ものぐさ日記
自転車から補助輪を取ったりバタ足で10m前後を泳げるようになったりと
息子にとっては急成長の夏でした
果たして私のほうは何か成果があったかどうか…(恥)
| 9月25〜30日 隣の人ほど「隣の芝」が青く見えることを知らない |
| 結局、今月は「隣人」に振り回されてばかりだった。実父は老人会の会長職や会長ばかりが集った時の役員職を貰って、ニヤけながら「なんで俺ばっかり」と言い続け、何枚も何枚も書類を作り、そのたびに校正やら体裁確認やらを要求してきた。旦那は休日にも会社へ行き、息子は淋しさから若干赤ちゃん返りをし、それを見て姪っ子と甥っ子達が乱入したり羨んだりやせ我慢の自慢話で騒いだし、実弟の嫁さんは自分の親を手伝いに呼んだりし、呼ばれたババアは甥っ子その1に命じて私に「お恵み」を施そうとして私が断ったら今度は自然体で無視したりし、てな具合。結婚の前後から続いているのだが、近所の人や親類縁者、会社勤めの間は同僚の一部にも、「ええねぇ、実家から出ずにおるもんで、物凄く楽できるやらぁ」と言われる、言われる。実弟の嫁さんの口から出た「自分の実家におるアンタには、私の苦労なんか解らへんわ!!」は、露骨な台詞としては久し振りのもので、マジにヤバいレベルまで突き落とされた。その時に一緒くたに聞いたわけではないが、同じ口から「楽できるんやったら、私かてお義姉さんみたいに精神科に通いたいわ!! ほやけど、お義父さんやお義母さんの顔にドロを塗ることになるもんで、我慢してやっとるんやないの!!」と出たこともあるので、尚更。正直なところ、今でもまだヤバい状態は続いている。思考が1つの方向性を持たずに暴走し、気づくと柱に頭をぶつけようとしていることもしばしばある。編み物も1作品に集中できず、意識的に思考を纏めようと日記や物語を書き始めても愚痴しか並ばず、結果、みちよさんの誕生日を祝うメールを当日に出そうとして窓機の前に座ったまま爆睡したり、右手に何本もかぎ針を持ったまま左手で漫画を開いて胡座をかいている状態で目が覚めて驚いたりと、自宅、特に自分の部屋にしている所では、我ながら支離滅裂な行動を続けている。無論、外に出たら健康を装っている。家の中でも、息子と実母が時々「どうかした?」と訪ねるものの、実父と旦那には気づかれていない。おかげで、厭になるほど「隣の芝が青すぎる」系の話を聞かされたり、冗談にならない台詞を聞かされたりしている。「誰か助けて」と言うのにも、もう疲れた。ぶっちゃけ、このサイトを閉鎖することも考えている。オンラインでのみの友人や知人もいて、その付き合いをバッサリと切り捨てるほど「仁義」という自分のルールを破れないから、だらだらとでも続けていきたいと自身へ説得中だったりもする。それでも私の「芝」は他人には青く見えるのだろうか。すっごく謎。 |
| 9月23〜24日 「家族の憩いの場」こそが母ちゃんの「戦場」 |
| 数日前よりは眠れるようになってきたが、心理的には極めて不安定なまま。実弟の嫁さんは、遂に、徹底的に対立する姿勢をあからさまに示すようになった。「それぐらいなら自分の実家に引っ越せばいいのに」と誰もが思うはずだが、絶対にそうするはずがない。理由は簡単、「土地付き一戸建て×2+借地に一戸建て×1」という実家の不動産相続権が実弟に譲られる可能性が最も高いことと、「自分の実家は市内じゃない」ということ。不動産絡みの話は、結婚前から聞いていた。「結婚したら、子供は3人がいい、絶対。そうしたら、1人に1軒ずつ残せるもん」と。市内云々というのは、当地の市の制度で、小学校卒業だか中学卒業までの間、市内在住の子供の医療費を市が負担するというもの。昨年度までは6歳までだったが、今年度から延長されたおかげで、我が家も結構助かっている。ましてや、子供が3人いて、どの子も風邪をひきやすい実弟宅では、「バカにならない」程度ではない。断言できる。姪っ子が保育園に入園するまで市外の実家に入り浸っていた嫁さんが、市内にはほとんど住んでいなかったにもかかわらず、市役所には「住んでいる」と申告し、子供が風邪をひくたびに市境を越えて当市内の病院に通っていたのが、何よりの証拠。さすが、招き猫と七福神の絵を家中に貼り付けまくっている家庭で生まれ育ったガキだと、最近の私は遠慮なく見下している。かく言う私も、旦那の実家ではまず良くは思われていないに違いない。実父母の嫁さんへの言動を眺めつつ、旦那の血縁関係側には自分の居場所が無かろうと考えずにはいられない。そもそも、肝心の旦那が「結婚? してたっけ?」と言うぐらいだ。冗談だとしても、気が収まらない。「だったら出て行けゃ!」と怒鳴れば良かったと後悔しているぐらいだ。そんなこと、実際には言えないけれど。同様に、嫁に出たことで、実家に居座っているも同然であっても、もう私の居場所ではないと考えているから、少しずつながら実父母との間に他人としての線引きを太くしている。そんなこんなで、現状のままの我が家が離婚によって崩壊した場合、旦那は自分の実家に戻り、息子は実父母が意地でも引き取るつもりだと言っているが、当然旦那と義父母も親権を巡って争うだろうし、その際に問題とされるのは私が負うべき責任をどこまで果たせるかという点になることは、想像に難くない。こんな状況は、絶対に回避したい。旦那がどう思っていようが、他の誰もが呆れようが、我が家は現状を維持するか向上させるかしか、考えてはいけない。家庭内別居同然だろうと、息子が自宅よりも実父母宅のほうがリラックスできていても、今の家に私が居座り、旦那と息子の「ただいま〜」に「おかえり〜」と答えなくてはならない。そのためになら、将来の大家と喧嘩しようが、地域からも保護者会からも浮いて孤立してしまおうが、独りで現状を守らねば。そんなことを考えながら小学校の運動会の続きを快晴の空の下で観ていたら、露出している肌が真っ赤に焼けた。襟ぐりの広い七分袖の服を着ていたから、腕は3段(肩から半袖で隠れる部分は白、半袖の袖口から七分袖の袖口まではカフェオレ、七分袖の袖口から指先までは真っ赤)に色分けされ、首の下から襟ぐりまでは三角に真っ赤、顔も鉢巻きにしていたバンダナの下は白くて他は真っ赤という、外を歩けない笑える日焼けとなってしまった。無論、ネタにした。相手は、旦那と息子。どんなに辛いことがあっても、この2人には愚痴から話を始めずに、自爆ネタで笑ってもらって、余裕がありそうなら愚痴も聞いてもらい、そうでないなら笑ってもらったまま「おやすみ〜」。風呂も私が最後と決めている。元気に出かけてもらい、少しでも安心して眠ってもらえるようにすることが、私の「戦い」だと思うから。だから、まぁ、他はテキトーでいいや、もう。 |
| 9月18〜22日 お天道様は人間の身勝手な都合にゃ合わせちゃくれねぇんだよ |
| 激昂と抑鬱を小刻みに繰り返し続けている。安定剤を服用しても、眠れない。世間に遅れて台風と大雨の情報を知り、他人事のように雨漏りしそうな天井を眺め、本来の運動会予定日の青空を惚けて見上げ、翌日の運動会が途中で大雨に見舞われて中止になったのを当然と思い、自宅にも実家にも旦那の実家にも自分の居場所が無いと感じて溜息をこぼし、脳内で言葉を紡ぐことに疲れ、編み物にも逃避できず、ひたすら「銀魂」のDVDを何度も何度も見返している。きっと、私の目も死んだ魚のようになっている。それでもいざという時には煌めくはずだと思いたい、のかもしれない。先日の一件以来、実弟の嫁さんとは顔を合わせていない。否、向こうが合わせようとしない、が正確か。3人の子供が時々実家に来ているようだが、嫁に出た身ということで、私も実家に入り浸ることを控えているので、判らない。どうでもいいし。ただ、あの日、叱る大人が3人もいる実家の居間で、「ママがイヤな思いをしているから帰ろうって言ってるの!」と怒鳴り続ける母親を拒む姪っ子と甥っ子その1の姿が、忘れられない。しかも、その翌日には姪っ子が実家にお泊まりに来ていて、息子に強請られて漫画の読み聞かせに出向いた私の近くで、息子に少し遠慮しながら一緒に本を覗き込んでいたから、尚更。思い出すだけで、滅茶苦茶後悔してしまう。「余計な真似をするんじゃなかった」とか、「空気の読めない旦那に相談できるかもと期待するんじゃなかった」とか、いろいろ。そのため、またバンダナを頭から外せなくなった。柱にぶつけて切れた箇所だけでなく、無意識のうちに掻きむしっているせいで頭皮がボロボロになっていて、フケのように瘡蓋が落ちてくる。どんなに丁寧にシャンプー、リンス、トリートメントを施しても、髪はパサパサ、地肌はボロボロ、ところどころに乾いた血痕が絡まっている始末。美容師の娘がこうでは、実母の店から常連客すら離れていきそう。結果、「巣」と旦那に言われる部屋から出られない。そんな苦しさのおかげで我に返ってみれば、何も楽しくなくなっている自分に気づき、更に更に落ち込んでいく。「少しは回復してきている姿」を演じることができるのは、そろそろ無理になってきた。でも、悪いことばかりじゃない。思い出して訪ねたみちよさんのブログに、ご子息のことやバレーボールのことを見つけ、良好な方向に動いていることを知って安堵した。それに、かつての同僚の一人がもうすぐ結婚すると知らせてくれたハガキを何気なくまた読み返し、懐かしさやら嬉しさやらを少し思い出した。願わくば、私の天の邪鬼な破壊的性分の影響が、こうした人達に及びませんように。 |
| 9月17日 目を合わせずに世辞を言う奴ほど腹黒い |
| 誰のことって、そりゃあ、実弟の嫁さんさなぁ。隣家のオバハンも付け足せるけどね。それと、実父母も。担当医にも「子供同士はともかく、そういう人達とは距離を置くようにしましょう」って言われたぐらい、未だに具合が悪い。具合が悪すぎて、「かんながら…」を書きたい。「TORAT」の続きは、…内容的にちょいと無理か。まぁ、いいや。とりあえず、何もかも放り出して逃げたい、現実から。昨日柱に頭を15分ぐらい打ち付け続けていた間も、「死にたい」じゃなくて「死ぬまで意識不明のまま入院したい」って思ってたぐらい。今も、そうなりたい。でも、これも無理。今のまま逃亡したら、残された息子がどんな目に遭うか、心配すぎる。だから、逃げたい気持ちをすり替えて、攻撃的心境に持ち込まねば、と考え始めている。具体的には、貯金。少しでも貯めて、いざという時のために備えなくちゃ。冗談のつもりだろうが、旦那に「(結婚)してたっけ?」と言われるようじゃ、旦那側の親族に対して何も期待できない。嫁に出た身だから、現状以上に実父母を頼りになんかできない。僅かながら家賃兼食費を納めているけれど、今の段階で実父母に何かあったら、「大家」は実弟夫婦に代替わりする。連中に頭を下げて家賃を払うなんざぁ、御免被る。それぐらいなら、実父母が所有している不動産を全部買い受け、私が連中の大家になるほうがマシ。だから、「攻撃的貯金」が必要。守銭奴っぽくて自分で厭になるけれど、なりふり構っていられないのが現実。かく言う私も、他人と目を合わせるのは苦手だし、メチャクチャ腹黒い。ああ、改めて書くまでもないか。こういう性分だから、「抗生物質に中ったぁ? 普通、人間には中らないように作られてるんだが、君は本当に人間かね?」って仰せになられた医師の、包み隠そうとしない診察が小気味良くて好きだ。夕方、昨日負傷した足の親指を診察してもらったが、相変わらずチャッチャカと診察と検査をし、「打撲と内出血っ。これから負傷箇所である指と指の付け根が真っ黒になるが、ビックリせんよーに。真っ黒になってからようやく(腫れが)引くからな」と、患者に対して世辞や下手な慰めなんぞ無し。じつに軽快。稀に誤診というか治癒までの経過の予想が外れることもあるけれど、憎めない。言い訳せずに、「すまんっ」と言える医師だから。「治療途中で事故」は一度も無いし。診療後の処置のおかげで、足のほうの痛みはかなり軽くなった。反対に、柱に打ち付けた頭部はまだ痛む。強くなっている感じ。時々、眠気とは異なるフラつきもあるし、私の待ちかねていた状態に、やっとなってきた気がする。嬉しいねぇ。「現実逃避」と「攻撃的貯金」のどちらが先に狙っている段階に到達するか、楽しみ。それまでは、今まで通り、七転八倒しながら細い糸に縋り付くようにして暮らすとするか。 |
| 9月16日 相手にその気が無ければ結局ムダ |
| 実弟宅の姪っ子と甥っ子その1は、誰に注意されても素直に「はい」とか「ごめんなさい」とか言わず、「でも」や「だって」で反論する。現実には「反論」というよりも、「言い逃れしようとする」が正確。で、私はコレが大嫌い。以前、嫁さんがコレに関して躾に苦労しているとか息子に対するのと同じように叱ってほしいとか言っていたので、数日前から「そこで素直に『はい』って言いなさい」などと、息子に対して平手打ちしたこともある事柄を、少々キツめではあれど言葉で注意していたら、今日、嫁さんが駆け込んで来て、好き勝手喚いてくれた。あまりに幼稚で、身勝手で、矛盾だらけで、自分の都合しか考えていない内容なので、思い出すことすらできないが、主に「密かに悩んでいるのに誰にも気づいてもらえない」だの「実家に居座っているのを非難されない人に言われたくない」だの「陰口を叩かれてばかりなのを我慢してやっているのに認めてもらえない」だの、自分の保身ばかり。呆れたことに、私に説教されて謝らずに泣き喚く甥っ子その1と、それに便乗して床に突っ伏して丸まっている姪っ子に対しても、「私が嫌な思いをしているからとっとと帰ろうって言ってるのっ!」と、叱られた理由を聞くとか自分の子供から反省の弁を聞くとかせずに、ひたすら「母親である自分が嫌な思いをするから、口先だけで謝るだけ謝って、とっととその場から逃避しろ」と言うのみ。道理で、実弟宅のガキ共は返事をまともにすることもできないワケだ。気づいて「そんな言い方ばかりやと、子供らはなんで叱られたのかも解らずに、何度も同じことで叱られて、そのたびにあんたからも怒鳴られて、可哀想やないの」と言ったら、前述のような不満に「お義姉さんと喧嘩なんかしたないのに」だの「子供の人数がお義姉さんよりも多いのに、お義姉さんの子に対しても同じように接してやってるのに」だのという、不満を誤摩化そうとしているとしか聞こえない台詞などを織り交ぜて、ボロクソに喚かれた。「はい、そうしてみます」とか「言い方が悪くてごめんなさい」とか、自分の非を見つめようとする台詞は、一切無し。それどころか、私のほうが全面的に悪いことをしていると言わせるまで、逆キレ台詞を喚き続ける始末。嫌になったので、「言いたいことはよーく解った、ありがとう」とだけ言い捨てて自宅に戻り、前頭部を思い切り柱に打ち付け続けた。結果、片手では覆いきれないぐらい腫れ、僅かだが切れて流血もしている。実父母と息子が慌てて駆け込んでくるまでの10分以上、廊下やトイレの柱、脱衣所の扉の角などに頭を打ち付けていたのだから、当然だ。旦那が帰宅するのを待って、無理矢理笑顔を作って冗談っぽく「私と結婚したことを後悔したことある?」と尋ねたら、完全に冗談だと思ったらしく「結婚してたっけ?」と返された。1時間後、「さっきの台詞、本気度は何%?」と改めて尋ねたら、「119.99%かな」。冗談にしろ洒落にしろウケ狙いにしろ、聞きたくない返事ではあるので、今度はちゃんと頭蓋骨をカチ割らねばと、現在進行形で思っている。ちなみに、前頭部の痛みで気づくのが遅れたが、夕方、実家の元自分の部屋の出入り口で、姪っ子が適当に放り出したままにしたプラスチックの箱に引っ掛け、親指を負傷した。ずーっと痛かったけれど、そんな痛みよりも嫁さんや旦那の口から出た言葉のほうが痛くて、夜更けまで忘れていた。で、どうなっているかというと、根元までしか動かせず、そこから先の感覚が痛み以外には無く、変な方向に歪んでいて、中程にはぐるりと内出血故の黒ニゲ(青タン)ができている。横になっているのと胡座以外の姿勢では、無意識のうちに爪先よりに体重をかけてしまうので、落ち着かない。それでも、やはり、他のところのほうが、もっとずっと痛い。死ぬためではなく自分自身を律するために打ち付けて流血までした前頭部ではなく、「家族の一員」と思えるようになった存在からの罵倒の数々を受け止めた、物質的にはどこにあるのか判らない部分が、だ。みちよさん、ゆすらさん、拙宅を訪ねてくださる皆さん、ごめんなさい。またやっちゃったし、もうやらないと約束もできなくて、本当にごめんなさい。 |
| 9月15日 「在りたい自分」を目指すなら努力を怠るなかれ |
| 昨冬に編んだ品を解体し始めた。残り糸も含めて、ある程度の使える量を把握できつつある。で、新作デザイン集から気に入った作品を選んであるので、自分のサイズに変更したらどれぐらいの糸が必要かも算出し始めてもいる。今冬の流行アイテムだけに、いろんなタイプのポンチョの編み図を入手できたし、それらから気に入った物もかなりある。他にもベストやセーターも編みたいので、全部は無理。そんなこんなで、いろいろ考えた挙げ句、「これは是非着たい」と思うもの数点を選び、使用する糸も決めた。が、サイズを変更・調整すると糸が足りない。あれこれ計算もしてみたが、どうにもならない。ということで、「今年は冬糸は買わねぇぞ!」と決めていたけれど、極太毛糸10玉と細めの毛糸のコーン巻き3本をいつもの糸屋さんに注文することにした。更に、それでも不足の場合を考えて、「このデザイン集は未練があるけど買わずにおこう」と決めていた書籍も購入決定。我ながら、徹底的にバカだと思う。バカだけど、自分自身だけに憎みきれない。甘い、甘すぎる。何度もそう言っているけれど、どうにも厳しくあり続けられない弱さを拭いきれない。自分で自分を赦せるのは、いつになるやら…。 |
| 9月10〜14日 永く使いたいなら金に糸目をつけるな |
| 朝夕に冷え込むようになったので、急いで息子のベストを仕上げた。やはり、自分用でない物は、なかなか編み進まない。自分用の物も、編み地の大きさ故に、なかなか編み進まないのだが、それはアッチに置いておく。とりあえず、長編みを交差させることを覚えた。現在、格子模様のベストを作った時の残り糸で、ミニショールを編み始めている。これも、自分用ではない。青紫色の糸なので、実母の好みでもないし、実母の店の粗品に加えてもらう予定。ところが、実母にあらかじめ申し出てみたら、「勿体無いから、お母さんが使う」と案の定言い出した。まぁ、どっちでもいい、鎖3目のピコット編みの練習をしたいから作る品だから。このピコットなるものは、その名のとおり、編み目の上にピコッと出る。今まで何度も使ってはいたけれど、今回編み方の写真を見ていたら、私の編み方は間違っていたことが判明した。我流故に本当にテキトーなことをしていたのだから、道理で可愛くピコッと纏まらなかったわけだ。そんなわけで、改めてピコットの練習を開始している。艶糸が芯糸に絡まっている糸なので、完成したらさり気なく可愛い感じのショールになるはず。それに、分散増し目の編み図を解読するので、自分なりに編み地を工夫する時に役立つ知識にも触れられる。デザイン集のとおりに編んでも、私に合うサイズに変更すると奇天烈な品になりかねないので、編み地の工夫はマジで必須。デザイン集を買い漁るのは、好みのデザインを探すためだけでなく、サイズ変更やアレンジの参考にするためでもある。で、かねてから何度も書いているように、今の時期は秋冬用ニットの新作ラッシュであり、私にとってはポンチョの季節の始まりでもある。デザイン集の購入基準も、まず「着たいポンチョが掲載されているか否か」があり、次いで「着たいベストやセーターが掲載されているか否か」となる。無論、編み図が面白いに越したことはない。そんな探求を繰り返していく内に、とうとう洋書のデザイン集にまで手を出してしまった。ポンチョやショール、ストール限定の物だけだけど。これが、面白い。英文を解読することは最初から放棄しているので、簡単な仕上がり寸法図とモデルが着ている写真を頼りに、どんなふうに編んであるのか考えることになる。それでも、面白い。とっくに被るだけのポンチョから、ユニークな発想で多目的なショールや編み方だけで印象を大きく変えるストールが、ページを捲るたびに目に飛び込んでくる。図を見れば、何てことはない、些細な工夫を施しているだけなのに、日本のデザイン集とはまったく異なる品になるから、目から鱗が何枚も連日落ちている。念のために述べておくが、日本のデザイナーの発想が型に嵌っていると言いたいわけではない。日本人の体型に合わせ、日本の流行を見極め、いかに手早く編めるようにアレンジするか、物凄くこだわりがあって、こちらもじつに面白い。特に今年は、ポンチョがまだまだ流行するらしく、専門の書籍も出ている。どの書籍のどの品も、全部挑戦してみたいぐらい、ベーシックかつ個性的だ。中でもフォーマルとしても使えそうなデザインのポンチョが気に入ったので、昨冬の失敗作を解いた糸で編むつもりなのだが、困ったことに糸が1玉+α足りない。着丈を短くしたり襟を小さくすればギリギリ足りる可能性もあるが、できればそんなことをせず、デザイン集のままの物に仕上げたい。よって、解く時に長さを測り、不足分をキッチリ計算してから、追加購入するつもり。旦那に「今年は冬糸は買わない」と宣言した手前、かなり屈辱だが、最善策を選ぶ。来年も再来年も使えるように。 |
| 9月4〜9日 何事も考えよう一つで好いことになる…なら苦労はしない |
| 雨漏りの次は、ネズミ。雨漏りの前にはムカデなどの多足類が頻繁に現れていたし、さすが古屋、次から次へといろんな難題を提供してくれる。だからと言って、嫌になるわけではない。今の借家は、私が生まれた時から小学校入学頃まで住んでいた、元々は実母の実家だった家だから。ネズミとて、足音が全く聞こえなくなったら地震を警戒できるとか、考えようによってはありがたい存在に思えなくもないし。まぁ、それだけだし、頭上でドタドタ走り回られるのは気持ち良くないし、深夜に部屋を走り回っているかもしれないと考えると極めて嫌だし、ちっともありがたくない面のほうが多いけれど。だから、話題を変えよう。息子のベストは、息子よりも実母のほうが気に入ったらしく、居合わせている時に編んでいると「その模様、ええねぇ」と必ず一度は言う。実母は四半世紀以上昔、棒針で実父のベストやセーターを編んだことがある。最初の1着は好ましく仕上がったらしいが、2着目は針と毛糸の太さが合わず、ゲージも定まらずに、とんでもない物になりかけたと聞いた。短絡な実父は当然怒り、結局、実母はそれっきり編み物をやめた。この事実は、私の記憶回路にもうっすら残っている。故に、メリアス編みとガーター編みとゴム編み以外に関しては実母に尋ねられないし、棒針のサイズに関してもまともな答えは期待できない。当然、クンスト編みでモチーフを作るなんて、逆に「それ何?」と尋ねられるに違いない。「あんたに棒針あげるわ」と言われて1種類4本組しか出てこなかった段階で、号数が幾つもあることや今流行のアラン模様の編み方を知らないと、判断できたぐらいだから。それにしても驚いたのは、「細い糸をチマチマ編んどれん」と指編みしかできなかった頃の私に、「小さい編み目を、気持ちを込めて丁寧に、幾つも編み込むのが手編みの醍醐味やないか」と実父が情緒豊かに語ったことだ。今の私なら「細い糸でキワモノっぽい凝った模様編みこそ面白い」とも言えるが、実母に詳しく編み物のことを教えずに、怒鳴り散らして失敗作になりかけている物を投げつけた人間だけに、「よぉ言うわ…」と呆れたものだ。とりあえず、私が我流で手芸を始め、粗品を作ってみたり自分の服を編んだり息子のサイズに作り替えたりしているのを見ると、「学生の頃には全くやらんかった奴が…」と半ば天変地異を予期しているかのように思っているらしい。何かの弾みにそう聞いた。それは旦那も思っていると吐いたので、もう驚きも怒りもせずに、淡々と息子のベストを編んでいた。編みながら、「やっぱり自分用やないと、どうにも進まんなぁ」と感じていたり、「ほやで、もう息子用のも編まんどこ」と決めたのは、内緒。旦那や実父のためになんて、論外。昨冬購入した糸以外は、綿、毛、絹の天然素材だけ。それを使って棒針編みをと一時期考えたこともあるけれど、もう欲張らない。他人にどう思われようが、着たくてもサイズが合わずに諦めた服や、既製品だと蕁麻疹の原因となる合成素材だけの服を、自分のサイズで自分の好きなように自分のできる範囲で編むつもり。デザイン集の作品も、棒針編みだろうと似ているかぎ針編みの模様を使って、再現できるようになりたい。そのためには、独学あるのみ。というわけで、購入を一度は諦めたデザイン集を、ポイントによるキャッシュバックのあるネット書店で購入する、参考書として。確実に糸の代金よりも高額になるが、これもまた内緒。 |
| 9月2〜3日 何事もパパパーッと片付くものほどつまらない |
| 暑さが振り返った中、立て続けに通院。まぁ、毎月のことだけど。先月末の大雨の時、確か28日だったが、雨漏りがした。以前から予兆はあったので、遂にといった感じでしかないはずだったのに、よりによって窓機の真上…。無論、即バケツと置き換えた。まぁ、作業が何もできなくなったけど、ほぼネットヒッキーなので支障は無かった。というか、常に未読メールが300通を下回らない段階で、支障があると言うべき。そんなアナログ生活の影響か、実父の角切りリンゴ用のプリンタのドライバのダウンロードを依頼されるも、完遂できず。まぁ、ダウンロード画面の説明文を読んでいる途中で、目がチラチラしてきて途中で放棄しているから、当然のことだけど。反面、編み図は何時間でもずーっと読んでいられる。現在、新作デザイン集の発刊ラッシュ期間なので、連日、数冊ずつ増殖中。購入する本の全部に、1〜3作品ぐらいは「これ、編んで着たい!」というのがあるのだが、私という存在は一人きりなので、当然、目印をつけたデザイン集だけが嵩張り、タンスの中身も糸の芯も急激に増えるわけがない。但し、「これは失敗作だな」と思う品や編みかけの品を、作り直す絶好の機会ではある。事実、サマーベストにしようと企んでいた品を、現在、解体中。3本取りにしていたので、途中で絡まったりしやすくて、糸に戻すのに手間取ってはいるが、年中羽織れるポンチョに編み直そうと決めたため、煩悩力でコーンの芯に巻き直せている。こういう時、思考回路はあまり出番が無く、自分のこととかを改めて考えることが多い。で、何となく気づいた。この2年弱、日記以外の長文を綴っていない。同じ時期、精神科でバカ正直に遭遇した出来事を話すのが面倒臭く感じられて、とりあえずいつもの薬を貰うために通うだけ同然だったりする。その背景には、たまたま目にせざるを得なかったニュースの殺伐とした内容にうんざりし、それに対していちいち何かを述べることに疲れ、他の物事について考えようとした場合、我流の手芸擬のことしか残っていない、という心境が存在していると。その影響で、確実にいろんな人に迷惑と心配をかけている。自覚してはいても、適切な対処を実行できるようになるのに、どれぐらいの時間が必要なのか、我がことながら判らない。まぁ、とりあえずは調子が悪かろうと生きていることを自画自賛的に認め、どんなものだろうと何かが完成したら喜ぶことで、落胆や不安、己への嫌悪感や憎悪をやり過ごせればいいか、と思う。ここにこうして書くという事実が、それさえも困難であることを裏付けているなんて、今更説明する必要はあるまい。 |
| 9月1日 どんな糸も張りつめきったら後は切れるか緩むだけ |
| 6週間ぶりに、息子と姪っ子と甥っ子その1が、それぞれの通い先に行った。めちゃくちゃ静かだった、午後3時頃までは。おかげで、ぐったり眠れた。本当は、いろいろやらねばならないことがあったので、「しまった、眠っちまったぁっ!」と取り乱したが、まぁ、眠ってしまっていた時間を取り戻せるわけじゃないし、それだけ疲労がピークを越えていた証拠でもあるし、と開き直ることにした。ついでに、息子用のベストの胸囲サイズが予定よりも5cm長くなったこととか、それを編み始めたためにモチーフ繋ぎのショールや夏用のベストの製作を中断していることとかも、「まぁ、ええわ、人前に出ることなんか、滅多にあらへんし」と開き直った。学生時代の自分の頑固さと比較すると、「なんや、えらぁ人が丸ぅなった気がするなぁ…って、外見からして丸ぅなっとるやん!」と、独りボケ独りツッコミが可能だという事実に、やっと気づいた。 |