ヘタの横笛

どんな音楽であれ聞き覚えのある曲にはそれぞれ思い出があります
誰かと一緒に聴いた曲とか結婚式で流れた曲とかいろいろです
その思い出が壊れるような出来事には遭遇したくないものですね

●ヘタの横笛top  ●つっこも〜かな

 6月30日 見逃してやることに感謝してほしい
 先日旦那が出張と言って上京した時、アーティストが緊急手術を受けたために先送りになったライブが、改めて日時が決定したとチケット屋さんから電話があった。これにより、今月のどこかで書いた7月11・12日のライブが別口と判明、現在の私は結構ムカッとした気分。それでも電話の相手のチケット屋さんに「ご苦労様です」と挨拶し、即座にしれっと旦那のPHSにコールしてその旨を伝えたつもり。これ、旦那に感謝されてもいいんじゃねぇ? 妊娠後、私が息子を預けて単身で遊びに行ったのは、1回こっきり。長島スパーランドへZANのライブに行った時だけ。しかも、昼頃出かけて夕方帰宅。今年はコミさんと慎さんが気を使ってくださって土曜日になったから行けるかもと思って息子に打診した上で、諦めた。その後、その当日に旦那が独りでライブに行くと判ったり、その当日の午後に小学校の授業参観が設けられたりして、単なる「頑張ったほうが良さそうな土曜日」が急変して「どれだけ頑張っても頑張りすぎにならない辛くて苦しい土曜日」に確定した。既に泣きたいよ、私ゃ。それでも息子が喜んでくれたら頑張れるし、旦那にだって正直に「ライブに行く」って言ってくれれば「楽しんできてね」って見送れるよ、吐き気や安定剤のガバ飲みを隠して。私だって実父母の企画に乗じて旦那を置き去りにして旅行したりしているから、ね。でも、ちゃんと前置きはしているし、都合が悪いなら息子だけ同行させて私は留守番するつもりで旦那に話している。それに対して「いいよ」と旦那の返事があるから出かけられる。でも、旦那は滅多に自分の予定を言わない。何週間も前から計画を立てていても、中止せざるを得なくなって「せっかく考えていたのにさ」と不貞腐れた時にしか計画していたことを言わない。常に前日の夜か当日の朝に「出かけるから早く支度して」。そういう人だと知ってはいても、今日みたいなことがあるとムカつく。諦観なんざぁ、できるはずがない。計画していてもそれを中止しても話さず、後になって「せっかく俺も予定を組んでいたのに、誰かさんが勝手に他の予定を入れたせいでダメにされた」とムカつき顔で言われたところで、私に何ができる? 私が「こういう行事が設けられました」と学校の予定を報告しても、黙って無表情のままテレビを見てるだけの相手に、これ以上どう対応しろってぇの? …てな具合に、ムカついているわけよ、現在。ちなみに、来月12日に授業参観があるのは報告した。無表情&無言だったから、旦那は予定通り11日に東京へ行き、13日の夜まで帰らないだろう。息子がしょげそうだったから、その場で8月の盆休みに出かけたいところを息子と話し合って「パパは何したい?」と振っても無表情&無言。確実に、「俺はどこかに行くって言わなかっただろうが」か「俺はどこへも出かけないっていつ言った!?」のどちらかで、どこへ行くにしても何をするにしても、私に対して不貞腐れ面で怒りをぶつける。結婚してからずーっと、手口が同じ。それだけに尚更ムカつく。だから、7月にまた倒れる覚悟を決めた私に対して、旦那には感謝してほしい。でも、これって、我侭?
 6月27〜29日 私なら川辺
 ぶっ倒れる直前状態というか、既に過去形と言うべき状態というか、とにかくしんどい週末だったにもかかわらず、息子と川に行った時のことを思い出すたびに、故リーダーさんが大好きな山へ笛を持って行った理由を肌で感じていた。せせらぎと一言で済ませることができない、水の流れの音。風で揺れる葦の葉擦れ。その根元を潜る流れと、潜んでいる虫や魚の動くさま。それを追いかけてはしゃぐ息子や見知らぬ子供達の声と、流れを遡る足の音。水面に映る、上空を渡る鳥の影。これらを表現する時、こうした文章では微かな変化までは描ききれない。ならば笛でなら可能なのかと問い詰められると、私ごときには肯定できないのだけれど、もしもオカリナや篠笛の音色で表現できたなら、どんなに楽しいことかと想像せずにはいられない。昨年実父母に便乗してアルプス連峰の麓を、南、北、中央と3回に分けて旅した時も、「この峰を仰ぎながら讃歌を自分で作ることができたら、絶対に嬉しくて清々しい気持ちになれる」と感じた。それと同じ気持ちに、息子の川遊びに同行するとなれると知った。小学生になった息子がいると、これまでのように気楽に平日の旅行を楽しむことは難しい。だから、あの昂揚感は縁遠くなると覚悟していただけに、嬉しい発見だった。思えば、私が住んでいる地は、木曽山地の裾野の端っこみたいなもので、小高くて広い場所に行けば御嶽山を遠望できるから、旅行に行くまでもない。ただ、日常生活にあって少し生活臭から離脱した場所にいくだけで、充分だった。それに気づけただけで、立っていられなくなるぐらいまで疲労した甲斐があったと、心の底から思う。
 6月26日 本の虫、本を見失う
 今日も「ものぐさ日記」の続きみたいなこと。和楽器にも「竜」がいる。雅楽に使われる、竜笛。音色が竜の声に似ているから、らしい。本当かどうかは知らない。否、誰にでも確かめられることではない、と述べるべきか。だが、私が和楽器に興味を持ったのは、「竜笛」という名前とその由来がきっかけだった。しかも、大好きな横笛ときたら、食いつかないはずがない。故に、「ものぐさ日記」にも書いた岡野玲子女史の漫画「陰陽師」の1シーン、清明の雨乞い道中のクライマックスで、「蜻蛉」に「ドラゴンフライ」とルビを振り、同行者の博雅が水氣の強い場所で竜笛を吹くというところが、非常に気に入っている。「おまえは蜻蛉か」という清明の独白は、私にとって羨望すら忘れてしまう微笑ましいほど、その場面の象徴だ。同作品では、その後、水氣にのみ働きかけた反動で、火氣による事件が発生する。物事に表裏などの言葉で表現される均衡状態が付き物だという、広く染み込んでいる思想や考え方に基づいた展開だ。その顛末は女史の作品に委ねるとして、雅楽にもじつは火氣に通ずる楽器がちゃんと用いられている。拙作で扱ったこともある「笙」だ。遠く中東で生まれたらしいその楽器は、シルクロードを経て日本に辿り着き、強すぎる個性(主にメンテナンスの面倒臭さ)のために出生地や経由地では使われなくなり、現代では日本にのみ存在しているそうな。このことを記した書籍を購入して所有しているはずなのだが、部屋のどこに保管しているのかを忘却してしまった。そんなわけで、頼りない記憶から引き出した情報に基づいて述べるので、間違いに気づかれたらぜひツッコミを入れていただきたい。では、楽器の話に戻る。「笙」は雌竹の管を十数本用いており、その内側に貼付けた弁を呼吸気で震わせて音を出す。仕組みはハーモニカに似ているが、吹いても吸っても同じ音が出る点が異なる。また、吹き口は1つだけで、管の穴を押さえることで発音を選ぶ点も異なる。この「管の穴を押さえる」ために、楽器の本体を包むように両手で持つのも、「笙」独自の美しさの1つであり、楽器の形と両手の動きをして「鳳凰に似る」と言われる。鳳凰は雌雄一対の神鳥で、日本では朱雀と同一視されやすく、どちらの場合も「竜蛇を食す」という謂れがあるためか、木氣(青龍を象徴とすることが多い)を克し水氣(玄武という蛇と亀が絡み合った姿の神獣やヤマタノオロチなどの蛇や竜に近い精霊を象徴とすることが多い)に克される象徴とされることが多い。ちなみに、容姿はラーメン用の丼の内側の縁や賞状の金色の枠として描かれているので、小学生以上の日本人なら1度は見たことがあるはずだ。こういう蘊蓄を好んで覚えている私は、しばしば人から「マニア」とか「オタク」とか呼ばれる。が、雅楽に「竜笛」と「笙」が欠かせないと知った時、物凄くドキドキした。今も、ドキドキしている。同時に、土氣や金氣に属する楽器があるのではないかと、極めてマニアックな発想をしつつ、「どうしてそこまで調べなかったんだ、過去の自分っ!!」と後悔してもいる。こういう時に限って、ネタを仕入れた書籍の名前も思い出せないから、非常に悩ましい。蛇足だが、世の中にブログなるものが広まってからというもの、ネット検索で調べ物を試みても肝心な情報に辿り着くことが困難になった。私の検索の仕方が稚拙だからでしかないのだろうが、「インターネット」に与えられた概念としては問題ではあるまいか? さて、ネット検索で数万件の情報に茫然とするべきか、あらゆる書籍を惰性で積み上げた離れの本棚周辺を前に茫然とするべきか、まずはそれが問題だ。
 6月25日 愚者、凹ましたがる
 「ものぐさ日記」の続きのような話。現実として、いきなり汗をかくほど運動すると、使った部位に筋肉を補充するためか、体重が増える。嘘みたいな話だが、本当。体重を増やさない程度の運動となると、汗をかかない程度の軽いものに限られる。実際、超肥満体と呼べる程度に太って以来、血圧と脈拍が大きく変わった。妊娠中ですら、血圧は100〜60、脈拍は55〜65だったのに、現在の血圧は150〜110ぐらい、脈拍は80前後。血中脂肪率なども高くなったから、簡潔に言えば「余計なものが付着して血管が細くなった上に硬化している」ということ。この状態で汗をかくほど運動すると、心臓がどうにかなると実感する。以前、腹式呼吸を取り戻そうと腹筋を頑張ってみたことがあったが、ウエストがくびれるどころか太くなって茫然とした。肺活量や腹筋が衰えていると実感しながら笛の練習をすると、少し体重が落ちたり腰回りが楽になったりする。2年ほどかけて出した答えが、「日常生活+笛の練習や物作りが現在の私には適度なダイエット」。周囲は「もっと体全体を使う運動をしろ」と言うが、心臓や肺の負担は私自身にしか判らない。焦らず、長く、適当に手を抜きながら、続けていこう、できる範囲で(ここ重要)。
 6月24日 愚者、さらに凹む
 書店への往復を済ませた後、笛の練習をするぞと思っていたのに、不覚にも眠ってしまった。気づいたら、息子が帰宅する数分前。水色のトリプタノール1錠で寝入るほど、ストレスが溜まっているのだろうか。そう考えたら、また凹んだ…(それがストレスになるってば)。
 6月23日 愚者、凹む
 「ものぐさ日記」にあるとおり、自宅の無線ルータが朝からトラブって茫然としていた。人間、こういう時って、咄嗟には機転が利かないだけでなく、自分では立ち直れたつもりでも実際は慌てふためいているものらしい。せっかくオンラインに割く時間が丸ごとキャンセルされたのに、じっくり楽器を持つことには考えが至らなかった。あああ、勿体無いことをしたなぁ…(但し、息子不在中、実父母のアッシーで2時間ぐらいは出かけていたけどね:言い訳)。
 6月20〜22日 息子、落胆する(怒)
 20日金曜日は雨が断続的に降るため外で遊べず、かと言って笛で遊ぶのにも飽きてきたらしく、体力を持て余している様子だった。具体的に述べれば、自宅でも実家でも廊下や部屋の中でダッシュしたり、軒伝いに姪っ子達と走り回ったり。私が独りで少し音出ししていたら、最寄りの窓で立ち止まって「あっ」とか言ったようだったのが、ちょっと嬉しかった。21日土曜日は旦那の出勤日だし、やはり雨で外で遊べないので息子の相手をしなくちゃと思っていたのだが、先週と今週の疲労感が「しなくちゃ」で召喚されてしまい、昼食後は役立たず状態に。いや、役立たず以下か、一番邪魔になるところでくたばって動けなくなったから。それでも「ママ、だいじょうぶ?」と気遣ってくれる息子を見ていると、夏休みに入ったら、また博石館で宝石探しをしたり、「えいごであそぼ」のロケに使われた果物遊具のある浜松のフルーツパークへ連れて行ってやりたいなぁと、自然に思えてきた。小学生とは言え、私と触れ合う時間だけ見れば、他の子の半分以下になるはずなので、何をするにも優先してやりたいし、まだスキンシップをしたいと望む、否、やっと「ママにあまえたい」と素直に言えるようになってくれたから、「ママの宝物めぇっ♪」とじゃれたりしている。人によっては「マザコン」と言うかもしれない年齢ではあるから、友達に冷やかされると恥ずかしがったりもする。それでも「これ、ママのすきなうた?」と尋ねて懸命に覚えて一緒に歌ったりしてくれるなど、息子なりに懸命に「家族」たらんとしている。だからこそ、22日日曜日に、旦那が「来月はライブがあるから11日から13日はいないから」と言った時、思考回路がフリーズした。7月12日は、渋谷でZANのライブがある。年に一度の結成記念の七夕ライブだ。もしかしたら「いいよ」と言うかもしれないと思って息子に「ママだけでお泊まりで出かけたらたるい?」と尋ねたら「ぜったいたるい」と涙目で言われて諦めた七夕ライブと同じ日に、旦那は私や息子の存在も気持ちも顧みずに「行ってくるから」で済ませてしまう。息子には私から「君の知らない、パパの好きな音楽をやる人のライブなんだって」と伝えた。「ふ〜ん…」と言って項垂れた息子の悲しい時の表情を、私はきっと忘れられない、ずっと。そして、「七夕ライブを諦めて良かった」と思ったことも。年に一度のソロライブだからいつか参加するのが夢ではあるけれど、そのために息子に悲しい顔をさせてしまったら母親失格だから。どんなにZANが大好きだろうと、家族を見捨てるようにしてライブに参加したくない。どうせなら、息子も一緒に参加したり、「ママ、たのしんできてね」と見送ってもらいたい。そうしないと、自分も辛くなるし、ステージ上のコミさんと慎さん、そして故リーダーさんの思いを正面から受け止められなくなる予感がする。「旦那はこういう気持ちにならないのかなぁ」と考えようとしたら、涙が出てきた。考えるべきじゃなかった。旦那にとっては、私も息子も、長年追いかけている一人のミュージシャンよりも軽い存在でしかないと、気づいてしまったから。これでまた当分の間、私のShuffleは電源を入れられないままになりそうだ。
 6月19日 息子、注文する(惑)
 6歳の息子には、まだプラスチックのオカリナは大きすぎて、ちゃんと穴を塞ぐことができない。それが悔しかったのか、私に手渡し、「ママ、♪たたたた〜らた、たたたらた〜、ってうた、ふいて」。…(困惑中)…。「♪たたたらたたった、たらら〜、でもええよ」と言われても、「すまん、ママは耳で音を聞き取るのが下手やで、曲を聴きながら楽譜を見んと吹けんのや」としか答えられない。で、結局、10穴なので「ドレミの歌」で勘弁してもらった。ところで、息子よ、君の歌った「♪たたたた〜らた、たたたらた〜」とかは、何の曲?
 6月18日 息子、縦笛に飽きる(早っ)
 お菓子のオマケのリコーダーもどきが本物とは違うと教えたら、息子は、同じ百均屋の商品ではあれ楽器っぽい音が出るプラスチックのオカリナに乗り換えた。しかし、所詮は6歳児、頑張って手を広げてもまだ楽には全部の穴を塞ぐことはできない。それに、右手と左手とでは指を上げる順番が異なるという点で困惑することも手伝って、長くは吹いていない。代わりに、「ママのタケのフエ、かりるね」と言って篠笛を出してきて、吹き口にパクッと…(笑)。取り返してドレミファソラシドを吹いて見せたら、リベンジ開始。やっぱり、パクッ(爆)。「まずこれで音を出す練習しとけ」と告げつつ、空になった500ml用ペットボトルの口を真横から吹き、ブォーッという音を聞かせておいた。それこそパクッ。でも、すぐにコツを教えろと言わずに私の口の当て方を真似して、一生懸命フーッ、フーッと吹いていた。上の唇が下の唇に覆い被さっているから、しばらくは無理だろうな、間違いなく。ちなみに、「いきなり空の500mlのペットボトルかよっ!」とツッコミを入れたあなたは、楽器通。篠笛やフルート、ピッコロみたいに息を中に吹き入れない楽器は、本体も吹き口も小さいほうが音を出しやすいと知っている証拠だから。そして、当然、太くて吹き口が大きいもので音を出せるようになると、八本調子の篠笛やフルートで楽に音を出せるようになることも、ご存知のはず。さて、リコーダーもどきに3日も経たず飽きた息子は、これからどうするんだろうなぁ。ああ、想像するだけで楽しみだなぁ。
 6月17日 息子、縦笛に目覚める
 昨日書いたリコーダーもどきを、息子がかなり気に入ったらしい。多分、学校でリコーダーを使うことを、上級生か先生から聞いたのだろう。宿題を済ませるペースからして早くて、驚いた。しかも、嬉々として「リコーダーのれんしゅう、してもいい?」だし。笛が好きになったのは、私が幼児期にテレビを見て笛を知ったように、息子も幼児期からオカリナを見てきたからか。ホント、母子そっくりやな…(当然か)。
 6月14〜16日 所詮は玩具か
 土・日曜に百均屋で中にガムが詰まったプラスチック製の小さいリコーダーもどきを発見、迷わず購入した。息子と交互に試し吹きをしてみたが、まぁ、所詮は玩具だし、ガムの付録だし、穴の数が違うとか、穴を全部押さえると音が出なくなるとか、少しの唾液で詰まって音が出なくなるとかしても、当然か。リコーダーっぽい形状ではあるけれど、穴は6つしかなく、私はつい篠笛を思い浮かべた。そこで、篠笛みたいに押さえる穴の数は同じでも、位置を変えてみたら別の音が出ると判り、何となくドレミ1音階分っぽい音を出せた。旦那はうるさいだけの玩具と思っていたらしく、それっぽい音を聞いて小声で嘆息してから、「メチャクチャやる気の無さそうなドレミファソラシドだな」と言った。この段階で、私、満足。その代わり、息子が「ぼくもやりたい」状態に。16日の月曜日、日が沈み始めた頃に風呂に入りに帰ってきたついでに、「まだふいてもいいじかん?」と尋ねたので、「全然大丈夫」と答えたら、頑張って指で穴を塞いで吹いていた。そこで、便乗して私はオカリナと篠笛を持ち出し、オカリナでは「大きな古時計」を、篠笛では「チューリップ」を、それぞれ1回ずつではあるけれど、久し振りに吹いた。どちらも上手とは言えないものの、運指はきちんと覚えていたし、指が太りすぎてずれたりすることもなく、無事に終了。入浴中だった実父が、脱衣所にいた実母に「何の音や?」と尋ねたらしく、実母が「その竹のほうの笛は何ていう名前やった?」と私に尋ねた。「しのぶえやよ」と即答したのは、息子。何ヶ月も吹いていなかったのに、ちゃんと覚えていた。学校で使う楽器よりも先に和楽器の名前と持ち方を覚えた小学1年生は、確実にウチの息子だけだろう。「おとなになったら、ほんもののふえをふきたいなぁ」と言っていたが、息子よ、リコーダーもメロディオンだかピアニカだかも、れっきとした本物の笛だぞ…。
 6月12〜13日 何か複雑な気持ち…
 私は基本的にテレビを見ない。陰惨な場面が多いから。旦那が在宅の時や実家にいる時にミサンガかストラップか編み物を欠かさず作っているのは、付けっぱなしの画面をなるべく見ないように。それでも、知っている曲がBGMとして使われていると、ついどんな画面に当てられているのか、見てしまう。すると、四川の被災地だったり、バラエティ番組の行き過ぎた場面だったりもして、イヤ〜な気分になることもしばしば。好きだと思う曲だから覚えているし、部分的に聞くだけで「!」となるわけで、嬉しくてつい顔を上げるのだけど、見ると画面には見たくない光景が映っていることもあるし、最近は手放しで嬉しさを語れる光景のほうが減っている。光景の陰惨さを緩和させる狙いのある選曲なのかもしれないけれど、被災者諸氏や被害者の遺族を映している時に音楽を流す番組がチラホラあって、マスコミの常識を疑いたくなる時もある。その際に大好きな曲が選ばれていたりなんかしたら、まぁ、あまり好い印象を持てなくて当然で、「もう二度とこの番組は見たくねぇっ!」って思うのも当然でしょ。
 6月11日 ついでに頭の中もできないだろうか(愚)
 最近、湿度が上がった。家の中に金魚の水槽があるからのみならず、梅雨の影響もある。楽器、篠笛だけでなく、オカリナも湿気るから、ちょいと虫干し(?)が必要だろうなぁ…。
 6月10日 事の起こりは30年以上前か
 最近、己の音感の無さを痛感しても何故横笛が好きなのか、考えることが増えた。「私の所有物」として自宅と実家に存在する笛は、フルートとオカリナの篠笛。全部、横笛。ZANの存在を知る前から、フルートもオカリナも和楽器の笛も知っていて、吹けなくても好きだったし、これからもその気持ちは変わらないだろう。これだけの気持ちはいつ自分の中に生じたのかと、今更だが疑問となった。記憶を大雑把に遡ってみる。篠笛を入手したのは女竹だけど安価な練習用の笛の存在を知ったから←プラスチックでもいいから篠笛の販売サイトを探してみようと思い立ったから←ZANのファンの方々の中には触発されて尺八や篠笛を独学されている人もいると知ったから←ZANの曲を聴いて雅楽用の笛だけが和楽器ではないし音色も凄く好いと知ったから←和楽器のアンサンブルを奏でるZANの存在を知ったから←待っているだけでは龍笛や高麗笛や篳篥には遭遇できないと気づいていろいろ調べ回っていたから←オカリナも充分に吹けないけれど笛好きはやめられないから←手持ちのオカリナが宝の持ち腐れに感じられて淋しくなったけれど諦めきれないから←フルートやピッコロやオカリナを吹く技術はあっても音感が無いと気づいたから←オカリナならもっと簡単にいろんな曲を吹けるかもしれないと考えたから←中学時代にはフルートやピッコロを吹けたし和楽器も含めた楽器の数々にも横笛があると知ったから←中学入学以前にフルートは実父母に買ってもらって持っていたから←アニメでオカリナを吹く少女キャラを見たり幼児向け番組の司会のお姉さんがフルートを吹くのを見たりした印象が強く残っているから。ここから先は、幼稚園児以前の記憶になるので、明確ではない。ということは、テレビでフルートを吹くお姉さんを見たというのが、私の横笛人生のスタート地点と言える。記憶していると言っても極めて瞬間的なものだから、物心がついたばかりの頃だろう。ということは、今年で三十路を卒業するわけだから、控えめな見積もりにしても、30年ぐらい前。いや、それ以前か。なるほど、道理で「横笛」というだけで反応するわけだ、ほとんど「刷り込み」なのだから。きっとこれからも、これまでと同じように、何度も挫け、何度も逃避し、何度も舞い戻って「横笛が好きやぁっ!」と独りで喜ぶのだろう。それで充分。大地震だの凶悪犯罪だのといつ死ぬか判らない物騒な世の中で、独り善がりだろうと喜んで叫びたくなる機会を待てるなんて、幸せじゃないか。誰にも認められなくても、自分を幸せにできるきっかけを自分で作れるなんて、凄いじゃないか。それを30年以上前から可能としていたなんて、多分、そんじょそこらのオッサンオバハン共には真似できないことだ。嗤われたって、何を気にする必要がある? 反対に、嗤い返してやればいい。
 6月9日 直接退治しろや、自分っ!
 日付が変わった直後、居間のど真ん中に鼠がいることに気づき、硬直。真剣に、夜更けに笛の練習をしようかなぁ。泥棒は困るけれど、蛇には実際に出てほしいと本当に心の底から思う。本当に真剣にっ。頼むから、我が家の天井裏でも壁の間でも床下でも構わないから、山楝蛇に住み着いてもらいたい。猫でもいいけれど、この際、やっぱり蛇でしょ、蛇。数年に1回ぐらいのペースで、離れ(現在の旦那の部屋)への渡り板の周辺で見かけていたけれど、蝸牛や蛞蝓が増えたと思うようになってからは、見かけなくなったっけ。三竦みって、本当なのかなぁ。ならば、見るのもできれば遠慮したいけれど、蛞蝓を退治するか。…って、あれ? 何かおかしくない? どうせ退治するなら、鼠を(ここでタイトルどんっ!)
 6月6〜8日 泥棒と蛇のどっち?
 しばらく笛の練習を怠っているなぁ。春に、夕方から夜までの間を練習時間に充てていたら、息子に「くらくなってからふえをふいたらかん!」と言われて以来だな、多分。「夜更けに口笛を吹くと蛇が出る」とか「泥棒に入られる」とか、6歳児がよく知っているものだ。と思ったら、実父母の入れ知恵らしい。私的には、「蛇なら出ても構わないけれど、泥棒に入られるのは困る」ってところ。屋根裏や壁や床下の隙間をネズミが走り回っているから、蛇には是非来てほしい。蛇がダメなら、猫、猫っ。ハンター猫を借りたいぐらい。泥棒はイヤだなぁ、大切な物を持ち逃げされて返してもらえないし、現場検証と事情聴取ってやたら長いし、少しでも役立とうと冷静さを保っていると狂言じゃないかと疑われるし、「盗られた物は諦める代わりに、犯人を逮捕したらウチに連れて来てください、半殺しにしてやりたいので」って頼むと刑事さんに恐がられるし(すべて経験済み)。でも、最近は日が長くなったし、まだサッシを開け放つほど暑くもないから、暗くなってから練習するなら最適かもしれないなぁ。…あ、笛にとっては湿気は天敵か。
 6月4〜5日 BGM
 どんなに落ち込んでいようが、息子の前で取り乱してばかりいられない。日頃から接する時間が短く、目を合わせる時間は更に少ないのだから、息子にとって「自宅」は居心地が悪くて当然だ。それでも宿題をする間だけは「自宅」にいて、「ママ、みてて」と言ってくれる。ならば、編み物をしながらであれ、傍にいなくては。泣きそうになる日もあるし、それが今でもあるから、「きょうのしゅくだいのとき、えーと、なんだっけ? おんがく、ウラのがええで、パソコンでかけて」と注文してもらえるのが嬉しい。ちなみに、息子が言いたかったのは「今日の宿題のBGMは『ダブ・アク』のCLIMAX formのウラタロスのソロ・バージョンがいい」ということ。
 6月3日 いきなり歌えんはずやわ
 毎月1日に実家の窓機を起動しに出かける。目的は、サンリオBBのログイン手続きとカラオケDAMのパソコンカラオケのライセンス発行。ついでに2階の旧私の部屋の窓機のメンテ。カラオケのライセンスはカラオケ画面を出さないと手続き画面が出ないので、「電王」の曲を選び、発行後に歌わせてもらっている。細やかな職権乱用ではある。あるけれど、楽しみにしているのは私だけではない。「ママ、ログインするの?」と言いながら息子が後をついてきて、「ぼく、きょうはこれがいい」と曲を指定する。1階リビングの窓機もあるから、2度歌えるわけだが、息子がくっついてくる時は、2曲とも息子の選曲となる。まぁ、「電王」関係の曲からという点では一致しているので、構わないが。構わないのだが、時々勘弁してほしいと思う。例えば、早朝に叩き起こされて連行された時の「Double-Action Coffee form」(女性2人のキャラソンだからキーが高くて声が出ない)とか、今月の1日の「Double-Action Wing form」(まだ聴いていなかった)とか。ちょうど「Double-Action CLIMAX form」を聞き飽きてきた今日、遂に「ママ、きょうのしゅくだいのきょくは、ジークのうた(Wing form)にしてください」と来た。で、息子は宿題をしながら、私はその背を見ながら麻のバッグを編みながら、結構大きめの音量で聴いた。感想は、今日のタイトル。アラビア風のロマンチックな曲調で、「♪こぼれ落ちるゴージャスはプリンスゆえ止められない」だなんて、そりゃ「電王」テイスト満載で愉快だけれど、カラオケ画面初見で歌えねぇって。それなのに、息子は相当気に入ったらしい。「♪だれよりもけだかくうまれ〜」と歌詞カードが無いのに耳で覚えて歌う、歌う。しかも、私よりも音感もリズム感もあるから、いつか「ママ、そこ、へん」とツッコミを入れられる日が来ると思う。いつまで「親」の威厳を保てるんだろう…? …あ、もう半ば崩れてるか…。
 6月2日 当地の方言講座のオマケつき(意味無いけど)
 来月のZANの七夕ライブが土曜の夜に決まったことで行ける可能性をほんの少〜し見出し、試しに息子に「ママが独りでパパみたいにお泊まりで出かけたら、たるい?」と尋ねてみた。答えは聞くまでも無かった。「えっ!?」と言って振り返ったのは質問の一瞬後なのに、既に涙目。「あー、解った、解った、訊いてみただけで行かないって。だから泣かんでもええ」と宥める時、つい苦笑しちゃうぐらい、物凄く解りやすい反応だった。昼間は私がいなくても実父母がいれば元気に遊んでいるし、寝る時も実父母の間というのがお決まりなのに、それでも外泊はダメらしい。そう言えば、小学校に入学してからの2ヶ月ぐらい、「ママ、ぼくがねるまでそばにおって」と強請るようになったんだっけ。「おふろもいっしょがいい」と言う回数も増えたし。生意気な反論が増えた反面、息子なりに神経を磨り減らしているってことか。そんな訳で、今年も七夕ライブは断念。数年前の長島ライブみたく、名古屋近郊で昼間のライブなら、休日でも行けるんだけどなぁ。ま、コミさん、慎さんやスタッフ諸氏の都合だってあるし、我儘は言うまい。他の機会だってあるし、タイミング次第でいつか参加できる日が来るだろうから、それまでに少しでも痩せて他のファン諸氏に迷惑をかけず、心身のコンディションを整えて余計な涙を流さず、心置きなく、そして遠慮も無く、声援を直接送れるように準備しておくか。ちなみに、「たるい」というのは当地の方言で、「悲しい」+「淋しい」+「残念」+「凄く厭」→「泣けちゃうほど味わいたくない気持ち」という感じの意味。ネガティブすぎない程度の「ヤな感じ〜」な気持ち全般に用いることが可能なので、年代を問わず使用者が多い。また、当地周辺の方言の特徴が反映されて、「たる・い」の語幹のみを活かした「たる〜」「たるう」「たるぅ」という発音で用いられることが普通。近年では「かったるい」という言葉が他の地方から入ってきて浸透したため、主に30代前半より若い世代の中には「かったるい」の省略形と勘違いしている人もいるようだが、本来の「たるい」の意味に「心身の疲労感」や「やる気力と体力が萎える」なども含まれているので、地元民らしさを主張する際には注意が必要。また、他の地域で暮らしたことが無い地元民にも「たるい」と「かったるい」を同一視している人がおり、「たるい」を方言だと思っていない傾向が残っているため、名古屋近郊を出ても「たるい」を多用することに抵抗を感じない人も少なくない。それぐらい、当地や名古屋近郊を中心とした「たる・い」を使う地域では、重宝されている方言の1つ。意味が軽度なネガティブ感全般を含み、共用語に同音の単語があるという点で「たるい」に似ている方言は、他に「えら・い」もあり、「えら〜」「えらあ」「えらぁ」などの発音でこれまた年代を問わず根強く用いられているが、こちらは「心身の疲労感」の度合いが「たる・い」よりも強めであること、共用単語「偉い」の意味も含んでいることなどの違いがある。この2つの単語を理解し、適切に使えるだけで、頭の固い壮年・老年のオッサンやオバハンに好印象を与えることが可能なので、転勤族や全国を渡り歩く人達にお勧めだったりする。蛇足の使用例:音楽と関係無ぁとかキツぅ言われると「たるぅ」し、日記書くのも「えらぁ」なるで、ツッコまんどぉてや。
 6月1日 結婚式や披露宴で使った思い出があっても、ね。
 旦那、「出張」から帰宅。その際の細々としたことは、「ものぐさ日記」に譲る。ここで述べることはただ一つ。「この胸のモヤモヤが小さくなるまで、旦那が追っかけている某N氏と某Sバンドの曲は聴きたくねぇよ」のみ。

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