ヘタの横笛

私よりも息子のほうが早く曲を覚えるようになり
頻繁に振り回されるようになりました
近日中に次の特撮戦隊番組のオープニングとエンディングを覚えねばならないかもしれません

●ヘタの横笛top  ●つっこも〜かな

 2月27〜28日 もう春なんだな(違)
 あれこれやるべきことがあるのに、何から手をつけるか考え始めると思考が停止し、眠っている。気晴らしにオカリナを、と思って素焼きちゃんを出そうとしたが、置いてある場所の前にはバリケードのように片づけなくてはならないものが…。片づけるためにも、やるべきことを順にこなそうと考え始めると(以下、エンドレス)。
 2月26日 …恥ずかしい…
 旦那が買ってくれて、持て余して息子にあげたナイト社のソプラノオカリナを、「たまにゃ良いだろ」と思って吹いてみた。凄いよなぁ、ペンダントトップとしてはギリギリの最大、オカリナとしてはギリギリの最小の逸品って。よくぞこの小さいなりに普通のオカリナの穴が空いてるもんだって思いながら、調子に乗って「大きな古時計」も吹いてみたら、…恥ずかしくなった…。指がね、太いというか、丸いというか、ぶつかり合うというか、低音のシを出すための穴を、塞げなかった…。そして、どうして持て余したのかを、思い出した…。忘れてた自分も、恥ずかしい…。
 2月24〜25日 予想通りっ!
 目が覚めると、隣室から「リュウケンドー」か「ボウケンジャー」のDVDの音声が聞こえる。食事の時も、遊んでいる時も、昼寝しちゃいそうな時も、どちらかの音声が聞こえてくる。さらに、息子は電車マニアとして今年の「仮面ライダー電王」を楽しみにしているし、旦那は大きなお友達との交流もあり、「ゲキレンジャー」も楽しみにしているようだ。仕方がないので、私も録画を見て学習するか。でないと、保育園からの帰り道、息子の歌についていけなくなるからなぁ。オカリナの運指1曲分を暗記するのと、まだのめり込んでいない番組のテーマソングを記憶するのと、どっちが簡単かなぁ…?
 2月22〜23日 開き直ってニキニキ!
 タイトルの「ニキニキ」は「ものぐさ日記」の23日分を参照のこと。それはさておき、この2日間、サイトの更新を一応したものの、物書きとしての自分をまったく無視して、オカリナに関する思い入れも同じく無視し、思い切って新しいことに挑戦して、ドキドキワクワクを吸収してみた。結果、スッキリ! 物書きで、笛も大好きなくせに、楽しむことを忘れていた自分に気づくことができた。所詮、私は一つのことに打ち込み続けることができない、根無し草みたいな人間なんだな、と。その代わり、広く浅くいろんなことに触れて、それを私なりに吸収・アレンジできればいいんじゃないかな、と。身勝手な話だけど、自分の性分まで変化させようとするから辛くなるのであって、心の向くまま在りのままにしていれば楽になれるわけ。うーん、「寅さん」の心境に近いかぁ? でも、いいや。目で楽しめる彩りにワクワクする自分を受け入れたら、耳で楽しむ音楽に対する好奇心も戻ってきたから。相変わらず耳で音階を拾うことなんてできないけれど、息子と歌うこととか、カラオケサイトで好きな曲を探すこととか、楽譜販売サイトのサンプルの端っこだけを見て「簡単かなぁ、難しいかなぁ」ってドキドキすることとかが、楽しく思えるようになったから。あー、「寅さん」に失礼なほど、短絡な人間だな、私って。
 2月21日 ふと思い出したこと
 話の弾みで、高校時代、詩吟部の代表として全国大会に出た時のことを思い出した。詩吟を始めて1年目か2年目で、当時は県内の他の高校に詩吟部は無かったので選抜戦抜きで、大会の規定にも満たない条件での特別参加、つまり「おまけ」だった。時間枠もトリ(最後)から2〜3番目と遅く、本当に「取ってつけただけ」の参加。当然、関係者や他の学校の人達に期待されるはずもなく、控室では他校の「淑女」達に、「自分で衣装も着れないの〜?」「うわっ、化粧も他人任せ!?」「そんなんで参加しようだなんて、なめてるよね〜」「見てよ、腹が出て見えるぐらいだし、面の皮も分厚いのよ」などと、聞こえるように陰口を叩かれた。まぁ、全部事実だし、当時の私にとって詩吟や詩舞は楽しい息抜きだったから、真剣に取り組んでいる人には面白くなかったことだろう。オカリナにも、真剣に取り組んでいる人が多くて、難しい曲のアンサンブルをこなされている人も少なくない。そういう人達から見たら、練習と言ってもほんの少しだけのもので、一向に上達しない「息抜き」気分の私のこの日記は、不愉快極まりないかもしれない。…そう考えたら、怖くなってきた。他人の真剣勝負の場に、お遊び気分で踏み込むなんて、その場で斬首ものだろうに、と。唯一の救いは、オカリナは「音楽」に属するものであり、音を楽しむものだということ。願わくば、白い目で見られませんように…。
 2月16〜20日 …………
 暇だったはずなのに、寝不足によるストレス未解消のためか、焦燥感が常にあった。オカリナを手にするどころか、このページの入力を避けるほど、何かに追い詰められていた気がする。正体はきっと、自分で自分に課した題材に対する責任感、てなところ。早めに解消しないと、かなり拙い気がする…。
 2月15日 そんな「お約束」があったのね
 今日、息子に「リュウケンドーって、新しいオープニングは曲も違うんだよ」と話したら、信じてもらえず、一緒にDVDを見て納得してもらった。で、思い出したのが、特撮ヒーロー番組大好きな「大きいお友達」(旦那)の、「信じられん! 特撮モノはオープニングやエンディングの曲を替えないのがお約束なのにっ!」という台詞。そんなお約束があったのね〜。そんでもって、息子達「小さいお友達」も承知のお約束だったのね〜。
 2月14日 息子の替え歌(笑)
 「♪あーめあーめやーめやーめ、すぐにやめ〜。♪あーめあーめやーめやーめ、すぐにやめ〜(以下エンドレス)」てな歌を、保育園からの帰り道にて歌っていた。すまん、息子よ、ママは心の中で「♪あーめあーめふーれふーれ、ひっさしぶり〜。かーぜだーけとーまれーばいいこった〜」と歌っていたよ…。まったく、親子して音楽的センス、少なすぎるよなぁ(爆)。
 2月13日 「彩り」
 基本的に、オカリナは好きだ。でも、百均で買ったプラスチックのは、何となく味気ない。どうしてかなぁと思いながら、もう何ヶ月も過ぎた。そんな今頃、故・砂川氏の「吹道」を聴いていて、少し解った。氏は、お気に入りの山の風景を描くように、「風の軍刀利」を作曲されたという。山から切り出された竹の尺八で、山の中腹の神社の境内を吹き抜ける風を、大らかに表現するなんて、凄いことだと改めて思う。同時に、インディーズ時代からのご友人達から「メジャーデビューしてから、オフィシャルサイトの日記などが山の話ばかりになったよね」と言われることも増えたとか…。実際、私も「ZAN union」のページは空や山の風景をイメージして写真素材を揃えた。それは、メジャーデビュー時のミニアルバム「風籟」の印象が強烈だったからだ。故に、最新ミニアルバム「絆」でZANを知った人には、サイトの画像もミニバナーも「どうしてこんなのなわけ?」と、違和感を抱かれるだろう。私が、「乱」を聴いて「ん?」と感じたように。「風籟」の中で「身を投げないで」とあることに涙ぐんだのが先だったので、「乱」の中で「死んだほうがマシ」とあることに歌詞全体の内容を理解するのに、時間を要した程度だが。今になって気づいたのは、故人も人間だということ。当たり前すぎて見落としてきた、勿体無さが口惜しい。「風籟」は、和楽器の音色を活かすことと、「和(なごみ・互いを尊び合う心)」がテーマだ。「乱」は、若さ溢れる気概と自尊心で満ちている。この2枚があったから、「幸ひ人」や「昴」などのマキシシングルの持つ、人と人とが手を繋ぐような曲もでき、「溢れるチカラ」で自然と人間、両方にある生命力や強さを表現するに至り、故人の絶筆となった曲を収めた「絆」で、過去を大切に思いながら未来への可能性に挑む気持ちが表現されていると、感じることができる。音楽でこんな気持ちになれたのは、初めてだ。芸能関係に疎い私には偉そうなことは言えないけれど、BOOWYなどの「伝説的バンド」の曲を集めて聴いても、ファンタジー色満載の女性アーティストの曲を聴いても、時空間を連想する「音色」だと感じなかった。尺八は、難しい楽器だ。一本に空いている穴は四つのみ。呼気の量や吹き口への角度など、演奏者も楽器と化して演奏しなければならない。ZANのライブに参加すると感動が大きいのは、故人への追悼の念があるから以上に、尺八と箏という、日本人が伝え続けている楽器の持つ「音色」と、それを用いて表現できるものの大きさを感じるからだと、私は思う。同様に、私がオカリナを吹く時、音階の調節がちゃんとできているプラスチック製品よりも、土産物として売られていた調律していない品のほうが嬉しくなるのは、土と水と火で作られた楽器に、自らの息吹を吹き込めるからだ。皮肉なのか偶然なのか、それとも必然か判らないけれど、千羽鶴を繋げたり塗り絵をしたりしている時に、それらの彩りを見ているうちに、何となくこんなことを思い描いていた。多分、これからも彩りを見ながら故人の心意気を改めて噛みしめることがあるだろう。だから、なかなかメンバーが増えなかろうと、「ZAN union」の画面やミニバナーも変更せず、密かにファンを広める謀略を考えたい。…最後の一言で、これまでの重い感想がすっぽ抜けたかなぁ…(苦笑)。
 2月10〜12日 iPodってどうなの?
 車中からZANのCDを抜き、自室に戻した。小湊氏が参加しているPriestの「まほらの月」も買った。中途半端に暖かくても閉めきっている部屋に、私の「音楽」が集中してきた。1ヶ月で電源のコネクタ部分が曲がったCDラジカセで聞きながら何かをすると、CD交換のために1〜3メートルを移動するのが面倒くさい。贅沢だと思う。それでも何かに夢中になっている最中の交換は、結構「その気」が削がれる。「どうせウォークマンみたいなもんでしょ」と軽視していたiPodが妙に気になるようになった。来週は2つ隣の市にある家電量販店が店舗改装のための売り尽くしセールをやるらしいし、ちょっとだけ見にいってみようかな…。
 2月9日 めちゃくちゃ恥ずかしい…
 2004年から目をつけていた漫画家・神海英雄氏へ、本誌に掲載された読切の感想というか、作品を読ませていただいたお礼というか、これからも頑張ってほしいという願いというか、とにかくいろんな気持ちが膨らんだので、とうとう小包みを送ってしまった。中身は、氏の好物のお菓子と、私の一番の気に入りで保存用として隠していたZANのミニアルバム「溢れるチカラ」。送り出してから恥ずかしくなった、「年甲斐もねぇだろうがぁ…」と。まぁ、自分的には満足したし、満足したからこそ、出した後で恥ずかしくなるんだし、「人生は旅と同じで恥はかき捨てじゃ!」てな感じに開き直ればいいか。…っていうか、恥ずかしいと思ったことをここに掲載することのほうが、もっと恥ずかしいんじゃないのか、普通は…(どこまでも愚かで鈍い…)。
 2月7〜8日 さすがやね
 耳鼻科でもらった風邪薬と抗生物質を、今のところきちんと服用している。だからだろう、かなり楽になってきた。水っ洟は劇的に減ったし、耳の奥のぼぉんとした感覚も無くなったし、頭の重い感じも和らいできた。何とかウイルスとか、ハウスダストによるアレルギーだったらどうしようかって悩んでたけど、やっぱり普通の風邪だったんだな。あー、心配したとおりにならなくて、良かったぁ…。
 2月5〜6日 水っ洟
 日曜の朝から、また風邪をひいた。今度は、完全に鼻風邪。鼻腔の周辺はガビガビだし、鼻水が出るのでティッシュでかむのだが、まったくの水っ洟で、かんだ直後には鼻腔内がヒリヒリして痛み、くしゃみが止まらなくなる始末。5日には何とか精神科に行けたが、6日はもう限界みたいで頭は重いし、鼻の内外はヒリヒリ痛むし、耳鼻科で受診する日だったので、ついでに風邪薬も処方してもらった。果たして、オカリナに鼻水がかからなくなるのは、いつになるだろう…?
 2月4日 また1枚買おうかな
 まだ下準備の段階だが、成長著しく将来が楽しみな漫画家氏に「コアラのマーチ」を贈るつもり。その漫画家氏は音楽もやっているとのことなので、ZANの曲も聴いてほしいと下心も準備中なのだが、一昨年の私の誕生日に出たアルバムの保存用を「コアラマ」に同封するのが少し惜しい。でも、聴いてほしい。でも、手持ちのは惜しい。ということで、もう1枚購入しようかと思って…いたら旦那に「無駄遣いするなよ」と釘を刺された…。そんなわけで、「今すぐZAN unionのメンバー増加作戦」は、「とりあえず打診から始めてみよう作戦」に変更。何とか荷造りして「コアラマ」3種類合計7箱を集英社に送り付けることにする。我ながら、相変わらず不躾で無遠慮だと思う…。
 2月2〜3日 「音色」
 息子の鍵盤玩具を見ていて思い出したことがある。30年以上前、私が強請って買ってもらった鍵盤玩具にも、音階が判るようにペイントされていた。不思議なことに、どちらも低い音階は暖色、高い音階は寒色か明度の高い色が、選ばれている。以前は「これを見ていたから、低音には明度の低い暖色を、高音には明度の高い寒色を、連想するのかなぁ?」って思っていたけれど、30年経った今も同じような配色なのを見ると、「誰もがそう思うってことかもしれない」と考えるようになった。下記にも書いたが、曲には作者の思惑が潜んでいるという。言葉ではないもので思惑を伝えようとしているのは、「音楽」にも「一定の共通概念」があるからではないだろうか。そんなことを思いながら、息子と特撮ヒーロー番組の歌を歌ったりもしていた。親子してあまり上手ではないのは、敢えて無視したい。
 2月1日 「のだめ」と「クインテット」
 タイトルは、私の「クラシック音楽の教科書」。前者は漫画で、後者はNHK教育テレビの番組。生まれてこのかた、クラシック音楽に関する勉強は、中学2年の時に数回受け、全部眠って過ごしたため、私の音楽に対する観念とか価値とかは、ほとんど無い。クラシック音楽は、聴いていると眠くなるぐらい耳に心地好い、もしくは、学校の運動会とか始業ベルの代わりとかに使われるもの、程度のものでしかなかった。けれど、音程やリズムは美しいからそう並んでいるのではなく、作曲者の思い描く光景を表現しているのだとか、楽器の形の由来や音色の特徴だとかを漫画や番組を通して知った。知って、納得して、ようやく気づいたことがある。私は、ジャンルを問わず、音楽を聴く時、無意識のうちに風や水の流れに変換していたようだ。漫画や小説を読んでいても同じだが、のめり込めばのめり込むほど、内容には流れの量を、展開には流れの強弱を、それぞれ体感するような感覚で楽しんでいる。差し詰め、「剣の舞い」という有名な曲は、大型の台風のもたらす暴風や豪雨といった具合に。こんな身勝手な解釈を当然他人には話せず、また、クラシック音楽については知ったかぶりもできず、「高級な音楽はハイ・ソサエティの皆さんだけのものでしょ」と不貞腐れていた。だから、漫画や番組で時代背景や曲に秘められた逸話などを知って、「面白い」と感じるようになれた。世の中には「クラシック音楽が面白いのは、今更語られる程ではないぐらい、当たり前のことじゃないか」と言う人もいて、その人の博識さに感服せざるをえなくて、少し前まで私は恥ずかしさを感じてもいた。けれど、今は違う気持ちを持っている。「漫画や番組で初めて面白みを知った者と知り合いなのに、一度も『クラシック音楽はこういう点が面白いんだよ』と伝えなかったことを認めずに、『何を今更』と言うのは恥ずかしくないのかなぁ」と。そして、「私は後で『何を今更』と言わないよう、自分が知っていること、見聞きしたことを、なるべく正確に、丁寧に、誰にでも納得してもらえる努力を、怠らないようにしよう」とも。生意気かもしれない。でも、悪い努力ではないと思う。だから、恥ずかしくない。

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