、改めて感激中。特に、モチーフ繋ぎ。昨冬に制作したモチーフ繋ぎのポンチョは、アクリル100%の百均屋の糸を2本取りにして10/0号かぎ針で編んだから、モチーフそのものが固く、繋いだ部分もガチガチになり、途中から編むのが辛くなった。そうなるのを覚悟して絹糸では三角形、毛糸では小さい六角形と、それぞれ3年かけるつもりで制作し始めた。ところが、どちらもモチーフ1枚ずつが柔らかく、繋いでもそこだけガチガチにならず、絹糸のほうなんて最初から1枚として編んできたかのよう。当然、繋いだところはすぐに見つかるし、引き抜いた箇所は他よりも少しだけガチッとした感触が、探してそこだけ摘めばちゃんとある。それでも、意識しないと見つからないぐらい、気にならない。他人様から見れば、「このクソ暑い時に編み物なんかするなよなぁ(怒)」と思われるだろうが、夏には夏のニットがあり、夏だからこそ仕入れることができる素材もあるのだ。だから、私はいつでもどこででも隙あらば編み物をしているし、少しでも使い回せる長い糸だけになるよう工夫したり、糸ではなく完成品そのものが長持ちするよう自分の好みを模索したりと、手だけでなく思考回路でも楽しんでいる。無論、汗をダラダラ流しながら。旦那を始め、エアコン完備の勤務先や自宅で過ごすのが当然の人達には、「汗臭い」とか「見るだけで暑苦しい」などの言葉を、聞こえても私からは見えない所から言われ続けている。そうして後ろ指を差されたり一緒にいることを露骨に嫌がられるのは辛いけれど、「旬」を意識して暮らしたり、自分で「旬」を探して見出したりしていると、恥ずかしいとは思わなくなれる。逆に、機械的に環境を整えられたところで、四季を無視して、汗を流したり厚着したりしない人達を見ると、可哀想に思えるようになってきた。体温調節すら他人任せにしていて、本当の健康を保てるものだろうか? 全身から汗を出しながら、すっかり冷房苦手人間に戻った自分を鏡で映し見て、超肥満体故に損することと得られたこととを思い出し、これからも汗だくになろうと決めた。 |
| 7月20〜21日 喉元を過ぎても胸の手前で改めて熱くて痛くなる |
| 夏休みの冒頭から、浜松へ1泊2日で旅行。バスツアーではなく、旅行会社経由で宿を予約し、往復は電車。後は、出たとこ任せの緩い計画。初日は宿の目の前の浜名湖パルパルで、2日目は浜北のフルーツパークで、息子大はしゃぎ。放置していたら、調子に乗る乗る。なまじっか大人の顔色を窺いながら育っただけに、我侭を通すコツを心得ていて、私から見ると叱りどころ満載。実父母は、「たまには我侭を聞いてやれ」と、相変わらず。自分達が私や実弟を育てていた間、「それはダメ、あれもダメ、どうしてダメなのか解らんのか!」ばかりだった口で、よくぞそこまで甘やかせるものだなと私がキレる直前状態にあることなど、想像すらしていなかった。私とて、17日までは一応楽しみにしていたから、手放しで遊びたかったが、「そこまで気を許すな、ヤツらは敵だ!」と前頭部が痛みと同時に訴えるので、安易に笑うことなど、できるはずがない。旦那が同行しないこともあり、新幹線の中や乗り継ぎなどの待ち時間、御朱印を戴きに実母が舘山寺へ行く間などを利用して、鞄に潜ませていた糸でモチーフ編み&繋ぎに逃避。人間、他に何も考えないと、取り組んでいる物事の根幹を理解しやすいという。初めて自殺を計画していた中学時代、主要5教科においてどうしてテストで満点を取れない生徒がいるのか、理解できなかった。今は、どうして社会や理科で満点が取れていたのか、自分自身が最も理解できないが。そして、この旅行中は、どうして今までモチーフの編み図の構造を理解できなかったのかが不思議になった。生命維持を思考しなくなると、生きる上ではどうでもいいことを理解しやすくなれると、改めて認識した。同時に、14歳の自分には偽れなかったのに、40歳直前になって「死にたい」と考えていることを偽れるようになったと自覚して、嬉しく感じた。そのおかげだろう、フルーツパークでは桃の収穫体験をさせてもらい、昼食代わりに自分で穫った5個を食べたのだが、どれも傷も無ければ形もほぼスーパーに並べられそうな物だった上に、完熟でトロトロに甘い、最高の味わいだった。桃は、古来、魔を除ける力があると言われているが、至極納得。あれだけ美味なら、自殺願望など忘れて「もう1個!」「また来年!」となる。ちなみに、フルーツパークは浜松市が運営する果樹園のテーマパークで、比較的安価な入園料だけでどの果樹園も見学できる。収穫体験は訪れた日に完熟となっている果物のみ実施され、完熟状態の実が無くなった段階で受付を終了するが、だからこそ予約せずに参加できるし、収穫した実の中で傷んでいたものは担当者が回収してくれるし、参加費は無料で収穫した量をグラム単価で計算してもらって購入するシステムなので、好きなだけ実を選ぶことができるし、量り売りの単価も安い(白桃で1kg分が700円未満)し、購入後はいつでもどこででも食べられる。パーク内には子供向けの果物型遊具のあるエリアもあるし、自販機の飲み物は定価のままで上乗せ無し。JR浜松駅から遠鉄バスで50〜60分だが距離的にはさほど遠くないので、東京、名古屋、大阪からでも日帰り可能。どの季節でも何か必ず収穫できるばかりか、結構頻繁に収穫可能情報がサイトに更新されるので、果物好きにはたまらないテーマパーク。果物が苦手な息子ですら、「こんなにおいしいならたべる」と言って腕をベトベトにしても泣かずにかぶりついていたぐらい。それどころか、ブルーベリーも大喜びで収穫していた。そっちも量り売りで、設定単価が卸元並に安いことは、言うまでもない。 |
| 7月18〜19日 秘めておいたほうがいい事実もある |
| タイトルに書いた事由により、敢えて何も述べない。述べたくない。述べられない。親族・親戚以外の人に知らせたくない。だから、何も書けない。メルマガの記事を先に仕上げておいて、本当に良かったと思う。これ以上、何も書けない。書きたくない。書けない。絶対に。 |
| 7月17日 親しくしたい相手にほど仁義と礼儀を弁えろ |
| 実弟宅の甥っ子その1が、少し前にも書いたとおり、時々ムニムニと私の手を触りたがる。で、格子模様のベストを編み上げた翌日、それを着ていたら、「これ、なぁに?」と言いながらお腹の辺りを撫でてみたりしていた。この時に「撫でないで」と言うべきだったかもしれない。「うちのママよりおっぱいおーきい」とか言いつつ、胸をムニムニしたりし始めたのだが、息子は登校して留守だったし、邪見にしてはいけないかもと思い、「オバハン、太ってるからだよ」とか言ってはぐらかして自宅に戻った。と、ここまでなら「まぁ、保育園に入ったばかりだし、姉ちゃんや弟がおるで家で我慢しとる分、誰かに甘えたいんやなぁ」で済むのだが。今朝はたまたま甥っ子達がいない時に息子の見送りから戻り、実母に帰りを告げて家に引っ込んだ。その数分後、玄関がガラッと開いた音がした直後に、ドカドカと廊下に上がって歩く音が、ガラス障子の向こうから聞こえてきた。数歩の後、実母の声で、「そっちは自分のウチやないやらぁ! 上がったらあかんよ!」と聞こえ、甥っ子の声で「ほやけどはいっちゃったで、○○(息子の名前)ママに『おじゃましました』っていわなあかんもん」と足音が止まったところから聞こえた。私はと言うと、「ニギニギやムニムニのために黙って上がり込んできやがったのかぁっ!?」と思った途端、甥っ子の幼稚さ加減と、実弟と嫁さんの放置加減に対して、怒りを通り越して恐怖を感じた。大袈裟かもしれないが、怖いのだ、本当に。自分の母親にするべきスキンシップの要求をするためだけに、分別無く他人の家に上がり込み、咎められてもすぐに都合のいい言い訳を返せる、保育園に入ったばかりの3歳児は、保育園に3年、幼児園に1年通ったが、ほとんど見かけなかった。時々「おっぱいさわってみてもいい?」と訊きながら触る子もいて、息子が妬かない程度に「まぁ、いいけど?」と相手をしたりもしたことがあったが、このためだけに駆け寄って来る子はいなかったし、「○○くんのママって、おっぱいさわってもおこらんなんて、やさしいんやね、ありがとう」などとちゃんと挨拶をしたりと、分別があった。それ故に、その子の母親がスキンシップをしていることや、躾としてちゃんと対話していることを私も感じていた。だからこそ、甥っ子と実弟夫婦に対して、怖いと感じる。「スキンシップのためだけに家宅侵入するような幼稚さを何故放置してるんやぁっ!?」てな具合に。幼児園に通園中の姪っ子にも通ずる部分があり、とにかく「ありがとう」と「ごめんなさい」を言わないし、叱られると察した途端逃走するなどの他にも幼稚さが見受けられて、実弟夫婦の躾具合が心配、否、怖くなる。私自身も放置気味だから他人様に批難できようはずがないので何も言わずにいるけれど、いくら何でもそろそろ忠告が必要かと、ちょっと真剣に悩み始めていたりする。 |
| 7月16日 世界は広くても世間は狭い |
| 通院日。祖母の入院先が同じ病院で、午後から手術らしいので、励ましに行く実母の足役も務めた。私は病室へは行かず、ロビーの待ち合い席で編み物をしながら待機。どこの病院でも、基本的に付き添いは無し、が原則。故に、病室に椅子は無い。実母や叔父夫婦を差し置いて1つきりのパイプ椅子に座っていることなど、気が引けてできるものか。それに、立って何十分と話を聞いていられるほど、体調が良くなかった。気持ち的には平常だったけれど、多分暑さによるのだろうが、心拍が突然早くなった感覚があり、先週ちょっと苦しんだ神経痛がそれに伴いそうな予感も伴い、さすがに怖かった。そんなこんなで、失礼してロビーで三角モチーフを絹糸で編み編み。そうしたら、5月頃まで同じ場所へお迎えに来ていた女性と、偶然出会って声をかけられた。やむを得ず話をしていたら、その人は保育園から息子と同じクラスになったこともある女の子の祖母で、既に嫁いで長いけれど実家は我が家のすぐ近くにあり、実母の妹の一人と同級生で仲良く遊んだことがあると判明した。それだけでも「世間って狭いなぁ」と思うというのに、午後から息子とスーパーに出かけたら、その女性の孫、つまり、息子の同級生の一人である女の子本人と出会い、その子に弟がいることと、幼児園の卒園式の後に開かれたクラス別のお祝いの席で向かい合わせになった女性がその子の母親だったことが判明し、苦笑しっ放し。結果的に、相変わらずなことだが、同世「の女性とは親しく話せていないのに、女の子とお迎え仲間だった女性には気を許されたようだった。そんなことを思い出しつつ実家で夕食を戴いていたら、午前中に一人、午後から一人、息子を送り届ける分団の集合場所の目の前にある公園のトイレで誰ぞが倒れて、救急車が来たという話を実父から聞いた。実父も近所の人から聞いた話で、その近所の人もまた別の人から聞いたとのことなので詳細は不明だが、救急車のサイレンは聞こえるわけなので、時間は確かだった。で、その時間というのが、奇しくも私が「この心拍ペースはヤバいっ!」と怖くなったタイミングとほぼ一致。やはり、今日の暑さは誰にとっても危険なレベルだったらしい。息子も昨夜から夏バテに伴う微熱状態になり、体育の授業を見学扱いにしてもらった。その甲斐あってか、帰宅直後には平熱に戻り、食欲も出てきて一安心。それでもしつこく「念のために病院に行って薬を貰って来い」と実父に言われ、実母経由で「症状が出ていないのに薬を貰えるはずがないし、実際に体調を崩した時に原因も調べずに服用させても平気な薬があるわけがない」と主張させてもらった。心配性にも程があるというか、自分達は私がグッタリするまで病院にも連れて行かず、薬も服用させたがらなかったくせに、毎度毎度余計なことばかり言いやがるものだ。そんなこんなで、通院先は隣市なのに、1日中近所巡りをしていたような気分が拭えなかった。同時に、他人様の目や耳は常に傍にあることを再確認し、あまり心地よくない汗もかいた。 |
| 7月15日 善くも悪くも「自業自得」は現実する |
| 実母の実母、つまり母方の祖母が大腿骨を骨折し、現在入院中。明日、手術らしい。実家の北隣で、境界線やら日照権やらで仲違いしている隣家では、現在の世帯主だかその母親だかが脳梗塞か何かで倒れ、半身不随状態でやはり入院しているらしい。どちらも、私や実母は挨拶とか普通にするし、好意には至らずとも悪意を持っているわけではない。何十年も前のことまで持ち出してネチネチグチグチ煩いのは、実父。例によって「俺に逆らう奴から死ぬから、倒れるとか重傷だとかは、警告みたいなもんや。まったく、どっちもざまあみろとしか、俺は思わん」と、夕食時に言う、言う。直接見舞いに行くと、「無理したらあかんで、よう休んでや」とか言うくせに、家の中だと「そこまで言うか」と厭になるほど悪辣なことばかり言いまくる。「本人の前でも同じことを言えよ、内弁慶のクソ野郎がっ」とムカついていたのだが、もういい加減、ムカつきを通り越して嘆かわしくなってきた。今日も今日とて、「いつも俺に逆らう奴は早死にするって言っとるやろうが。おまえの親なんやで、ほういうふうに言ってやれ。ほやないと、オッカサンもそろそろ死ぬんやないか?」と実母に言ったり、「旦那が死んだ時に、俺に恨まれとるもんで早死にしたって気づくべきやのに気づかんもんで、今になってほんなふうに倒れて麻痺とか残るんや。俺に言わせりゃ、バカやわ」と何度も言ったりして、非常に気分が悪くなった。本人はストレス解消のつもりで、実母は「癖やでしょうがなぁわ」と諦観しているが、私には呪詛にしか聞こえない。実父の趣味は家の掃除と他人に頼られては頼み事を果たす(本人曰く「果たしてやる」)ことだから、仏教的に言えば「善を施して徳を積む」というのをある程度は行っているとも見受けられるものの、今年に入ってからは小さな災難が続いているようだ。例えば、会長を務めている老人会で仲間割れが生じるとか、切り捨ててから何日もかけて枯れさせた枝を細かくしている最中にいるはずのない毛虫に刺されるとか、夜中に独りだけ首の上をムカデに歩かれて刺されるとか。仲間割れはともかく、実父一人に及んでいる毛虫とムカデの災難は、本当にあり得ない状況で起きている。枯れきって乾いた葉しかない枝があったのは、裏の花壇の脇で、すぐ近くにピチピチした葉があるのに引っ越さなかった毛虫がいて、しかも元気だったり。毎日掃除して片付いていると誰よりも知っている実父のみに、隣で息子や実母も眠っているのに、出所も不明のムカデがどうして登るつもりになったのかとか。散らかりまくって、得体の知れない虫達が潜んでいても不思議ではない我が家ならともかく、だ。それは実父も思っているようだが、言動が改まらないところを見ると、自らには非が無いと思い込んでいるらしい。こうした話をすると、大抵の人が私に対して「宗教に没入している人」という印象を抱くようで、敬遠される。が、私は1つの宗教に没入できるほどの勇気を持ち合わせていないため、「外側」から「内側」を見たり聞いたり想像したりしているだけ。だから、「死者に鞭打つような言動を続けると祟られる」とは書かず、「他人を悪し様に言い続けていながら外面だけは好い実父に災難が続くのは自業自得」と書いている。経験的に感じたことなので根拠を明確にすることは不可能だが、ある気功のプロによると「悪い気を出している人は体調を崩す。何故なら心が不健康だと体にも影響が出るから」だそうで、これが最も私の感覚に近く、納得している。つまり、他人の悪口を言っている人は他人に悪口を言われやすいし、誰かを虐め続けている人はいつかしっぺ返しを食らう事態に陥るし、それを咎めて正してあげられる意思の強い人は自力で幸福になれる、というわけ。高校卒業後、いろんな職場やお客さんと関わってきた。誰もが違う価値観を持ち、望みや妬みをちらほら見せてくれたし、私も大量に見せていたはず。そうした人達と久し振りに連絡があると、愚痴の多かった人はマナーを忘れて一方的に話を進めるが、互いに胸の内を開かせる付き合いをしていた人は相変わらず他人を思いやる優しさを持っている。どちらが幸福な生活を送っているかは、誰だって想像に難くないだろう。私も後者になりたくて、現在努力中。まだまだ精進が足りないから、徐々に頑張れるようになりたい。 |
| 7月14日 「終わり良ければ」を口にする間は未熟者 |
| 先月か先々月から編み始めた格子模様2種類のベストが、仕上げの縁編みに入った。今回は、少し細い糸に慣れることと、肩のはぎ合わせを省略して短い糸を作らないことが、テーマだった。糸を細くすると、凝った模様の作品に挑戦できるし、息子用のサイズの服へと縮小調整することにも挑みやすい反面、1段を編む時間や1玉、あるいはコーン1本を編みきる時間が長くなるために厭きる可能性が高くなるという不安もある。もっとも、色違いの同じ糸で実母へのプレゼントを編み終えた経験があったので、編み図が多少複雑なら細くても大丈夫だろうとは踏んでいた。それでも時間がかかったのは、当初予定していた編み図が予想以上に手強くて、急遽変更したため。それに、1つ前に編んだのがカーディガンで、袖を編んだりとじ合わせたりした時の面倒臭さが残っていて、ベストなのに身頃を編み終わっても「まだまだ面倒臭いんだよなぁ」という気分が抜けていなかったためでもある。そんなこんなで、途中でモチーフ編みを幾つも始めるなどの脇見もしつつ、随分と時間をかけてしまった。が、幸い、モチーフ編みで1つ1つのささやかな達成感を得られたし、格子模様を2種類使ったデザインのおかげで厭きること無く、肩の部分で誤魔化しながら編み繋ぎ、何とか縁編み段階に入れた。長かったようで、実際の作業時間は意外と短い。標準体型の1.5倍の面積を編んではいても、模様のパターンを理解してしまえば袖ぐりや襟ぐりにだけ注意して、ザクザク編めて面白かった。袖が無いって、本当に楽。しみじみ思う。それに、前開きのデザインを変更してみたら、予想よりも遥かに少ない糸で済んでしまいそうだ。色が青紫だし、艶糸が入っていても目立たないし、デザイン的にも中性的だし、私の4分の1相当の体積である息子用に揃いのベストを作れそうな気がする。今すぐはちょっと気持ち的に無理だから、残り糸は使わずにとっておこう。それにしても、我ながら、数カ月前には「指ぐらい太くないと編んでいられるかぁっ!」と叫んでいたのに、まぁ、よくぞ直径2.5mmのかぎ針で服を編めるようになったものだと、少々感慨深くなる。まだまだ技術的に未熟で、手編み感満載の編み地にしかならないが、少なくとも人前で着ていて恥ずかしくならない程度にはなったから。もし棒編みから入っていたら、絶対にここまで長続きしなかっただろう。道具は少なく、編み図が賑やかだからこそ、ニマニマ笑いながら編んでいられるのだと思う。さて、今回のベストは、残すところ裾の縁編み(こま編み3周)のみ。先に短い襟ぐりや袖ぐりを済ませたのは失敗だったが、まぁ、私のやることだけに、これぐらいのミスが無ければ反ってダメだろう。「面倒臭ぇなぁ」と心の中でボヤきつつ、つけたほうの糸端を編みくるむようにして、少しでも手間を省くコツを身につける努力をするか。 |
| 7月13日 土産や見舞い、祝いが派手なヤツには気をつけろ |
| 珍しく、ライブに行った旦那が日没前に帰宅した。推測だが、義妹が私を掴まえられず、何度か旦那に電話したからだろう。ちなみに、用件は「実家で生まれたカブトムシを一対贈ること」。用件としては、些細な部類に入る。だが、引き渡し先が義妹宅ということだけで、旦那にとっては「些細なこと」ではなくなる。息子以外の自分の肉親に対しては、旦那は非常に親身になる。理由は不明だが、一応、一般的な人間性を感じる貴重な要素なので、口出ししないと私は密かに決めている。ついでに付け加えると、義妹から正午頃に電話が我が家へかけられたようなのだが、その時間帯は実家にいたので私の知るところではない。故に、義妹から「連絡が取れない」と旦那に電話が入れられた可能性を推測したわけだ。ということで、珍しく早く帰宅した旦那だが、帰宅後に義妹に電話した形跡は無い。そのため、今、私は「どうして帰宅が早かったのか」と改めて疑問に感じている。まぁ、これすらも推測の域を出るわけでもないし、済んだことになるのでどうでもいいと言えばどうでもいい。それでも敢えて考えてみれば、「義妹にカブトムシの引き渡し時間帯を連絡した際に、土曜日の段階で、息子の授業参観という具体的な理由を持ち出さねばならなかったことと、旦那は単身でライブに出かけていて在宅ではないこととを伝えねばならなくなったため」という結論に至る。前述のように、旦那と旦那の実家の面々は、肉親関係の物事にはマメすぎる印象が強い。それでいて、共通の趣味とか好みとかは無く、休日ごとに各々が別々の用件で出かけるのを当たり前としてもいる。肉親関係の物事に対してマメすぎるのは、日頃は別々の方向を向いているような言動が多いことの裏返しかもしれない。そして、顔を合わせる機会があると、これまたマメなほどに、前回からそれまでの間にあった出来事を打ち明け合う。「どうしとった?」「何かあったか?」と尋ねられないのは、私ぐらいだろう。というわけで、義妹が旦那の実家に立ち寄り、義父母に「こうこうこういうわけで、こういうことがあった」と今回のカブトムシ引き渡し失敗の件を話す場合、失敗理由として前述の出来事に関しても触れられるのは確実であり、旦那が休日なのに息子の授業参観に行かなかったことが伝わることも、同等に確実だ。旦那にとっては、義父母から「自分の息子の授業参観に行かんとは何事や」と言われることは失態であり、避けたいと考えるはず。結果、「授業参観があることを、私が伝えるのが遅すぎた」とし、「自分は行きたいと思っていたけれど、知らなかったから仕方が無い」「そもそも家を守っているべきはずの人間が、自宅の電話に出ないことこそ、授業参観を欠席する以上の無責任さの表れだ」と論じるほうが、被る火の粉が少なくなると判断したと思われる。証拠は、特には無い。が、帰宅の早さ、土産の量、行き先の虚言が露呈したこと(チケット購入時は会場を渋谷だと言っていたのに土産物が京都や神戸の品だったことから自白せざるを得なくなったが、義妹に本当の行き先を言ったために自ら暴露した可能性も高い)などから察するに、私や息子に対して点数稼ぎをしておきたかったと見受けられるのだ。じつに、ホンットーにどうでもいいのに、こういう時だけ妙に気遣いしすぎるから、余計にムカつく。 |
| 7月12日 本人の前で「あの人クサすぎ〜!」と言える女ほど自分の香水臭さを自覚していない |
| 今週は、我ながら最悪。心身の不調から、入浴の支度を終えた直後に畳の上で寝入ってしまい、気づいたら日の出直前だったという日が続いた上に、女性だけの不都合で湯船に入れなくなったりと、とにかく自分でも汗臭くて厭になっている。しかも、今日は最も重い日で、できるなら部屋から一歩も出たくないぐらいだったのに、よりによってそういう日に授業参観…。せめて他の人に迷惑をかけないよう、風下のほうで、一応息子に気づいてもらえる範囲内で、できる限り人から離れていることにした。が、そんなことは不可能なわけで、「汗っかきだからということで勘弁して〜!」と念じつつ参観していた。幸か不幸か、隣に香水臭い奥さんがいたので、混ざり合って誤摩化せるかと思ったのも束の間、反って妙な臭いになると悟った。故に、ずっと汗をタオルハンカチで拭いつつ授業を観ていたのだが、その香水臭い奥さんが上品なハンカチで鼻と口を押さえつつ、途中で教室から出て行った。替わりに誰も入って来なくて、立ち位置を詰めたものの、申し訳ない気持ちで辛さが増した。そんなこともあり、学年単位の懇談会(という名の学校からの夏休み生活における家庭への注文発表会)には一番後ろから離れた所に息子の椅子を持ち込んで座らせてもらっていた。幸い、辛すぎて眠気も来ずに、最後まで先生方の話を聞くことができたのだが、問題はその後。参観中に隣にいた奥さんと思われる人が、反対側の隣にいた奥さんらしき人を、私の少し前を歩きながら捕まえて、「どうだったぁ? アタシ、臭くて我慢できずに、途中で教室を出ちゃったけどぉ」と話しかけた。捕まったほうも「あ、やっぱりぃ? ハンカチで口元を隠してたからそうだろうと思ったし、アタシも詰める気にならなかったしぃ、しょうがないよぉ」と応じていたけれど、私には顔と名前を確かめることなんか、できなかった。ひたすら「家で自分の子供に『あの太ってて臭かった人って○○くんのお母さんなの?』などと話さないでよっ」と泣きたくなるほど念じながら、息子のメロディオンとアサガオの鉢を持って、歩いて帰宅した。気がつけば、校門から入って同じ所から出るまでの間、私は息子以外の誰とも話をしなかった。話しかけられることも無かった。それは平気。そのほうが気楽。変人扱いは子供の頃からされていたし、独りのほうが動きやすいし。でも、全身から香水の臭いをプンプンさせてまで汗の臭いを嫌う人の心構えは理解できないし、そうしなければいけないかのような風潮に追従する女共に「臭い」と言われたくない。ちなみに、旦那もこのテのタイプ。しかも、臭いのは香水やコロンばかりではなく、口から吐き出されるお世辞や殺し文句(のつもりらしい台詞)もだ。それに、香水やコロン、制汗剤に金を注ぎ込みすぎるからか、派手なわりに安っぽい服を着ているところも同じで、見ると痛々しい。安っぽくて薄っぺらくてプリントばかりの服の模様の数だけ、コロンを叩きまくっているに違いない。仲良さげにしている連中は連中で、トータル的に下品を極めつつあることを指摘しないことを優しさだと勘違いしているようでもある。私は自分を女性として模範的だと微塵も思わないが、安っぽい見る目しか無いとは思っていない。だからこそ、痛々しくて見ていられなくても、それを指摘することなく素通りしてきた。多分、この調子だと、いつまで経っても私に新しい保護者友達はできないだろうし、それを悔やむこともないだろう。 |
| 7月11日 「案ずるより産むが易し」は絶対に男が作った言葉だと思う |
| 明日土曜日の授業参観のために、まず早朝から弁当を作らねばならない。参観する授業は14時からなので、参観後の学年別懇談会まで出席すると、帰宅は必然的に夕方に。しかも、今日から日曜日まで、旦那はライブに出かけて帰宅しない。更には、休日のはずの土曜日に5時限分の授業をするので、月曜日が替わりに休日となる。つまり、土曜日の午前中の数時間以降、月曜日中までの間、私にとっては試練の連続…。安定剤があまり効かずに睡眠が浅く短く、眠ってはいけない時に眠くなり、眠るべき時に眠れない。弁当のおかずを調達しに買い物に出かけたのに、スーパーに到着した途端、何を買いに来たのか思い出せなくなった。この段階で気づけば良かったが、まぁ、気づくことすらできないからヤバいのであって、無理。心配だったのだろう、実母が同行していたので、「何を入れるの?」「これはウチにあるでね」などと言われるたびに、「ああ、そうか、息子の弁当のおかずだ、おかず」と繰り返し思い出す始末。昼間は「旦那はまだ仕事してるんだから」と思えたものの、夕方以降は考えないようにしていても、「どうして旦那だけ平気なんだろう?」と疑問が浮かび、淋しいとか哀しいとか情けないとか辛いとか、言葉で表現する前にドツボに嵌って浮上できなくなった。日程表を見れば、さほどハードなスケジュールではないと判る。が、無限の時間をかけてそれらをやるような錯覚に陥り、永久に明後日が、否、平日が来ない気がして、目眩が数回あった。多分、久し振りにヤバすぎる状態だったんだろうと思う。 |
| 7月10日 優しさや温もりを感じて涙するのはイルカさんだけじゃない |
| 糸屋さんからレスをいただき、恐縮してしまった。やはり、メールって苦手。通常の電話でも緊張するタイプだから。それは置いといて。やはり、ご自分の送り出した糸がどんなふうに扱われるのか、判ると嬉しいとあった。作品や日記の内容に対する感想をいただいた時の私と同じ、否、似ている。文章は、読んでいただいて感想を賜って私がレスした段階で、私と読み手の気持ちが交流したことになり、完結する。でも、糸は、編み心地だけでなく、どんな品になり、着心地はどうか、日常生活においてどう使われるか、どれだけ着用されるか、といった具合に、永く変化が続くし、1つ1つの変化に対して私の感慨も募っていく。製糸者(誤植じゃないよ)としては、アイデアと研究の成果である数量限定品や、客層を広げるための企画や規格(誤植でもないしシャレでもないよ)、定番商品の品質と改善方針など、我が子のように常に案じている要素がおありだろう。私が購入する糸は、数量限定のアウトレット品や、期間限定の特売品、ネット販売限定品などで、「素材100%なのに何故安いっ!?」とか「この組み合わせで糸ができるのっ!?」とか驚いた糸がほとんど。数量や販売期間や販売窓口が限られているということは、製造数を限定しているという可能性が高い。評判が良くて誰もが欲しくなる品なら、選択しない販売の仕方だろう。つまり、新たな創意工夫を加えた糸であり、どんな客が選び、どんなふうに使われ、どんな反応があるかを集計し、再度工夫を加えたり、次年度の製造数を決める、ということ。実際、私よりも早くレビューを書かれる方々の意見を拝読したところ、賛否両論というか、期待した要素や好みの差によって、評判が分かれている。読みながら、「どんな期待を抱いて購入を決めたかと、試しにどんな使い方をしてみたかと、使用中の感触と、できた物の感触と、試用の結果どういう物を作ると決めたかを書けば、メーカーさんにとって有意義な情報になるかもしれない」と考えた。で、あくまでも独学の「なんちゃって手芸」だし、素材100%の衣類を触ったことがあっても糸を扱った経験は無いけれど、ちょっと頑張って言葉を選び、できる限り感じたままを述べさせていただいた。それが善かったのか、企画担当者氏から謝辞をいただき、涙が出た。編み物歴1年未満の独学のオバハンの感想を、正面から受け止めていただけただけでも嬉しいのに、「参考にさせていただきます」とまで…。私は人付き合いが得意ではないし、他人に叱られたり怒られたり後ろ指を差されたりすることはあっても、感謝されたり謝られたりすることは滅多に無い。数年に1度あればマシ、という人間だ。だから、息子に喜んでもらっても、どんな顔をしたらいいのか悩む。どういう言葉を選べば相手に自分の気持ちが正確に伝わるのか、咄嗟に判断できない。結果、電話で緊張するし、メールのスピードについていけないし、掲示板のレス書きに1時間以上かかるし、レビューを書くのが怖いし、日記はやたら長くなるし、物語を綴るのに必要な気力が倍増した。無我夢中で言葉を連ねていた頃は「(平伏)」で済んでいたけれど、今は「(恐縮)」や「(感涙)」などでも足りない。冷たくされたり罵られたりしたら独りで泣いて済ませられるけれど、感謝されたり褒められたり謝られたりすると、涙するのは失礼すぎるとどんなに強く念じても、無表情のまま涙だけ落ちるという無機質的な反応になり、恥ずかしくて堪らない。そういう点では、メールの遣り取りで済んでよかった、とも言える。言えるけれど、やっぱり苦手。未だに何ヶ月もレスを書けないでいるメールが、複数ある。既に失礼の極み…。 |
| 7月9日 論や証拠よりも些細な一言のほうが重い時もある |
| ようやく糸屋さんにお礼のメールを送信できた。「ホニャララを作ります」と書くと、私は本気でも例によって完成しない気がして、何度も書き直してしまっていた。で、今日、ようやく、「ホニャララに使います」という言い方を見つけて、送信できたというワケ。あー、これで1つは悩みが減ったぁ…。他にもいろいろ「やらなくちゃ」と思うことがあるけれど、ここで「やるぞ!」と述べるのはやめておく。理由は、まぁ、書かなくてもいいや、何度も書いたことだから。どうしてこういう性分になったのかとか、悩まないはずがない。楽しんでいるような口調で書いてはいるけれど、いつも困惑している、一応。そうでなければ、こんなに何度も書く機会があるはずがないし、自分自身を嫌ったり憎んだり殺したくなったりもしない。あああ、また話が物騒になりそうだなぁ。もう、いいや、この辺のことも書かなくて。いい加減、飽きられるし、呆れられるよなぁ、ホント。自分がそうなんだから。てなわけで、話を戻して、糸のこと。凄いよ、ホントに、「ごしょう」さん。素材のいいところを活かしつつ、安価に提供できる製糸方法を持っているって感じ。最寄りの手芸店や百均屋の糸と比べて、安いし、強いし、個性的。ウール100%、綿100%、シルク100%のそれぞれに、1m100円未満の商品もあるし、気軽に作って気軽に着れる品にできるのが嬉しい。いつかね、「ああ、これ? 自分で編みましたよ、この体に合う服なんて、高いし少ないから(笑)。それに、自分で編めば、自分好みの素材を使えるし。これなんて、一応、シルク100%ですもん」って、義母や近所のオバハン達に言ってみたいなぁ。あ、こんなん書いたから、少なくとも1年以内に言うのは無理かも、ね。まぁ、そんなこたぁ、どうでもいいや。息子に机を買ってもらった時の、義母(今更だけど旦那のお母さんね)がボソッと言い捨てた、「何や、ほんなら○○(旦那の呼び名)くんにおんぶにだっこやない(やや荒めの語気)」っていう一言が、未だに私の思考回路に刺さっている。その時の話題は私がアレコレ手作りしていることで、実母の店に粗品として置かせてもらって無料でお客さんに持っていってもらっているという私の一言に対する、義母の本音の一部らしき呟き。何ヶ月も前のことなのに、この「楔」は抜けないばかりか、どんどん深くへと傷口を抉っていく。おかげで、結婚前から朝食に欠かさなかったヨーグルトやふりかけを買えなくなった。「買わない」ではなく、「買えない」。菓子類も、自分用のを「選べない」。売り場に行くと、前述の一言が耳元でずーっとリピート再生されて、泣きたくなるから。手芸店や百均屋でも同じ。今のところ無事な店があるけれど、どこかは書かない。書けば、例によってアレが作用し、そこで吐き気が始まりかねないから。辛いよ、ホント。食べたい物が近くにあればあるほど、肩に義母がのしかかって延々と呟き続けているってな感じって。それでもなかなか痩せないから、出会うたびに一言チクリ、もしくはグサァッがあるし、ね。…と、よーし、書いたぞ〜。遂に書けたぞ〜。でもなぁ、こういう愚痴っつーか、逆転してほしいことに限って、逆転しないことが多いんだよなぁ…。 |
| 7月8日 大は小を兼ねるとは限らないが欠かさず小を必要とする |
| 夏になり、先週末から我が家は扇風機を使い始めた。我が家には、エアコンは無い。壁1つ向こうの実母の店にはあるけれど、それとて客が来るまではスイッチは入れられない。そもそも、築40年以上の平屋には、伝統的な機能が備わっている。例えば、土壁。ダンゴムシやムカデの繁殖を促してしまうものの、室内の湿気を吸い取ることにかけては除湿器を上回る。障子や窓を全開にすれば、涼しい風が入ってくる。もっとも、隣家が邪魔してここ数年は日差しすら激減しているし、姪っ子と甥っ子その1と隣家の子が悪戯するため開放したくないが。そうでなくとも、じつは古くて一般的な日本家屋の機能は働きにくくなっている。悪ガキどももその原因の1つだが、風呂の改築も然りだ。結婚を機に、畳を入れ替えたり床の補修工事を実父母がしてくれた際、ついでにタイル貼りで使い勝手の悪い風呂場を壊し、ユニットバスにしてくれた。非常に便利になったのは事実だが、土間続きにあるものだから、天井裏や壁の裏、床下を常に適度な温度と湿度に保ってしまい、ネズミやゴキブリ、ムカデの生息地も作ってしまった。こうなった以上、現実として受け入れるしかない。扇風機と殺虫剤は、我が家の夏に欠かせない品になった。快適とは言い難いが、まだ努力の余地はある。それは、私が部屋を片付けて掃除すること。特に、段ボール箱の予備と衣類、タオルの類い。無論、本も。ゴチャゴチャと山積みにしているから、害虫に侵略されることになるわけで、何も無ければ室内は人間、裏側は他の生き物の住居と区別が整うはずなのだ。同時に、私は伸び伸びと執筆なり読書なり編み物なりに没入し、必要な品物を必要な時にきちんと持ち出し、片付けるべき時に片付けたい物を片付けておく場所に収納できるようになる。でも、それができるなら、とっくにやっている。一度に全部できて当たり前と、実父や旦那は思っている。ましてや、私にある問題点を理解していない義父母や他人には、ただの怠け者にしか見えなくて当たり前。だから、どの口からも「いい加減、片付けろ!」という台詞が吐き出され、私を追い込み、状況を悪化させる。まぁ、最近は実父と旦那はそれに気づき、何も言わなくなったし、何も言わないほうが私が動くと悟ったようだけれど。問題は、「いつか使えるかもしれない」と思って山積みにした段ボール箱。主に、Amazonからの箱。漫画を詰めて縁側に積み上げるために、ある程度の大きさの物は保存しているのだが、購入する本よりも読破する本が少なくて、なかなか活躍する機会が巡ってこない。結果、肝心な物を片付ける場所が浸食され、ちゃんと片付けたくなった時に別のケースを買ってしまうという、本末転倒な事態になる。そんなことを思い返しながら、編みかけの服が入るだけのサイズの収納ボックスを買った。道具箱にしようと最初は思っていたのだが、日用品を整頓するには大きすぎたため、編みかけの物を持ち運ぶ時に使うことにしただけ。愚かなことに、つい最近まで、「どうして? 手作りポシェットに編んだ物が入りきらなくなっちゃったぞ? 毛糸玉の時には入っていたのに、どうして中盤になるとどの服も入らなくなるんだろう?」と、過剰に悩んでいた。何ヶ月もの間、元々は1個の毛糸玉でも、編んでいく内に幾つも毛糸玉を使い切るんだから、体積が増すのは当然という事実に気づかなかったというわけ。編みかけの物を持ち歩くのなら箱よりも鞄のほうがいいので、今は編み始めたモチーフ繋ぎのポンチョやショール、粗品に使う糸を収納しようと考え、それらを作るのに最低限必要な道具をもっと小さい箱に入れて一緒に詰めることが可能か、実験中。買った限りは、無駄にしたくないから。…あ、だからか、段ボール箱が山積みになるのは…。 |
| 7月7日 「目から鱗」ではなく「目から鱗が落ちる」 |
| 一般的な七夕の今日、些細なことだけれど、いろいろあった。それらすべてを語ることは、とてもできない。故に、幾つかを抜粋する。まず1つ目。「本物」の持つ醍醐味を知った。買い溜めしてある糸の内、絹100%の品とウール100%の品を出してきて、モチーフ繋ぎのショールやポンチョを目指して1枚目を編んでみた。無論、余っていたレース糸で試作して決めた、私好みのモチーフをだ。結果、「今まで安物のアクリル100%でホクホクしていたのが恥ずかしいっ!!」と、激しく思った。どの糸も、昨冬からお世話になっている糸屋さんのオリジナル製品の中で、1m当たり1〜1.5円相当。天然素材100%でこの価格設定なので、撚りの甘さとか強度不足を覚悟していた。実際、絹糸はややスラブっぽくて縫い糸よりも細い部分もあるし、毛糸はほんの少しの刺し入れ間違いで糸割れしてしまう。が、切れないし、正しい針の持ち方や編み目の作り方を守れば問題はまったく無い。しかも、どちらも非常に柔らかくて軽く、発色も素晴らしい。数量限定品なら即完売になったり、特売にしなくても人気のある定番商品である理由が、よーく解る。「本物」を使うと、人工素材は使いたくなくなるのだ。蛇足だが、この糸屋さんの綿100%もお勧め。レース糸も含め、素材の持つコシとツヤが非常に素晴らしい。それでも百均屋と競り合う価格設定。さらに蛇足を付け加えるならば、撚りを強くした高級品も販売サイトに掲載されていて、本格的に編み物や織物に取り組んでいる人や製造業者などは正当に評価して購入されているようだ。2つ目は、手前味噌なので簡潔に述べる。週刊少年ジャンプの連載陣の内、ここ数年間でデビューした若手数名を密かに応援している。具体的に誰とは言わない。私が応援している漫画家は早々に連載を打ち切られるというジンクスが、まだ残っているかもしれないから。故に「密かに」なのだが、赤マルで読み切りを拝読して「すげぇっ!」と思った人達が週刊デビューを果たし、相応の評価を得て順調に連載の長期化が見込まれているのが、とても嬉しい。その嬉しさの陰で、「まだ私の見る目も捨てたものじゃないかも」と安堵してもいて、その&こそが手前味噌でかなり恥ずかしい。そして、3つ目は、生命力。昨年、義母からいただいたカブトムシが卵を産み残したようだったので、実父母と息子がずーっと世話し続けていた。春から初夏にかけては蛹になっていて、光を当てたり土の温度を急変させてはいけないらしく、掘り返さずに我慢の日々を過ごしていたようだ。それに報いるように、雄の成虫が3匹、羽化して出てきた。息子だけでなく、実父母までもが子供のように喜んで小躍りしている。幼虫の越冬に成功したことだけでも凄いのだが、私としては「あのグロテスクな幼虫が成虫になるまでの間に、蛹という殻の中でドロドロの液体状になり、どういう仕組みでか黒光りするあの姿になるなんて、下手な嘘よりも信じられない…」という思いがする。脊椎動物ならば、ある程度は「こうなっていくんだろうなぁ」という想像ができるのだが、昆虫だけは難しい。多分、子供の頃に観ていた「ミクロイドS」というアニメの、機械化された工場で人間がドロドロにされ、人工的に昆虫サイズに加工される映像を、自分なりの想像よりも先に思い出してしまうのだ。それだけに、「昆虫の遺伝子ってスゲェなぁ」と、いろんな意味で感動する。最後に、オチというかボケとして、手短に4つ目。じつはまだ黒リンゴから白リンゴへの作品データの引っ越しが完了していない。それだけでもトロい話だが、もっと呆れることに、「幻夢(ゆめ)シリーズ」の多さとそれぞれの内容に、非常に驚いている。具体的には、「なんでこんなに多いんだっ!? いつ書いたんだよ、自分っ!? それに、何これ、今度書こうと思っていたネタじゃんっ!?」てな具合…。旦那に「あらゆる物事において破壊神(クラッシャー)として活躍してるじゃん」と言われてはいるけれど、まさか自分の記憶にまで及んでいるとはなぁ、とてもじゃないけど自白できねぇよ…(落涙)。 |
| 7月6日 まだまだダメダメ |
| あまりの暑さに扇風機導入。それでも半日でジーンズの重さが倍に感じられるほど汗ダクダク。窓を開ければ少しは違うが、断固開けたくない。何故なら、一昨年かその前年に実弟宅の姪っ子と甥っ子その1が隣家との隙間にまで入って我が家の周囲を走り回り、網戸になっている窓から中を覗いてブツブツクスクス何か話したり、次第に声が大きくなって「いいなぁ、いいなぁ」だの何だのと言い始めたら、勝手に網戸を開け放って窓辺の息子の玩具箱からいろいろ持ち出したり土足で入ってきたり、堪らず旦那がサッシを閉め切って鍵をかけると「なんだよ、こらぁっ!」だの「あけろ、ばかぁっ!」だのと喚きながらサッシを叩きまくったりしたから。姪っ子はもう幼児園児だし甥っ子その1も保育園に通い始めたものの、時には奇行と言っても過言ではない言動が多く、注意されればされるほど人目を憚り、より狡猾で悪辣なことをするので、油断できないからだ。もっとも、奇行という点では私もダメダメ。「イチたすイチはゴ〜…」状態の思考で、息子の言動の1つ1つに目くじらを立ててしまい、怯えられ続けている。もう自分で自分のことが赦せないし、一切のフォローを放棄している旦那に改めて幻滅するしで、何もできないし、したくない。この「できない」は、唯一の救い。もし何かできる状態なら、間違いなく車で出かけて、ホームセンターで丈夫なロープを、書店で縄の結び方の本を買い、目をつけてある山で自分の首と大木をロープで結び、思い切りアクセルを踏み込むはずだから。無論、部屋は片付いていない。かぎ針すら重い。0号のレース針なら何とか持てるみたいだけれど、意欲が足りない。空腹感も満腹感も無いし、眠るべき時に眠れない。自分に存在価値を求めつつ、「そんなもん、あるわけねぇだろうがっ!」と嘲り、罵る自分自身を再発見しては、どんどん悪循環の回路に陥っていく。大変お世話になっているcreate novelさんがまぐまぐで休刊扱いになってしまったので、急いで投稿しなくちゃと思うものの、焦りが先走るだけで行動に移れない。仕方なく気持ちを整頓することから始めると、こうして自虐的な文章を綴る羽目になり、何も改善されずに、自己嫌悪が自己憎悪へ、自己憎悪が自殺思念へと移行するだけ。何とかして、だらだらタロット話と投稿作品の続きだけでも書きたいのに…。 |
| 7月5日 そう言えば誤解されやすいんだったっけ |
| 下欄の内容を理解した人になら想像は容易かろうが、私は「友達」が少ない。自分では内向的な性格ではないと思っていたけれど、最近、極めて内向的な性格であることを受け入れられるようになった。まぁ、社交性があって積極的に他人と親しくなりたいのなら、もっとネット友達とか作って、日記の内容もひたすら明るい話題ばかり並ぶわなぁ。学生時代はそうなりたくて頑張りすぎた時期もあったから、未だに己の実態を変えたがって無理して、逆に奈落の底に陥るわけだけど。こんなことを考えながら、無理して小学校の1年生限定触れ合い活動であるミニ運動会に参加した。学年別保護者会の副会長を、学生時代から親しくさせてもらって結婚式にも参列したご夫婦が務めておいでだったので、コンディションが悪くても参加できたと思う。で、参加するとなれば、楽しまないと損だと考える人間なので、周囲に親しい人がいないこととか息子の同級生の中には保育園から顔だけは知っている子もいることとかもあり、久し振りにハメを外してみた。ハメを外すと、私は息子よりも年下みたいになる。大人げないのだ、非常に。家事や仕事はいかに手を抜いて作業を簡略化するかだけを必死に考えるが、遊ぶことや楽しむことにおいてはいかに堪能するかしか考えない。幼稚なのだ、極めて。ちなみに、友達作りは前者。理由は、他人の思考パターンを受け入れる努力が面倒臭いから。自分の思考パターンを受け入れてもらう努力は、もっと面倒臭い。下欄の内容が基盤みたいなものだから。そんなわけで、昔から他人が抱く私の第一印象は「堅物」とか「取っ付きにくい」とか「真面目過ぎ」らしい。そういう印象を持って私と話をしたり一緒に何かに取り組むと、ほとんどの人が「思ってた以上に面白いというか、印象とまったく違うからびっくりした」と言う。典型的な証人は、みちよさん。「そういう奴だったのか…」と何度言われたことか。だから、みちよさんよりも後に知り合った旦那なんて、未だに溜息をついている。そのたびに「それでもアンタは『全部ひっくるめて好き』と言ってプロポーズしたんだからなっ!」と心の中で思っていることは、旦那本人に伝えるのが面倒なのでもう話さなくなった。こういう性分なので、当然、保護者同士の友達も作る努力はしていない代わりに、息子の送迎の時などに他の子に「○○ちゃんのママって、うちのママよりもおもしろ〜い!」と言われることが多い。保育園通園の3年間、幼児園通園の1年間、ずーっと他の子のお母さんと話そうとしなかった代わりに、息子と時間ギリギリまで遊んだり遊びを見ていたりしていたから、そりゃ面白がられもするってものか。息子が小学生になってからは、登校時は町内の分団の集合場所で息子にアレコレ蘊蓄を披露したりしていると他の子達にも囲まれていて驚いたり、下校時に交差点まで迎えに行っていた間は息子のポケモンごっこに付き合って「マネネ〜♪」とか「ピカピ〜♪」とか言っているのを見ていた子に「すっげうまいし、なんかかわい〜」と言われたこともあった。それらから、子供にも怖いオバハンと誤解されやすいことを何となく知っていたのに、忘れていた。ミニ運動会の種目のトップ、大玉転がしでつい本気になってしまい、途中で息子を置き去りにしそうになった。先生がやたら息子の応援をするので変だと気づいたら隣から消えていて驚いた、てな具合。「ごめ〜ん、つい本気になっちゃった〜」と息子に謝ったら、「もう、ママったら〜っ! ネコになってじゃれるのは、ちいさいタマだけにしてよ〜っ!」と言い返された。周囲の子達が「!?」と振り返ったのは、言うまでもない。息子が卒業するまでの間に、果たして何人の「小さいお友達」ができることやら。少なくとも、「大きいお友達」より多いことは確実だ。蛇足。帰宅後は倒れ込んで何もできずにダウン…。 |
| 7月4日 気づいた時にはもう手遅れ |
| 唐突にモチーフ繋ぎをしたくなった理由を思い出せなくなり、自分の日記をネットで読み返してやっと思い出す。そんな時には既に、「三角モチーフはこれ、六角モチーフはこれ、円形モチーフはこれで、もう1つプルオーバー用の三角モチーフはこっちのを云々」と、やり遂げられないことを立て続けに計画し、全部纏めて実行に移そうとしている。何とか寸前で「ちょっと待ったぁぁぁぁぁっ!!」を自ら叫べたのは、四角いモチーフ繋ぎのポンチョを完成させた経験のおかげ。一度懲りたはずのことを忘れて、本来の計画を無視して全く異なる計画を実行しようとするのは、悪い癖とか単純な気紛れとか天の邪鬼気質とかではない。私においては、鬱症状の悪化だ。部屋の片付けをしたくなくなった段階で気づくべきだった。さもなくば、部屋でうたた寝中にムカデか何かに刺された時とか。部屋が散らかったまま手つかずになっていたり、頓挫すると判っていながら計画を増やしたりという状況は、心や思考回路における感情や自他に対する欲求などが整頓できていない状態の具象化の1つなのだから。簡単に言っちまえば、「自分の気持ちを整理整頓できねぇ奴には、部屋や家の掃除や片付けもやれるはずがねぇ」ってこと。その証拠に、とっくに計画していたベストやプルオーバーの製作計画を忘れてモチーフ繋ぎのことばかり考えたり、どうしてモチーフ繋ぎをしたくなったのか判らなくなったりしている。現実逃避だとしても、奇妙すぎるハマり具合だ、我ながら。まだこうして自分で気づいて踏み止まれるから「鬱症状」で済むけれど、もしも完全に以前からの計画を忘れて他人に決められたものだと思って破棄するような状態だったら、違う病状をも疑わねばならないだろう。そういう意味では「手遅れ」ではないけれど、じつは「鬱症状」段階の中で「手遅れ」に陥っている。数ヶ月後には三十路を卒業するのに、最も心の中が荒んでいた中学時代の自分をひょんなことで蘇らせてしまった。「大人は誰も私を守ってくれない。友達なんて形ばかりで、自分の身を守るためだけに私を平気で見捨てる連中ばかり。どいつもこいつも自分のことしか考えてやしないんだから、私だって私の都合で自分を殺したり、気に入らない連中を片っ端から殺して歩いても、ゴミを掃き捨てるのと同じ。使える奴だけ後回しにしてやってもいいけど、私を見捨てた家族と教師、保身のために私を無視するようになった連中は、真っ先に殺してやる…!」とばかり考え続け、最後に殺す自分の醜い死体を吊るす場所を探し続けていた。今時の裏社会にコネのあるチーマーとか無差別に人を殺しまくった犯人とかよりも、確実にヤバい眼をしていたと思う。何故なら、実行したい殺人計画が多すぎて、具体的な行動へと移行できなかったから。頭の中では、ひたすら自分と他人を殺すシミュレーションが繰り返されていて、授業の内容なんか全部簡単すぎてすぐに理解できてつまらなかった。ピタゴラスの定理よりも、土手に咲く百合の花を手折ることのほうが難しかった。ただそこに咲き続けるために懸命な花が、涙が出るほど美しく見えた。だからだと思う、私の殺人計画は決まって屋内で行うことを前提にしていたのは。世界中で人間が最も醜悪だと思っていたから、当然、血の色すら汚らわしくて、いつまでもそこにあり続けるだろう空の色と草木の色を好きになった。この「好き」という感情を気づかせてくれた同級生がいたから、今も私は生きている。もしも下手に病人扱いされていたら、未成年にして死刑判決を受ける最初の罪人になっていたはず。そういう人間だ、私は。忘れたフリが巧くなっただけで、無意識の内にこういう思考を保有しているのは、ずっと変わらない。この拙宅に時々「自分は人を殺せる人間だから」と書いているが、そんな言葉で簡単に片付けられるようなものではない。だから、不謹慎すぎて書くべきではないのだけれど、無差別殺人を犯した人間に対しては「バカやなぁ、どうせならもっと巧くやれゃ」と思うし、リストカットなどを繰り返さずにいられないという子達の日記を偶然読むと「死なん程度に繰り返しぃ。それでもあんたの辛さに気づいてもらえんのなら、とっとと周囲を見限って、他の街で生きていきぃ」と思う。どちらに対しても、応援や励ましなんぞ無意味だと経験したから、実際に発言したりはしないが。というところで、話を戻す。こういう「隠してきた一面」を思い出すなんて、私においては「非常に対処が難しい危険な状態」だから、「手遅れ」ということ。無論、こうして文章化できている現在は、一応そこから離脱し始めている。一気に片付くような感情ではないし、これまでの人生でワースト3に入る経験に根付いた思考だから、まだまだ整理整頓のための時間は大量に必要だろう。せいぜいトップニュースの主役にならないよう、何とかしなくちゃいけないし、何とかする間に気持ちをはぐらかす方法も探し続けてきたから可能だろうし、ここだけは無理してでも頑張らねば。「具体的な最悪の状態」なんて、面倒臭くて厭だから。 |
| 7月3日 ベストもちゃんと編んでるよ |
| 三角モチーフ決定、というか、大きすぎると面倒になることを再確認、てな感じ。一度は諦めたモチーフ繋ぎの台形ショールは、確かにモチーフの枚数が少なくて綺麗。でも、それは、1枚のモチーフに必要な手数の多さによるもので、2日分の余白時間を要した。途中でやめようと思った回数は、2回目までしかカウントしていない。むしろ、「よくぞ最後まで編んだ」と自分を褒めたいぐらい。完成した1枚目を見ると、確かに綺麗、下手なのに。品物としての完成を見てみたい。が、もっと早くモチーフ1枚分を完成させたい気持ちのほうが、断然大きい。よって、三角モチーフは、本命よりも小さくて、気に入らないところを我流の誤摩化し方で変更できるものに決めた。必要枚数は断然増えるけれど、その分、モチーフ単位で色を変更する楽しみがある。まぁ、どうにかなるだろう、再来年の冬までには。ところで、困ったことがある。それは、試作用のレース糸の不足。まだまだ六角形のモチーフを決めるためにコチョコチョ編むつもりだが、好みのデザインが多すぎて、どうやら白色のレース糸だけでは足りない。20番という太さの糸は、20gで約75mになる。40番だと、20番の半分ぐらいの太さになり、20gで約130m。私には40番は細すぎるので、2本取りにして20番ぐらいの太さっぽくして使う。だが、40番2本取りと20番1本取りとでは、やはり仕上がりや編んでいる最中の感じが異なる。だから20番の白色を片付けるつもりで優先的に使っていたら、三角モチーフだけでかなりの量を消費してしまった。サイズが大きいモチーフを編んだのだから、これは当然の結果。忘れていた私の失敗。それなのに。「…モチーフ編み、結構面白いかも…」となり、40番の白い糸をも使い切りそうなほど、六角形モチーフを編みたくなってしまった。いや、確実に40番を使い切っても候補全部を編み終われない。編み目が見づらい黒色レース糸を使わねばならない。というか、黒色は試作に使いたくないから、大判ショールに使うつもりだったカラフルな糸達を使いたくなりつつある。この優柔不断さときたら、もう病的だな、我がことながら。 |
| 7月2日 その2:愕然…! |
| その1に書いた状態に陥ると、昼間も知らない間に眠っていたりするので、編み物をし続けて何とか起きているようにしている。が、当然、余計なことを考えてしまうため、編み目や段を間違えることがしばしば。現在最優先しているベストは、柔らかい芯糸に細くて固めの艶糸を撚った糸を使っており、編み直しを繰り返すと糸割れしたり芯糸だけ切れたりしてしまうし、身頃の下半分を編み終えて後ろ身頃の上半分に入り、袖口のカーブや襟元のカーブに注意しなくてはならない。当然、眠りそうな時に編んでいたら間違える。元気な時ですら間違えやすいのだから。てなわけで、レース糸を持ち出し、モチーフ編み。モチーフ専門のデザイン集から選んでいたのだが、ふとモチーフ繋ぎのベストやボレロもあることを思い出し、春夏ニットのデザイン集も開いてみた。そうしたら、(ここでタイトルどんっ!)。昨冬完成させたポンチョの中に、四角いモチーフを繋いで作った品もある。百均屋のアクリル毛糸を2本取りで編んだため、モチーフが頑丈すぎて着心地が良くないし、やたら重くて閉口した。それに、60枚も同じモチーフを編み続けたので途中で飽きてしまい、完成までにかなりの時間を要した。以来、「途中で飽きるし糸の使い回しができないし、二度とモチーフ繋ぎなんかやらねぇっ!」と決め、デザイン集の中に気に入った品があってもそれがモチーフ繋ぎなら即諦めてきた。だが、中にはとても気に入って、「これがモチーフ繋ぎだなんて…!!」と涙した品もある。デザイン集を片っ端から開いて六角形のモチーフを探して行く過程で、その品のページを改めて開き、三角形のモチーフの中に6枚の花びらが入っていることや、そのモチーフが大きい割にネット編み部分が広いので繊細で柔らかくて軽く仕上がること、六角形よりも頭を通す穴の 形を臨機応変に調整できることなどに気づいてしまった。それで、「愕然」というわけ。勿論、そのモチーフをレース糸で試作中。デザイナーの指定は3/0号かぎ針だが、それだと1辺が25cmのモチーフになり、少数で早く仕上がる反面、頭を通す穴が大きくなりすぎてしまう。購入した糸の太さも3/0号より細めということで、20番レース糸で試作し、編み図にあるサイズと比較しながら、レース針0号、2/0号かぎ針のどちらを使うか決めることにした。蛇足だが、金属製のかぎ針やレース針には万国共通らしい規格があり、レース針0号は1.75mm、2/0号かぎ針は2.0mm、3/0号かぎ針は2.3mmという太さ。これぐらいの差ならどれを使っても良さそうな気がするが、実際に製作に用いると最終的に大差になる。そのため、針の太さでサイズ調整を図る場合、ちょっとした博打気分を味わえる。話を戻す。試作中の三角モチーフは、オリジナルでは台形ショールで、たった27枚で64.5×150cmという大判の、なのにとても繊細な品に仕上がる。「27枚も編めねぇよ…」と諦めた人間が、たった一抱えの綺麗で上質な糸を購入しただけで、「何年かかってもいいから、何百枚必要だろうと構わないから、六角モチーフのポンチョを作りたいっ!!」と言い出すのだから、いい加減にも程がある。そんないい加減な奴に対しても、神様は優しいらしい。「まず君は、60枚のモチーフを繋ぎ終えた事実を思い出し、取り組む前から諦めたことがいかに淋しいか、噛み締めるように実感しなさい」とばかりに、諦めた品を思い出させてくれた気がする。でも、六角形モチーフのポンチョを諦めたわけでもない。作りたい物が増えただけ。私という人間は、いい加減な上に強欲なのだ。もっとも、強欲さよりもいい加減さのほうが大半を占めているけれど。 |
| 7月2日 その1:既に倒れそう… |
| 昨日と今日の通院と、今月のイベントを想像したり、旦那の無言&無表情&停止状態を思い出したりで、既に倒れそうな気分。気絶でも卒倒でもない。説明が難しいのだが、思考や気持ちが先走りすぎて肉体を置き去りにしているというか、体に力が入らなくなって横になっていても息苦しくて何も考えられなくなるというか、自分でも何を考えているのか何をしているのか判らなくなりながら体を動かせなくなるといった感じ。こういうのは、経験者にしか伝わりにくいんだろう。まぁ、しょうがないか…。しょうがないと言えば、旦那の対応。具合が悪化していると自覚していたけれど、せめて帰宅時には「おかえり」と言いたくて起きていようと頑張ってみたけれど、ダメだった。編み物の途中で畳の上に転がってしまっていた。一応、旦那の湯上がりの時に目が覚めて話しかけようとしたのだが、一方的に「おやすみっ」と言われてとっとと離れに引き上げられてしまった。その後、丑三つ時までまた眠ってしまい、起き上がろうとしたら、体の下からムカデの子供が逃げ去った…。すっごく自己嫌悪…。ムカデの類いは毒性に惑わされて単なる害虫と思い込んでいたのだが、ネットで生態を調べてみたら、飼育してまで観察している人のサイトを発見し、じつはとても憶病で常に薄暗い物陰に隠れたがるらしい。当然、掃除どころか物の片付けすら行き届いていない私の居場所は、ムカデには絶好の隠れ場所だらけ。だからって、倒れ込んだ体の下から登場してほしくはない。幸い刺されはしなかったが、「ムカデが隠れていられるほど、微動だにせずに転がっていたってこと…?」と、自己嫌悪。それに加えて、前述の旦那の対応を思い出したから、「また鼾が凄かったり服装がだらしなかったりと、旦那に幻滅されたんだろうなぁ」と落胆し、自己憎悪の域に入ってしまった。他にも幾つか自分自身が嫌になる出来事が重なり、遂に首に違和感が生じた。甲状腺が腫れたような感覚らしいのだが、それは医師の見解。本人は、常に首に縄がかかっている、と感じている。それでも検査すれば甲状腺に異常は無く、受診するだけで医師にも旦那にも厭な顔をされるから、放置するしかない。たとえ、「こうまで動けない役立たずな私なんて、本当に首を吊って死んだほうがマシだよな…」と、泣きたくなっているとしても、だ。 |
| 7月1日 基本は「早い・易い・綺麗」 |
| 糸屋さんから半額クーポンで申し込んだ糸が届いた。予想以上に好みの色で、予想以上に良質で、予想以上に軽い。これは絶対に使わにゃなるめぇ、てな具合。ちなみに、お試し購入分も本命も、かぎ針なら2/0号以下、レース針0号で編むなら2本取り、などの細い糸。100gで500mとか700mとか書けば、編み物や刺繍などをやっている人なら細さが伝わるだろうか。あ、「しつけ糸ぐらいか、もう少し細め」と書けば、家庭科で裁縫をやったことのあるだけの人にも伝わるか。とにかく、細い。だから、軽い。それでいて、丈夫。しかも、インターネット販売価格が1m=1円という、嘘みたいな定価。私、基本的にケチだから、安い物しか買えない。どんなに贅沢しようと思っても、結果的に安い物から良さそうな物を選んでホクホクするタイプ。今回の買い物も、「お試し購入した糸が予想以上に好印象だったら、絶対リピート購入するだろうから、お試し分も安くていつでも補充可能な定番商品から選ぼう」てな決め方をした。そうして良かったよ、マジで。絹100%や毛100%、綿100%で、いろんな青色、名称が同じでも微妙に色目が違う(素材ごとの染まり具合によると思われる)青い糸が、た〜くさんになった。以前、時間限定商品で売り切れ必然の超特価で購入した糸も含めると、2年ぐらい糸に困らないんじゃないかなぁ。それら全部が青系の色。どんだけ青色好きなんだって、自分で自分にツッコミ入れたよ、本当に。あー、でも「2年」は大袈裟か。自分用の服を編むと、標準サイズの1.5〜2倍ぐらいの糸が必要だもんなぁ。サイズ調整しなくてもいいのは、ポンチョとショール、ストールぐらいだもんなぁ。ケープですら、ボタンや紐で前身頃をとめると、そこから裾へ「ハ」の字に身頃が開いちゃうから、旦那に嗤われたもんなぁ。そもそもボタンが届かなかったこともあったし。…でも! 今年は違うぞ〜。使う糸を太くしたり2本取りにするだけじゃなく、模様を増やしたりデザインを少し変えたりすることも覚えつつあるから、やたら重いだけの冬物とオサラバしてやるぅ。とりあえず、昨冬買った太い毛糸を、失敗作を解いて作り直すんだもんね〜♪ 勿論、寒くなり始めてから。それまでは細めの糸でベストや羽織物を作るも〜ん♪ と、これらは表向き。その裏で、今回買ったお試し糸で、毛100%の綺麗で軽いポンチョのためのモチーフ繋ぎを作る。これはレース糸の大判ショール同様、完成の目処を立てずに年単位の時間を要すると覚悟して、ちまちまこそこそ編むつもり。その準備として、現在、手元のドイリーやモチーフの本から6角形のものを選んでコピーし、大判ショールで使わない白いレース糸で試作中。何年も同じ物を編むわけだから、手軽に「できた!」を味わえるモチーフを選ぶ必要がある。選択基準は、タイトルにあるとおり。1枚の大きさは、大きいに越したことはないが、敢えて考慮しない。「服作りからもショール作りからも逃避したいなぁ…→ちまちま、ちまちま→1つできた!→やるじゃん、自分♪」という工程が短時間であることが、最も大切。飽きっぽいから。 |